羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 高槻に出汁巻き卵を貰ってから、あいつは一緒に昼飯食べるときに弁当を交換してくれるようになった。毎週金曜日、あいつが昼休み学校にいたらオレの持ってるパンと高槻の作ってきた弁当を取り替える。もし高槻が来なくても、パンなら余った分は日を跨いで消費できるから問題ない。
 流石に無償で作ってもらうのは申し訳ないよと言ったんだけど、「今みたいに休んだときの連絡とかしてくれればいい」と押し切られてしまった。なので金曜は、コンビニじゃなくてちゃんとしたパン屋のパンを駅前で買っていくことにしている。オレは小遣いとは別に昼食代を月一万円貰っていて、それが普段のオレにはちょっと多い。だから週に一回くらいは贅沢ができるのだ。
 毎週美味しくて、オレは金曜日が楽しみになった。
 高槻は、味付けの好みをかなり聞いてくれる。どんどん好きな味になっていくので驚いた。器用すぎる。金曜日にあいつが持ってくる弁当は、いつもより小さくていつもより丁寧だ……と思う。曰く、「料理は誰かのために作るもの」らしい。自分で作って自分で食べるのは、あいつにとって試行錯誤と味見以外にあまり意味の無いことなのだそうだ。
 料理に関して素人のオレにも分かるくらいあいつの作るものには労力がかかってるんだろうと思うんだけど、あいつはオレが「今日も美味いね」って言うだけで本当に嬉しそうに笑う。それ以外いらない、って感じのあまりにも綺麗な表情を見せる。オレはそれが少しだけ寂しい。こんな、オレの一言だけでいいなんて、そんなはずないのに。もっとふさわしい人も言葉もあると思うのに。
「高槻はさー……」
「あ?」
「いや、高槻の弁当はいつも美味いよね……」
 筑前煮のレンコンを咀嚼する。シャキシャキした食感が嬉しい。オレだけでいいはずない、なんて言ってはいるけれど、高槻がこんなに料理が得意だっていうのをどうしてか他の奴には知られたくないと思ってしまって、人目を避けるように屋上の日陰で食べている。我ながら矛盾している。
 歯切れの悪いオレの言葉に首を傾げた高槻は、「なに、今日のおかずあんま好きじゃなかったか?」と尋ねてくる。
「いつも美味いって。オレ、甘いの以外は大体好き」
「ふーん……ポテトサラダにりんごとか」
「うわっ、一番許せないパターンじゃん……なんで食事を甘くするんだよ、酢豚にパイナップルとか」
「俺は別に嫌いじゃねえな。だったらかぼちゃサラダにレーズンも駄目か」
 オレその組み合わせは初耳なんだけど。もしかしてメジャーなのか、かぼちゃにレーズンって。
 とりあえず話が逸れたことに安心して、オレは高槻の話してくれる料理の豆知識を興味深く聞く。……これはちょっとした危惧なんだけど、このままだとオレ、自分じゃ何もできないくせに知識だけはあって味にうるさいとかいう最悪のパターンに陥ってしまう気がする。最近、自分の舌が肥えてきたのを如実に感じるのだ。
 オレは、さっき高槻に言いかけて飲み込んだ言葉を頭の中で反芻する。
『家族には料理作ったりしないの?』
 それはきっと口に出さなくて正解で、今後も聞かない方がいいんだろうと薄々感づいてしまっていた。
 今のオレはただ、こいつの笑顔がどうか曇ったりしませんように、と祈ることしかできなかった。


 七月某日、オレは一人ひとりに配られた成績表を見て、ふむ、と思った。学年一位かぁ。母さんに言ったら喜んでくれそうだ。
 物心ついた頃から勉強は嫌いじゃなかったから、小学校の高学年くらいから塾に通わせてもらってた。解けない問題がどんどん解けるようになっていく感覚が気持ちよかった。とりあえず受験したところは全部合格したし、塾の合格実績にも貢献できたし、オレはたぶん勉強が得意だ。
