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5.眠り姫を起こす呪文なんて要らない

 今日は、飾利さんからマンツーマンでメイクレッスンをしてもらう約束の日だった。飾利さんの技術はまるで魔法みたいに凄い。先日、同じ公演中でも曲によって少しメイクを変えると雰囲気出るよ、なんてオレたちには思いつくはずもなかったアドバイスをくれた。飾利さんが劇場にいないときでも、自分でメイクのイメチェンが少しでもできるようになりたいと相談してみたところ、ありがたいことに、今日、メンバーが揃う少し前から、時間を作ってもらえたのだった。
 「シュンばっかりずるい、抜け駆けだ!」とトミーに言われたが、断じて下心はないのだから、そんなのは知ったことじゃない。が、結果的に憧れの女性と2人きりになれるわけで、心が弾まないわけはなかった。

 劇場の裏口から入ると、廊下にはもう電気がついている。早めに来たつもりだったが、飾利さんは既に到着しているのかもしれない。先に覗いた事務所にも居ないようだったので、とりあえず荷物を置きに控え室に向かう。控え室の前に立ったとき、中から照明が漏れているのが分かった。飾利さんが居るのかもと思い、何度かノックをするが、一向に反応はない。念のため、野郎しか居ないときよりもだいぶ慎重に、扉を開けた。

「おはようござい……、」

 瞬間、オレは、挨拶の言葉をすっと飲み込んだ。
 待ち合わせ相手の飾利さんがパイプ椅子に座ったまま、壁に背中を預けて、うたた寝している姿を見つけたから。

 彼女は、シャチョウやテッシーと違い、ここ以外の現場でも芸能関係の仕事を複数抱えているという話だった。
 もしかしたら、よその仕事で疲れているのかもしれない。
 元々約束していたメイクレッスンの時間はまだ先だし、もう少しこのまま休ませてあげようと思った。

 ロッカーを開けたら音が鳴って起きてしまうかも、と考えて、バッグは一旦テーブルの上に置いた。そしてそのまま近くの椅子をおずおずと引き、ゆっくりと腰掛ける。
 物音を立てないように人一倍気を遣っているオレのことなど全く知るよしもなく、飾利さんは気持ちよさそうに眠っていた。

「……やっぱり、綺麗だよな」

 ぽつりと誰にともなく呟き、改めて思う。さらさらの髪に、優しげだけれど洗練された眉、長くカールした睫毛、柔らかそうに色づいた頬、形の良い唇。もちろんプロ故の抜け目ないメイクの上手さもあるのだろうけれど。一回り年上なこともあって、オレのこれまでの人生にはまず居なかったタイプの異性だ。

 そんな好きな人と二人きりの密室で、その相手がすやすやと気持ちよさそうに眠っている。その姿を眺めていると、何だか色々な想いがこみ上げてきて、たまらなくなった。

 ……あともう少しだけ、近づいても大丈夫かな? 音を立てないようにそっと腰を上げて前へ進んで、彼女と目線を合わせるように少し屈んでみる。当たり前だけれど、こんなに近い距離で飾利さんの顔を見るのはもちろん初めてで、痛いぐらい鼓動が高鳴った。
 いつもの優しい微笑みも、仕事モードのキリッとした表情も好きだけど、無防備な寝顔はたまらなく可愛い。もっともっと色んな顔を見てみたい、と心の底から思った。できることなら、他の誰よりも近くから。

「好きだ……」

 考えるより先に口から零れ出てしまった言葉に、自分でもはっと驚く。

「ん、……」
「!?」
「……すぅ、すぅ……」

 飾利さんは一瞬大きめの寝息のようなものを発したけれど、やがてすぐにまた眠りについた。オレはほっと胸を撫で下ろす。何やってるんだよオレ……危なっかしすぎるだろ。もし聞かれていたら色々と大変だったぞ。

 それにしても、どうやら飾利さんは相当深く眠っているようだ。やっぱり、それだけ疲れているということだろうか。
 傍目から見る限りでは、いつも健康的で元気な印象で、特別疲れて見えるようなことはなかったので、意外といえば意外であるし、すごく無理をしているんじゃないかと心配になる。例えばオレの母さんは、寝不足や不摂生が続くと、すぐに唇の色が悪くなるのだ。けれども飾利さんは決してそんなことなく、唇だっていつも綺麗で……

「……っ!」

 気づいたが最後、小さく寝息を立てる飾利さんの唇から、オレは魔女の呪いにかけられたように目を離せなくなった。こんなにすぐそばにある、ぷるんと柔らかそうな桃色。しかも意中の相手は眠っていて、第三者の目は全くないという、この奇跡みたいな状況。
 いけないことだと頭では分かっているのに、はやる鼓動を、湧き上がる熱情を、止められなかった。

