15 ◆ 一年部室にはただならぬ空気が流れていた。 誰もがその来る状況に想像(妄想)を巡らして今か今かと待ち望んでいる。 ――ひかるのお着替えシーンを。 悟られぬように普段の顔つきを努めようと頑張っているが、つい目線はひかるへいき、鼻の下は緩みっ放しだ。 ひかるはそんな視線に気づかず、学ランを脱ぎ、下に来ていたベーティに(みんなががっかりしたのは言うまでもない)ユニフォームを羽織る。 部員たちは普段を装い、他愛もない会話を続けようとするも途切れ途切れになってしまう。 ついに、というか、ひかるはカチャカチャとベルトを外しにかかる。 (こらスバガキ! テメーは見んなよ!) (えー!? 兄ちゃんだけズルイよ!) (あの、やっぱりこーゆーのは止めたほうがいいんじゃ……) (なんじゃ〜? ネズッチューよぉ、ほんとはオメーも見たいくせに。このトゥトゥシャイマウスが!) (くだらない……ひかるは男だろ……) (そーゆークソ犬こそナーニ赤くなってんだよ!) (もしかしたらホントに女の子かもしんないよ〜) 背後でこんなヒソヒソ話しが繰り広げられているとも知らず、ひかるは制服のズボンを下ろす。 「!!」 天国たちはごくりと咽喉を鳴らした。 さすが犬飼の剛速球をホームランにしただけに、しなやかかつ力強い脚線。柄パンから出ている、細身だがほどよく筋肉質で肌理(きめ)の細かい引き締まった太もも。 清廉潔白、楚々たるその眺めに天国たちは思わず見入ってしまった。 「……テメーら着替えねェの?」 急にしずまった背後に違和感を持ち、くるりとひかるが振り返る。 ――ガタガタガタッ 慌てて天国たちは着替えを始める。赤くなった顔を見られないように後ろを向いて。 (ありゃ反則だろ!!) (女の子じゃなかったね〜残念) ドキドキと昂(たかぶ)る気持ちを抑えながら、天国たちはユニフォームに着替えた。 「それじゃあ今日も頑張っていこう!」 「オッス!!」 練習前の集会が終わるとすぐにひかるは羊谷に呼ばれた。 「なんだよ? おっちゃん」 バックネット裏で羊谷はタバコを吸う。 「いや昨日はあまり話せなかったからな。……久しぶりだな、ひかる」 「おっちゃんも久しぶり! つーか、こっちに呼んでくれてサンキューな。親父といつ日本に戻るか話ししてたからさ」 「やはりこっちに戻ってくるつもりだったのか?」 「当たり前じゃん。親父と兄ちゃんを甲子園に連れてくのがボクの夢なんだからよー」 「……そうか」 ひかるから目を逸らして羊谷はタバコを落とし靴で踏んで火を消した。 「それより、親父の墓……こっちに作ることにしたんだ。墓が出来たら村中のおっちゃんと一緒に行ってくれよな」 「ああ」 んじゃ、とひかるはグランドへと戻っていった。 「……神主打法とは……やってくれる」 (さすがアイツの子だな) 羊谷はひかるの姿を目で追いながら呟いた。 「海堂! ネクストバッターだけんね」 「あ、はい」 「今度は転ぶなYo」 「うるさいっすよ、虎鉄先輩」 野球の才能に恵まれたとはいえ、やはり男女の差は大きい。しかしその差を埋めているのは、専(もっぱ)ら血を吐くような努力の賜物だろう。 「おお!! またホームランだ!」 「あんな小せーのによく飛ばせるな」 生まれた瞬間からひかるの人生は波乱万丈だった。 それでも腐らずに、体格のハンディーにも負けずに、一途に野球を続けるひかるに待ち構えていたのは父親の死だった。 (野球に神様がいるとしたら……) 「ずいぶん過酷な運命を押し付けたものだ……」 やるせない思いでポツリと羊谷は呟き、その場を後にした。 |