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或る失恋被害者の備忘録

 水鳥さんからオレへの電話は、いつだって一方通行だ。向こうの都合の良いときにかかってきて、まくし立てるように用件だけを伝えられて、それが終わればこちらが何を言う暇もなく一方的に切られてしまう。もうすっかり慣れてしまったけれど、彼女はどこの誰に対してもあんな態度なのだろうか。いや、水鳥さんはああ見えて本当に守るべき一線はちゃんと守れる人だし、大丈夫だと信じたい。何がどうしてオレに対してだけ、こんなに扱いがぞんざいになってしまったのだろう。
 今回の電話も何ら変わらなかった。部活が始まる20分前に進路指導室に来い、との命令を一方的に伝えられ、切られた。進路指導室は放課後は必ずと言っていいほど誰も居ないオンボロの教室で、密会にはうってつけである。オレと水鳥さんは、ある出来事を境にほぼ毎日この場所にお世話になっていた。 授業が全て終わるとすぐに帰り支度を済ませ、倉間に一言断ってから進路指導室へ向かった。電話では随分お怒りの様子だったから、大方また何か謂れのない疑いをかけられるんだろう。憂鬱な気持ちになる反面、今日も水鳥さんと二人で会えるのは何だかんだいって楽しみでもあった。ようやく着いた教室の中には、既に仁王立ちしている実に女番長らしい姿。

「あ、あの、遅れてすみま……」
「!! 速水ーーーーーッッ!!!!」

 当たり障りのない謝罪をしようとした瞬間、彼女はオレの言葉の全てをかき消す声量で雄叫び(女の子だけどこう表現することをどうか許してほしい。)をあげ、がしっと掴みかかってきた。堪らず声を上げる。

「うわわわっ、痛っ!!」
「お前、あたしとの約束を破ったな!!? 正直に言え!!」
「え!? ま、待ってくださいっ、何のことですか!?」
「とぼけるんじゃねえ!! 浜野に秘密をばらしたの、お前だろっ!?」
「は、浜野……?」

 制服の襟元をしっかり掴んで離さない彼女の握力は女子中学生の平均を遥かに超えているようで、情けないことにオレの力ではどう足掻いても振りほどけなかった。それならば言葉を交わすほかはないと悟り、鬼の形相の彼女に必死で訴えかける。

「信じてください! オレは水鳥さんの秘密を、誰にも話したことはありません!! 勿論、浜野にもっ」
「てめー男のくせにまだシラを切る気か!!」
「だから、違うんです!! 何でそんなに疑うんですかっ!?」

 オレの必死の叫びがようやく届いたのだろうか、勢いよく怒鳴り散らしていた水鳥さんは少しきまり悪そうな顔つきになって力を緩めた。彼女が俯くと、頭上に結ばれた大きなリボンがオレの額を少しだけ掠めて、くすぐったい。

「今日……理科の実験の時間、浜野の奴があたしと錦を無理矢理同じ班にしようとしてきた」

 先刻までの声量からあまりにかけ離れた蚊の泣くような声で、ぽつりと呟いた。
「……浜野が、ですか? 何のためにそんなこと……」
「決まってんだろ、そんなの。あたしをからかって楽しむためだよ」
「ど、どうして解るんですか?」
「だってあいつ、見るからにニヤニヤしてやがったんだぞっ……! あれは絶対、あたしの気持ちを知ってる顔だっ!!」

 水鳥さんが俯いて震えたまま叫ぶと同時に、全ての事情が把握でき、オレの中でもようやく合点が行った。
 件の理科の時間、浜野はきっと不自然なぐらいに水鳥さんと錦が同じ班になるよう、強く推したのだろう。また、そのときの彼の顔はさぞかし楽しそうだったに違いない。そんな浜野の口ぶりを見て、水鳥さんは自分の気持ちを浜野が知っていると直感した。しかも彼がそれをほかでもない錦もいる前で開けっ広げにしようとするものだから、焦りに焦った。
 もっとも当の錦龍馬はその手の話題にはとことん鈍感な男で、たとえ浜野の態度がどれだけ解りやすくとも、本人にはまあまずバレていないと思われる。だが彼女は、錦に知られてしまう危機感の次ぐらいに、知っているはずのない他人に自分の想いを知られていることへの恐怖と怒りをそれはそれは強く感じたのだろう。だからこそ、今まさにオレに怒りの矛先が向けられているという訳だ。
 ――だって、彼女自身から錦を好きだという秘密を打ち明けられたのは、この世界中でたった一人、オレだけなのだから。

