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氷に芽生える花もある

 あの人のことが、好き。そうはっきり認識した瞬間のことは、今でも鮮やかに憶えている。暗い月夜にひとり、アイシーは静かに目を閉じた。

「アイシー、私の特訓に付き合ってくれないか」

 始まりは、その一言だった。一日分の練習が終了し、疲れきったアイシーがグラウンドから本部に帰ろうとしたまさにそのとき、ダイヤモンドダストのキャプテンであるガゼルに声をかけられたのである。

「特訓? もうノルマは終わったんじゃ……」
「ああ。しかしこれだけの練習量では、他のメンバーはまだしも、私がバーンやグランに引けを取ってしまうからな」

 ガゼルは肩にかけたタオルで額の汗を拭いながら、強い語調で言った。

「プロミネンスにも、ガイアにも負ける訳にはいかない。私が負けては、チームが負ける。おまえ達の頑張りを、無駄にすることだけはしたくないんだ」

 アイシーは内心、驚いた。ガゼルの能力そのものは当初から認めていたが、正直キャプテンとしての器なんてたかが知れていると思っていた。実力の抜きん出ている彼は、試合でも個人プレーが目立つ。それでもキャプテンだからと、アイシーはこれまで目を瞑って散々我慢してきたのだが、真実はどうやら思っていたほど単純なものではなかったらしい。疲労感が、不思議と体から抜けていった。スポーツドリンクを喉に流し込んだ後、アイシーは肯定の返事をした。

「私で良ければ」
「ありがとう。アイシー」

 ふと目を合わせてみれば、ガゼルの瞳からは強い光が発せられていた。彼女がそれまで何者に対しても感じることのなかった王者の雰囲気、というものをアイシーはこのとき初めて感じ取ったのである。
 ガゼルが自らに課したメニューは、日々の練習に上乗せするにはあまりに多く、大変ハードなもの。普段は無表情なアイシーが、そのメニューを眺めた瞬間思わず目を点にしたほどだ。アイシーはこんなことを毎日続けていたら無理が祟ると言ったものの、ガゼルに余計な気遣いは要らないと釘を刺されてしまった。

「ではアイシー、言った通りにやるんだ。手を抜いたら承知しない」
「……はい」

 アイシーはユニフォームの裾をぎゅっと掴みながら、小さな声で返事をした。ゆっくり頷いたガゼルは、ボールを持って遠くへ走っていく。ガゼルがアイシーに協力を求めた特訓とは、身体の第六感を研ぎ澄ますことを目的とした、彼女のフローズンスティールを目を瞑って躱すという、危険極まりないものであった。彼は“本気でやれ”、と幾度となく念押しをしてきたが、やはり気が乗らない。まさか忠誠を誓ったキャプテンに向かって自分の必殺技を使うことになろうとは。こんなことのために、必死で習得した訳ではなかった筈なのに。

「行くぞ、アイシー!」

 そんなことを考える暇も与えてくれず、ガゼルは目を瞑ったまま、ドリブルして走り始めた。視界が開けていないとは思えないほどに、美しいフォーム。アイシーは彼のまさに天性と呼ぶべきサッカーの才能を再認識して、思わず息を呑んだ。
 ――こうなったら、やってやる。アイシーは深く息を吸い込んだ。いつもの癖で技名を叫びながら突進、なんてことはしないようにしなければ。彼女はなるべく音を立てないようにして、駆け出した。ガゼルの予測のつかないようなタイミングを狙って、思い切り彼のボールめがけてスライディングする。一点の気の迷いもなかった。何の前触れもなく現れたアイシーの足に引っかかり、ガゼルは体勢を崩す。その隙に、彼女はボールを抜き去った。少し時間をおいて体勢を立て直したガゼルは、軽く一息ついて、僅かに苦笑いを浮かべていた。

「……ふう、これはなかなか難しいな。全く反応出来なかった」
「手加減、しませんでしたから」

 先の気の迷いなどまるでなかったかのように無愛想に言って、アイシーはガゼルに向かってボールをぽん、と蹴り出す。

「それでいいんだ。本気のお前とでなければ、この特訓の意味はない」
「……もしかして、出来るまで続ける気ですか」
「当然だ。そして、一度了承したお前にもそれに付き合う義務がある」

