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2.ロマンチックは似合わない

「はあ〜〜〜……彼女欲しいなあ。男子校という名の夢も希望もない閉鎖空間は、もう嫌だ」

 今日も今日とて、特大の溜息が隣から聞こえる。また始まった、こいつのいつもの発作。であれば、十中八九、次にオレに突きつけられる言葉はこれだ。

「『お前はアイドルだからファンの女の子がいっぱい居ていいよな』、だろ?」
「おい、先に言うなよ、春輝! ほんと羨ましいな〜、ちくしょう」
「ワンパターンなんだよ、お前の言動は。毎日同じこと言って飽きない?」
「それだけ、オレにとっては切実な願いってことだよっ」

 そう言いながら、こいつは透明なサイダーが入ったペットボトルの蓋を開けると、何を思ったかおもむろに一気飲みを始めた。若干身を引きながらその様子を横目で見つつ、オレは黙々とあんパンを頬張る。

「げほげほっ!!! く、苦し……っ」
「そりゃそうなるだろ。ヤケ起こすなって」

 この絵に描いたような絶賛思春期こじらせ野郎は、オレが学校で一番よく話すクラスメイトである。中学からの腐れ縁で、日々の昼休みは、大体こうして他愛のない話をしながら、二人で過ごしていた。見た目はそう悪くないし、結構見所のある奴ではあるのだが、いかんせん、ここが男子校で、バイトも親に禁止されているばかりに、普段の生活では異性との接点が全くないらしい。だから、ファンの女の子たちから黄色い声援を一身に浴びるオレを妬むのも、まあ無理はないと思う。

「それで、春輝は最近どうなんだよ? 気になる可愛い子とかいないの? オレよりずっとキラキラの世界に生きてるんだから」
「だからいつも言ってるだろ。ファンの子は一人残らずみんな可愛いって」
「でも、ファンの子とは恋愛禁止なんだよな?」
「恋愛禁止なのは、ファンの子に限った話じゃないよ。……そう、ファンじゃなくても、駄目なんだよなぁ」

 こいつといるとついつい気が緩んでしまい、自分でも気づかぬうちに、オレの心の声がそのまま溜息とともに吐き出された。そしてこいつは、それを易々と聞き逃すような間抜けではないのである。

「おいおい、何だよ今の意味深な発言は? ノロケは断固拒否だけど、恋愛相談ならいくらでも聞くぜ」

 嬉々として身を乗り出してくる姿勢に、思わず苦笑する。まぁいいか。どうせいつかは、こいつにも話すことになるのだ。

「あのさ、オレはお前のこと本気で信じてるから。絶対誰にも言うなよ」
「任せろって。それでそれで?」
「……好きな女の人ができた。前にも何回か話したことあると思うけど、年明けから、オレたちのグループについてくれてる、プロのヘアメイクさんがいてさ。その人」

 愛しきその名は、飾利紗夜さん。彼女によく似合う、綺麗で優しい響きだ。

「ああ! 巨乳でエロいお姉さんだっけ?」
「! っお前なぁ……!! 覚えてるのそこだけかよ! 他にももっと色々話してるだろ。いつもめっちゃ良い匂いしてやばいとか、話し方がお姉さん口調でたまらないとか、この前急な土砂降りで服が濡れてたからオレの予備のジャージ貸したときなんか、色々刺激が強すぎて困ったとか!」
「いや、本質的には全部一緒のような……まぁいいや。その人のこと、春輝は最初からかなり印象良くて気に入ってたよな。歌声を褒められたとか、すげー嬉しそうに話してたじゃん。何がきっかけで恋愛に発展したの?」
「それは、えっと……」

 まだ記憶に鮮明な、昨夜の出来事だった。

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 その日は飾利さんが劇場に来ると分かっていたこともあり、どこか浮き足立っていた。
 いつものように劇場の裏口から入り、今日は彼女とどんな話をしようか、なんてぼんやり思いながら、控室に向かう。

 控室の前までいくと、誰かが既に到着していたらしく、無人の廊下に小さく話し声が響いていた。メンバー同士が雑談しているときのボリュームに比べればずいぶん静かだったので、多分大人のうちの誰かなのだろうと思った。
 誓って盗み聞きをするつもりではなかったが、特に気にもせずドアノブに手をかけたとき、オレの耳に、小さく、けれどはっきりと、震えがちな高い声が聞こえてきた。

