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2.一週間の非日常

「……え、っと……その、変な意味じゃなくて。もちろん、二人さえ良ければ、だし……」

さて、勢いよく言ってはみたものの、一呼吸置くと、私の頭も冷静さを取り戻してしまった。
期間がもし一か月であれば、流石の私でもここまで容易く決断することはなかったと思うが、一週間という絶妙な期間が、いささか私を楽観的かつ積極的にさせたようだ。

「つい思いつきで言っちゃって、ごめんね。二人には二人の事情があるのに……」
「いや、謝ることはねェよ。気持ちはありがたく受け取っとく」

ナックルが前向きな言葉をかけてくれたおかげで、少し自責の念が晴れた気がする。と同時に、彼なりに気を遣いつつ、やんわり断っているらしいということも解った。若干ショックではあったが、当然の選択だとも思う。私が彼らの立場でも、会ったばかりの者といきなり一週間一緒に住むと簡単に決めることなんてできないだろう。

「ありがとう、ナックル。そうだよね。……そもそも二人の男の人に、女の私が一人暮らししてる家に一緒に住もうなんて、気やすく勧めちゃいけないよね」
「まあ、そこはオレたちじゃなく、女性である君が気にすべき点だと思うが」

シュートが迅速に突っ込めば、ナックルもそれが一番の問題だと言わんばかりに大きく頷く。

「え! そ……そっか」

一方、当事者の私はというと、シュートがごく自然に私のことを『君』などと呼んだせいで、それどころではなかった。思えば、作中でシュートが初対面の女性と会話するシーンはないから、こんな風に呼ばれる心の準備はできていなくて当然だ。日常的に男性に『君』と呼ばれるシチュエーションなどまずないこともあり、やたらと気恥ずかしくなった。

「すまねェ、ちょいとその話からは逸れるが、今後のために聞いておきてェことがある。オレたちはこの格好のまま外を歩くと、この世界では目立つのか?」
「目立ちます」

即答する。まだこの世界に来たばかりだから、自覚していないのだろう。恐ろしいことだ。ベッドタウンのこの町は比較的人口が多く、二十代後半ぐらいの男性もよく見かけるが、一度たりとも特攻服も紫の着物も見たことがない。ついでに言うと、リーゼントもおそらく今では絶滅危惧種だろう。もっと言うと、サイド編み込みは昔からほとんど存在していないと思う。

「髪も服も目立ちまくりだよ」
「……そうか。ならば、少なくともこの格好では、あまり出歩くべきではないな」
「うん、それは間違いないと思う」

下手したら通報されかねないし、とまで口にするのは流石に憚られたが、実際に二人とも平均程度の男性を大幅に上回る長身であり(特にナックルは見るからに腕っぷしも強そうだ)、おまけにこんな珍しい服装をしていればいやでも目立ってしまい、近隣の住民に不審がられる可能性は低くないだろう。仮に不審者として警察に突き出されてしまった場合、免許証も保険証も持っていない彼らについてどう説明すれば納得してもらえるだろうか。おそらく、そのとき証言を求められるのはほかでもない私だ。
……どうにも、上手く説明しきれる自信がまるでない。となると、やっぱり警察に見つかっては駄目だ。やはり、振り出しに戻って、シュートの言うとおり、二人にはできるだけ人目のつかないところに居てもらった方がいい。

「替えの服を調達するっつってもな……。何せオレたちはこっちの世界について何も知らねェし、オレたちの持ってる金も、おそらくこっちでは使えねェだろう。無一文だ」
「そうだよね。こっちの世界だと、『ジェニー』はこの漫画の中に登場する通貨でしかないから」
「ああ、そうなるな。それに、見たところ近くに海や山もなさそうだったたし、食料調達は難しそうだ。二人で一週間となると、流石に非常食だけじゃ持たない」
「あ、釣りとか狩りは全くできないって思った方がいいよ。ここ、結構都会だから」
「ったく、来たときは命の危険が全く無さそうだで拍子抜けしたけどよ。何もかも違う世界に訳も解らず飛ばされるってのも、意外と厄介なもんだな」

