羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 初対面の高校生に倒れていたところを介抱されて、しかし帰宅した俺はその日も普通に仕事だった。というか、土日だから稼ぎ時だ。休むわけにはいかない。たっぷり睡眠をとって、弟の夕飯を準備してからいつものように夕方出勤する。
 制服に着替えた俺は、お礼をするなら早めがいいだろうと思いつつ店のカウンターに立っていた。流石にこんな経験は初めてなので、どうすればいいのか少し悩む。
「何も思い浮かばねえー……」
「おい、手ぇ止まってんだけど? さっさとそのグラス寄越せよ」
 ガチャガチャと煩い音楽や人の喋り声に負けないように、俺は隣で作業していた同僚に話しかけた。
「なあなあ、結構年下へのプレゼントって何がいいかな」
「はあ? 何言ってンの……いよいよホストにでも鞍替え? 客でもついた?」
「やめろって。そういうんじゃなくて、迷惑かけたお詫び……いや、お世話になったお礼みたいな」
「はー、結構年下って、いくつ。学生とか?」
「高校生」
「ガキじゃん! え、接点謎すぎ」
「だよなあ。俺もそう思うけど、相手がいい人すぎて接点が生まれた。なあ、何がいいかな」
「それこそ俺じゃなくて人に喜ばれ慣れしてる奴に聞けよ。裏行ってくれば?」
 裏、とは、俺がバーテンダーとして働くこの店の文字通り裏側に位置するホストクラブのことだ。向こうからはこっちが『裏』と呼ばれている。
 こっちと向こうは元は背中合わせの二つの建物で、それをぶち抜いて通り抜けできるようになっている。中のキッチンや詰所の部分がちょっとした廊下と扉を隔てて繋がっていて、かなり珍しい作りだと思う。なんでも経営者が親族同士だからとのことだが、この業界でそれは更に珍しいのではないだろうか。向こうのホストクラブ、経営者は女性らしいし。
「や、お世話になったの同性だから。男子高校生だから」
「面倒くせえな。エロ本でも送っとけ」
「そういう子じゃねーよ! あーもう、お前に相談した俺が馬鹿だった……」
 肩を落とすとそいつは心外そうに眉を跳ねあげて、「自分で選ばねえと感謝の気持ちは伝わらないってことを言いたかったんだよ俺は」ともっともらしいことを言う。面倒くさくなっただけだろ絶対。
 贈り物。贈り物として最適なのは、形の残らないもの。なくなるもの。高すぎず安すぎず、重くないもの。これが俺なりのセオリーだ。やっぱり菓子類が無難だろうかとも思うのだが、あの生活レベルから考えるとそんじょそこらのものでは逆に失礼になってしまう気がする。どうしたものか。
 もしこれが、未成年でこんなクラブにほいほい来るような奴だったら話は早かったのだが。好きに飲み食いさせて終わりだ。まあでも、そういうことをしない真面目な奴だからこそ俺を見過ごさず助けてくれたのだろう。優しい、奴だった。
 あのくらいの年頃にありがちな刺々しさとか粗暴さとか、そういうものが見えない子供だった。柔らかい布で包まれている感じ。なんとなく、安心できる雰囲気があった。あの短時間で本当によくしてもらったので、いい印象ばかりが積み上がっている。なんというか……徳が高そう? あの歳で?
「んー……難しい」
「勝手に悩むのはいいけどオーダー入ってるぞ」
「はいはい、なに?」
「マルガリータ」
 お前不器用なくせにシェーカー使うのだけは上手いのなんでだろうな、と器用に貶されたので「るっせ黙れ」とだけ言っておいた。これは、ずっと大切にしたいこと。全てあのひとに教わったこと。華奢な指先がよどみなくバー・スプーンを操ってカクテルをステアするさまも、軽快に振られるシェーカーの心地よいリズムも、目を閉じればすぐ思い出せる。
 俺は周囲のひとの優しさに支えられて生きている。今も昔も。
「……なんかさー、もし変なものあげちゃっても『おれのために考えてくれたのが嬉しいですよ』って言ってくれそうなんだよなー……そんなん余計申し訳ないじゃん……」
「いや知らねえけど、知らねえけどお前相当キモいな。夢見すぎ」
「や、マジで言ってくれそうなんだって。菩薩かと思ったもん」
 弟といいこいつといいなんなんだ。マリちゃんに直接会ってないからそんな顔できるんだよ。俺だって直接会っていなければこんな顔してた自信がある。
 いつまでも無駄話を続けているわけにはいかないので、俺はカクテル作りに集中する。目標は月曜日だ。月曜日の夕方ならマリちゃんもいると思う。休みの日だからといって一日中遊びまわっているような感じではなかったけれど、念のため。
 明日は少し睡眠時間が減りそうだな、なんて、頭の中で予定を立てつつ俺はそっとシェーカーを手に取った。

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