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無自覚少年

 近頃、立向居は監督につきっきりでキーパーとしての個人練習を指導してもらっていた。

 練習が一区切りし、10分休憩に入ったので、喉がカラカラに渇いていた立向居はグラウンドから少し離れたところにある自販機に向かうことにした。マネージャーの誰かに頼もうかとも思ったのだが、彼女たちは全体練習の方の手伝いだけで手一杯に見受けられたのだ。

 歩いていくと、見慣れた自販機が見えてくる。それと、自販機の前の人影も見えた。どうやら輪郭から見て、小柄な女子生徒が居るらしい。
 やがて立向居は、それが自分のよく見知った人物――音無春奈であることに気がついた。彼女は何やら真剣に考え込んでいるらしい表情であり、かなり近くまで来た立向居の存在に気づく様子もまるでない。
 こっそり後ろから回り込むと、春奈の前には沢山のジュースが入った大きな袋があり、どうやら彼女はこの袋をじいっと見つめているようだ。

 声をかけていいものか悩みはしたが、春奈が自販機の正面に立ち尽くしているままではいつまでたっても飲み物が買えないので、なるべく驚かさないよう細心の注意を払った上で話しかけることにした。

「……あの、音無さん」
「ひゃあああああっ!?」

が、あまり効果は無かったようだ。思いっきり飛び退いた春奈は体を戦慄かせて立向居の方を見る。

「た、立向居君!?」
「ああっ、ご、ごめん、驚かせちゃって」
「う、ううん大丈夫。……それより、どうして此処に?」
「喉が渇いたから、何か飲み物が欲しくてね。先輩たちは、全体練習の方で忙しそうだったし。音無さんは?」
「えっ、あ、うん、えっとね……」

 口をもごもごしながら、春奈は件の袋に目をやった。

「こ、これ、差し入れにと思って買ったんだけど、買い過ぎちゃって……どうやって持っていこうかなって、考えてたの」
「なるほど、あんまり真剣な顔してたから何かと思ったけど、そういうことか」
「うん。我ながら情けないなあ……」

 はあ、と溜息をついている春奈に、何か力になれないだろうかと考える立向居。もう一度袋をよく観察すると、確かに少女一人で運ぶには無理のある大きさだが、自分がいつも練習に使っているタイヤよりは僅かに小さいことに気がついた。となれば、自分一人でも、グラウンドまでなら何とか運んでいけるだろう。
 そこまで思い至ると、立向居は張り切って申し出た。

「じゃあその差し入れ、オレが持って行くよ。どっちみち、もうすぐグラウンドには戻らなきゃいけないんだし。皆に渡してくればいいんだよね?」
「えっ、あ、ありがとう。……じゃなくて、違うの! これ……い、一応、一人分……なの」

 春奈が目線を真横に向けながら、えらく小さな声でそう言うものだから、立向居は一瞬理解が遅れた。
 ぽかんとした立向居の前で、春奈は顔を赤くしてジャージの裾を握り締めている。その行動が意味するところも、立向居にはまだよく解らない。
 やがて、春奈の言葉の意味を理解する段階まで行くと、その衝撃の事実に、立向居は思わず大きな声を上げた。

「ええーッッ!? これ、全部……!? その人、一人でこんなに飲むの!?」

 袋の中には、上から見えるだけでもゆうに三十本を超える缶やペットボトルが入っているのだ。そりゃ驚く。

「ぜ、全部を差し入れるっていうよりは、その……どれが好きか解らないから、とりあえず全種類買ったって感じなんだけど……」
「ああ、……う、うん、そっか」

 とりあえず納得はしたようだが、それでいいのか立向居勇気。

「で、これは誰への差し入れなの?」

 少しも邪な気持ちなどなく、立向居が純粋な表情で尋ねる。春奈は核心を突かれたように、ますます頬を紅潮させて目を泳がせ始めた。

「……あ、えっと、……それは……」

 愛らしく口をぱくぱくさせている。いつもの元気いっぱいな彼女からは想像も出来ない姿だということぐらいは立向居も思ってはいるが、何がそうさせているのかまでは、彼にはさっぱり解らなかった。

「もしかして、鬼道さん? ……は、違うか。お兄さんだし、好きな飲み物を知らない筈はないもんね」

 うーん、だったら、と立向居は首を傾げて考える。その正面で、春奈は小さな声で何かをぶつぶつ言っている。

「……あ! 解った、こぐ――」
「……立向居君なのっ!!!」
「……へ? ……オレ?」

 砂で汚れたグローブで自分の顔を指差し、目を丸くする立向居。数秒沈黙が流れた後、理由を尋ねようと立向居が口を開くより先に、春奈が静寂を破った。

「た、立向居君最近すごく大変そうで、けど、本当に頑張ってるの、見てて解るから……っ、マネージャーとして、と、あと、友達として、何か、手伝えること、ないかなって……!!」

 胸の前で両手を合わせ、春奈は早口で言葉を並べる。それを聞き、開きかけていた口を閉じて、春奈とは対照的に、ゆっくりと落ち着いた笑みを浮かべる立向居。

「ありがとう、音無さん。そう言ってくれて、すごく嬉しい。オレ、音無さんと仲間になれて本当に良かったって今改めて思ったよ」

 ちょっと照れくさそうに言う立向居だが、春奈のこれ以上ない真っ赤な顔と比べれば、その赤みはごく僅かなものだ。

「今日中に全部はちょっと難しいと思うけど、ちゃんと飲むね。約束する。あっ、お金は……」
「いいのっ!! 私に払わせて!」
「……でも、いくら何でも、これ全部……あっ、そうだ」

 立向居は何かを思い出したように、しゃがみ込んで袋の中をまさぐる。
 不思議に思って春奈がその中を覗き込もうとしたときに、“あった!”という声と同時に、立ち上がった。

 その手に握られているのは、某有名メーカーのリンゴジュースだ。それを、春奈に向かって差し出す。不思議そうに首を傾げている彼女に、立向居は笑顔で言った。

「はい! リンゴジュース、好きだったよね?」
「、えっ……!?」
「この前皆でファミレスに行ったとき、音無さん確かリンゴジュースを頼んでたよね。“オレンジジュースは甘すぎるからこれぐらいが丁度いい”って、言ってたでしょ?」
「……ど、どうして……!?」
「あれ、もしかして違う人と間違えてるっ!? ご、ごめんえーと……誰だったかな」
「ううん、合ってるっ! 確かに私リンゴジュース大好きだしそう言ったわ、でも、どうしてそんな細かいこと、憶えててくれてるの……?」
「どうして、って言われても……あっ、もしかして、気持ち悪いってこと!? だ、だったらごめん、そんなつもりじゃっ……!」
「違うっ、そんな訳ないじゃないっ! 憶えててくれて……すごく、嬉しい」
「それなら良かった。……あ、もう時間だ! 練習に戻ろう、音無さん」
「っ、うん!」

 春奈が笑顔で頷くのを確認すると、立向居はぐいと袋を持ち上げた。

「……重くない?」
「ううん。大丈夫だよ、これぐらい」
「でもそれ、私が買ったものだし……、うん、やっぱり、私にも手伝わせて!」
「いいって、こういう力仕事は男に任せてよ。音無さんは女の子なんだから」

 何気ないその一言に少女がまた見事に打ちのめされていることなど、少年は知る由もない。


読んでくださって、ありがとうございます。
天然イケメンなたちむーと、いっぱいいっぱいな春奈は可愛いですね。
5年前の立春の日にpixivに上げたものの再掲でした(白目)

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