頭をがしがしと掻きながらナックルが言う。これに関しては、彼の意見につくづく同意する。どちらの世界にも人間が住んでいて、日本語が共通言語だったのは、不幸中の幸いというべきだろう。そういえば、彼らが日本に飛んできたのは単なる偶然なのだろうか。それとも、世界どうしがある程度は隣接している必要があったために、日本にしか飛ばすことができなかったのか。
そもそも念能力の使えない私には、念能力の限界なんていくら考えても解るわけはなかった。

「……なあ、さっきの話に戻るけどよ。……その、何もかも世話になっちまってばかりだが、本当におめェはいいのか?」
「え! ナックルごめん、ちょっと考え事してた……! 何の話だったっけ?」
「この家に、オレたちが厄介になるという話だ。改めて今の状況を整理した結果、君の提案に乗らせてもらうのが最善、という結論になりそうなんだが……」

申し訳なさげに語尾を弱めながら、シュートが俯きがちにぼそりと言った。あぁそうだった、私のあの無神経な発言から全てが始まったのだった。めぐりめぐって、どうやら私のお節介は二人の役に立てることになったらしい。

「もちろん!」

にっこり笑ってそう言った。願ってもない、こちらこそ大歓迎だ。

その後、今後の家事の分担等を決める話になった。押入れの隅でほこりをかぶっていた小さなホワイトボードが、よもやこんな場面で活躍することになるとは、思いもよらなかった。
分担の言い出しっぺはナックルで、『家賃も払わずに一週間居候させてもらうのだから、せめて家事は全て自分たちにやらせてほしい』とすぐさま主張してきたのだ。むしろ、『そうしないと殴るぞ』と言わんばかりの凄んだ勢いだったので、震えながら頷いた。

「なぁ、一食交代制と一日交代制どっちにするよ?」
「一食だとどちらかに負担が集中しかねないだろう。オレは一日交代制に賛成だ。一週間が奇数なのは気にかかるが、その方がいい」
「! まさかオメー、夕飯が豪華なら朝飯は多少手抜いてもいいとか思ってんじゃねェだろうな」
「そうは言ってないだろう」
「意味は一緒だろーが! 朝飯ナメんなよ、一日のパワーの源だぞコラ!」

どうして食事当番を決める話し合いで罵声が飛ぶのかは解らないが、ナックルは時折シュートに文句を言いながら、分担表を次々に埋めていった。悪態をつきながら、せっせと捨て犬に餌をやっているナックルのシーンと、面白いほどに重なる。彼は根っからの世話焼きなのだと、身に染みて解った。

「なあ、おめェは平日仕事で、土日休みか?」

ナックルが顔を上げ、急に私に話を振ってきたので少し驚く。

「うん。基本的には」
「仕事の日の昼は、いつもどうしてる?」
「できるだけお弁当を作ってるかな」
「オーケー、明日からはオレたちが作る」
「え! いやいや、いいよ、流石に悪いし」
「よせ。こうなったナックルは一度言い出したら聞かない。味がまずければ明日教えてくれ」

ナックルもシュートもあまりに淡々と言うものだから、私の方がよっぽど取り乱してしまった。それ以上私が何を言おうとしても気にも留めず、掃除や洗濯についても次々スムーズに決めていく。私の出る幕はなさそうなので、何となくそわそわしながら二人のやり取りを聞いていた。

「っし、だいたいこんなもんだろ」
「オレたちの考えられる範囲で作ったものだから、過不足があれば言ってくれ」

五分ほど経ったころ、二人に呼び出された。話し合いが大体終わり、家事の分担の案があらかたできたという。
シュートが提示してくれたホワイトボードには、今日から一週間後までの日付が書いてあり、その下に、やや見慣れない図形のような文字が連なっている。すぐにピンと来た私は、やはり生粋のファンだった。

「! これ、ハンター文字だね! そっか、二人はこれを使うんだ」
「……というと、もしかして、オレたちと君たちとでは、話し言葉は一緒でも、書き言葉は違うのか?」
「うん。でも大丈夫、これを機にちゃんと覚えるから。たしか、誰か個人が作った翻訳用のページもあったはずだし」
「そうなのか? たかが漫画に出てくる文字にそこまでするとは、こっちのファンはすげーな……」

