10 ◆ とろとろと夢かうつつかを彷徨っていて、おかしい、と夏希は気付いた。何度か目を覚ますのだが、すぐに寝入ってしまう。 それを何十回と繰り返し、朧気ながらこれは薬かなにかで眠らされているのかと悟った。そこまで悟ることは出来ても、容赦ない睡魔に勝つことは出来ずに不愉快な睡眠を続ける。 イライラと惰眠を貪るのに明け暮れて、目覚めは唐突だった。 それまでふわふわと宙を漂うような感覚でいて、急に硬い板の上に叩きつけられたような衝撃だった。 急に冷えた感触が体を襲う。驚いて息を大きく吸えば埃くさい臭いにむせる。 しばらくむせて、涙目になりながら呼吸を整えて上半身を起こす。 夏希が目覚めた場所はちっとも変わらなかった。相変わらず、目が慣れるまで真っ暗で何も見えない。 ――さて、どうしたものか。 夏希は台から立ち上がった。 不思議とあの粘ついた眠気はなかった。やはり手足に痺れを感じ、頭はぼぅとするが、それの回復を待っていたのではまた眠らされるかもしれない。 試しに準備運動をその場で行ってみる。かなりもたつきながら屈伸運動をする夏希の頬にばさりと影がかかる。 それは夏希の髪だった。元々鎖骨辺りまでの丈だったのが、それが今や胸の下まで伸びきっていた。 ――これほどまで眠っていたのか。 夏希はぎっと歯を食い縛る。 一刻も早くここから抜け出さなければ、そう誓ったところで鉄格子と錠は夏希が触ってもびくともしない。長時間眠っていたせいで、体が強ばる。足腰が萎える。 業を煮やして壁を殴って後悔して、それからどれ程の月日が過ぎたのだろう。こうも外部と遮断されていては時間の計りようもない。何時間経ったのか、それとも一日か、はたまた一週間か、―― 一月か。光など無いに等しいこの牢獄で、夏希は己の中にある時間感覚が崩れていくのを感じていた。 狂った時間感覚は精神を蝕み、飢餓は夏希から力を奪う。寝台に寝転がったまま、夏希は動くこともままならくなっていた。 混濁しかけていた夏希の耳が物音を捉えたのはそれからまたしばらく経った頃だった。 何かを引き摺るような音が不規則に響く。ゆっくりとした間隔で不気味に牢獄に反響する音は、ややあってそれは足音であると気付く。怪我でもしているのだろうか、ずるずると体を引き摺りながら歩いてくるのが分かる。 自然夏希は息を潜めた。 足音が近づくにつれ灯りもぼんやりと近づいてくる。その独特な柔らかい光で、どうやら蝋燭のようなものを持っているのだと分かった。 「……」 息を潜め、夏希は足音と灯りの主が鉄格子の前に現れるのをそっと見守る。 灯りの主は夏希の牢の前までくると足を止めた。燭台を足元に置き錠をまさぐる、灯りに照らされた大きな黒い闇。 夏希は目を細めてその闇を見ようとするが、久しぶりに見た光で眩暈がしてそれどころではない。生理的に涙が出る。 そこへ牢の中に入ってきた闇が臥せる夏希の前に立ちはだかった。荒い呼吸を繰り返しているだけで、闇は無言で夏希を見下ろす。 「……誰だ」 夏希は闇を見上げて睨んだ。 ――睨んだつもりだったが、眩暈と溢れる涙で焦点が定まらない。大まかな位置を睨んで威嚇し続けた。 「――コウリンは死んだ」 しばらく夏希を見下していた闇は、ぽつりと言葉を発した。しわ枯れた声から、その闇は老人であることが分かった。 意味を分かりかねず夏希が何度目か涙を拭ったときだった。 「わしはもう終わりだ。……なぜ天は平等に才を与えなんだか」 「いっ、」 髪を捕まえ、強い力で持ち上げられた。立ち上がろうとして足に力を入れるが、その前に床に投げ付けられる。 「なぜ器量のないものを王に据える」 起き上がろうとたたらを踏む夏希の足を何かが閃く。それは一瞬にして夏希の足を熱くさせた。切られたのだと間髪置かずに思い、爪先が生暖かいもので濡れる。 ――逃げなければ。 この老人は間違いなく自分を殺そうとしている。 再び襲い掛かってきた老人から身をかわし、渾身の力で老人を押し倒す。しかし体力の落ちた夏希の攻撃は老人に尻餅をつかせるだけに過ぎなかった。 鉄格子に縋り牢を出た夏希の背中に斬激が走る。倒れそうになるのをなんとか踏み止め、夏希は右へと曲がる。脈打つ音が鼓膜を突き破りそうで、老人の足音はおろか自分の息遣いさえ聞こえない。 ――こんな、わけの分からない所で、見知らぬ爺に殺されてたまるか どこに向かっているのかも分からず、ただただ老人の手から逃れようと前を向く夏希には壁つたい歩きが精一杯だった。しかし相手もどこか弱々しい風だったので、かろうじてその魔の手から追い付かれない程度には逃げ切れていた。 ――陽子と約束した 眩暈と、足と背中の灼けるような痛みにますます涙が溢れ目の前が曖昧になる。そのうち歩く気力もなくなり転がるようにして夏希は石造りの床に突っ伏した。 ――約束したから 久しぶりの運動に体が悲鳴を上げている。熱風を吸い込んだかのように喉と肺が苦しい。 壁に爪を立てて起き上がるがすぐにまた転んでしまう。それでも夏希は強く強く、いつぞやの街に残してきた少女を思う。 みるみるうちに遠ざかってゆくその悲しい姿が今でも脳裏に焼き付いたまま。 ――陽子 再度壁に手をかけ起き上がろうとしたが、それと同時に夏希は背後から服を強く引っ張られるのを感じた。 「……!」 |