羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「なー大牙、もうこのままどっか飯食いに行こうぜ」
 天気いーじゃん、とそんな提案をしたのは暁人だった。今からって、もう昼休み四十分ちょいしか残ってないんだけど。
「高槻サンの店行こう。五分で行って十分で作ってもらって二十分で食って五分で帰ってくりゃ丁度四十分だし」
「そういう店じゃないから! 牛丼屋じゃねえんだぞって言われるよ……」
「でもあの店料理のサーブ早いよな、待たされたって感じることねーもん」
 まあけい兄ちゃんの店って十分以上待たせるな、が基本だしね。食べ放題がついてくるランチのときはその限りではない、というか寧ろ早くサーブしすぎるのはよくないらしいけど、通常だと料理の提供は他の店に比べてかなり早めだと思う。けい兄ちゃんはとてつもなく手際がいいのだ。たまに休日シフトが朝から入ったとき、俺が出勤すると仕込みは七割方終わっていて、ランチタイムが始まる頃には後は焼くだけとか軽く煮込むだけとかそういう状態になっている。
 きっとけい兄ちゃんは魔法が使えるんだろうなあ、とそんなことを思ってしまうくらいには、何が起こっているのか謎だ。俺だって家でたまに料理をすることはあるけれど、あんな風にはどうやったってできない。
 けい兄ちゃんは料理してるときめちゃくちゃ楽しそうだから、本当に料理が好きなんだろう。率直に言って他人以外にはまったく愛想の無いけい兄ちゃんだけど、料理をしてるときとそれを誰かに食べてもらってるときは機嫌がいいのが分かる。「おいしい」って言うだけで雰囲気がとても柔らかくなる。あの店はまかないがおいしいのだ。あー、腹減ってきたなあ。
 時間も無いし歩くにはまだ暑い季節だ。夏休みが終わったからといってすぐに涼しくなるわけではない。折衷案で、購買にパン買いに行って日陰のベンチで食べようって話になった。今絶対気温三十度くらいあると思うんだけど暁人は暑くないんだろうか。
「おれ、みんながパン買ってる間にお弁当取ってくるよ」
「そっか万里は弁当か。いいなー、俺も兄貴に作ってもらおうかな」
 暁人がゆきちゃんの仕事を無駄に増やそうとしている。やめてあげてほしい。
 と、そこまで考えたところで佑護がすっとベンチから立ち上がった。「どうしたの?」と聞くと「……? お前らこれから昼飯だろ」と返ってくる。うん? なんか噛み合ってないな。俺が何か言う前に、暁人が佑護の前に立ちふさがった。
「お前昼飯食わない派?」
「……食わないともたない、派?」
「なんで疑問系だよ。っつーか何しらっと帰ろうとしてんだバカ、お前も一緒に食うんだよ。何のために俺が人目のつかない場所を提案してたと思ってんだ」
 ああ、そういうことか。佑護、自分も一緒に食うと思ってなかったんだな。っていうかちゃんと確認とってなかった俺らも悪いでしょ。なんでそういう言い方するかなあ。気遣いができるのに誤解されるのはそのせいだ。天気がいいから、なんて、教室に戻らない口実だっていうのくらいは俺になら分かるけど。
 案の定佑護は少しだけ驚いた顔をして、迷うような口ぶりで「……何のつもりだ?」と言う。
「は? 飯を食うつもりだっつーの! ごちゃごちゃ説明されねーと嫌なタイプ? 俺、他人から無駄にじろじろ見られんのも詮索されんのも嫌いなんだよね。人がそーいうことされてんのもムカつくし……あ、フレンチトースト食いたい。万里、早く行こうぜ」
 凄まじい話題のとっ散らかり具合だったが、暁人は言うだけ言って満足したのか苦笑いしている万里を引っ張って歩き出す。あ、これ、たぶん後の対応を丸投げされたな。俺は振り返って、未だに状況の飲み込めていなさそうな佑護に話しかけた。
「人目を気にしなくていいとこで食べようってことだよ」
「……俺がいるからか。やっぱ、あんたら変だよな……」
「強いて言うなら変なのは暁人かな。ごめんね、ああいう言い方しかできないっていうかしないから」
 もっと優しく柔らかい言い方も、暁人にならできないわけはないのだ。けれどそれをしないのは、良くも悪くも相手に気負わせないためなのだろう。暁人は、気を遣っていると相手に思われるのが嫌いだから。
「黙るより言い返した方が喜ぶよ、暁人は」
「ただの変な奴じゃねえか」
 佑護はおかしそうに笑って暁人たちの背中を追うように歩き出す。たぶんもう購買には売れ残りのパンしか無いだろうけど、混雑が少しでも解消しているならそっちの方がいい。あのときの佑護はほんとにモーゼみたいだったもんな。びっくりしたし。
「……誰かと飯食うの久々」
「じゃあ、これからたくさん一緒に食べればとんとんだねー」
「お前それマジで言ってんのか……」
「俺は外部生だから、正直まだ佑護に対する周りの反応とかいまいちピンときてないんだけど、それはそれとして一人で食事するのってつまんないなと思うよ」
 俺らはきっと外部生だけで行動することが多かったからつい最近まで気付かなかっただけで、殆どの奴はきっと軽い事情くらいなら知っているのだろう。佑護のことを事前に知っていた暁人も、聞こうとして聞いた噂ではなかったからか喧嘩の強さ以外の知識はゼロだった。
 まあ、そのお陰で色眼鏡をかけずにいられたというのはよかったけれど。
 佑護は複雑そうな面持ちだ。視線をほんの一瞬地面に落として、「なんつーか……今こうなってんのは、殆ど俺のせいだし」と言う。
「こうなってる、って?」
「怖がられたりヤバイ奴扱いされたりしてるのが。やけくそになってる期間が長すぎたんだよ。心配してくれた奴も、きっと昔はいたんだと思うんだけどな」
 いつまでも被害者面してる奴は鬱陶しい、と佑護は呟いた。佑護の歩調は暁人に負けず劣らずゆっくりだった。クラスの奴から聞いた話が正しければもう一年以上部活はやっていないはずなのに、普段から鍛えているひとの体つきをしていた。
 佑護は突然ぴたりと足を止めて、小さく笑い声をあげる。「知り合ったばっかの奴に何言ってんだろうな」それは自嘲というよりは本当に意外そうな思わずといった風な笑顔で、続けて「なんとなくあんたが話しやすい感じだからかもしんねえ」と言われたので安心する。
「実はよく言われるんだよね」
「話しやすいって?」
「うん。どんどん話してくれていいよ。俺、佑護と仲良くなりたいな」
「……仲良くなりたい、とか、正面から言われると焦る」
「うーん、暁人も万里も割とそういうとこオープンだから気にしたことなかったかも」
 含みがなさそうで助かる、と佑護は笑ってくれたので、おそらく嫌がられてはいないのだろう。よかった。
 遠目に、人もまばらな購買前で暁人が何やら悩んでいる風なのが見える。万里は一旦教室に戻っているところだ。飲み物もいるよな何にしようかな、と考えつつ、俺は「そういえば佑護って甘いもの好きなの?」なんて、バナナオレの味を思い出して斜め上を見上げるのだった。

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