羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「大丈夫だった?」
「うん。お礼言いたかっただけみたい。これ貰ったよ」
 昼飯を食べずに待っていてくれた万里は、俺の掲げたビニール袋を見ると安心したように笑って「よかった」と言った。
 いつもより十分ほど遅れての昼飯だ。万里はいつも弁当を家から持ってくる。きっと毎日家の人が手作りしてくれるんだろう。冷凍食品なんてひとつも入ってません、って感じの彩のいい弁当は、その道のプロが手掛けているのであろうことがよく分かる。
 俺の飯はコンビニとか購買とかその日の気分。今日はユーゴがくれたパンがあるから、こう言ったらなんだけどお金が浮いて助かった。そういえば、ユーゴは食事のときの飲み物がジュースでも大丈夫なタイプなんだな。なんとなく、あの見た目からウーロン茶とか緑茶とか飲みそうなイメージだったんだけど。それとも、俺がバナナオレを飲みそうに見えたんだろうか。まあ、甘いものは好きだけど。
「そんなに悪い奴じゃなかったよ、噂ほど」
「……噂って無責任なものだから」
 少しだけ万里の返事に間が空いた。そういえば、万里は地元の学校で何かと目立ちすぎたから電車を使ってまでこの学校に通っているんだったか。弓道部の施設がとても立派だったから、とこの学校に入学した理由をそう言っていたけれど、きっとそれだけではないのだろう。
「そうだね。話してみないと分からないことってたくさんある」
 暁人もあの外見と言い方が少しきついのとで誤解されがちだから、他人がどれだけ好き勝手なことを言うかは肌で感じてる。
 教室を出るまでは、不良に呼びつけられた、どうしよう、なんて心境だったけれど、わざわざ俺を探すためにクラスの端っこから順番に見てきてくれたのかと思うと気持ちが和んだ。替えのガーゼ、忘れないようにしないと。



 ユーゴと三回目に会ったとき、ユーゴは第二グラウンド裏のベンチに座って俺を見上げて、なんとも微妙な顔をしてみせた。
「……おい、それ」
「ご、ごめん……ついてきちゃった……」
 俺の斜め後ろには、暁人。そして、「やっぱり帰った方がいいんじゃないかな……」と暁人に対して控えめに主張する万里がいた。万里には、巻き込んでしまって非常に申し訳ない気持ちになる。暁人がついてくると言ってきかなかったのだ。それを宥めてくれていた万里も最終的には道連れにして。しかも、暁人は新学期が始まった初日からどうしてかやけに機嫌が悪い。何かあったんだろうか。
「えっと……とりあえずこれ。大きめの絆創膏も一緒に入ってるから傷の具合見ながら替えてね」
「ん。悪いな」
 ユーゴは暁人を見て少しだけどう対処しようか迷ったみたいだった。「……オトモダチが心配か?」と煽ってるんだか何なんだか分からないことを言って、暁人は怒るかと思ったのに「今は別に。直接ちゃんと会えばマジで話の通じないヤバい奴は分かるし。そこまで感度悪くない」とざっくり切り返す。
「でも、こないだのだけじゃちょっと分かんなくて心配だったから来た」
「へえ、素直」
「お前に言われなくても俺は素直に生きてるっつーの!」
 言いたいことは言うしやりたいことはやる、と俺にしてみればかなり恐ろしいことを言った暁人は、不機嫌そうに「噂ってマジであてにならねーしどいつもこいつも好き勝手言うからムカつくわ」と足元の小石を蹴った。その様子が面白かったのか思わずといった風に笑ったユーゴを見て、暁人はいよいよ顔を嫌そうにしかめて叫ぶ。
「はー! なに!? まっじでウゼェな! お前学校でなんて呼ばれてるか知ってんの、鬼だの悪魔だの犯罪者面だの散々なんだけど! どこがだよ! ああーっウゼェ!」
 一体何をそんなにいらいらしてるんだというくらいの瞬間沸騰っぷりだったが、これは笑われたのに怒ってるんじゃなくて真実とかけ離れた噂の方に怒ってるんだろうな……。なんて思っている間に、暁人は一瞬で怒りを発散したのか「でも一匹狼はちょっとかっこよくね?」と万里に同意を求めていた。気分屋すぎる。
「……あんたの友達、変だな」
「あはは……いや、でも、万里とかはすごくまともだから……」
「万里ってそこのお育ちよさそうな奴? そいつもなんか妙なとこ振り切れてそうな感じするけど」
 脱色頭と付き合いがある風には見えねえのにな、とおそらく誰に聞かせるでもなく呟いて、「俺の名前、人偏に右って書いて、護衛の護で佑護」と俺の目をまっすぐ見て微かに笑った。
「佑護。えーっと、今更だけど下の名前で呼んでいいの?」
「マジで今更じゃねえか」
