main | ナノ


-----main-----



3.胸の奥で揺らめく灯火

 今日も学校が終わると、まっすぐ劇場に向かう。3月とはいえ外気はまだまだ寒いけれど、僕の足取りは軽かった。元々、少年ハリウッドとしての活動は、今の僕の毎日の中で一番楽しいものだから、当然だ。でも、最近はそれに加えて、もう一つ新しい理由が生まれた。

「おはようございます!」
「お! トミー、おはよう!」

 今ではすっかり慣れた業界特有の挨拶とともに楽屋に入ると、一足先に来ていたマッキーが、大きな鏡の前に座っていた。そのすぐ後ろには飾利さんがいて、何やらマッキーにヘアセットのアドバイスをしている最中らしい。彼女も、僕の声に気づいて、振り返った。

「おはよう、富井くん」

 彼女の明るい笑顔と、優しい声色。僕一人だけに向けてくれたその一言で、僕の小さな胸はいっぱいになって、いとも容易く弾けそうになる。

「……っ、おはよう、ございます」

 ああ、まただ。この熱い気持ちは、いつの間にか芽生えたと思ったら、瞬く間に僕の心を支配してしまって、今ではすっかりコントロールが利かなくなった。

「甘木くん、大体こんな感じで大丈夫かな?」
「はい! ありがとうございました。飾利さんの教え方、めちゃくちゃ分かりやすかったです」
「ふふ。こちらこそ、熱心に聞いてくれてありがとう。それじゃ、今日はこのまま固めておくね。衣装に着替えるときは気をつけて」

 飾利さんは、ヘアスプレーを手に取り、マッキーの髪を固め始める。複数のスプレーを使い分けて、迷いなく色んな箇所にかけていくその手慣れた仕草は本当に華麗で、思わず溜息がこぼれそうになるほどだ。

 飾利紗夜さん。年明けから週に2回ほどハリウッド東京に来てくれて、ときどき他のお仕事にも着いてきてくれる、頼もしい僕らの担当ヘアメイクさんだ。彼女はいつも優しく、笑顔で僕たちを見守ってくれている。でも、今みたいに誰かのヘアセットやメイクをしてくれる最中や、衣装についてシャチョウと打合せをしているときなんかは、すごく真剣でかっこいい顔になる。くるくる変わる表情や、仕事への熱いこだわり、ときどき冗談を言って場を和ませてくれるところ、そんな彼女のことを、平凡な言い方だけれど、とても素敵な人だな、と思った。初めて出会ってから早3ヶ月ほどになり、気がついたら僕は彼女を目で追いかけ、居ないときにはふと彼女のことを想うようになっていた。

「ごめん甘木くん、ワックスを他の部屋に置き忘れてきちゃったから、ちょっと取ってくるね。それを最後に軽く馴染ませて完成させたら、すごくかっこいい仕上がりになるよ」
「分かりました。よろしくお願いします」

 そう言いながら楽屋を出ていこうとした飾利さんとすれ違ったとき、何だか良い匂いがして、どくん、と心臓が高鳴った。動揺を悟られないように、わざと目線を合わせず、素知らぬ風を装う。すると飾利さんは、すれ違いざま、どこか心配そうに僕の様子を目に留め、ぽつりと言った。

「あれ、富井くん、ちょっと顔赤い……? 熱はなさそうだけど、寒いのかな。大丈夫?」
「!! そ、そうなんです。急にあったかい室内に入ったからか、顔が熱くなっちゃって。体調が悪い訳じゃないので、心配しないでください」
「ああ、確かにそういう人いるよね。変なこと聞いてごめん、元気なら良かったよ」

 拙い返事だったけれど、飾利さんは安心したように聞き入れてくれて、そのまま控室を後にした。飾利さんが視界からいなくなると、ふっと緊張が緩んで落ち着くような、もっと話し続けていたかったような、複雑な思いが僕の心を取り巻いた。