ナックルの呟きには私も全面的に同意せざるをえない。何せ、件の漫画には、作者の独特の作風もあって、私以上にディープなファンがたくさん存在するのだ。バトル漫画にはつきものの強さ議論もネット上で頻繁に行われているし、試しにこの二人を参加させてみても面白いかもしれない。もっとも、議論における不当な評価に、ナックルが憤るだけかもしれないが。

ホワイトボードと、スマホに表示させたハンター文字解読一覧表を交互に見ていき、一通りの必要な家事を二人がうまく平等に分担してくれていることが解った。二人とも二十代後半(ナックルはあくまでも憶測だが)だし、一人暮らしの経験もあるのかもしれない。シュートの言うような過不足も、特になさそうだった。

「二人ともありがとう。これで問題ないと思う」
「不都合があったら、また調整すりゃいいしな」
「なら、この件はひとまず解決としよう。……と、もうこんな時間か」
「九時か! どーりで腹も減る訳だ」
「ほんとだ、全然気づかなかった」

五時半に仕事が終わり、スーパーに寄ってアパートに帰ってきたのは六時半ごろだった。そこで二人と劇的な出会いを果たして、てんやわんやしているうちに、気が付けば夕食時をとうに過ぎて九時になっていたのである。非日常に直面すると時間の過ぎるスピードが恐ろしく上がるのかもしれない。

「あー、今日は慣れないことばっかで腹減ったなァ。今夜はオレの当番だ」

ナックルは引き締まったお腹をさすりながら、よっこらせと立ち上がった。公園でゴンと戦う前のシーンよろしく首を左右に曲げつつ、私に尋ねる。

「悪いが、最初にキッチンの物の位置だけ簡単に教えてくれるか?」
「うん」

私も立ち上がり、一緒にキッチンに向かった。必須の調味料は二口コンロの下の棚に揃えてあり、フライパンやボウルはその隣。菜箸やピーラーは流し台の下の引き出しに入れてある。冷蔵庫内も、できるだけ賞味期限が近いものは手前に置くようにしている。物が少ないので簡単な説明で終わった。

「よく整理されてるな」

ナックルが満足げに言った。普段からキッチンには拘り、それなりに清潔で片付いた状態を保っているが、その中途半端に几帳面な性格が、初めて役に立った。

「じゃ、おめェはそっちでシュートと待っててくれ。冷蔵庫の中のモン、適当に使わせてもらうぜ」
「ありがとう。……あの、今更だけど、本当にいいの?」
「?」
「本当は、料理も洗濯も、二人に一緒に住もうって提案した私がやるべきなんじゃないかって思って」
「その話はもう済んだろ。オレたちなりのけじめのつけ方なんだよ。悪いが、おめェの意見は聞けねェな」

私の曖昧な声音をかき消すようにはっきりとそう言って、ナックルは私を見据えた。決して睨まれている訳ではないが、強い意志と主張を秘めた瞳を向けられ、すぐに縮こまってしまう。そんな私を一瞥して料理に取り掛かるナックルを見届けてから、大人しくリビングに撤退することにした。

「だから言っただろう、ああなったナックルには何を言っても無駄だと」

小さな溜息とともに、呆れ顔のシュートが出迎えてくれる。

「ほんとだね。シュートの言ったとおり」

そう言いながら、シュートの正面に腰を下ろす。と、二人を部屋に入れたとき、手持ち無沙汰だったために入れた麦茶が、グラスの中でふてくされたように揺れた。そういえば、不思議なぐらいこの麦茶の存在を完全に忘れていた。用意してからおよそ三時間を経過してなお、誰も口をつけていなかったという事実に今更驚く。それだけ、これまでの話の中身が濃かったということだ。

「ああ見えて頭が固いからな、あいつは。あれでは、人のためなのか自分のためなのか最早解らない」
「でもそれって、突き詰めると、本当に優しいからだよね。人や動物に優しくしてあげたいっていう気持ちが根っこにあって、でもそれを惜しみなく正直にさらけ出すのは自分らしくない、格好悪いって考えが自分のハードルを無意識に上げてるから、逆にきつい言葉を使っちゃうんじゃないかな」
「フン、結局甘いんだ、あいつは。それでいて、それを指摘すると頑なに認めたがらないのだから、常々面倒でならない。……おい、何ニヤニヤしてる?」
「……、してない」

