14 「もう起きて大丈夫かい?」 穏やかな笑みを浮かべて入室してきた男を、夏希は隈無く目を配る。年は二十代半ば。黒髪を後ろで小さく括り、白い布で覆っている。決して細いわけではないがあからさまに筋肉がついているわけでもなく、無駄のない体型をしている。 寝台の側に置いてある椅子に男は腰掛けた。 「この近辺は草寇が出るんだ。それで一応、門卒(もんばん)などには草寇にやられたことにしておいたが、それでよかったかな?」 言外にお前は何者だと問われている。夏希は答えなかった。 見たところ男は武器を持っていないようだ。扉の向こうにも人の気配はない。加えて夏希が意識を失っている間に刀を隠したり、体を拘束しないところをみると、夏希が何者か分かっていないが故であろう。 「ここ、どこ?」 とりあえず今は聞き出せるだけの情報をこの男から搾取するのが最善だ。もし夏希に危害を加えようものなら刀で脅すか、あの獣になって逃げればよい。 「ここはケイコクのメイカクだ。正確には、メイカクのホッカクだが」 ケイコクとは、あの女――達姐が言っていた慶国のことだろうか。だとしたら夏希はかなり遠くまで来てしまったことになる。あの金髪の女に誘拐されて連れてこられたのだろうか、皆目検討もつかない。 「お前さんは、どこから?」 「……巧国」 「ほう、巧国から。最近では巧も危ないって話だからなあ」 睨むように男の一挙手一投足を監視する夏希の視線にも動じた様子はなく、男は飄々とした微笑を浮かべている。 「だが――ただの難民にしては随分な場所に倒れていたな?」 夏希の左手が、寝台に立てかけてある刀を掴んだ。その動作はまさに一瞬だったが、手前に持ってこようとして左肩に激痛が走った。 痛みで夏希が怯んだ隙に、男は寝台に飛び乗り刀を掴む手を弾く。そのまま夏希の右手首をがっちりと掴み、寝台に押し倒す。男はいとも簡単に夏希を組敷いてしまった。 ――僅か数秒の出来事である。一髪遅れて刀が床に落ちる音が部屋に響く。 「左の肩、折れてるんだろう。――無茶はするな」 「お前……っ」 苦痛の表情を浮かべる夏希に対して、男は先ほどまでと変わらず余裕のある笑みを貼り付けたままだった。 「悪く思うなよ。かくいう俺も訳ありなんでな。素性の知れない奴をほいほいと置いておくわけにはいかないんだ。――お前、何者だ? なぜあんな場所に倒れていた?」 ぎり、と夏希は唇を噛む。 ――怪我さえしていなければ、こんなことにはならなかったのに。 激しく動いて、また痛みが再発したようだった。左肩から下の感覚がない。右手は男にがっちりと掴まれていて、力を込めるも萎えた夏希の腕力では少しも抵抗出来ない。 ――怪我さえしていなければ 恥辱に火照る夏希の心情を嘲笑うかのように、男のその口は弧を描く。 「随分腕っぷしに自信があるようだな」 「……っ、うるさい」 刀は無造作に床に転がったまま。これではあのライオンに変身することも出来ない。 現状を力尽くで打破することはもはや不可能だった。 夏希は男を睨みながら吐き出した。 「……おれは、海客だ」 男の顔が初めて崩れた。驚愕した表情だが、夏希を押し付ける力は強いまま。 「巧国に流れて、捕まって、逃げ出して、女に助けてもらって、でもその女に売られそうになって……逃げて逃げていたらいつの間にかここにいた」 だいぶ端的な説明だがこれで十分だろう。自ら進んで自分が人間ではないと言う必要はない。 男はぱっと夏希の手首から手を離し、軽い動作で夏希の上から降りた。その顔には少し苦いものが漂っている。 今度は夏希がそんな男を嘲笑う。 「役所に突き出すんだろ?」 身を起こして男に捕まれていた手首を擦る夏希に、男はいや、と口ごもる。 「……すまなかった」 「?」 「慶では海客ってだけで追われることはない。風当たりは良くないが……だが今のケイオウがタイカだ。巧ほどの扱いじゃない」 「……ケイオウ? タイカ?」 耳に馴れない音に夏希は首を傾げたが、男は悄然と肩を落としていて、見るからに落ち込んでいる様子だ。 先ほどとは大違いの態度に、またもや夏希は首を傾げる。 「俺も最近ここに来たばかりで――なんせ夜逃げしてきた身分だ。どうも殺気立っていけないな」 男は苦笑して、床に転がったままの刀を拾い上げる。 「こいつは妙だが、見事な剣だな。蓬莱の武器か?」 蓬莱とは日本のことだろうか。 押し黙っている夏希の頭に男の大きな手が乗った。 「――お前さんの怪我が治ったら、是非とも手合わせしたいものだな」 見上げた男は無邪気に笑う。 「ま、ゆっくりしていくといい」 |