嫉妬と呼ぶにはあまりにも
吹雪家と荒谷家とはお隣さん。幼い頃から三人は体中雪まみれになって、サッカーをはじめとする様々な遊びに明け暮れたものだ。荒谷紺子は、周りの大多数の少女たちの例に漏れず、吹雪士郎に淡い恋心を抱いていた。だけどそれよりずっと前から、士郎の弟・アツヤは彼女を好きだった。
士郎が兄でアツヤが弟であることを小さいながらに意識していたのか、彼女は二人のことをそれぞれ“士郎君”、“アツヤ”と呼んだ。何も士郎が紺子に恋心を抱いていたという訳でもないのに、アツヤはその呼ばれ方の違いが嬉しくて仕方なかった。だから自分も、士郎が“紺子ちゃん”と呼ぶ彼女のことをわざわざ呼び捨てにした。三人とも本当に仲良しだったけれど、お互いに呼び捨てで呼び合えるのは二人だけ。我ながら単純だとは思うけれど、そのささやかな“特別”にアツヤは満たされていた。
「アツヤ、おるー?」
ある朝、紺子が吹雪家を訪ねてきた。そのとき家にいたのはアツヤだけで、これは二人きりで遊べるチャンスだと密かに胸を高鳴らせながらも、それを決して顔を出さないようにして、わざと乱暴に言う。
「何だよ紺子、くだらねー用なら帰れ」
「く、くだらなくなんかないべ! あの、その……」
「何?」
「しろ、じゃなかった……吹雪君、今どこにおるかわかる?」
顔を赤らめてそう言う紺子に、今すぐ扉を閉めたくなる衝動に駆られる。が、必死で耐える。
「……兄ちゃんなら今日は父ちゃんと母ちゃんと出かけてる」
「そ、そっか……」
「兄ちゃんに何か用?」
「う、ううん。別に、そったら大したことじゃねえんだ。ただ、吹雪君にちょっと……」
「ちょっと?」
「……っ、い、言えねえだ! こればっかりは、アツヤにでも!」
紺子は真っ赤になって小さな両手で顔を覆い隠すが、そういったことに疎いアツヤでも、これだけ解りやすいと、気づかざるを得ない。気づいた途端、どうしようもなくやるせない気持ちに襲われた。
兄と自分。紺子といた時間の長さは同じだというのに、何故紺子は自分ではなく、兄を選んだのか。紺子と呼んだのは自分だけで、アツヤと呼んだのは紺子だけの筈だったのに。“吹雪君”だなんて、今じゃすっかり、そんな他人みたいな呼び方をしている癖に。
「何で……兄ちゃんなんだよ」
自分が抑えられなかった。正確に言えば、抑えようという理性さえ、働かなかった。それだけ、辛くて、苦しくて、仕方なかった。
「なあ紺子、どうしてオレじゃないんだ!? どうして、どうして、どうしてっ……!!」
「……へっ、あ、アツヤ……?」
見るからに困惑しきった表情で、それでも自分を心配してくれて、かける言葉を必死で探す彼女をこれ以上見ていられなくて。アツヤは乱暴に家の扉を閉めた。暫くして、紺子が去っていく足音が聞こえた。
アツヤが両親と共に事故に遭ったのは、その翌日のことだった。命が燃え尽きる最期の瞬間、彼が何よりも後悔したのは、彼女の瞳に最後に見せた自分が、兄に嫉妬する無様な自分の姿であったこと――。
(死んでも尚、この後ろ暗い気持ちを背負うことになるなんてな)
実体を持たずにこの世に蘇ったアツヤは、再び舞い戻ったフィールドの中で自嘲する。“吹雪”という名の選手が、エターナルブリザードを華麗に相手ゴールに決め、白恋中の勝利が確定した。選手たちが一様にフィールド中央の“吹雪”に駆け寄り、口々に感謝の意を、感嘆の意を述べる。その中には当然紺子もいて、彼女は嬉しそうにこう言うのだ。
「さすがは、吹雪君だべ!!」
幼少時からほとんど背丈の変わっていない紺子の頭に、そっと手を乗せて微笑んでやる。紺子が嬉しそうに頬を赤らめるのは、“吹雪君”のことを今もなお好きだからに他ならない。紛れもなく“視”てくれているのに、その目は二度とアツヤを“見”てくれることはない。
ひどく虚しいその気持ちに、名前をつけるとするならば――。
読んでくださりありがとうございます。
士郎の中のアツヤ人格は、本編では士郎が自身で作り上げたものという設定でしたが、思いっきり捏造しました(どーん)
珍しく気に入ったタイトルがつけられた作品です。
(3/3〜4/30拍手お礼文)
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