06 ◆ 河西までの旅は驚くほど楽しかった。 こちらの国の人は髪の色、肌の色、瞳の色がそれぞれ違う。だが、ケイキのような金髪は見かけなかった。同様に夏希のような黄金色の瞳も。 道中、達姐はいろんなことを教えてくれた。 「妖魔ってのはそう簡単に里を襲ったりしない。里は内乱や獣に備えているのさ」 「獣?」 「狼や、熊や。このあたりにはいないけど、虎や豹だっているところにはいる。冬になると山に獲物がなくなるから、人里に降りてくるからね」 「冬のあいだ住む家はどうするんですか? 借りるの?」 「それも二十歳になるとお上がくれる。たいがい売っ払っちまうけどね。村に行ってるあいだ、商人に貸す連中もいるけどさ。売って二人なは家を借りる、そのほうが普通だね」 「へえ……」 分からないことばかりだったこの世界も、達姐のお陰で次第に輪郭が掴めるようになっていった。 河西の街についたのは、達姐の家を発って三日目の昼だった。 「へえ……。大きい」 陽子が街を見渡しながら言う。夏希もまた頷く。 二人がこの世界に来て初めて見る大規模な街だった。 「このあたりで河西以上に大きい街となると、郷庁のある拓丘ぐらいしかないね」 キョロキョロと辺りを眺める二人に達姐は笑って言う。 門をくぐり、大通りを右に折れ、軒を連ねた小規模の店のうち、比較的大きい建物を達姐は示した。 三階建ての緑色の柱がついた建物だった。 中へ入ると達姐は店員の男をつかまえて言った。 「女将さんを呼んでくれるかい。娘の達姐が来たと言ってくれりゃ、わかる」 男は一礼して店の奥に消えた。 達姐は手短にあったテーブルに座り、夏希と陽子にも座るよう勧めた。 「ここに座っておいで。なにかもらおうね。ここのものはけっこうおいしいよ」 「……いいんですか?」 明らかに高価そうな店なので、陽子は不安げに尋ねる。 「かまうもんか、おっかさんのおごりだ」 そう言って達姐は店員を呼んでいくらか注文した。店員がさがったところで、奥から一人の老女が現れた。 「おっかさん。――二人はここで待ってておくれね。あたしはおっかさんと話をしてくる」 「はい」 二人が頷くと、達姐は老女の元へ駆け寄る。笑いあって店の奥に消えるのを見送り、夏希は店の中を見渡した。 ――男。 店員は全員男、客も男が多い。微かな不審が胸の内に湧く。客の中にはこちらをうかがっているようだ。 「……達姐さん遅いね」 陽子も居心地が悪そうに、荷物をたもとに引き寄せた。 「聞いてみる?」 夏希は陽子に話しかけた。 陽子がうなずく。今しがた入ってきた男たちの一人がこちらに向かって歩いてきたので、夏希はそれを無視して店員をつかまえた。 「達姐さんはどこですか」 店員は指で奥を示した。 「あっちだって」 「あ、夏希! 勝手に入ったらまずいよ……」 うろたえる陽子に、いいからいいからと夏希はずんずん奥に進んでいった。 雑然とした廊下に食器の音がわずかに聞こえる。いかにも店の裏舞台らしい廊下の奥の一角、ドアが半開きになっているところがあった。 据えられた衝立の向こうから達姐の声が聞こえた。 「海客がなんだい。ちょいとこちらに迷いこんだだけじゃないか。悪いことがおこるだの、そんな迷信をおっかさんは信じているのかい」 夏希と陽子は顔を見合わせた。どうやら老女はしぶっているようだった。 「……そういうわけじゃないが、役人に知れたら」 「だまっていればわかりゃしないさ。あの子たちだって、自分から言いやしないよ。そう考えりゃ、滅多にない掘り出しものだろう? 器量だっていいし、年頃だって手頃なんだからさ」 「けどねえ」 「育ちだって悪くないようだ。ちょっと客のあつかいを教えれば、すぐにも店に出せる。それをこれだけで譲ろうってんだ。どうして迷うのさ」 夏希と陽子は再び顔を見合わせる。 なんだかおかしい。声に魅せられたように二人はそこにつっ立っていた。 「だって海客じゃ……」 「あとくされがなくていいじゃないか。親や兄弟が怒鳴りこんでくることもない。最初からいない人間と同じなんだから、いろいろと面倒も減るだろう?」 「でも」 「緑の柱は女郎宿だと決まってる。それを知らないほうが悪い。――さ、分別をつけて代金をおよこし」 次の瞬間には、夏希は踵を返していた。 「――行こう」 陽子も無言で頷く。何でもないふうを装って店を出て、改めて建物を見上げてみる。たけだけしい色が柱や梁、さらには窓枠までもに塗られていた。それを夏希はギリリと睨む。 「嬢ちゃん」 「……なに」 すでに気配は感じとってあったから、夏希は間近に立つ男を睨んだ。 「おまえら、ここの者が?」 「ちがう」 「ちがうって、おまえ。女がこんなところに飯を食いにくるもんかい」 行こう、陽子を促した夏希の腕を男が掴む。 「なあ、俺とどっかに飲みにいかねえか?」 男の手が夏希の顎をつい、と持ち上げる。陽子はそれを叩き落とす。男が少しひるんだところで、陽子は夏希の手を取って足早にその場を逃げた。しつこく追ってくる男を認めて、陽子は腕を振って巻いてある布をほどく。 「夏希に触らないで」 男がぎょっとして半歩後退りした。 「おい……」 「どいて。さっさと店に戻れば。お友達が待ってるんじゃない」 男がさらに一歩さがったところで、聞き慣れた声が響いた。 「その子たちをつかまえとくれ! 足抜けだ! つかまえとくれ!!」 陽子から舌打ちが聞こえて、夏希は陽子を振り返った。 陽子の考えていることが、陽子の表情から伝わってきた。 「――陽子」 夏希は集まってくる男たちを見すえながら言った。 「おれは陽子の味方だから。独りじゃない……おれがいる」 陽子の愕然とした気配が伝わってくる。それを笑い、突進してきた男を交し背中を叩く。 「つかまえとくれ! 大損だ!!」 叫ぶ女を無視し、夏希と陽子は大通りに出た。 騒ぎを聞き付けたのかすでに人垣が出来ている。 夏希と陽子は互いに背中を合わせ、辺りを見回した。 「手がかかりそうだな」 夏希が忌々しげに呟いたとき、人垣のうしろから叫び声が聞こえた。 「どうした」 「足抜けだとよ」 「ちがう、あっちだ」 「――妖魔」 見やったほうから人の波が押し寄せてくるのが見えた。悲鳴を上げ、転び、逃げてくる。 「バフクだ」 「逃げろ!!」 どっと人垣が割れ、表れたのは巨大な虎だった。 「夏希は下がってて!」 武器がなければ無理な相手だろう。陽子は柄を返して、人を散らしながら突進してきた巨虎と向き合う。 周囲の店に飛び込む人々を避けながら、夏希は店の壁へと下がる。 陽子が巨虎の脚を払うのを見ていながら、胸中に苦いものがせりあがってきた。 ――武器があれば戦えるのに。 何も出来ないなんて、拳を握り締めたときだった。 その手を掴む者がいた。 |