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片道切符

<豪炎寺編>

 アイツと出会う前の夕香の服の趣味からは考えられないような、丈の短いチェック柄のスカート。ヒールの高い編み上げブーツに、すらりと伸びた脚のラインが際立つグレーのニーハイソックス。どれもオレが見たことのないものばかりで、この日のために新調したことは明白だった。
 完全なるドレスアップを終えた夕香は、玄関にある姿見鏡で念入りに髪型をチェックしていた。もうだいぶ前から解りきっていることなのに、それでもオレの心は、その事実を象徴するような光景を見る度、波打つように苦しくなる。
やはり夕香は、アイツのことが本当に――。

「! お兄ちゃん」

 鏡を見ているうち、背後にいるオレに気づいたのか、夕香ははっとして此方を向いた。余計なことをしなくても充分整った顔立ちなのに、施された化粧もまた完璧なのだから、いよいよどうしようもない。
 白い肌によく映える薄い桃色の唇には艶があり、僅かな動きだけでも、見過ごせない色気を醸しだす。目の前の夕香が美しければ美しいほど、それらが全てオレではない男のために為されているのだという事実を見せつけられ、気が狂いそうになる。

「虎丸のところに行くのか」
「うん。今回のフィフスセクターの仕事、彼と一緒にやることになったの」
「……そうか」
「多分、そんなに長くかからないよ。夕方までには帰るから、今日は一緒に夜ご飯食べようね」

 夕香は甘えたような声音でそう言って、ふっと笑った。そんな台詞は子どものときから何度も聞いているし、ほかでもない夕香が自分のために発してくれた愛おしい声なのに、聞く度に胸の奥を容赦なく鷲掴まれるような気持ちを憶えるようになったのは、一体いつからだったろうか。

「……ああ」
「それじゃ、行ってきます」
「気をつけるんだぞ」

 何に、とは言わない。言おうとしても、オレの口からは言えない。

「うん!」

 閉じる扉の音を聞きながら、オレは夕香と虎丸が車の中で楽しそうに談笑する光景を思い浮かべる。アイツはオレの顔を立てようと必死で夕香を拒んでいるようだが、それも時間の問題だとオレは睨んでいる。夕香は本当にアイツに好かれるために必死なのだ。そんな夕香の好意を無下にできるほど、虎丸は非情な男ではない。
 だからきっといつか、アイツが夕香の想いに応え、二人が結ばれる時が来るだろう。
 
 だけどせめて、今日がその日ではありませんように。
 オレにはただ、祈ることしかできない。

<虎丸編>

 夕香さんのオレを見る目が、大人の女性とそう変わらない性質の熱情を帯びていることは始めから知っていた。オレは、他人のそういう事情に関しては昔からいやに冷静で鋭く、客観的な視点を持っていたから。さぞかし可愛くない小学生だったことだろう。
 何が彼女の琴線に触れたのかは解りかねるけれど、気づけば彼女はオレのことをひたすら見つめるようになっていた。また、それを境に彼女は飛躍的に美しくなった。
 初めて会った幼い頃から既に整った顔立ちだったのだが、大人になるにつれ、より鼻筋が伸び、輪郭がすっきりとした。表情一つとっても、さりげない色気を備えている。瞳や唇だって、どこが変わったという具体的なことはないのだが、ちょっとした動きや輝き方が非常に扇情的になった。服装の趣味も変わり、少女らしいファッションと女性らしいファッションの間で、どんな男の興味をも惹くであろう絶妙なバランスを保っている。そしてその全ては、オレの為。

「お待たせ、虎丸君っ」

 甘い声でオレを呼ぶ夕香さん。今日は白いブラウスにチェックのミニスカート、ニーハイソックスにロングブーツ、年上好みのナチュラルメイク。いかにもおあつらえ向きの格好だ。本当はデートでなく、フィフスセクターから任されたパトロールのような仕事なのだけれど。何度訂正しても、オレと二人で車に乗る、それだけの要素で彼女にとってはデートとして定義されてしまうようだ。

「今日の服ね、新しく買ったものなんだ! その……どう、かな?」

 うっすらと頬を紅潮させて小首を傾げるその動作は、胸の高鳴りを超越して感心してしまうぐらいに、完成されていた。この行為一つのために、彼女はどれだけの自己研究を重ねたことだろう。嫌味のような言い方になってしまうが、感服したことは嘘でないのだから仕方ない。オレも男であるから、洗練された彼女の動作を、計算され尽くした彼女の服装を、そして何より一人の男のためにそこまで努力する彼女自身を、可愛らしいと思わない訳では決してない。