「あたしは間違っても、お前以外には誰にも言ってないっ!! だからお前がばらしたとしか考えられないんだ!」
「お、落ち着いてください。事情は解りましたから……」「この野郎、やっと白状する気になったのかっ!?」
「そうじゃありませんよ! 本当にオレは誰にも言ってないんです、オレの目を見てくださいっ」

 言った瞬間、丸眼鏡越しに刺すような視線で射抜かれる。その目力の凄みといったら、自分の先刻の台詞を思わず後悔してしまう程だった。それでも、己の潔白を証明するため、絶対にここで狼狽する訳にはいかない。負けじと必死で見つめ返した。
「……、……そうか……そうだよな。お前はそんなことして喜ぶような、つまらない男じゃない」

 やがて水鳥さんはしおれる瞬間の花を思わせる気だるげな動きで、目線を落とした。
「……速水、疑って悪かった」
「あっ、いえ……。解ってくれたならいいんです」
「……そうか。ありがとな」

 ふっと顔を上げて、眉を潜めながら彼女は微笑んだ。普段の男勝りな言動の中で時折見せる女の子らしさに、心を揺さぶられない男など探したってそうは居ないだろう。特にギャップへの耐性がまるでないオレのように単純な男にはいっそう効果的で、掴まれた肘付近の痛みはどこへやら、胸の奥にじんわりと熱を帯びていくのが解った。同時に滲み出る、彼女の想い人への無様な羨望と嫉妬。

「……けど、速水が言ったんじゃないとすると、何で浜野の奴があたしの気持ちを知ってるんだ……?」
「それは……」

「簡単な話だっての。瀬戸の態度が解りやすいだけ」

 ガラリ、誰も入ってくるはずのない進路指導室のドアから絶妙のタイミングで登場したのは、ほかでもない浜野海士本人だった。

「は、浜野! いつからそこにっ」
「……浜野!? おい、お前ちょっとこっち来い!」
「そろそろ練習始まるぜ、お二人さん」
「いいから来いってんだーっ!!」

 水鳥さんは最初にオレにしたのと同じぐらいの早業で浜野に掴みかかり、その両腕をあっという間に捕らえて逃げられなくした。先程は自分が当事者だったから解らなかったが、改めて第三者の立場から見るとなんと洗練された、無駄のないフォームだろう。
「いててててて!! ちょ、ギブギブ!!」
「速水が何も喋ってねーのに、どうしてお前はあたしの気持ちを知ってるんだ!? 誰から聞いた!?」

 興奮のあまり叫ぶようにして浜野を問い詰めていく水鳥さんの姿は、先程見せた儚げな女性らしさは微塵も感じさせず、加えて言っておくと間違いなく雷門イレブン一番の男前だった。こ、こういうところもまた、彼女にしかない魅力なんだ。うん、そうに違いない。

「だ、だから今言っただろ! 瀬戸が解りやすかったから気づいただけなんだってっ! 誰かから聞いたとかじゃないんだって!」
「……う、嘘だそんなのっ!! あたしは、あたしはっ……!」
「だってさ、錦のことそれまで名前で呼んでたのにいきなり苗字で呼び出したり、やたらあいつにだけ突っかかったりしてるじゃん。瀬戸としては周りを誤魔化すためにやってるんだろうけどさ、そーいうの、誰一人怪しんでないって本気で思ってる?」

 浜野が悪びれなく淡々と述べていく言葉は、水鳥さんの心にちくちくと確実にダメージを与えている。みるみるうちに言葉尻から反論の勢いが奪われてゆく水鳥さんは、随分と小さな少女に見えた。浜野を拘束していた筈の両腕は、もはや何の機能も果たしていない。

「っ……っうるさい、馬鹿っ!!!」

 とうとう居ても立ってもいられなくなり、彼女は渾身の一撃と言わんばかりに浜野をぶん、と投げ飛ばしてから、進路指導室を駆け出して行った。一瞬その背中に手を伸ばしかけたが、今の彼女を追いかけたところで、オレに出来ることは何もないだろう。着いてくるな、と一喝されるのがオチだ。口惜しいけれど、それが現実なのだから仕方ない。 見事に入り口とは反対側の壁まで吹っ飛ばされた哀れな友人に手を貸してやりながら、オレは溜息をついた。

