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消せない追憶

「ナツミってさ、猫みたいだよね」

 屈託のない笑顔でそんなことを言うロココに、夏未はその大きな瞳を二度三度ぱちくりさせた。彼が時折突拍子もなく訳の解らないことを言う男であるということは夏未も重々承知している。承知しているのであるが、しかしそんな彼女を以てしても、今回は特別さっぱり意味が解らなかった。口に運ぼうとしていた紅茶のカップをテーブルに置いた後、その両手を遠慮がちに膝に乗せると、夏未は率直な疑問を口にする。

「どういう意味かしら?」
「どういう、って……もしかして今まで一回も言われたことないの?」
「? ええ、残念ながら」

 返ってきたのは予想外の返答だったらしく、ロココは目を丸くして尋ね返す。夏未にとっても、当然それは意外な反応だった。人を猫に例えるというのは、コトアールではよくある比喩表現なのだろうか。

「そうだなー……何ていうかさ、上品で、お嬢様らしくて、初対面のときは高圧的だけど、仲良くなるにつれてどんどん素直になるところとかが、猫みたいだなあって思ったんだ。あと、見た目も仕草も綺麗なところも!」

 一切の恥ずかしげも見せず嬉しそうに微笑むロココに、夏未はその代わりと言わんばかりに顔を赤くして俯いた。ロココに綺麗だと褒められるのは、これが初めてではない。指が女の子らしいだとか、髪がサラサラだとか、ファッションセンスが良いだとか――外見に関する事柄から始まり、サッカーに関する深い洞察力や対戦チームの情報収集など仕事内容まで、ありとあらゆることを評価してくれている。彼のストレートな褒め言葉は勿論嬉しいのだが、やはり日本生まれ日本育ちの少女の心から気恥ずかしさは消えてくれない。特にロココの場合は、褒めている本人にまったく恥ずかしそうな様子がないため、褒められる側としてはますます照れざるをえない。

「あと、褒めたり撫でたりするとそうやってすぐ黙っちゃうところ」
「……っ」
「そうやって縮こまってる姿も、ボクのおじいちゃんが飼ってる猫にすごく似てる。うーんっ、見れば見るほど似てるや。あはは、ナツミを見てたら会いたくなってきた」

 ミルクは元気かなあ、などと夢心地で一人呟いているロココ。夏未がその名前から真っ白いペルシャ猫のイメージをぼんやりと描いていると、彼の表情がどこか寂しげなものになったことに気がついた。

「ロココ……」

 ゆめゆめ忘れてはならない、どれだけ非凡なサッカーの才を持って生まれてはいても、彼は若干15歳の少年なのである。南米から遥か離れた島に長期間滞在しているうち、ミルクが、故郷が、恋しくなったのだろう。無理もないどころか、むしろこの時期までよく弱音を吐かずに我慢していたものだと、夏未は胸が締めつけられるような感覚を憶えた。少し間をおいて、慰めの言葉をかける。

「FFIに優勝したら、すぐに会えるわ。きっとその子も、ロココに会いたがっているはずよ」
「うん、ありがとうナツミ。ミルクってね、最初は冷たいんだけど、一旦仲良くなると最高に可愛いんだ! お腹空いてるときなんか、ボクの膝に座って餌もらうの待ったりするんだよ! ほら、こーやって!」
「まあ、猫なのにそんなことするの?」
「そうなんだよ! 信じられないだろ? でも本当なんだ!」

 ロココは幼い子供が親にするように、あれこれジェスチャーを交えては声を上ずらせ、心から楽しそうに猫の話を続けた。夏未もそれに応えるように何度も相槌を打ち、時には質問を投げかけ、ロココが束の間でも試合のプレッシャーから解放されるようにと、彼女なりに努めた。やがて沢山話し終えたロココは、喉を潤すために紅茶を飲み干し、満足げに一息ついた。

「そんなに可愛いんなら、ミルクに会える日が本当に楽しみね」
「うん! ……でもこの大会が終わってコトアールに帰ってミルクに会ったら、今度はきっとミルクを見ながらナツミのことを思い出して……そしたらナツミに会いたくなるんだろうな」
「……ふふ、忙しい人ね。確かに国は違うけれど、心配しなくてもいつでも会えるわよ」

 夏未はロココに向き直り、彼の左手を取って自分の右手を重ねた。ゴールキーパー特有の硬い掌に、静かに指を触れる。

「……そうだね。ミルクに会ってナツミを思い出しても、きっとまたナツミと会える」

 優しい声音で、ロココもまた己の右手を彼女の右手に重ねた。互いの掌を、互いの異なる体温が包み込む。夏未よりロココの方が少しだけ冷たかった。

「でも――」

 ロココの手の力が突然強くなり、夏未の小さな掌が圧迫される。驚いた夏未が咄嗟に顔を上げると、ロココは今にも消えてしまいそうなぐらい、儚い表情を浮かべていた。

「そのときボクが思い出すのは間違いなく、ナツミといつも一緒に居られて、ナツミと同じものを目指している今のことだ」

 そんな消え入りそうなロココの姿を見たのは初めてで、夏未は瞳を逸らせなかった。かける言葉も出てこなかったし、その手を強く握り返すこともできなかった。

「……ロココ、あなた……」
「さ、練習が始まるよ。先に行ってるね」

 気づけばいつものロココに戻っていた。陽気な口調で言い、彼はあっという間に部屋を出て行った。夏未はというと、突然のことに落ち着きを取り戻せずにいたが、そうかといって練習に参加しない訳にもいかず、少し経ってから部屋を出てグラウンドへ向かった。

 すると、今まで気づきもしなかった、宿の玄関に架けてある白い猫の写真の前で自然と足が止まった。ロココの話を聞いている間、夏未が自分の中で作り上げていたミルクという猫のイメージと、その写真の猫とが、そっくりだったのである。そしてまた、先程のロココの言葉を思い出した。振り切るように、夏未は駆け出していった。

 白い猫なんて、ましてやそれをモデルにした絵画や写真なんて、そうそう珍しいものでもない。きっとこれからの人生、幾度となく目にすることだろう。そしてその度に、今日のことを思い出さずにはいられないのだ。そのとき隣にいるのが誰であろうと関係なしに、この日のことを思い起こさずにはいられないのだ。彼も、そして自分も。



読んでくださりありがとうございました。
夏未さん受けは円夏やら豪夏やらも勿論好きなのですが、私はロコ夏一押しであります。なのに書くといつも悲恋に(笑)

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