04 ここは戦国時代だという。 現代から来たらしいセーラー服を着た少女、かごめはその当時を振り替えってこう妃奈に愚痴を漏らした。 『あたしも最初にこっちに来たときは驚いたわ。気色悪い妖怪に狙われるわ、お腹かじられるわ、犬夜叉に殺されかけるわでねー。だいたい犬夜叉なんて生意気でワガママで短気で……』 ヒートアップしたかごめは主に犬夜叉の悪口を言っていたので、彼女としてはあまりこの時代に来たことを後悔していないようだった。 さらに妃奈は四魂の玉の欠片を集めるために一行が旅をしていること、もう一つの目的が奈落という妖怪を倒すためだと説明を受けた。そして四魂の玉の本体である妃奈も一緒に旅に行くことを強く誘われたのだ。この村も決して絶対安全とは言い切れない上に、犬夜叉たちが居ぬ間に襲われたら身を守る術がないことが最大の理由だった。 全ての説明が終わり旅に誘われ、妃奈が促されるまま頷いた時にはすでに夕日が山に沈みかけていた。当たり前だが戦国時代には街灯など存在しない。日が暮れたら床に着くのがこの時代の慣わしである。第一真っ暗闇の中朧気な月明かりだけを頼りに山道を歩くのは危険極まりない。そんなことは素人目にも明確である。 今日は泊まっていきなさい。老婆楓の言葉に甘えて大所帯となった一行は楓の住まいに蓙を敷いて雑魚寝をしている。季節は初夏。布団無しでも十分な気候であった。 ◆ ざらざらした薄い蓙に横になりながら妃奈はそっと目を開ける。ゆっくり起き上がると右足が傷んだ。どうやら井戸に降りたときに足首も捻っていたらしい。靴下を捲ると少し腫れていた。 (……かごめはあの井戸から現代と、ここを往き来してる……でも、ぼくは帰れなかった……) 妃奈は右足を庇いながら、皆を起こさないようにそっと靴を履いて外へと向かった。 (それは、あの時ぼくが電車に曳かれて、死んだから……?) 外は月の光で意外に明るい。景色全体が青く微光を発しているかのようだった。 ◆ ざり、ざりり、ざり。 不規則に聞こえてくる地面を擦るような音で犬夜叉は浅い眠りから覚めた。 犬夜叉が寝ているのは楓の家の屋根。神社の鳥居近くに建てられた楓の家は、民家や田んぼよりは数段高い位置にある。屋根に登ればこの村を見渡せて、尚且つ燦然と輝く月を木々に邪魔されず一人占め出来るので犬夜叉としてはお気に入りの場所だった。 寝転がって頭の後ろで腕を組む姿勢そのままに、目線だけ下に向けるとそこには昼間のあの少女がいた。何故かひょこひょこと不格好に歩く小さい後ろ姿に犬夜叉は目を細めた。 ――こんな真夜中に、どこへ行く。 (だいたいオメーばばあの家しか知らねぇだろ) 犬夜叉の予想通り、少女は少し立ち止まって辺りを見回している。 (ほらみろ。大人しく寝てろっつの) 少女は少し考えた風を見せると、またひょこひょこと歩き出した。 (な……っ!?) 村外れに向かって。 犬夜叉はがばりと飛び起き、そして真夜中だというのに周りに人がいないかキョロキョロと確認して、それから少し躊躇って、少女の姿が木の影になって見えなくなると急いで飛び出していった。 ――それから犬夜叉の付かず離れずの密やかな追跡劇が始まるのである。 どうやら右足を痛めているらしく、少女の歩く速さはとてつもなく遅かった。バレない程度に少し近付いてはじっと少女を観察し、距離が離れると慌てて少女に近付く。繰り返すうちに犬夜叉の鼻が川の匂いを捉えた。 木々が作る月の影から視界が開け、さらさらと流れる川のせせらぎに少女は俯きがちだった顔をあげる。 (なんでぇ、こいつ、川の場所知ってやがったのか……?) 少女は砂利まで足を運ぶとすとんと腰を降ろした。右足を庇いながら歩くのは少女にとって困難だったのだろう。少し息が荒く、額の汗を拭っている。 犬夜叉は躊躇い、躊躇い、ややあって、 「……おい、ぼさぼさ」 そう声を掛けて己の存在を示した。 少女がゆっくりこちらを振り向き、その目が犬夜叉を捉える。 