「あっ……、だめ、待って……」

 それは、紛れもなく飾利さんの声だった。今まで聞いたことがない、懇願するような甘く切ない声音。なんで飾利さんが、控室の中でこんな声を出しているんだ? 頭が大混乱して、反射的に、ドアノブから手を離してしまった。代わりにドアに耳を当て、どんなわずかな音も聞き漏らすまいと、神経を集中させた。

「お、お願い、佐伯くん。これ以上は、もう……」
「だーめ、まだちゃんとほぐれてませんよ。僕は力加減には慣れてますし、遠慮しなくていいですから」
「そう、なの……? って、ひゃあっ!」
「ごめんなさい。痛かったですか? えっと……これならどうですか」
「い、痛くないよ。ちょっとびっくりしただけ、で、……う、ううっ……」

 ……中にいるのは、飾利さんとキラの二人に間違いなさそうである。懸命に耐えるような飾利さんの声と、やたら余裕綽々といったキラの声。さらには途切れ途切れに聞こえる単語から、オレの脳内を、あらぬピンク色の妄想が瞬時に駆け巡った。不適な笑みを浮かべるキラと、あられもない格好で何とか抵抗を試みる飾利さん。なんて羨まし……、じゃなくて、恐ろしい状況なのだ。もし現実だったとしたら、今すぐ止めないと飾利さんが危ない!

 いつのまにか若干窮屈になっている自らの下半身に心の底から殺意を覚えつつも、オレは躊躇いなくドアを開け放って叫んだ。

「やめろ!!! キラ! お前、飾利さんに何、……を……?」

 その瞬間、オレの視界に飛び込んできたのは、上から下まで乱れることなくちゃんと服を着た飾利さんとキラ(いや、当たり前なのだが)。パイプ椅子に座っている飾利さんのすぐ後ろにキラが立ち、彼女の両肩に手を重ねているというヘンテコな状況だった。否、二人にとっては、ヘンテコなのはむしろオレの方かもしれない。いきなり訳の分からないことを叫びながら部屋に乱入してきたオレを見て、二人とも目をぱちくりさせていた。

「もう、シュン! 来て早々大声出さないでよ。あー、びっくりした」
「舞山くん、おはよう。どうしたの? 血相変えて」
「お、おはようございます。……いや、あの、飾利さんが困ってるような声が廊下に聞こえてきたので、もしかしたらキラに、その……何か嫌がらせをされてるんじゃないかと……」

 語尾にいくにつれ、声量がどんどん小さくなる。飾利さんとキラの間に今流れている穏やかな空気から、オレの想像が全くのお門違いだったことを、とっくに理解したからだ。
 オレの言い訳を聞くなり、飾利さんとキラは顔を見合わせ、同時にくすくすと上品に笑った。……あんまりこの二人が喋っているところを見たことがなかったが、オレの知らないうちに、ずいぶん仲良くなっていたらしい。なぜだろう、面白くなくて、胸の中がもやっとした。

「そっか、誤解させちゃってごめんね、舞山くん。私のことを心配してくれてありがとう」

 こんなにちっぽけなことでも、律儀にお礼を言ってくれる飾利さん。その温かい笑顔がオレだけに向けられたことで、何だか急にほっとする。

「はぁ、それにしたって呆れるよ。シュンが飾利さんのために正義感を振りかざすのは勝手だけど、だからって僕を悪者扱いしないで」
「……だよな。焦ってたとはいえ、決めつけて悪かった」
「ね、佐伯くん。元は私が舞山くんを勘違いさせちゃったせいなの。だから舞山くんのこと、責めないであげて?」
「まぁ……飾利さんがそう言うなら、分かりました」

 キラはずいぶんと聞き分けよく、小さくこくんと頷いた。ひょっとすると、今となってはオレたち5人を一番素直に従わせることができるのは、シャチョウでもテッシーでもなく、飾利さんなのかもしれない。

「あの……それで、二人は何してたんですか?」
「私が最近肩こりで悩んでるって話をしたらね、佐伯くんから、お母さんも前にひどい肩こりで困ってたけど、肩こりに効くツボを毎日押してたら凄く楽になったっていう、素敵な情報をもらって。それで、そのツボの場所を教えてもらってたんだ」
「あぁ、なるほど……」

 蓋を開ければマッサージ、というお約束の展開だった訳か。飾利さんは首を左右にゆっくり傾けながら、「わぁ、すごく楽になった」と嬉しそうに呟く。肩こりの辛さは高校生たるオレにはあまりピンと来ないが、まさか彼女に限って不摂生ということもないだろうし、やっぱり胸が重いから……なんだろうか。自然な流れで目がいきそうになり、慌てて視線をそらす。