「ええ、とても素敵だと思います。よくお似合いですよ」
「うふふ、虎丸君に褒めてもらえた! 最高だわ! ありがとうっ」

 そう言って年相応にはしゃぎながら、夕香さんはいつものように補助席に乗り、しっかり律儀にシートベルトを着けた。そして、オレが運転している間ずっと、甘えた目でこちらを見つめている。今日もオレは、鈍い男を演じる。その熱い視線に、気づかない振りをし続ける。そうしなければ、この不安定な均衡はいとも容易く壊れてしまうから。

 ああ、どうかこの二人が共に幸せになれる、そんな未来が開けますように。
 オレにはただ、祈ることしかできない。

<夕香編>

 今思えば、一目惚れだったのかもしれない。
 10年前のフットボールフロンティア・インターナショナル。ライオコット島までフクさんとお父さんに連れて行ってもらって観戦した韓国戦は、大好きなお兄ちゃんが大好きなサッカーを辞めることになってしまった、その最後の試合だった。もっとも、その試合の後にお父さんと和解することができたから、お兄ちゃんはサッカーを続けられたのだけど。
 お兄ちゃんは、幼い私の目から見ても、確かに世界に通用する一流のサッカープレイヤーだった。
 でも、私の目に同じぐらい――ううん、それ以上に眩しく映ってならなかった、もう一人のストライカー。宇都宮虎丸君は、韓国戦以降もずっと、お兄ちゃんと一緒にイナズマジャパンのフォワードとして活躍し続けた。小学生でありながらも周りに全く引けを取らないそのプレイングは、私だけでなく日本中の小さな子どもたちに夢を与えてくれた。こんなに小さな私にも、きっとできることがあるのだと。そう思わせてくれる何かを、彼は確かに持っていた。

 お兄ちゃんをはじめイナズマジャパンの皆が見事に優勝トロフィーを持って日本に帰ってくるなり、すぐに私はお兄ちゃんにお願いした。

「あのね、お兄ちゃん! 虎丸君に会わせて欲しいの」
「虎丸に?」
「だめかな?」
「いや、おそらくアイツは断らないだろうが……どうしてだ?」
「虎丸君、韓国との試合で、お兄ちゃんのことを助けてくれたでしょう? その後の試合でも。だからね、夕香、ちゃんと会ってお礼が言いたくて!」

 お兄ちゃんは優しく頷いて、無邪気な妹の言葉をその通りに信じた。決して嘘ではなかったが、真実そのままという訳でもなかった。本当は理由なんてなく、ただひたすら、会いたかっただけ。思えばこのときから既に彼に惹かれ、私の人生は狂い始めていたのだろう。

 私がお願いしてすぐのこと、お兄ちゃんは私を、虎丸君とそのお母さんが二人で営んでいるという虎ノ屋に連れて行ってくれた。注文を受け、料理を作り、お客さんに届ける。その全てをほとんど一人でそつなくこなす虎丸君は、テレビで観るよりも、ずっとずっと格好よかった。作ってもらったチャーハンはこれまで食べたどんな物より美味しかった。サービスで出してくれた餃子も、お腹はいっぱいだったけれど、残さず食べた。“また来てくださいね”と頭を撫でてくれる彼の手に、体が熱くなったのを今でも憶えている。

 そうして私は、転がるように、好きになった。好きになったら止まらなくて、もう自分の意思ではどうしようもなくて。私は身も心も、全てを彼に捧げた。10年経っても、その想いは留まることを知らずに、加速を続けている。もう誰にも止められないことは、自分が一番解っている。

 けれどその長い時の中で、一度は彼への想いを諦めなければならない瀬戸際に立たされたこともあった。

「すみません、オレは……夕香さんの気持ちには、答えることができません。オレの大切な人が、貴方のことを愛しているんです」

 極めて言いづらそうに眉を潜めた虎丸君からそう告げられたのは、ちょうど二十回目の告白をしたときである。それまでは彼の柔和な性格もあって、やんわりと断られるばかりだったが、そんな彼が初めて付けてくれたもっともらしい理由がそれだった。思いもよらない言葉に狼狽こそしたけれど、私はすぐに負けじと言い返した。私の虎丸君への恋路に、第三者の介入なんて誰が認めてなるものか。

「そんなの……そんなの、虎丸君には関係ないことじゃない」
「いいえ、関係あります。それにその方は、貴方にとってもこの上なく大切な人なんです」
「……何、それ……どういうこと?」
「オレの口からは、これ以上は……」

 沈んだ表情で伏し目がちに一礼し、彼はその場を立ち去った。そんなの都合の良い嘘に決まってる――そう突っぱねるには、あまりに深刻な顔だった。普段だったらすぐにその背中を追いかけている筈の私も、その場に立ち尽くして涙を流すことしか出来なかった。偶然通りかかったお兄ちゃんが、涙でぐしゃぐしゃの私を見るなり血相を変え、真っ先に家に連れ帰ってくれていなかったら、あのままどこかで首を吊っていたかもしれない。

「夕香、大丈夫だ。何があってもオレがずっと傍に居る。夕香、夕香……」

 泣き止まない私の頭を撫でながら、お兄ちゃんはずっと私の名前を呼び続けてくれていた。お兄ちゃんが呼んでくれる“夕香”は、温かくて優しくて、虎丸君の呼んでくれる“夕香さん”の次に好きな響きだった。私の身体を火照らせる虎丸君の声とは対照的に、お兄ちゃんの声はいつだって私を安心させる。

「ひっく……っ虎丸くんに、フラれちゃったっ……」

 涙に掠れた不明瞭な声で必死に伝えると、お兄ちゃんの表情が幾分険しくなったのが解った。妹である私のことを心から大切に想ってくれているお兄ちゃんのことだから、きっと虎丸君に対して怒りを憶えずにいられなかったのだろう。大好きなお兄ちゃんが大好きな虎丸君を嫌いになることは悲しいけれど、それだけお兄ちゃんが私を愛してくれているという事実に、安堵している自分がいた。

 そんな経緯を経て、言葉には出さない形で好意のアピールを続けている今でも、私は彼の言った言葉の意味を思案し続けている。私と虎丸君の共通の知り合いなんて、かつての雷門イレブンの人たちか、フィフスセクターのごく一部の人間以外には思い当たらない。でもその中に私のことを愛している人がいるとはどうにも思えないし、結局今でも彼の真意は解らないまま。

「ねえ、お兄ちゃん」

 それから数日経った日の夜、お兄ちゃんと二人きりの夕食の時間、私は思い切って尋ねてみた。私のことを好きだというその第三者が、私と虎丸君の共に知る相手なら、お兄ちゃんがその人を知らない筈はないのだから。
 箸を止めて私の話に耳を傾けるお兄ちゃんに、虎丸君に言われた言葉を一言一句違えずに伝え、心当たりが無いか訊いてみた。お兄ちゃんは一瞬の間に全てを悟ったような表情を浮かべ、私の目を真っ直ぐに見つめた。

「……お前自身、身に憶えがないんだったら気にする必要もないだろう」
「やっぱり、そうかな? でも気になるんだ」
「なら、試しに考えてみるといい。もしお前を愛している男が本当にいて、虎丸の言う通り、そいつがお前にとってこの上なく大切な存在だったとしよう」
「……うん」
「だからといってお前は、そいつの存在を理由に虎丸のことを諦めるのか?」
「ううん、それだけは絶対に無いわ」

 考えるより先に、流れるように口から零れ出した答え。言ってから、私ははっとした。

「あ、」
「答えは出たな。そんな奴のことは、考えても時間の無駄にしかならない」
「……そ、そうね! あーっ、何だかすっきりした!」
「良かったな」
「ありがとう、お兄ちゃん」

 私が満面の笑みでお礼を言うと、お兄ちゃんもにっこり笑って返してくれた。お兄ちゃんの優しい笑顔は、いつだって私だけに向けてくれる。それはそれで嬉しいんだけど、こんなお兄ちゃんに恋人が居ないなんて勿体無いわ、ふとそんなことに思い至った。お兄ちゃんぐらい素敵な人なら、どんな女の人でも虜にしてしまうに違いない。

「お兄ちゃんも、早く良い相手を見つけてね!」
「……あぁ、そうだな」

 困ったように笑うお兄ちゃんは、やっぱり私の贔屓目を除いても本当に魅力的な男性だ。

 ああ神様、どうかお兄ちゃんが世界で一番素敵な女性と、世界で一番幸せな恋愛をしてくれますように。
 私にはただ、祈ることしかできない。




読んでくださってありがとうございます♪
誰にだってドロッドロの三角関係が書きたくて堪らなくなるときってあるよね(ニッコリ)
夕香ちゃんは豪炎寺に対して恋愛感情皆無(家族としては勿論好き)だけど、虎丸はある程度夕香ちゃんに対して好印象っていうのがミソ。
本来なら難なくカップル成立できるぐらいの好意はあるんだけど、尊敬する豪炎寺のことがあるので虎丸はどうにも動けない状態です。


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