羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 結局劇的なお土産なんてものは思いつかなくて、無難に菓子折りにしておいた。一応ちゃんとした有名どころの本店で買ったので変なチョイスではない……と思いたい。
 俺は出勤前に少し早く家を出て届けておこうといそいそ準備する。意気揚々と玄関の扉を開けたのだが、はたと気づいた。俺は、マリちゃんの家の住所を知らないのだ。タクシーで帰ってきただろとツッコミを入れられそうだが、俺は控えめに言って方向感覚がてんで駄目で、お前は車の助手席には乗るなと同僚に言われるレベルにナビとしても役立たず。なんせ、マリちゃんの家でいくら広いからと言えど気を抜けば迷子になりそうだと思ったくらいなのである。カーナビが無いと車の運転も厳しい。
 どうしよう。一歩目から躓いてしまった。
 俺は必死で記憶を手繰り寄せる。確か帰り道は、マリちゃんの家の門を出てそう時間の経たないうちに俺の仕事場の近くを通ったように思う。と、なると。
 タクシーを停めて、仕事場のある辺りの住所を運転手に告げる。そして、「そこの近くの一番大きい家まで行ってください。あの……日本家屋の」とお願いしてみた。これは賭けだ。珍しく脳内で神頼みまでしてみた俺の祈りが通じたのか、運転手は気軽そうな口ぶりで「一番大きいっていうと、津軽さんのとこかな? いやぁ、私もあの辺りが地元なんですけど、立派なお屋敷ですよねぇ」なんて言ってくる。なるほど、あまりプライバシーが尊重されない程度には地元では有名らしい。そりゃそうか。
 幸運が重なりつつがなく目的地へと到着した。流石に玄関横に乗りつけるなんてことはできないししたくなかったので、マリちゃんの家の一ブロック手前で降ろしてもらった。塀がどこまでも続いていて、改めて見ても圧巻だ。
 塀に沿って歩いている途中で、なんとなく思い立ってピアスの類を外してみる。少しでもきちんとした身なりをしなければという無駄な抵抗。金髪の時点で今更な気もしたがまあいい。所詮自己満足だ。
 門前までやってきたものの、大きな門に気おくれしてしまう。というか、インターホンはどこなんだ。あまりこんなところでうろうろしていたら怪しまれてしまうかもしれない。ただでさえスーツに金髪という恰好でこの景色から浮いているのに、職質でもされたらどうしよう。
 異世界に突然飛ばされた冒険者のような心細い気持ちでインターホンを探していると、「あの……」と後ろから声がかけられる。「え、えっとえっと怪しい者では……!」なんて怪しさ満載の台詞を口走ってしまったのだが、振り返ってみるとまさに今会いたかった顔があって思わず肩が跳ねた。
「え、マリちゃん!? なんで!?」
「いえ、ここ、おれの家ですし……どうかされました?」
 穏やかに笑うマリちゃんに俺がどれだけ安心したか分かってもらえるだろうか。天の助けかと思った。高校生にしてはやけに帰りが遅いんだなと少し意外に感じたのだが何のことはない、部活帰りだったようだ。俺も弟もずっと帰宅部を貫いてきた人間なのでまったく思いつかなかった。そういえば、土曜日のあのときも部活の予定だったと言っていただろうか。
 マリちゃんが帰ってきてくれてよかった。お礼したい本人が不在の状態でこの家と対峙できるほど肝は据わっていない。今日は少し早めに部活が終わったのだと言われて余計に自分の運の良さに感謝した。
「あの、お礼遅くなっちゃったけど……ほんとにありがとう。助かりました」
「それでわざわざ? なんだか逆にお気を遣わせてしまったみたいで、すみません」
 ありがとうございます、と俺の差し出す紙袋を受け取る手つきまで優雅に見えてくる。うーん、すげーな、改めて。
「立ち話もなんですし、お茶でもいかがですか?」
「ここで上がり込むとまたそれに対するお礼しに来なきゃって感じなんだけど……」
「あはは。セツさんって大袈裟なひとですね」
 目元を柔らかく細めて、どことなく楽しそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。