 今年の受験は抽選が無かったから、オレより頭のいい奴抽選で全員落ちろと思っていたのは叶わなかったけど、結果オーライだったかもしれない。っつーかたぶん抽選あったらオレが真っ先に落ちてたわ。こういう完全な運勝負で勝ったためしが無い。
 しょっぱなで一番とか取っちゃうと継続するのきつそうだよなーと思いつつ、オレは高槻の様子を窺う。高槻は、つまらなそうに紙を一瞥してそっと鞄にしまった。
「高槻」
「あ? なに」
「今日も帰り急ぐの? 途中まで一緒に帰らない?」
 黙って頷かれた。よしよし、ホームルーム終わったし早速帰ろう。
 心もち急ぎ足で歩く。身長差があるので当然脚の長さも全然違って、高槻が普通に歩いていても置いて行かれてしまうからだ。高槻はそんなオレを見て、「んな必死に歩かなくてもいいっつの」と微かに笑うと歩調を緩めてくれる。
「高槻って夏休みの予定とかあんの?」
「あー……たぶんずっと家にいる」
「あんまり外出ないタイプ? っつーか最近ちょっと元気無い気がして心配なんだけど」
 そう、これが聞きたくて一緒に帰りたかったんだよ。高槻は僅かに驚いたような顔をした。そっと目を伏せて「……七月はあんまり好きじゃねえんだ」と言う。ん? 七月?
「夏、あんまり好きじゃない?」
「夏は好き」
「ふーん……?」
 高槻はたまにこうやって意味深な、というかよく分からないことを言う。謎かけみたいだ。高槻って休みの日も家にいるんだな。危ないバイトしてるとかいう噂を聞いたこともあったけど、信憑性は限りなく低そうだ。やっぱり他人の口からきいたことなんてあてにならない。
「七月が終わったら元気になる?」
「まあ……今よりはマシになる、と思う」
「そっか。早く終わるといいね、七月」
「……お前のそういうとこ助かる」
「え?」
「変に突っ込んで聞いてこないとこ」
 まるで内緒話のように囁かれて、その表情が中学生にあるまじき憂いを含んだ雰囲気だったから無駄にどきどきしてしまう。こいつの顔面はマジで、オレが見てきたなかで最高レベルだ。作り笑いとかじゃない、優しい顔。こいつは猫被りがめちゃくちゃ上手いけど、如何せん素のときとの差が激しすぎるから本来のこいつを知っていれば作った表情はすぐ分かる。
 思わず見入っていると、突然高槻が我慢できないとでも言いたげに笑った。
「っふ、お前、なんでそんな目きらきらしてんの」
「んえっ!? えーと、えーと、黒目が大きいってよく言われるから、めっちゃ光反射してんじゃね?」
「真面目に答えてんじゃねえよ、あー駄目だ笑える」
 あはは、と珍しく無邪気に笑う高槻と、すれ違いざまその様子に見とれるように視線を動かしている女子高生二人組を視界に収める。わ、笑われた……釈然としない。
 高槻は特にいつも上からオレを見下ろしてるから、光を反射してるのがよく見えるんだと思うよ。真面目に答えちゃうけど。
「お前の瞳もなんかおいしそうな色してるよね」
「何言ってんだ……?」
 うわっすごい、なんかまっとうにドン引きされた。だってメープルシロップみたいな色してるじゃん。あ、やっぱりカンロ飴かも。深みのある琥珀色で、綺麗だ。
 男相手だというのにそんな風に思う。本当に綺麗なものは性別を超越するなあとスケールのでかいことを考えていた。
 七月が、他の月よりもちょっとだけ早く過ぎていくといい。
 夏休みに連絡しても怒らないかなこいつ、なんて考えつつ、夕日と混ざり合って不思議な色合いになった茶の瞳がこちらを向いていることに、言いようのない満足感を得たのだった。

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