 ロッカーに鞄を置いて一息つき、着替えを取り出すと、そわそわしていたマッキーがこちらを振り返って嬉しそうに言った。

「なぁトミー、見てくれよ! 飾利さんがオレに新しい髪型のアレンジ、提案してくれたんだ」

 マッキーがほらほら!と興奮気味に頭を指さす。素人目にも、確かにいつもよりぐっと垢抜けた雰囲気になっているのが分かった。……前髪の分け目の位置を変えたのと、後ろ髪を少しふんわりさせたのと……僕に分かるのはそれぐらいだけど、他にも色々なポイントを押さえているのだろう。

「わぁ〜本当だ! すごくかっこいいよ、マッキー!」
「髪切ったりしてないのに、セットの仕方変えるだけでこんなに変わるんだぜ。ヘアセットの力って凄くね!? つか、飾利さんが凄いのか?」
「そうだね、きっと両方だよ」

 マッキーに向かって微笑み返す。飾利さんが来てから、メンバーたちに色々と前向きな変化がもたらされているようで、とても嬉しかった。特にマッキーは見てのとおり彼女のことをまっすぐに慕っていて、その的確なご指導のもと、自分の魅力を様々な形で生かす方法を、日々どんどん身に着けているように見える。
 僕も負けていられない。キラの行きつけの美容院でやってもらった新しい髪型にもようやく少しずつ慣れてきたところだし、今度アレンジの方法を教えてもらいたいな、と思った。

(よし、今日も全力で頑張ろう)

 ハリウッド東京に着いてから学校の制服を脱ぐときには、いつも自分にそう言い聞かせるクセがついていたけれど、最近ではそれがさらに重要な儀式になった気がした。理由は単純明快で、飾利さんにもっと僕のことを見てほしいという気持ちが芽生えたことで、練習も本番も、今まで以上のパワーで頑張れるようになったからだ。



 その日のライブでも、前回よりも良いパフォーマンスを発揮できたという確かな手応えがあった。心を込めて締めの挨拶をしてから顔を上げると、心なしかファンの人たちから送られる拍手が、いつもより大きいようにも聞こえた。

「トミー、今日も素晴らしいステージでした! 最近いつにもましてやる気と自信に満ち溢れてますね。歌もダンスも、めきめき上達していますよ」

 舞台袖に引っ込むと、今日も僕たちのステージを裏方で見守ってくれていたテッシーが、僕を見つけて嬉しそうにタオルを渡し、そう言ってくれた。

「ほんとに!? ありがとうテッシー、嬉しい」
「この調子でさらに自分を磨いていってくださいね。さあさあ、ファンの方たちとの握手会の前にメイク直しです! 飾利さんがあちらで待っていますよ」
「うん!」

 テッシーの言いつけどおり、楽屋へ向かう。既にメンバー4人は、ライブ中のテンションをそのまま引っ張りこんでワイワイ騒ぎながら、それぞれメイクカウンターの前で髪型やメイクの崩れを直していた。その後ろで飾利さんは、まるで目が4つも5つもついているみたいに、テキパキと動き、メンバーのメイク直しをサポートしている。握手会前の、慌ただしくて大好きな光景だ。
 僕も遅れてそこに飛び込むと、皆から「おつかれ」「遅くね」「テッシーと何話してたの?」と口々に声をかけられ、笑顔でそれに応じた。

 椅子に座ってまじまじと正面の鏡を見ると、いつもよりも多く汗をかいたせいか、飾利さんに綺麗にセットしてもらった髪型は崩れかけ、ファンデーションも相当よれている。このままではファンの皆と握手なんてできない。限られた時間の中で何から手をつけようかと悩んでいると、背後に飾利さんがやってきた。

「富井くん、お疲れ様。今日は頑張った分、沢山汗かいたんだね」

 鏡越しに向けられた優しい笑顔と、両肩に控えめに添えられた手に、思わず顔が熱くなる。表情には出ないよう、ぐっと両頬に力を込めた。

「あはは……せっかくやってもらったのに、髪もメイクも崩れちゃって、すみません」
「謝ることないよ、全力を出しきった証拠だもの。今日のイエローパンチなんて、終わった後、感動して泣いてる人もいたぐらいだよ」
「え!? そ、そうだったんですか」