 そうだよな、おとぎ話ではいつも、王子は、眠り姫を起こすために……。

ーーダメだ。彼女を傷付けるようなことは絶対したくない。
……そもそも男と2人で待ち合わせしていて、無防備に居眠りしてる方も悪い。
ーー痴漢行為だぞ。皆にばれたらやばい。シャチョウに怒られるし、メンバーにもファンにも迷惑を掛ける。
……初めて会ったときから綺麗だと思ってた。沢山褒めてくれて、すぐに好きになった。
ーー劇場の大切な仲間。心から尊敬できるプロ。まだ沢山教わりたい。ずっと、ずっと、仲良くしていたい。
……頭がおかしくなるぐらい、エロいシチュ。触れたい。くっつきたい。もっと、もっと、暴きたい。

 もしも、もしもだけど、このまま彼女の唇にオレの唇を重ね合わせたとしたら、いったいどんな感触なんだろう。そっと目を閉じて、全ての神経を集中して、好きなだけ彼女を感じていたい。そのまま、綺麗な髪の毛を優しく撫でて、その華奢な肩を抱き寄せたい。そこまでしても、まだ起きなかったら、いよいよシャツのボタンに手をかけて……。

「……っ、はぁ……」

 欲にまみれた熱い視線に全く気づくことなく眠り続ける飾利さんの姿は、お年頃の男子高校生にはあまりにも刺激的すぎた。不埒な妄想は、次から次へと止まらない。たまらず呼吸が荒くなり、幾度となく生唾を飲み込む。いつの間にやら下半身は痛いぐらいに窮屈である。ああもう、こんなの、カッコ悪いし、最低だ。
 心の中で飾利さんに全力で謝り続ける理性は保ちつつ、眠ったままの飾利さんに、少しずつ、少しずつ、顔を近づけてしまっている自分がいた。

「……んぅっ、」

 しばらく静かに寝入っていた飾利さんが小さく寝息を立て、びくりとするが、その甘い声さえも自分を誘っているような、そんな都合のよい解釈をしてしまう。ぎゅっと目を瞑ると、オレの脳内で天使と悪魔が人類史上かつてないほどの大乱闘を繰り広げた。
 ああ、やばい、もう我慢できな……

 その瞬間。
 ブーッ、ブーッ。机に置かれていた彼女のスマホから、突如バイブ音がしたので一瞬で振り向く。次いで聞き馴染みのあるメロディーが流れ出す。
 ……レッスン開始時間の5分前に、アラームを設定していたのか!!? 流石プロ、昼寝をするのにも抜け目がない!!
 すぐさま彼女を振り返れば、うつらうつらしてはいたが、両の眼は着実に開きかけていた。
 この状況は、流石に何の言い訳もできない! やっっっっべぇ!!!

「……ふぁ……、……。あれ、舞山くん? もうレッスンの時間?」
「ど、どどどどーも、お疲れ様です!! 今、5分前、ですかね」

 ほとんど瞬間移動のようなスピードで、控え室中央の椅子に座って、バッグを肩に担ぎ、さも到着したばかりのように振る舞う。我ながら本当に小賢しい。

「そっかそっか、ちゃんと5分前行動。偉いねぇ」

 寝起き直後だからか、いつもより少しばかり呂律が頼りないものの、彼女の意識はすぐにはっきりしたようだ。

「その……、飾利さん、もしかして最近休めてないんですか?」
「あはは、恥ずかしいところ見せちゃったね。そうなの、ちょっと夜遅くまで仕事が入ることが多くて。……だからって、大事なレッスン前に居眠りなんて、ごめんなさい」
「い、いえ、全然。むしろ、そんなときに無理言っちゃって申し訳ないっていうか……」
「ううん、舞山くんが気にすることじゃないよ。おかげで、だいぶスッキリできたし!」

 椅子から立ち上がり、鏡の前で、メイク道具を手際よく並びていく飾利さん。ついさっきまでオレが何を企んでいたのかなんて全く気づいていないようで、いつもどおりの様子だ。今になってばれることはないだろうと、ひとまず安堵する。
 でも何故だろう、それと同時に、「この小心者!!折角のチャンスを!!」とつい数秒前の自分を思い切り罵倒してぶん殴ってやりたい気もする。

 その日のメイクレッスンは、何かの拍子に彼女が至近距離に来る度にドキマギして集中力を欠くという手に負えない始末で、とても褒められた受講態度とは言えなかった。飾利さんからは「舞山くんこそ、疲れてない?」と優しげに心配されてしまった。
 とはいえ本来の目的との関係でいえば、必要なメイクの技術はしっかりと叩き込んでもらったので、後は自主練あるのみといったところだった。

「……ねぇ、シュン。何かあった?」

 その日、いやに鋭いトミーの視線は死ぬほど痛かったが、オレは覚悟を決めて、最後まで知らぬ存ぜぬを突き通した。
 あの時間、あの光景は、世界でただ一人、オレだけのものだから。きっと今日習ったメイクを一人でする度に、あの甘美で背徳的な時間を思い出すに違いない。そう思うと、胸が熱く疼くようだった。


読んでくださって、ありがとうございました!
自分の性癖にまっすぐ正直に、綺麗なお姉さんにドギマギ&ムラムラするシュンが書けて、めちゃくちゃ楽しかったです。

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