 やけに子供っぽい笑顔を浮かべたガゼルは、ボールを片足でしっかり受け止め、また所定の位置に走っていった。それから何度、二人の足がぶつかり合ったことだろう。それから何度、ガゼルの倒れる姿を見たことだろう。それから何度、アイシーの胸が痛んだことだろう。
 いつしか、アイシーはガゼルの直向きな姿に心打たれていた。自分の所属するチームのキャプテンは、陰でこんなにも努力していたのだ。他のメンバーたちは、この事実を知っているのだろうか。知っている者もひょっとしたら居るのかもしれないが、自分のように知らない者も少なくないはずだ。チームを引っ張るキャプテンがこれほど立派な人物だということに気付かないでいることはあまりに勿体無いし、ガゼルにも申し訳ない。しかし、彼は良くも悪くも隠れて特訓していることを自ら周囲に豪語するような性格ではないのだ。とはいえ、アイシーがガゼルの陰の努力を他のチームメンバーに口で広めるようなことをしては、彼の努力が何だか安っぽく成り下がる。やはり各々が、今のアイシーのような立場に立って、己の目で見てもらうのが一番いいのだろう。
 だが、彼女は何故だか、自分以外の人間がガゼルの特訓に立ち会うことが不愉快に思えてならなかった。何が嫌なのかは解らない。けれど、もしそんなことがあったら間違いなく自分は不機嫌になるだろう。それが――クララやリオーネのような女子選手だったのなら、特に。
 結局自分はどうしたいのだろうか。ガゼルの素晴らしい人間性を他の者にも知って欲しい、でも自分ひとりで独占したい気も確かにある。この明らかな矛盾を抱えた不可解な感覚は、何だろう。
 本日何度目か解らないフローズンスティールを受け、ガゼルは再びグラウンドに倒れた。

「……っ、そうか! 解ったぞ」

 だが今度は、起き上がったときの表情の輝きが違った。

「どうやらコツが掴めたようだ! 次はきっと成功する」

 ガゼルは少年のような笑顔で振り向き、アイシーに向かって明るく言い放った。双眸をきらきらさせながら、再び最初の位置に走っていく。その後姿を見送る刹那、アイシーは思わず、叫んでいた。

「……ガゼル様っ、頑張ってください!!」

 言った後で、はっと口を手で覆った。自分はこんな素直な安っぽいエールじみたことを言うような性格ではなかったはずだ。痛いほど自覚している。それなのに、先の言葉はあまりにも自発的に、勝手に、自分の口から出て行った。ガゼルも一瞬驚いたような顔をしていたが、やがてアイシーに向かって力強く頷いた。そして――ガゼルはアイシーのフローズンスティールをついに躱すことに成功した。

「……出来た……」
「ガゼル、様……」

 ガゼルはアイシーのスライディングの跡と、それを実に上手いタイミングで避けた自分の足跡を見て、いよいよ感動が込み上げてきた。アイシーの方もしばらく感情を忘れ、ただ呆然とガゼルの顔を見つめていた。

「……やった! やったぞ!」
「っ!!」

 ガゼルはくたくたになった体を引きずって、アイシーの方へ駆けた。反射的に次に行われることが解ったのか、アイシーもガゼルの方へ走り出す。やがてガゼルはアイシーを力の限り抱きしめた。右手で彼女の頭を思いのままに撫で、喜びを分かち合った。

「……アイシーっ! ああ、何と言えばいいのか……ありがとう、ありがとう……!!」
「私も、嬉しいですっ……!! ガゼル様……!」

 至近距離で満開の笑顔を見せるガゼルを見て、そのときアイシーは思ったのだ。そして、ゆっくりと頬を赤らめ、表情を緩めていった。
 ――ああ、私はこの人のことが好きなのだ。



読んでくださってありがとうございます♪
主×従というか、立場が上の人×下の人でカプを成立させる場合、上の人←下の人が大前提だと思いますという主張。
ガゼルはチームメイト達に対しては結構優男だったりするといい。
アイシーはひたすらツンツンデレデレしてください。


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