ぎろりとシュートに追及されて、慌てて口をへの字に結んだ。顎に変な力が入って、なかなかの変顔になっているに違いない。
だって、にやついてしまうのも仕方がないだろう。シュートがナックルの愚痴をこぼしてくれるなんて、生粋のファンにとってはこの上なく幸せなイベントだ。

「まあいい。明日、君が仕事に出ている間、オレたちだけがここに残る形になるが、それはかまわないか? もちろん、必要以上に多くの部屋を行き来するつもりはないし、プライバシーを物色することもしない。助言どおり、外も出歩かないことにする」
「うん。それを守ってくれれば全然大丈夫。必要なものがあったら、パソコンから私の携帯にメールして」
「解った。操作方法を後で確認させてもらえると助かる。他に忘れてることは……」

シュートは両目をつぶり、額を人差し指で何度か小突きながら、他に何か言うべきことはないか模索している。まずフィクションでしかお目にかかれない身ぶりだが、流石漫画の世界からトリップしてきただけあって、実に様になるものだ。本当に二人の存在はこの世界では不思議なもので、表現力に乏しくて申し訳ないが、漫画から現実に飛び出してきたようだという表現が一番相応しい。実に稀有な感覚である。

「あぁ、そうだ。仕事の間、さっきの漫画を一巻からちゃんと読ませてくれないか。さっき話に出た翻訳ページとやらを使えば、多少時間はかかるが、こちらの世界の文字で書かれたものでもちゃんと読めると思うんだ」
「そっか、もちろん読んでいいよ。何か新しいことが解るかもしれないし」
「自分たちのありのままの姿が載っているかと思うと、なかなか気も進まないが……この状況では、そうも言っていられないからな」

どこかうんざりした表情で言うシュートに、思わず笑ってしまう。でも確かにそうだろう。プライバシーもへったくれもなく、自分の過ごした日々が赤裸々につづられている作品を自分の目で読むというのは、相当気恥ずかしいかもしれない。しかもそれが自分の全くあずかり知らぬところで、多くの人の目に触れているのだという驚愕の事実を知らされた後では尚更だ。
が、幸か不幸か、現状全三十四巻あるこの漫画のストーリーのうち、二人が登場して活躍し、シュートが読んで恥ずかしい思いをするであろうシーンは、御承知のとおりほんの一部である。少なくとも二人が登場しないグリードアイランド編ぐらいまでは、淡々と読み進めていけるだろう。

「ちなみに、この漫画の主人公は誰なんだ? 性格からすると、モラウさん辺りだろうか」

まだ読んでもいないのに、自分とナックルは絶対に脇役だと確信しているのが、物悲しいのと同時にシュートらしい。そしてそれが事実なのがまた悔しい。

「ゴンだよ」
「そうか、納得だ」

その答えも十分予想の範囲内だったようで、シュートは満足げに口の両端を吊り上げた。たったそれだけの一瞬の反応で、シュートがゴンに対しどれだけ前向きな感情を抱いているのか、人の感情に鈍い私でもひしひしと感じられた。キメラアントとの戦いで明らかになった感情豊かなシュートの一面が垣間見えて、穏やかな心持ちになる。

と、そうこうしているうちに、キッチンの方から何とも香ばしい良い匂いがしてきた。食欲をそそるこの匂いは、ごま油だろう。シュートと一緒に顔を向けると、

「キムチチャーハンの完成だ! オレの気分によりチャーシュー増量してるぜ」

三人分の山盛りチャーハンをお盆に載せたナックルが満足げに笑っていた。

「え! はやっ」
「ボスのところで毎日三人分のメシ作ってりゃ、いやでも早くなるからな」
「……てことは、二人はモラウさんと一緒に暮らしてるの?」
「まぁ、遠征する任務がないときだけだ。毎日というのは言い過ぎだろう」

なるほど。作中では出てこない新たなエピソードを知ることができた。何となく料理に慣れていそうな雰囲気は最初から感じていたが、ナックルとシュートはそういう経緯で、日常的に料理する習慣があるのだという。お弁当作りを引き受けたときだって、ちっとも嫌そうじゃなかったし、あれは料理に苦手意識のある者では有り得ない反応だ。