「何であんなこと言ったんですか……水鳥さん、怒ると本当に怖いですよ?」
「ああ、身を以て思い知ったわ。あいつ足もすげー速いし、これからはプレイヤーになったらいいんじゃね?」

 ありゃフォワード向きの脚質だな、と半笑いで言い、浜野はオレの手を取って立ち上がると制服のズボンをはたいた。

「馬鹿なこと言ってる場合じゃないですよ。いくら水鳥さんの気持ちがバレバレだからって、それをわざわざ本人に伝える必要がどこにあったんです? 真実はどうあれ、水鳥さん自身は、オレにしか知られてないって信じていたかったに決まってるじゃないですか」

 唇を尖らせながら、言外にもっと大きい別の意味を含んで、不満を口にする。きっと彼女の気持ちに気付いている者が複数いると知った以上、水鳥さんはもう二度とオレに恋の相談を持ちかけてくることはないだろう。もう二度と、この進路指導室で放課後に二人きりになることもないだろう。その揺らぎようのない事実は、叶わぬ恋をしているオレにとって、錦という絶対的存在の次ぐらいに残酷なことだった。
 元々オレと水鳥さんは特別仲が良かった訳ではないし、水鳥さんの錦への想いをオレ一人だけが知ったのも本当に単なる偶然だった。その出来事以降、水鳥さんがオレを唯一の恋愛相談の相手に選び、彼女の弱みも、錦への本気の恋慕も、何もかも打ち明けてくれた理由は、たったそれだけの事情があったからに過ぎない。ひょんなことから彼女の恋心を知ったのが他の誰かだったら、彼女から毎日のように電話を受け此処に呼び出される、そんな気の毒な人物は間違いなくその誰かだった筈だ。
 2年生になり彼女と出会って、そう日が経たない頃から密かに育んでいた、淡い想い。その想いを汲んでくれたのか、あるいは嘲笑っているのだろうか。神は、本来なら行く道を交えることのなかった筈のオレと彼女に、たった一つの接点を与えてくれた。その接点とは、彼女が別の男を想っているという、哀しい真実。ひどい、と思わない訳ではない。笑えぬ喜劇。

「あそこまで言っちゃったら、もう瀬戸が理不尽にお前を頼ることはなくなるだろ?」
「……っだから、どうしてそんなこと……!!」

 浜野はオレの気持ちを、誰よりも理解してくれていたんじゃなかったのか。喉の奥がツンと痛んだ。直接的な非難の台詞をぐっと堪えたオレを見ると浜野は少し困ったように笑って、目線を床に落とした。

「……なんちゅーのかな、お前のこと、これ以上見てらんなかったんだよ。お前は、毎日すげー楽しそうに瀬戸に会いに行く。そうやって楽しそうな顔して出向いて行った先で、錦の話を延々聞かされてるんだと思うとさ」
「……そんなのっ、……浜野には関係ないじゃないですか。オレは、今の関係に……十分、満足してたんです」

 言葉に詰まったのは、思考回路が正常じゃなくて、ちょうどいい単語がすぐには見つからなかったからだ。決して、図星だったからじゃないんだ。

「嘘つくのはもう止めろって。好きな奴の恋愛話を毎日聞くなんて、辛くない訳がないだろ。……偉そうな言い方になっちまうけどさ、助けてやりたかったんだよ、お前のこと」
「余計なお世話ですよ……っ! そうまでして、浜野はオレに彼女を諦めさせたいんですか? ……一人で勝手に想い続けることすら、許してくれないんですか……」

 自分で言っていて、自分で辛かった。自身の恋路の険しさは、この世の誰よりも理解している自信がある。水鳥さんの錦への想いは紛れもなく本物で、純粋で、ひたむきで。だからこそ、形はどうあれ錦を一途に想い続ける彼女の姿は本当に儚くて、いじらしくて、可愛くて。それだけ想われている錦に勝てる訳ないことぐらい、始めから解っていた。解っていた上で、オレは彼女の相談相手になることと、それでも彼女を好きで居続けることを選択したんだから。

「……ごめんな、速水。今更何だって言いたいだろうけど、悪かったと思ってるよ」

 しゅんと頭を垂れる浜野に対する怒りは、不思議とそれほど沸いてはこなかった。彼と頻繁につるむ日々の中で、浜野海士が友達思いの優しい性格であることはよく知っていたし、 それ故にオレのことを助けるつもりでこのような行動に出たのだという言い分にも悲しいほどに納得できてしまったのだ。 それに、逆の立場に置き換えて考えれば、 自分の友人がひどく哀れな境遇にあるのを何とかしてやりたい気持ちは容易く理解できる。感謝するところまでは今しばらく達せられそうにないが、かといって頭ごなしに叱りつける気も全く起きない。