「あ……どうも」 「……」 間抜けな返事をする少女に、犬夜叉は肩透かしを食らった。 何でここにいるの、ちゃんと名前で呼びなさい。 普段かごめや珊瑚といったあくの強い女とばかり接しているし、そういう類いの女しか知らない犬夜叉にとっては当然上記したような抗議がくるものだと思っていた。 そしてそういう類いの女は表情が締まっている。目が起きている。 ――無論、桔梗や刹那もその類いである。 ところが目の前の少女はどうだろうか。明らかにおかしい自分の登場にも眉一つ動かさないし、疑問にも思わないのだろうか。意思を宿さない瞳にぽやぽやとした表情。そのうち風にでも飛ばされて消えそうな存在感。 (刹那の生まれ変わりとか言ってやがったが……全っ然似てねぇ!) 「……なに?」 ぎくり。そんな効果音でもつきそうなほど犬夜叉は表情を引き吊らせた。静かな視線に胸中を悟られたのかと思った。そして知らず知らずの間に少女をまじまじと見つめてしまっていたことに気付く。気付いて、恥ずかしくなり頬が熱を帯びるのを感じた。 「なななな何でもねぇよ!!」 「そう……」 少女は呟いたきり犬夜叉から川へと視線を移した。 「……」 「……」 何とも言い難い沈黙が二人の間に降りる。いや、そう思ってるのは犬夜叉だけであろう。 打っても響かないこのマイペース少女に、普段の彼のペースを崩されてしまう。がしがしと頭を乱暴に掻いて、犬夜叉は少女の隣に乱暴に腰を降ろした。 少女はちらりと犬夜叉を見ただけで特に何も言わなかった。 「……足」 「?」 「足、痛むのか」 「あー……、うん。ちょっとだけ」 「なんでもっと早く言わなかったんだよ」 「すぐ治る、だろうし」 投げやりな言い方に犬夜叉は眉を上げる。 「オメーなあ! すぐったって人間の体なんざたかが知れてんだよ! だいたい明日から出発なのにはなっから面倒起こすなら置いてくぞ!!」 「……じゃ、置いてけば」 ぼく一人で平気だから。 そう面倒臭そうに言い放つ少女。 「おめぇ、自分の立場分かってんのか!? ――妖怪どもに狙われてんだぞ!?」 言うや否や犬夜叉は腰に提げてある鉄砕牙を鞘から引き抜く。途端に刃零れしたボロ刀から犬夜叉の身長ほどある大きな刀に変わる。 犬夜叉は飛び上がって川の向こう側の森に鉄砕牙をひと振りした。斬撃が木々を倒し、その奥にいた巨大な獅子を一刀両断する。 身の毛がよだつ断末魔を上げながら獅子は地響きを立てて倒れた。 犬夜叉は鉄砕牙を地面に突き刺し、どうだこれで恐ろしさが分かったかと少女を見下ろす。 「……すごい、ね」 「あ?」 少女は鉄砕牙をしげしげと眺めながら言った。その表情は先ほどまでと変化なく。 (このガキ……良い度胸してるじゃねーか) ぷるぷると握り拳を作る犬夜叉とは裏腹に、少女は小さく欠伸をした。 「犬武者丸、眠くないの?」 「誰が犬武者丸だっ! 犬夜叉だ! ……ったく、先が思いやられるぜ」 鉄砕牙を鞘に納め、ほらよ、と犬夜叉は少女に背中を見せた。 「?」 「おぶされっつってんだよ! おめぇのその足じゃいつになっても帰れねぇぞ」 「……どーも、です」 ぎこちなく礼を言うとのそのそと少女は背中にくっついてきた。 その温もりに、少し動揺した。 「っ、しっかり掴まってろよ」 「……」 少女からの返事はなく、代わりにきゅ、と小さく肩を掴まれた。 一介の小娘ならぬ肝の座りよう、というかなんというか少女の食えない性格に業を煮やしていたが、その行為で犬夜叉は彼女が普通の弱い人間なのだと思い知らされる。苛立ちが波のように引いていくのが自分でも分かる。そして彼女の足に障らぬようゆっくりと村に向かって歩き出した。 「……明日かごめに足、見てもらえよ」 「…………ぐー」 「……」 ◆ この世に残すものたちへの未練や生に対する執着心など、すでにないはずである。 犬夜叉の背中で揺られながら、妃奈は心の中で言い聞かせた。 ――いつ死んでも構わない。 ぼくは何も持っていないのだから。 |