 ひたすら夢中で歌って踊っていたからか、ファンの方が泣いていたのには気づかなかった。飾利さんがそんな嘘をつくメリットはないから、本当なのだろう。

「うん。富井くんが頑張った結果を、ファンの人たちにそうやって受け止めてもらえるのは、とっても素敵なことだよね」
「はい! すごく嬉しいです」

 まだまだ初代に比べれば未熟な僕のパフォーマンスだけど、頑張れば頑張っただけ、ちゃんと理解してくれる人がいる。テッシーだけじゃなくて、ファンの皆にもきちんと届く。それが嬉しくて、心がじんわり温かくなった。本当に、アイドルとして、何よりも有難いことだと思った。

「よし、これでばっちり! 最後、ファンの人をしっかりお見送りしてきてね」

 飾利さんの手際の良さには相変わらず驚いてしまう。僕が嬉しさに浮かれてぼうっとしている間に、まるで魔法みたいに、髪もメイクも全て元通りになっていた。

「ありがとうございます、行ってきます!」

 他のメンバーと一緒に、エントランスロビーへ急ぐ。既に握手会の準備を済ませたテッシーが、笑顔で手招きしていた。



「トミーくん、今日のステージ、ほんっっとに最高だったよ!」
「歌もダンスもどんどん上手になってて凄いですね!」
「……あの、感動して泣いちゃいました……」
「トミーがそうやって頑張ってるのを見てると、私も元気もらえるよっ」
「世界一好きです!!」

 握手をしにきてくれたファンの人たちからは、いつも以上に、数え切れないぐらいの嬉しい言葉を頂いた。飾利さんの言うとおり、中には涙ぐんでいる人もいた。その一つ一つの声を、光景を、大切に胸の宝箱にしまいながら、しっかりと一人一人にお礼を伝えながら手を握る。そうして感じた確かな手応えに、決して誇張した表現ではなく、心が震えた。

 握手会も無事に終わり、充実感でいっぱいの中、僕は帰り支度を始める。僕たちが控室で着替えている間、飾利さんは隣の楽屋でメイク用品の片付けをしているはずだ。誰よりも着替えの早いキラに続き、僕も急いで制服に着替え終わると、足早に楽屋へ向かった。

 案の定、そこには飾利さんただ一人。メンバーしかいない日だったら全員気づかず放置しているに違いない、鏡についた細かな汚れを、しっかり掃除してくれているところだった。

「……あれ、富井くん? どうしたの、なにか忘れ物かな」
「いえ。ど、どうしても、飾利さんに聞きたいことがあって……。あの、飾利さんからは、今日の僕のイエローパンチ、どんな風に見えましたか?」
「……え、私??」

 今日は、テッシーに褒めてもらえて、ファンの人たちからも沢山嬉しい言葉をもらった。それだけでも十分過ぎるはずなのに、それでも僕は、どうしても彼女の言葉をちゃんと聞きたくて、我慢できなかった。恋をしたせいで、気づかないうちにずいぶん欲張りになったものだと、心の中で苦笑する。一瞬ぽかんとした飾利さんは、少し考えるように手元に視線を巡らせながらも、片付けを進める手つきはスムーズで、決して止まることはない。まるでライブが始まる直前の暗転時間のようにドキドキしながら、飾利さんの次の言葉を待つ。

「そうだね……私が今まで見た中で、一番皆の運気を上げてくれそうなオーラがあったよ。それに、『自分の気持ちを届けたい』っていう、必死なぐらいに強い思いを感じた。きっと、富井くんのファンの人にはもちろん、他のメンバーのファンの人の心にも、しっかり届いたんじゃないかな。どんどん成長していって、本当に凄いなって思ったよ」

 飾利さんは、優しげに目を細め、それでもまっすぐ僕の瞳を見つめて、ゆっくりと語りかけてくれた。想像以上の衝撃に、どくんと心臓が一際強く打ち、体中が熱で上気するように感じる。狭い空間に2人しかいないので、火がついたように赤くなった頬と、緩みそうな口元を隠せる場所がどこにもないことに、今更焦った。自分から聞いておいて、なんてかっこ悪い有様だろうか。シュンみたいにマスクを着けてくればよかったのかもしれない。

「! あ、あ……ありがとうございます。お、おそれ多いです」
「ふふ、私の個人的な感想だから、謙遜なんていいんだよ。それに、ファンの人からはもっと恐れ多い言葉を、沢山かけてもらえたでしょう」

