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3.スプーン1さじの甘い小話

私の男っ気のなさといえば、ナックルに心配されるほどであったことは先の会話にあったとおりだ。そんな私が、ひょんなことから二人の男性と一緒に住むことになり、その間にどんなことが起こったかというと――驚くほど何も起こっていないので、安心していただきたい。がっかりされた方は申し訳ない。
とはいえ、何の色気もない話ばかりが続くのも単調だ。ここらで一つ、甘い(当社比)小話を少々、挟ませていただきたい。時系列などは深く考えないでいただければ何よりである。

***

その日、冷蔵庫にある麦茶が飲みたくてキッチンへ向かうと、ちょうどシュートが料理の下ごしらえをしているところだった。厚切りにした大根の断面に、包丁で×印の切れ込みを入れている。三つの左手を巧みに操り、面取りをしたり、蒸し器を用意したり、淡々と準備をするその姿はさながらおとぎ話の魔法使いのようであった。シュートの手つきがあまりに鮮やかで、私は冷蔵庫の前でぼうっと立ち尽くしてしまっていた。

「? どうかしたのか?」
「ううん。手際がよくて、見とれちゃってた」
「……これぐらい、慣れれば誰にでもできるぞ」
「そうなの? ナックルも?」
「むしろ、野菜の下ごしらえは、奴の方が丁寧で上手い。習いたいのなら、あいつにしておけ」
「そうなんだ。私から見れば、二人とも同じぐらい料理上手だけど、得意分野は違うんだね」
「ああ。料理は、掃除ほどではないかもしれないが、思いのほか性格が出る」
「なるほどー」

このところシュートは、色々なことを積極的に話してくれるようになったと思う。かなり特殊な事情もあって、出会ったばかりのときからそれほど邪険には扱われていなかったが、それでも口数は今よりずっと少なかった。それこそ最初は、私のことを敵の念能力者の仕掛けた罠だと疑っていたぐらいだ。それから見れば、ずいぶん仲良くなれた。

「ねえシュート、私も何か手伝――」

つるんっ。シュートに駆け寄ったそのとき、部分的に濡れていたらしいキッチンの床に足を取られ、体が後方にぐらりと傾いたかと思うと、足が宙に浮いた。
ああ、ドジで間抜けな私は、やはり慣れないことなんて言い出すものではなかったんだ。そんな切実な後悔をしている間にも、私の体は着々と落下していく。
次の瞬間背中に襲い掛かるであろう大ダメージに、思わず歯を食いしばった。

「! おい!」

ところが、背中に伝わったのは、覚悟していた痛みや衝撃ではなく、筋ばった何かの感触。シュートが咄嗟に右手で私を支えてくれたのだと、すぐに気づいた。

「えっ、あ、……」
「まったく、何やってるんだ」

呆れるように、シュートが言う。しなやかに垂れる紫色の髪が、私の頬と首筋をくすぐった。至近距離から、彼の三白眼にたしなめられるように見つめられ、たまらず目線を斜め下に落とす。

「ご、ごめんね……ありがとう。もう大丈夫」

しっかり自分の両足を床に着け、『もう立てる』と懸命にアピールすると、シュートはやれやれといわんばかりの表情で、私からすっと離れていった。

「気をつけろ」

ぴしゃりと言い放った後、シュートは何事もなかったかのように、また料理に戻った。おそらく本当に彼は何とも思っていないのだろう。
これ以上邪魔をしてはいけないので、私は手早く冷蔵庫から麦茶を取り出して、キッチンを後にした。

こんな古典的少女漫画でしか見たことないような展開で、二×歳の女がときめいたなんて、まさかそんな。……ねえ。

***

今更だが、私の部屋に住むようになってから、ナックルとシュートは彼らのトレードマークといえるあの特有の髪型をしていない。そもそも外に出ないので、わざわざセットしないのは当たり前だ。だが、私が貸したヘアゴムで後ろに一つで髪を括っているシュートはまだいいが、ナックルは目のところに髪が垂れて、ときどき鬱陶しそうにしているのが気になっていた。ヘアピンは癖がつくのが嫌だという。
ある日、買い物のついでに、彼のためにハードワックスを買ってみたのだった。

「ナックル、ワックス買ってきたんだけど、使う?」
「? おお! いいのか?」

目に見えて喜んでくれたので、ほっと安心する。やはり彼自身、気になっていたのだろう。下手な気を遣わずに言ってくれていいのだが、衣食住の費用を全て負担してくれている相手に対し、整髪料が欲しいとはなかなか言いづらかったのかもしれない。

ナックルは、私のコームとブラシを使い、驚くことに鏡も見ずにヘアセットを始めた。何も見なくとも手が覚えていると言わんばかりに、見慣れたリーゼントがみるみるうちに出来上がっていく。私はひたすら見入ってしまっていた。

「よし、こんなもんか。だいぶ楽になったぜ、ありがとよ」

作中の完璧に決めているリーゼントよりはいささかラフな感じだが、あまりヘアアレンジに詳しくない私でも、思わず感心するぐらいだった。
作中でも、どんなに激しい戦いの中でも、彼の髪型は決して崩れない。これまでは漫画だからの一言で片づけていたが、きっとナックルの技術を以て頑丈にセットされていれば十分可能なのだと、先ほどの彼の流れるような手つきから、私は確信した。
その瞬間、ふと思う。世に数多のコスプレイヤーさんたちにとっては、二次元から飛び出してきた形であるナックルとシュートは、ジャンルを飛び越えて、願ってもない最高のモデルになるだろう。見る人が見れば、参考になる要素が彼らにはふんだんに盛り込まれているに違いない。かといって、SNSで拡散されたりしては絶対にいけないし、彼らを世のコスプレイヤーさんたちに紹介するというのは叶わぬ理想で終わりそうだ。私は生憎コスプレイヤーではないが、見るのは結構好きである。世界のコスプレが大幅にレベルアップできるであろうチャンスをみすみす逃すのは、残念極まりないが仕方がない。

「……なんだよ、人の顔じろじろ見て」
「あ、いや! 改めて、立派な髪型だなあって思って」
「まあ、一番は気合入れるためにやってるからな。手を抜いたら意味がねェ」

思いもよらず、ナックルがリーゼントに拘る意外な、しかし彼らしい理由を知ることができた。メモしておかなければ。

「そういうものかぁ。うらやましいな。ヘアアレンジとか、昔から苦手なんだよね。ナックルの百分の一の技術でもあればいいのに」

ふと本心がぽろりとこぼれた。漫画の登場人物相手に、いったい何を言っているのだろうか。女子力のない女はこれだから、と自分にだんだん腹が立ってくる。

「……いいんじゃねェか、何もしなくても」

ナックルは、少しだけ目を大きくして、私をじっと見つめながら、淡々とした口調で言った。

「おめェの髪は綺麗じゃねーか。そのまま下ろしてるのが、一番似合ってる」
「! ……あ、ありがとう」

だから、もう! 揃いも揃って、そういう無自覚イケメンな言動は本当にやめてほしい。免疫がない私の気持ちも、少しは考えてもらいたい。
たったこれだけの話なのに、思い返していて、恥ずかしくなってきてしまった。甘い小話は、これにて終了。

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