羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 壮観だった。
 男子高校生五人ナメてたわ。問答無用で食べ放題のプランにしといてよかった。みるみる肉と米が減っていくのは見てて気持ちよかったし、楽しそうだったから来てよかったと思う。
 ちなみに我が弟は「今日は肉用の胃袋」なんて言っておきながら肉を食べた量は誰よりも少なくて、デザートのプリンパフェもどきに心奪われていた。
 とは言っても別に暁人が特別少食ってわけじゃない。他の子がめっちゃ食うってだけだった。すごかった。なんかもうすごかった。マジでそんなにどこに入るの? って感じ。俺とか酒頼むのも忘れてたし。未成年の前であんまり飲酒するのもアレだからいいんだけどね。
「おれ、こういうの自分で焼くって初めてです」
 肉用のトングを片手にそんなことを言うマリちゃんは発言の内容も相まってちょっとシュールだったなあと思い返す。きっと全部お手伝いさんとかがやってくれるんだろう。食べるよりも焼くのが楽しそうだった。何にせよ楽しんでもらえたならよしとする。
 結局店を出たのは九時半くらい。全然余裕じゃねーか。これなら帰宅時間を勘案しても問題なく家まで補導されずに帰れるだろう。代わる代わるお礼を言われて、あー後輩に奢るってこんな感じ? とちょっとむず痒くなってみたり。
 みんな好きに焼いて好きに食ってたけど、こういう男同士の感覚って久々だ。女と食事するの、割と疲れるんだよなー。気ぃ遣うし。肉の匂いがつくからと思ってそもそも女はこういうとこに誘ったりしない。たまにならこういうのもいいかも。
 こうして俺の休日は、これ以上ないってくらい充実した有意義なものになったのだった。



 そして約ひと月後。俺はコンビニのATMの前で、預金の残高を見て首を捻っていた。少ないんじゃない。逆だ。なんか、全然減ってない。クレカの引き落とし遅れてんのか?
 ネットバンキングで明細を見てみると理由が分かった。そうだ、最近全然女と会ってないからだ。っつーか、ここ数ヶ月かけて女絡みの出費が少しずつ減っている。試しに一年前と比べてみて、うわっ、て思った。こいつ遊びすぎじゃねえ? 一体何に使ってたんだ、一年前の俺よ。
 俺は自分で言うのもなんだが同年代の中では割と羽振りがいい方だ。暁人がバイトする必要が無いくらいには生活にも余裕がある。交際費を減らすと金が貯まるんだな、とある意味当たり前すぎることに今更気付いた冬の日だった。
 あの文化祭の日以来、一緒に食事をしたのがよかったのかあのときの面子はよく家に遊びに来るようになっていた。遊びにっていうか、溜まり場? 元々この家は四人家族用なので、リビングもそこそこ広い。こたつを導入してからはますます謎の魔力で集客を続けている。どうせ俺は仕事だし、なーんか家族と訳アリですって感じの子ばっかだし、逃げ場は必要だろってことで好きにさせている。向こうの親御さんからも何も言われないから、大丈夫ってことなんだろうと解釈してる。
 たまに机の上とか冷蔵庫の中とかに差し入れらしきものがあるのは、お礼、ということなのかもしれない。ほんと、みんな暁人の友達にしておくには勿体無いくらいのいい子だよ。俺は宏隆くんが持ってきたらしいおつまみの缶詰セットのひとつを開けてつまんだ。これ美味いな。牡蠣だって。
 十二月に入って、クリスマスと年末に向けてちょっとした繁忙期がやってくる。稼ぎ時だから気合い入れないとな。
 そんなことを思いつつ、残りの缶詰の裏側の成分表示をなんとはなしに読んでいるとポケットの中で仕事用のスマホが震えた。オーナーじゃなかったので緊急の用じゃないな。一応確認するとやっぱりというかなんというか、前にちょっと遊んだことのある女の子だ。最近コンパにも顔見せないね生きてる? みたいな連絡だった。生きてるっつーの。女遊びしなくても死ぬわけじゃねーんだよ。
 みんなセツに会いたがってるよ。そんな風に締めくくられていたメッセージにどう返そうか悩む。みんなって、どのみんなだ……? やっぱり俺はホストには向いてない。あんまり沢山いると覚えていられなくなる。
 返事に悩む理由はもうひとつ。『二人っきりでも会いたいな。クリスマス辺りとか』。そんな一文がさらっと滑り込まされていた。こんなに直球で言われると割と好印象だよな。誘われるのをただ待ってるだけとか誘ってほしいのを匂わせるだけとかの女よりよっぽどいい。そういえばさっぱりして付き合いやすい子だった、とじわじわ記憶が蘇る。
 ……とりあえずオッケーしとくか。せっかくここまで言ってくれたんだし。
 どうせクリスマスは家族でお祝いってガラでもない。久々にあの柔らかさや甘ったるさに浸るのもいいだろう。暁人も適当な女と遊んでそうだ。今からって店の予約とれるかな、急がないとやばいかも。さくっと返信してバックライトを消す。
 そういえば、あと一ヶ月くらいしたら誕生日だ。
 マリちゃんは覚えてくれているだろうか。お祝い頑張って考えます、なんて言ってくれたけれど、俺としては覚えててくれるだけで嬉しい。おめでとうございます、って言葉をもらえたらもう十分。
 家が立派な溜まり場になってしまったせいでマリちゃんと一対一で話す機会は少なくなった。というか、マリちゃんはそもそも自宅が遠いから見かける頻度自体一番低い。冬休みに入ったらもうちょい機会も増えるかな、なんてほんの少しだけ期待している自分がいる。
 他の子たちはやっぱり「弟の友達」って感じなんだけど、マリちゃんだけはどうにも違う。マリちゃんは「マリちゃん」だ。暁人経由で会ったわけじゃないからだろう。
 毎年、誕生日の季節ってあんまり好きじゃなかった。寒いし雪が降るってなったら雲がたちこめて暗いし、電車は止まるし靴はびしゃびしゃになるし気が滅入る。早生まれだから何でも周りより一足遅くて、成人式なんて酒も大っぴらに飲めない。生まれた瞬間からタイミングが悪いというか要領が悪いというか、自分のそういう部分を感じてしまって嫌だった。
 でも、次の誕生日は楽しみだ。
 生まれてきたことに「おめでとう」って言ってくれる人がいるって、恵まれてる。マリちゃんは、俺が嫌だなって思ってたことにも別の見方を与えてくれる。夏の日差しの暑さは花を鮮やかに見せるし、冬の痺れるような寒さは呼吸が気持ちよかった。二十数年生きてきたけど、八歳も年下の子供に視界を明るくしてもらえることがこんなにも沢山あった。
 すぐセックスしたりとかくっついたりとか別れたりとか、結婚してるくせに殆ど顔も合わせてないとか、そういうんじゃなくてもっときれいで誠実で優しい。マリちゃんがいるのはそういう世界。俺には縁が無かったもの。今は爪先くらいなら境界線辺りを踏むことができている、といいな。俺はそういう場所で生きるにはもう間に合わないだろうけど、そこで生きている人のことは大切にしたいと思ってる。邪魔しないから、見てるだけで我慢するから、許して。そんな感じ。
 マリちゃんも、最近家によく遊びに来てくれるみんなも、もちろん暁人も、ああいう子たちが毎日何にも煩わされたりしない、しあわせな生活があればいい、と思う。
 それは最近心に余裕ができてきたらしい俺の、ささやかな願いだった。

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