 笑顔でそう言われると、胸の中が複雑な思いでざわついた。初代少年ハリウッドのマネージャーでもあったテッシーからの惜しみない賞賛より、一番大切なはずのファンの人たちからかけてもらえた宝物の言葉より、飾利さんからの個人的な感想が嬉しいと思ってしまうなんて。そんなことは、口が裂けても言えない。僕の立場から、言ってはいけない。

「それじゃあ、私は帰る前にシャチョウに一言ご挨拶してくるね。富井くんたちも気をつけて帰ってね。お疲れ様」
「はい! お疲れ様でした。飾利さんも、お気をつけて」
「ありがとう」

 飾利さんの後ろ姿を見送り、部屋に1人取り残されると、急に時の流れがゆっくりになったような気がして、小さく息をついた。彼女と一緒にいると、彼女の何気ない仕草や言葉に一喜一憂しては、めまぐるしく感情が動き、頭も心もいっぱいになるからか、いつも嵐のように時間が過ぎ去ってしまう。それは、彼女と一緒にいるときにしか感じない、特別な感覚だった。

「……恋愛って、不思議だなぁ」

 恋愛禁止のハリウッドルールはもちろん分かっているし、それを破ったことを、皆に申し訳なく思う気持ちはある。
 ルール違反をするのは本当に嫌で、悲しくて、たまらなかった。初めてこの想いに気づいたときには、まさか自分が、と絶望したし、もがき苦しんで、何度も諦めようとした。でも、一度誰かを好きになってしまったら、それを自分の意思でやめるなんて、どんなに頑張ってもできなかった。飾利さんは本当に素敵な人だから、一緒にいればいるほど、幻滅するどころか、色んな一面を知ってますます惹かれてしまうのだ。僕は、情けないけれど、諦めることを諦めた。

 ふと、先ほど握手をしたファンの人たちの、本当に嬉しそうだった顔を思い出す。「感動した」「元気をもらった」と口々に伝えてくれたその明るい表情。瞳に浮かぶ美しい涙。その全ては、紛れもない本物だ。今日のパフォーマンスは、偉そうに言えたことじゃないけれど、飾利さんが居なければきっとできないものだった。そしてそれは、ほかでもないファンの人たちの喜びや幸せにつながった。僕がパフォーマンスを磨くことで、皆が喜んでくれる。ならば、この気持ちを、僕の日々の努力の積み重ねにつなげていくことができるなら、それは今の僕にできる唯一の……恩返し? いや、罪滅ぼし? ……と、慣れない自問自答をぐるぐる重ねていると、廊下から声をかけられた。

「! トミー、こんなところで何してるんですか? もう楽屋の鍵閉めますよ」
「あ、テッシー。ごめんね。すぐ出るよ」

 テッシーに呼ばれて、隣の控室に戻る。愛すべき4人のメンバーたちは帰り支度をとっくに済ませているにもかかわらず、ライブ後の余韻にまだ浸っていたいのか、いつまでも楽しそうに雑談を続け、笑っていた。

 僕も手早く荷物をまとめて、ロッカーを片付けて深呼吸をする。

 大好きなメンバー。大好きな少年ハリウッド。その一員として、許されない気持ちを、僕は今抱いてしまっている。この気持ちを自分の意思で手放せない以上は、墓場まで持っていくぐらいの心意気で、隠し通すしかない。そのための覚悟は、もうできているつもりだ。

 それでも、……たった1人だけには、僕の口から直接伝える必要があると思っていた。肩に斜めがけしたスクールバッグの紐を掴んで、今夜その決意を固めるべく、一度ゆっくりと瞬きをした。その相手は、今日のMCの出来について、満足そうにテッシーに話している。その彼の肩を、とんと叩いた。

「ねぇシュン……帰り、少しだけ時間ある?」


元々生きているだけで可愛いトミーなのに(贔屓目)、よもや誰かに恋なんてしたら、一体どれだけ可愛くなってしまうのでしょうか・・・。

←前の作品 | →次の作品


トップ : (忍者) | (稲妻) | (スレ) | (自転車) | (その他) | (夢)

いろは唄トップ
×
- ナノ -