「あ、そうだ。母はこのツボも気持ちいいって言ってましたよ。首のあたり、ちょっと失礼していいですか?」
「もちろん。他にも教えてくれるの?」
「はい、この首の後ろにある窪みを強く押すと、目の疲れに良いらしいです。気づいたときに押してみてください」
「……わぁ、ほんとだ、気持ち良くって力抜ける……。佐伯くんは物知りだね、ほんとにありがとう」

 何故だろう、またしてもひどく不愉快になる。飾利さんの首の後ろという、普段は髪や服に隠れて見えないようなところに平気で指を触れるキラにも、それを笑って許し、さらには心地よさそうに無防備な表情を浮かべる飾利さんにも、何故か無性に苛立って仕方なかった。かといって、それが理不尽な感情であることは、自分が一番よく分かっているから、何も言わずに黙るほかない。

「? 何だよ、怖い顔して。シュンもやってほしいの?」
「いや、オレは肩こってないから。大丈夫」

 努めて平静を装い、そっけなく答える。

「佐伯くんは、本当にお母さん思いだね。そういえば、ここに応募してきたのも、初代少年ハリウッドのファンだったお母さんからの推薦だったんだっけ」
「はい、そうです。合格を報告したときは、もう大喜びでした。それでも今は、母のためばかりじゃなくて、ファンの皆さんと自分のために頑張ろうと思っています」
「うん。それはステージを見ててもすごく伝わってくるよ。佐伯くんの努力の中心には、いつでも自分がいるもんね。年齢に関係なく、本当に凄いことだと思うよ。私も見習わなくちゃ」

 飾利さんの、他人の長所を見つける目が鋭く、さらにはとても褒め上手なことなんて、初めて会ったあの日から、身をもって知っていたじゃないか。そんな彼女にかかれば、あのキラでさえ形無しで、年相応に照れくさそうに喜んでいるように見える。
 どうしたんだよ、オレも笑顔を浮かべて、会話に入っていけばいいだけだ。キラの並々ならぬ努力の成果には、何度だって圧倒されてきたのだから。それなのに、何も言えないどころか、笑うことさえままならない。

 ああそうか、と気づいたときには、もう手遅れだった。あろうことか少年ハリウッドのメンバーにさえ、オレは確かに、子供じみた嫉妬を覚えている。飾利さんへの独占欲が、恋心が、オレの中に確かに芽生えていたことに、そのとき初めて気がついた。
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「……ということがあってだな」

 一気に話したので、喉が渇いた。パックの牛乳に差したストローを強く吸い上げる。これからは、今まで以上に本気で身長を伸ばす努力をしないといけないから、もっと積極的にカルシウムを摂取しようと誓ったばかりである。

「へえ。そんな漫画みたいなテンプレ展開、リアルで聞いたことねーよ。お前が恋を自覚した記念すべき瞬間だってのに、ロマンチックの欠片もねーもんだなぁ」
「ほんと、自分でも呆れるよ。そもそも、キラってメンバー最年少なのに、すげーしっかりした奴でさ。下心を持って飾利さんの体に触ったりなんか絶対しないって、これまでの付き合いの中でちゃんと分かってるのに。それなのに……どうしても我慢できなかった」

 言いながら、どんどん、普段はほとんどすることのない、自己嫌悪に陥る。思い返せば思い返すほど、キラは何も悪くなく、その分自分の未熟さが情けなくなってくるのだ。落ち込んでいるオレを見かねてか、隣からそいつが優しく肩を叩いて、言ってくれた。

「ま、勃起なんてのは、往々にして制御できないもんだろ。いくら頭で考えても仕方ねーよ」

 ……は? オレたちの間を流れる穏やかな時間の流れが、ぴたりと止まった。……今、なんと仰いました?

「……お前、何言ってんの?」
「え? だから、そのお姉さんがマッサージ受けてるときの声聞いて、エロいこと想像して勃起したから、春輝がその人を好きだって自覚したって話だろ?」
「……ちっげーよ!! 何だその最低な自覚の仕方! 仮にそうだったら、今の話、そこで終わらせるわ!!」

 口の端に残っていた牛乳がこいつの顔めがけて飛び散った気がするが、そんなことは今気にしてられない。何をどうしたらそんな解釈になるのか。なんかもう一周も二周も回って、面白くて仕方なくなってくる。気づけばオレは腹を抱えて笑い声を上げていた。