 意味もなくそわそわしてしまって、マリちゃんが申し訳なさそうに「名刺、せっかくいただいたのに行けていなくてすみません」と言うのにも食い気味で「んなの気にしなくていーから! あの、気が向いたらそのときで」なんて返してしまう。大体名刺を渡したのは土曜日で、まだ二日しか経ってないし。
 マリちゃんは少しだけ言いよどむようにして、悩ましげな表情で囁くように言う。
「興味が無いと言ったら、嘘になるんですが」
「あー、やっぱお家厳しいよね、ごめんね」
「いえ、それもありますけど……あの、セツさんは昼間もいらっしゃるんですか?」
「? いるときもあるけど、なんで? 別に店の奴はみんな俺のこと知ってるから心配しなくてもいーよ」
 名刺もあるんだし、と言う俺に、マリちゃんはのんびりとした口調で「せっかく行くならお会いできたら嬉しいですし」と爆弾発言をしてくる。こんなにはっきりそういうことを言われるというのは少しばかり驚くし、恥ずかしさもあった。
「もしよかったら、いる日を教えていただきたいなと思って。もうすぐ夏休みに入るので」
「そ、そう……? 別にいいけど……」
 シフトが昼に重なっている日を思い出しながら伝えると、マリちゃんは丁寧に頭を下げて「ありがとうございます」なんて言った。本当に、俺の台詞をとらないでほしい。俺の方がありがとうございますって立場なのだから。
「っと……俺、これから仕事なんだ。ほんとありがとう。来てくれると、嬉しい」
「一人はちょっと怖いので、誰かについてきてもらうかもしれないですけど」
「ん、その友人くんたちにも楽しんでもらえるように頑張るよ」
 ひらひらと手を振る。マリちゃんはまた控えめに会釈をして、ふと思いついたといった風な表情で「そういえば」と俺を引き留める。
「今日は、ピアスしてないんですね」
「え、うん。ほら、なんかこの景色の中だと浮いてない? 俺」
「そうですか? とても似合っていたので、見られなくて少し残念でした」
「……あ、りがと」
 なんだこれ、普通に恥ずかしい。マリちゃんはなんでもなさそうに笑っているので他意は無いんだろうけど、うーん、ストレートな褒め言葉が自然に口に出せるって、どんな英才教育を受けているんだ。人に対して好意を示すのに躊躇いが無い、と言えばいいだろうか。「似合っている」くらいまでならまあ、お世辞が言える奴なら簡単に出てくるかもしれないが、そこに自分の感情まで含めるのは普通なら躊躇う。簡単そうに見えて、いいと思うものを素直にいいと口にするのは案外難しい。少なくとも俺は、人に好き嫌いを話すときは少しの打算が入ってしまうから余計にそう思った。
 七月の西日が頬を焼いていく。この季節は夕方でもまだ暑い。
 一言お礼を言ったきり黙ってしまった俺に、マリちゃんは不思議そうな顔で首を傾げていた。かと思えばはっとした表情になって、「引き止めてしまってすみません」と慌てた様子で言う。
「……マリちゃんって色々といい子だね……」
「え、そ、そうですか?」
「うん。純粋培養って感じ」
「それは……ううん、褒められているのかは微妙なような……?」
 苦労知らずだとはよく言われますけど、と若干の自虐が混ざった口調に、そんなわけはないだろうなと思う。もしかして嫌なことを思い出させてしまったのかもしれないと申し訳なくなった。反省し、今度こそ立ち去ろうとまた軽く手を振ってみた。
「またね、マリちゃん」
「敢えて言いませんでしたけど、その呼び方定着しちゃったんですね……」
「だいじょーぶだって、かわいいよ?」
「かわいいかかわいくないかで言ったらまあ、かわいいでしょうけど」
 おれは自分の名前にかわいさは求めていないんですが、なんて少し拗ねたような口ぶりが、まだ子供であることを感じさせて妙に安心してしまう。マリちゃんはまたふっと表情を和らげて、「お仕事頑張ってください」とゆっくり手を振り返してくれた。
 結局マリちゃんは、俺がマリちゃんの家の角を曲がるまでずっと門の前で見送ってくれた。曲がり角で体の向きを変える最中、一瞬だけ視線を向けたマリちゃんは、やっぱり最後まで優しそうな微笑を浮かべていた。

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