03 キーンと脳天を衝く耳鳴りは治まるどころか次第に妃奈の聴覚を蝕んでいく。自分の脈が大きく鼓動するのを感じた。 老婆たちの話す声は遠い。 「妃奈? どうしたんじゃ?」 脂汗を額に滲ませる妃奈に、異変に気付いた七宝が首を傾げる。 しかし今の妃奈は応える余裕がない。 ――苦しそうに細めるその瞳が変色し始めたのはそんな折だった。 「なんと、これは……!」 老婆が感嘆の声を上げる。他の者も目を見開いて妃奈を凝視している。 「な、に……っ?」 「この色まさしく……! やはりお主、」 妃奈だけが事態についていけない。 そんな妃奈に一人合点がいったように老婆は頷いた。 「お主は……」 「楓ばあちゃんっ無事!? この中から四魂の欠片の気配、が……」 バタバタと足音が聞こえてきて、芦の御簾を慌ただしく除けて一人の少女が乱入してきた。だが部屋の中に全員勢揃いなのを見て、はたと動きを止めた。セーラー服に身を包み、その背中には大きなリュックを背負っている。 「え、と……その子は……?」 妃奈に目を留めるとやはり驚愕の表情を浮かべながら少女は老婆に尋ねた。 「うむ。詳しいことは後じゃ、かごめ。四魂の欠片をこの娘に近付けてみよ」 老婆の訳あり顔に気圧されて少女は躊躇い躊躇い、胸元から一つの小瓶を取り出した。その小瓶から薄紫色の硝子の破片を一つ手に取ると、少女は妃奈にそれを近付けた。 きん、と一段高く涼やかな音が妃奈を支配した。 「!?」 その場にいた全員が目を見開く。 少女が手にした硝子の破片は眩いばかりに輝いたかと思うと、同じように発光した妃奈の中に吸い込まれていった。 「四魂の欠片が……!」 「か、楓様! これは一体……」 一人合点している風の老婆に全員の目が移る。 すると老婆は重々しく頷き、妃奈を振り返った。 「……お主にはちと長い昔話を聞いてもらうことになるの」 もう耳鳴りと動悸は治まり、老婆の声はクリアに妃奈の脳に届いた。 ――もう五十・六十年前になるのか。 そう言って老婆は語りだした。 この村には二人の強力な巫女がいた。それぞれ名を桔梗、刹那という。 とかく刹那は、大昔に魑魅魍魎と戦うことに生涯をかけた翠子という大巫女の生まれ変わりであった。 その翠子は長きに渡る戦いの末、悪しき妖怪たちを己の魂に封印して肉体から切り離した。その切り離された魂が『四魂の玉』という悪しき者に渡ればこの世を破滅に向かわせる強大な力を秘めた宝玉である。 この世を征服出来るほどの力を狙う妖怪や人間たちから四魂の玉を守るために、桔梗と刹那は二人で力を合わせて四魂の玉を、村を守ってきた。 『楓、よくお聞きなさい』 そんな折、桔梗の妹であった楓は刹那から自身の過酷な運命を聞かされた。 『私の体は来世で四魂の玉と融合される。翠子の魂が完全に写し見になって現れるであろう』 しょせん私は完全なる四魂の玉のための前身でしかないのだ。 そう言って自嘲する刹那に楓は返す言葉がなかった。 これほど己の定めを受け入れいる者がどこにいようか。底知れぬ刹那の強さに楓は全身が粟立つのを感じた。 「――だが、四魂の玉は桔梗お姉様と伴に葬られ、桔梗お姉様の生まれ変わりであるかごめの体内から出てきた」 「じゃあ、結局四魂の玉は未完成のままってことなの?」 「ここからはわしの推測じゃが……先ほどの事を見る限り、刹那様の生まれ変わりである妃奈とやらの体内に入って初めて完全な四魂の玉が完成するんじゃないかと思うておる。――かごめ、お主の体内から出てきた四魂の玉はいわばがらんどう。そうでなければ不安定な破魔の矢にそう簡単に砕けるものか」 「あ、あはは……」 少女が苦笑いを浮かべる。それから気を取り直すように少女は妃奈を振り返った。 「だからさっきこの子の髪と目が四魂の玉と同じ色をしていたのね」 「……え」 それまでぼーっと老婆の話を聞いていた妃奈は、少女のその言葉に急に現実に引き戻された。 肩口までしかない自分の髪を引っ張ってみるが、いつも見慣れた黒髪である。 「どうやら四魂の欠片に反応して変化していたみたいだね」 クリーム色の毛色をした猫を膝に乗せた女性が言った。 「あたし日暮かごめ! あっちでは中学三年生よ」 「……相澤、妃奈です」 「妃奈ちゃんね。よろしく! あっちが法師の弥勒様で、その隣が妖怪退治屋の珊瑚ちゃんよ。その膝で寝てるのが猫又妖怪の雲母。楓ばあちゃんに狐妖怪の七宝ちゃん、それに……って犬夜叉! アンタなんっつー顔してこの子見てるのよ!」 少女――かごめが銀髪の少年に怒鳴る。 銀髪の少年はずっと妃奈を睨み付けていたのである。 妃奈も薄々気付いてはいたが特に何も言わなかったのでずっとこのような状況が続いていた。妃奈が少年を振り返る。 「なに?」 「……けっ」 一瞬だけ何か言いたげに瞳が揺れたが、妃奈を一瞥すると犬夜叉と呼ばれた少年はどかどか歩いて外に出ていってしまった。 「気にするでないぞ、妃奈。犬夜叉は教養がなっとらんのじゃ」 「ごめんね妃奈ちゃん。あいつ根っこの方はいいやつなんだけど……」 などとそれぞれ勝手な言い分に青筋を立てながら、犬夜叉はその場を後にした。 『犬夜叉。私はね、この輪廻に歯止めをかけたい。もう四魂の玉で争いを繰り返すのは嫌だ……』 「……刹那」 『もしお前の前に私と似た者が現れたら、そいつを守ってやってくれぬか』 脳裏に浮かぶのはあの日の情景。 ――月のない真っ暗な夜だった。 (刹那……今度こそお前を守ってみせる……) |