「あ! 言われてみればそうか。ってことは、そのキラって奴に嫉妬したときに初めて気づいたってパターン?」
「あのなっ、他にどんなパターンが……! くくっ、……もういいよ。オレが正直に下半身事情に触れたのが悪かったんだな。はー、腹が痛すぎる……」
「笑いすぎだろ、春輝」

 二人でゲラゲラ笑っていたら、いつの間にかオレは自己嫌悪のループから一時的に抜け出して、少し気持ちが落ち着いたように思った。

「ま、その人への恋に脈があるのかどうか、オレにはよく分かんないけど、頑張れよ」
「え。……応援してくれるのか?」

 思いがけない言葉に、少し驚いて聞き返す。と、向こうも意外そうな顔をして、淡々と告げた。

「だってオレ、別にお前のファンじゃないし」
「ああ、そういうこと。……やっぱりファンだったら、応援してるアイドルに好きな人がいるのは嫌だよな。ルール違反してること自体、気分悪いのもあるけど、何よりファンの子たちに申し訳ないって思いがめちゃくちゃあってさ。お前みたいに、アイドルじゃないオレを知ってる奴から応援してもらうのは、もちろん嬉しいけど……」

 そう。「好きな女の人ができたこと」は、オレにとって決して歓迎すべき薔薇色の出来事というわけではない。飾利さんから笑顔を向けられたときや、褒めてもらったときの喜びは、確かにこれまでの何百倍にも大きくなった。しかし、自分の気持ちをどう扱うのが正解なのか、答えのない無限の問いの中に、いきなり叩き込まれたようにも思っている。こればかりは、シャチョウや他のメンバーに相談する訳にもいかないし、学校の友達に聞いても仕方ないことだ。

「……へぇ。春輝って、真剣にアイドルやってるんだな。見直した」
「あのな、今の話のどこに見直す要素があるんだよ。あっさり仕事仲間を好きになって、メンバーにまで嫉妬して。ダメダメだろ」
「そうかな。オレにはアイドルのルールはよく分かんないけど、こっそりその人を好きでいる分には、いいんじゃねーの?」
「……え、」

 それはまさに、青天の霹靂。

「オレ、昔から高杉ちえりのファンでさ。例えば、チェリーちゃんに彼氏がいたらちょっと嫌だけど、仮にこっそり片想いしてる相手がいても、多分そんなに嫌じゃないって、今想像してみたら、思ったんだよな」
「裏切られたって、思わないのか?」
「そう思うファンが一人もいないかって言ったら、わかんないけどさ。でも、少なくともオレは、チェリーちゃんに沢山の幸せをもらってるから、チェリーちゃん自身も毎日幸せでいてほしいと思ってるし、アイドルだからって、そこまでプライベートを雁字搦めにしてやりたいとは思わない。むしろ、チェリーちゃんがアイドル生活に疲れて、電撃引退とかしちゃう方が嫌だ」
「……まぁ、それは分かる」
「それにさ、元も子もないこと言うと、そういう気持ちって、自分の意思じゃどうしようもないじゃん。かといって第三者がやめさせるのはもっと無理だろ。だから、どんなに禁止したところで、現実的に止められるものじゃないと思うんだよなぁ」

 それは、男子高校生二人が顔を突き合わせて、晴天の昼下がりにするにしては、ひどく後ろ向きで、こいつが言うように「元も子もない」話だった。それでも、昨日生まれたオレの淡い恋心を、曲がりなりにも許容しうる理屈には違いなかった。こいつは決して馬鹿じゃないし、おそらく今の話も真理の一面を捕らえているとは思う。かといって、それに必死ですがりつき、自分を肯定して楽になり、考えることから逃げるような真似も絶対にしたくなかった。……今更だけど、なんか面倒くさいな、オレ。

「とにかくさ、春輝。オレの前では、変な気を遣うな。嬉しいことがあったら何でも報告しろ。嫌なことがあったら愚痴れ。な?」
「……、おう。サンキュー」

 素直に言ってはやらないが、正直、この件では、オレの方がこいつを見直したぐらいだ。中学からの腐れ縁とはいえ、今のオレにとって一番欲しい言葉をストレートに投げかけてくれて、きっと本人も意識していないだろうが、そっとオレの心を軽くしてくれたことには、感謝してもしきれない。

「それと……もし、胸に触っちゃう素敵なハプニングとかあったら、どんな感触だったかちゃんと教えてくれよな!」
「……はぁ……」

 訂正。やはりこいつはただの絶賛思春期こじらせ野郎だった。ロマンがないのはどっちなんだか。


読んでいただきありがとうございました。
シュンには何故かすごく嫉妬深そうなイメージがあります。可愛い・・・。

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