「そういえば、昨日もチャーハンじゃなかったか」
「おっと、そうだったか? そりゃ悪かったなァ」

シュートの悪態を軽やかに受け流し、ナックルは食べるのが待ちきれないといった様子でシュートの隣に腰掛けた。湯気を立てる熱々のチャーハンを目の前に置かれると、非日常の真っ只中で心が動転している私も、食欲が湧いてくる。

「「「いただきます」」」

声の大小に差はあれど、三人の声が重なった。さっそく一口食べてみると、キムチのパンチが強めに効いていて、ごま油のコクも深みがあり、とても美味しかった。冷やご飯がしっかりパラパラになっているのは、おそらく手間を惜しまず最初に卵とご飯をしっかり混ぜたからだろう。私のお皿にも二人と同様、男性の一人前ぐらいの量が盛られていたが、全て食べきってしまいそうだ。

「ナックル、すっごくおいしい!」
「そりゃ良かった。食べ物は、オレたちの世界にあるものとほとんど同じみてェだな。助かった」

そういえば、件の漫画でも食事の話題やシーンはたまにあるが、登場するのはチョコ、ラーメン、骨付き肉、というラインナップだったと記憶している。お店の机に醤油差しが置いてある描写もあったような。作者が日本人だからか、その辺りの文化は一致しているのかもしえrない。

美味しそうにがつがつ食べるナックルと、無表情で黙々と口に運ぶシュートを交互に眺める。思えば、この部屋で誰かと食事をともにするのは久しぶりだ。一人でする食事も気楽で好きなのだが、こういうのもたまにはいいものだ。

「そういえば、今更だが、オレたちが着るものはどうしたらいいだろうか。贅沢を言える立場じゃないのは重々承知だが、いつも同じ服では、衛生面等々でかえって君に迷惑が掛かる」
「あー……確かにな。オレたち、着替えは持ってねェし」
「そっか、確かにその問題もあったね」

明日、仕事帰りにファストファッションのお店で何着か男性ものを買ってくれば済むだろう。これから一週間は三人分の食料品が必要だし、出費が増えるのは痛いが、ここは踏ん張りどころである。二人のためにも、出し惜しみはしていられない。

「とりあえず今日は、うちに置きっぱなしの弟の服を着てもらえばいいかな。フリーサイズだから多分大丈夫だし」
「それはありがたい」
「後は、明日私が買ってくるよ。あんまり高い物は買えないけど許してね」
「色々迷惑かけちまって、本当に悪いな」
「ううん、帰りにそのまま寄れるお店があるから大した負担じゃないよ。気にしないで」

私が努めて穏やかに言うと、二人はほっと安堵したような表情を浮かべた。
その瞬間、私ははっとする。そうだ、二人はとても強くて、キメラアント相手にだって一歩たりとも引かなかった人たちだけれど、今この特殊な状況下で頼れるのは、何の取り柄もないこの私だけ。少なくとも今の彼らは、最も基本となる衣食住でさえ、私なしでは充足することができない。そう思った途端に、これまで経験した何事にも例えがたい重さの責任がずしりと肩に覆いかぶさるような感覚を覚えた。大げさな言い方になるけれど、私は、この一週間、ナックルとシュートが無事に過ごせるよう、二人のことを守らなければならない。そんな風に誰かを守った経験なんてない。でも、やるしかないのだ。

「どうかしたか? ずいぶん怖ェ顔して」
「! ううん、何でもない」

決意を新たにし、楽しい食事を終えると、もう就寝時刻を過ぎた頃だった。すぐに交代でシャワーを浴びたが、髪が濡れ、弟のジャージを着せられた二人はまるで別人のようだった。
シュートに簡単にパソコンの使い方を教え、リビングに来客用の布団を二組敷き、明日起きる時間を伝えた後で、私は寝室に入った。
心は様々な感情に揺さぶられて高揚しっぱなしだったが、体の疲れはそれ以上だったのか、ベッドに入るとすぐに眠ってしまった。

怒濤の初日は、こうして幕を閉じたのである。

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