「いいですよ、もう……。ほら、時間も時間ですし、部活に行かないと」「……ん、そうだな」

 気だるげに歩き出す浜野の後を追う。道中、少しだけ話をした。彼女の話題を出したのはオレだが、何の気はなく、本当にたまたま思いついただけだった。

「そういえば、浜野の方は最近どうなんです? 雛月さんとは今でもよく話してますよね」

 雛月さんというのは、オレや倉間と同じクラスの女子である。昨年は浜野と同じクラスで、二人は出席番号が近かったこともあり仲が良く、ズバリ要点を言えば、浜野はそのときから彼女のことを好いているのだった。クラスが離れた今でも浜野はオレや倉間に会いに来る振りをして彼女と頻繁に話している。二人の雰囲気は非常に和やかで、いつ付き合い始めてもおかしくないぐらいだった。

「あー……まぁ、ぼちぼちってとこかな」

 ところが、当の浜野は何故かその話はあまりしたくない様子で。その意味が、そのときのオレにはよく解らなかった。まさか水鳥さんへの想いが適わないオレに気を遣って……なんてこともないだろう。
 とにかくその日、オレは誰よりも集中して練習した。サッカーをしている間は、全てを忘れることが出来たから。

 翌日の放課後、二度とかかってこない電話を一人寂しく待ち続けていた間抜けな男に、信じられない出来事が起こった。数えるほどしか話したことのない女子に呼び出され、そして。

「速水君のことが好きです」
「!?」

 件の女子こと雛月さんに、真っ赤な顔で好きだと告げられた。昨日起こった色々な出来事を整理するのに手一杯の今、そんなことを言われても流石に頭が追いつかない。そもそも雛月さんはオレの中では完全に浜野とゴールイン寸前の人、という印象でしかなかったのだ。それが何故、こんなことになっているんだろうか。

「あ、あの……すみません確認させてほしいんですが、えっと、雛月さんは、浜野のことが好きなんじゃ……」
「ううん、浜野君にはいつも相談に乗ってもらっていたの。私が速水君を好きだって言ったら、協力するって言ってくれて……とても嬉しかった。たくさん頼らせてもらった。私が今日こうして勇気を出すことができたのも、彼のおかげなの。本当に感謝しているわ」

 早口にしかし的確に浜野のことを語る彼女を見ていれば、彼女が浜野に対して抱く親愛の情に偽りがないのはよく解った。だからきっと、その形の良い唇から紡がれた事柄は全て事実なのだろう。そしてオレは、そこでようやく気がついたのだった。

 ああ、浜野。キミもずっと、同じだったんですね。
 違ったのはたったひとつ。
 オレは自分のために行動し、彼女の恋を成功に導くようなことは何も出来なかった。
 キミは彼女のために行動し、オレから邪魔者を力ずくで引き離し、わずかでも勝率を高めた上で彼女の背中を押した。
 全てに合点がいった瞬間、頭も目頭も喉も胸も、痛いほど熱くなった。

 思いきり泣き喚きたくなるような、今すぐ床の上で笑い転げたくなるような、相反する感情に包まれていった。ひどく気分が悪い。
 オレも浜野も、ごく自然に一人の女の子に惹かれただけなんだ。たったそれだけで、どうしてこんなに辛い想いを強いられるんだ。オレが次の言葉を口にすれば、雛月さんも晴れてその仲間入りを果たす。他にも叶わぬ恋のせいで苦しんでいる者は沢山いるのだろう。こんなに大勢の被害者を出して、どこかでこれを見ているお前は、貴様は、いったい何をどうしたい。やるせないけれど激しく滾る怒りをぶつける相手が解らないオレはただ、今はこの悲しさとも悔しさともつかないぐちゃぐちゃの感情を風化させてはなるものかと、空を睨んで奥歯を噛み締め、拳を握りしめることしかできなかった。



最後まで読んでくださりありがとうございました。
錦が大好きな水鳥ちゃんと水鳥ちゃんが大好きな速水と、照れ屋な水鳥ちゃんがハチャメチャやって速水を振り回してるところが書きたい!というのが発端なのですが、我ながら思いもよらないオチになりました。
速水も浜野も本編を見ていて芯がしっかりしている子だと思うので、強く生きてほしいです。(他人事)

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