 こいつ、人と喋ってるときはよく笑うみたいだ。最初はクールなイメージだったけど、今はそこまで。人見知りなのかもしれないな、顔に似合わず。
「……なんか失礼なこと考えてねえかあんた」
「いや、噂ってあてにならないよね。もっと怖いひとだと思ってた。全然違ったよ」
「……好意的に解釈してくれてるとこ悪いけど、気に食わねえ奴ボコッたことあんのは確かだし。っつーかそればっかだし、荒れてたから。……今もだけど」
 荒れてたというか、確かに喧嘩を売られたりはよくしているみたいだ。昨日、佑護と別れた後にクラスの奴らにちらっと話を聞いたんだけど、佑護のことを知っていたのはみんな内部進学者だった。この学校は七割弱が内部進学なので、なるほど有名人と言っていいかもしれない。
 そして、佑護の抱える事情もそいつらの口から聞いてしまった。
 どうやら佑護は幼い頃からボクシングをやっていたようだった。スポーツが盛んな学校だったことと、ボクシングの競技人口が他のスポーツと比べて少なめだったこともあってかその道では結構有名で、将来を嘱望された――というか、とにかくそんな感じだったらしい。中学二年の冬、試合中に大怪我をするまでは。
『……わざと怪我させようとして狙ったんじゃないかって、あのときちょっと噂になったんだよ』
 俺にそう話してくれたクラスメイトは、膝だか靭帯だかをぶっ壊して選手としてはもう無理だったらしいよと神妙な顔をしていた。元々ボクシング部はあまり治安がよくない部活だったとのことで、血の気が多くガラの悪い奴が多かったらしい。
『おれ、茅ヶ崎が最初に大暴れしたときのことまだ覚えてるよ。同じ部活の奴らが聞こえるように悪口言っててさ、すげーやな感じだった』
 ちょっと強いからってちやほやされて調子乗ってた、とか、ざまあみろとか、まあテンプレみたいなことを一通り言った後、その同じ部活の奴らとやらは最後に笑いながらこう吐き捨てたらしい。――『あいつ人生終わったな』と。
『茅ヶ崎、「テメェらの人生もここで終わらせてやろうか」っつってそいつら全員殴り倒して……なんだろ、なんか変なスイッチ入ったみたいになって、その後すぐ退部して学校もあんまり来なくなっちゃったんだよ』
 きついな、と思った。怪我をしたこともだけど、それ以上に自分がそんな将来の可能性を絶たれる怪我をしたということを、周囲が知っているという状況がきつい。だって、俺にその話をしてくれたクラスメイトは、特別佑護と仲が良かったわけではないらしいのだ。それなのに事情を説明できてしまえるくらい、佑護の怪我は公然の事実だった。一体これまでどれだけの無遠慮な視線に晒されてきたのか、想像もつかない。
 俺はベンチに座って気まずそうにしている佑護をじっと見た。なんだか悲しくなる。そんなつもりは無かったけれど結果的に事情を詮索してしまったみたいになって、後ろめたい気持ちが湧いた。
「……もしかして他の奴らから色々聞いたか? 俺のこと」
「や、えーっと」
「別に責めてない。隠してねえし隠してもどうせばれるだろ。……でも、聞いたってこと俺に隠そうとしてくれたのは嬉しい」
「……ごめん」
「あんたは俺を可哀想がるんじゃなくて心配してくれたから、謝らなくていい」
 強いな、と思った。強いけど脆い。喋ればいくらでも笑ってくれる佑護が周囲からあんなにも怖がられているということも、それを表しているように思えた。きっと同じ中学の奴らからは遠巻きに腫れ物扱いされてきたんじゃないだろうか。そいういう雰囲気って伝播するから、きっと事情を知らない奴もなんとなく近寄りがたかったはずだ。
 ちらっと横を見るとまた暁人が怒りゲージを溜めていそうな顔をしていたので内心ひやひやした。暁人は、楽しいことが好きでつまらないことは嫌いだ。そして、人を陥れたり貶したり、そういうつまらないことをする人間はもっと嫌いだ。暁人が佑護に関する噂を聞いたのかは分からなかったけれど、この空気で何かしら察したのだろう。さっきからとても静かに待ってくれている万里も同じく。
「はー……悪い、変な空気にしちまって」
「いやそんな……あの、俺、前会ったとき何も知らなくて無神経なこと言ったよね。ごめん」
 強いんだから怪我には気をつけろよみたいなことを言った記憶がある。知らなかったからとはいえきっと傷を抉ってしまっただろう。
 佑護は一瞬きょとんとして、少しだけ嬉しそうに「やっぱあんたが一番変」と絶対に褒めてないであろうことを言った。自分で言うのもなんだけど俺は普通だと思うよ、普通。でも、佑護が上機嫌そうにしていて俺もなんだか嬉しかったので、反論はしないでおいた。

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