百澤禦伝 | ナノ


top ha/co re mm 1006


13




近く近く耳鳴りがする。ばくばくと砂嵐のように逆巻き、激突し、激しさを増す。ああ、ああと呟いたが耳鳴りの強いこと、自分の声は聞こえなかった。
――頬にヒヤリとした何かが宛がわれて夏希は意識を取り戻した。

「気がついたかい」

目を開けるとそこには見知らぬ女が、心底嬉しそうに夏希を覗き込んでいる。
女は夏希の顔を湿ったタオルで拭っている最中であった。
夏希は女の恰幅の良い体型に、別の女を重ねてドキリと身を強張らせた。――夏希と陽子を妓楼(ぎろう)へ売ろうと企てていた女に。

「どこか痛むところはないかい?」

数回瞬きをして、目の前の女が別人であると分かると夏希は息を吐いた。女の質問に対して首を横にゆっくりと振る。
そうかえ、と笑って女は夏希の額にその大きな手を当てた。

「――うん、熱はもうないみたいだね」

夏希が寝かされている寝台の横に備え付けられた小さなテーブルがあり、そこに置かれた湯呑みを女は夏希に差し出した。
体を起こしてそれを受け取る。中には水が入っており、飲むと夏希の乾いた体内に染み込むようで美味しい。金髪の女に誘拐され監禁されてから生きた心地がしなかった。今になってようやっと一息つけたような気がする。そうして夏希は自分が服を着ているのに気付いた。いつぞやの女が貸してくれた寝間着に似ている。怪我の手当てもされていて、あの身体中を蝕む痛みはもう引いていた。
水を飲む夏希を女は見つめて、何やら苦しそうに顔をしかめた。

「可哀想にねぇ、こんなにいとけない子が……。災難だったねぇ」
「……あの」

まるで我が子を慈しむような女の顔に夏希は戸惑う。

「あの人を呼んでこようね。あんたが倒れてるのを見つけてくださったんだよ」

ひとしきり女は夏希の身の回りの世話をし、そう言い残して部屋を去っていった。
女がかけてくれた上着を手繰り寄せ、夏希は部屋の中を観察する。広くはないが、決して狭いわけではない。殺伐とした風景は、この部屋があまり使われていない印象を受ける。夏希の寝ている寝台の他に、向かい側にもう一つ寝台がある。中央にテーブルと椅子、あとは壁に沿うように小さい棚があるだけだった。
程なくして誰かが扉に向かってやってくる気配を感じた。あの黒い日本刀が寝台に立て掛けてあるのを横目で確認して、夏希は扉を見据えた。




その日、彼は何とはなしに外出していた。
彼の主たちと共に馴染みある土地を離れ、更に各々四方に散らばり、彼がそうして行き着いた地がこの北郭。廃墟になっていた宿を見つけてこれに居着き、主たちと連絡を取り合いその時を待つ。無論、彼は主の志はよく理解していたし、恩義ある主のために人生を賭することの覚悟もあった。
しかし実のところ少し辟易している面も否めなかった。彼の主などはその新王の新しい風を確信していたが、それは果たして現実になるのだろうか。――現に王は、彼の主を罷免した。新王はもはや猾吏(かつり)に弄ばれているだけの存在なのではないだろうか。ならばその足許に火がついたところで王はそれに気付くことなく、火はこの国の寒風によって吹き消されてしまうのでは。州都であるこの街に来てこの街の惨状を目の当たりにして、その思いはますます彼の中に確固たる居場所を作り上げてしまった。胸中で湧いた小さなしこりは消えることなく彼の中に留まり続ける。することもなくじっと籠っていても堂々巡りな思考を弄ぶだけ、彼は時折草寇から荷や人を守る傭兵をしてみたり街を散策してみたりと暇を潰していた。
その日も彼は物見遊山のふりをして、この辺りの地形を頭に入れていた。そろそろ閉門の時間が迫り、もくもくと門闕(もん)へ向かって歩く人々の波に彼も混じっていた。――そんな折、彼の人並み外れた聴覚がただならぬ物音を捉えたのである。

 


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -