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兎と蟲の乱舞

 鏡蟲――本名、油女シノ――は現在、最も彼にとって相性が悪いと思われる敵と戦っている。
 綱手に頼んだ援軍は、もうそろそろやってくる頃だろう。だが、果たしてそれまで自分の身がもつかどうか。
 鏡蟲はあまりの不運に、もはや笑うことしかできなくなっていた。まさか相手がこれほど周到に油女一族対策を用意してきていたとは。相手がしきりに振り続ける布切れには、500年に一度しか採取できない黄金の樹液――通称“イービル・パラダイス”――が、たっぷりと染み込んでいる。イービル・パラダイスは、奇壊蟲がチャクラよりも好む唯一の、極上の餌。

「貴様もここまでだッ!!」

 蟲のコントロールは完全に向こうが支配しているから、鏡蟲に為す術はない。拳を振り下ろす男を目の前に、鏡蟲は受身の姿勢をとるのみだった。そのとき。

「……ここまでなのは、どっち?」

 やけに落ち着いた、トーンの低い女の声。鏡蟲の目の前を、長く美しい黒髪が舞った。

「……なッ! そ、その兎の面は……!?」

 鏡蟲と男の間に驚くべき速さで割って入ってきた女の顔は、鏡蟲からは見えず、男からはよく見える位置にある。けれど、他国の者にまで知られている、兎の面をした女性といったら。

「――せっ……、雪兎、かっ……!?」
「うん」

 何の飾り気もない、只の肯定。彼女は愛刀・雛鶴を振り上げ、流れるような動作で、男の武器である鎖鎌の弱い部分を見抜き、その一点のみに攻撃を集中させた。鎖鎌は大きな音を立てて一瞬で形を失い、木っ端微塵に砕け散る。息つく間もなく、彼女は次の攻撃のモーションにかかった。刃が垂直に振り上げられ、そのまま落とされる。
 鏡蟲は初めて見る雪兎の戦いに、ただただ息を呑むばかりであった。強いのは勿論のこと、敏速で、冷淡で、潔い。故に、華麗や美麗といった類の褒め言葉が生じる。――何という強さだろう。話には聞いていたが、まさかこれ程とは。

 誰の目から見ても明らかな形勢逆転に、武器を失った男は顔を蒼白とさせ、一旦退いた。雪兎と鏡蟲も物陰に隠れて、様子を伺う。

「……はあ、はあっ……!!」

 極端に疲労した鏡蟲。こういった場合の呼吸の仕方は頭では心得ているものの、いざ実践してみるのはやはり難しい。

「お疲れ様。一通りの状況は聞いてる。大変だったみたいだね」

 一応、礼儀としての労いの言葉。そっけないようだったが、どこか本心も含まれているような気もした。

「援軍は、お前一人なのか……?」

 自分は確かに、援“軍”を頼んだはずなのだが。そういったニュアンスが込められていた。

「うん。火影様は、それで十分だと判断したらしい。けどこんな女一人だけじゃ、あなたが不安に思うのも当然のこと。……でもまあ、頼まれたことはちゃんとやる性格だと思うから」

 切羽詰まったこの場には似合わないほど、淡々とした口調。仮面の下の表情も、おそらく怯え一つ見られないのだろう。

「あなたが苦戦しているのは、極上の樹液……イービル・パラダイスだっけ」
「……ああ。奇壊蟲の最も好む餌だ。油女一族が一滴残らず採取しているはずだったのだが……」
「でも何故かその樹液を向こうが所持している。あなたの蟲たちは甘い蜜の誘惑に酔いしれ、それを渇望した挙句、あなたを裏切る結果となってしまった。故にあなたは、実力を出し切れず劣勢。……これで合ってる?」

 どこか散文詩めいた彼女の単語の用い方に若干の引っかかりを感じつつも、鏡蟲は素直に応じる。

「大筋は、その通りだ。だがオレは今回の不注意も含めて、その全てをオレの実力だと思っている」
「ああ……ま、そうかもね。でもそんな言葉の定義は、今は取るに足らない議題。私が欲しかったのは、相手がイービル・パラダイスを手放すはずがないという確信だから」
「それはそうだろう、あれは奴にとっての切り札だ」
「……そう。相手があまり賢くない人間で、良かった。なまじ自分の切り札を信用し過ぎたばかりに、それを所持することによって生ずる重大な危険性にも、気づかぬまま」

 声色に先程と何ら大きな変化はなかったが、雪兎の声はどこか楽しそうに聞こえた。

「どうするつもりなんだ?」
「こうする。……これを見て。あなたのお父様から、奇壊蟲を100匹ほど拝借してきた」
「親父から?」

 彼女はどこからともなく、安物のプラスチックの虫かごを取り出した。その中では鏡蟲のよく見慣れた蟲たちが、元気よく跳ね回っている。

「蓋を開けて、この子たちを開放する。……すると、どうなる?」

 今度こそ、彼女の口調は楽しげだったとはっきり言えよう。

「成程。相手の切り札を逆手に取ってやる訳か」
「その通り。ひとたび革命が起きれば、誰もが羨む強者の2は最弱となり、嫌われ者の弱者である3は最強となる」
「……大富豪とは、違うと思うが……」



 一方の男は、自らの不運な境遇を呪い、悪態をついていた。

「ちっ、面倒なことになりやがった。雪兎だって……? 今、木ノ葉の暗部の中で一番強いって専ら噂の奴じゃねーかよっ! 何でそんな奴の相手をオレがしなきゃならねーんだっ、勝てる訳ねーだろうがっ!!」

 台詞が既に彼の小物っぷりを表しているような気も――否、聞かなかったことにして頂きたい。

「あ? ……何だこいつら、なんか増えてねーか……?」

 ふと自分の握る棒切れに巻きつけてある布を見ると、先程より奇壊蟲の数が増えているような気がする。後から、後から、イービル・パラダイスを求めてやってくる蟲たち。……待てよ、これって――――!
 咄嗟に自分の頭に重なった影に、ばっと振り返る。しかし時既に遅し。

「安心して。殺しはしない」

 無感情に言い放つ女の声は、果たして届いたのかどうか。


 気絶した男からイービル・パラダイスを取り上げた後、二人は特に急ぐ必要もなかったので、里までゆっくり歩いて帰ることにした。

「奴を殺さなくてよかったのか?」
「いいよ。死ななきゃいけないほど、悪いことはしていない。それに、任務内容は里への侵入阻止だけ」

 彼女の言っていることは正論だ。彼女は暗部内でも指折りの実力者といえど、決して殺生を好む性格ではない。それがひどく皮肉に思えて、でも何だか彼女なら許せる気もして。鏡蟲は少し微笑んだ。

「……それもそうだな」
「……ねえ」

 雪兎は、ぴたりと足を止めた。彼女の歩調に合わせて歩いていた鏡蟲も立ち止まり、彼女を見る。

「どうした、雪兎?」
「あなたを第三小隊に推薦したいと言ったら、どうする?」

 流れるように耳に入ってきた彼女の言葉。鏡蟲はそれをよく反芻し、やがてパニックを起こす。

「……第三小隊……? け、獣のこと、か?」
「そう」

 木ノ葉暗部第三小隊、その通称は“獣”。雪兎をその隊員に含む、木ノ葉の暗部の中でも生粋の強さを誇るとされる小隊である。

「蟲は生物学上、獣ではないけれど……まあ、既に鳥もいるから大丈夫。それに私は、あなたなら十分それに値すると思っている。正確に言えば、今日そう思った」
「本気で言っているのか?」
「私はこういう大事な話のときには、決して嘘をつかない」

 揺らがない彼女の語調。抑揚のなさは、こういった場面で効果を発揮する。あまり長考せずに、鏡蟲は答えた。こんな機会、そうそうあるものか。

「本当なら、こんなに有難い話はない。是非、頼む」
「うん」

 先程までとまるで変わらない声音でそう言い、雪兎はまたゆっくりと歩き出した。鏡蟲は彼女に何とも言えない好感を持ちながら、その後に続いた。



シノヒナ好きです。相変わらず、スレヒナを書くと、カップリング要素よりもコンビ要素の方がだいぶ強くなる。
今回は、雪兎は鏡蟲の正体を知ってるけど、鏡蟲は雪兎がヒナタだとは知らないっていう裏設定。

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