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7.憧れの日はまだ遠く

 今日の仕事は、キラとトミーとオレの3人でのバラエティ番組収録だった。
 ローカル局の番組とはいえ、大事なテレビの仕事だからということで、飾利さんも駆けつけてくれることになった。
 劇場以外の場所で飾利さんと会えるのは、何だかいつもと違う趣があっていいものだ。まあ、どんな場所でも、会えるだけでめちゃくちゃ嬉しいけど。

「わぁあ、見てよシュン! 今日の楽屋、すっごく広いよ〜っ」

 いつもより少し広めの楽屋を宛がわれ、トミーは入って早々、嬉しそうに中をぱたぱたと小走りしている。

「おい、せっかく綺麗な場所なのにホコリが立つからやめろよ。これから飾利さんだって来るんだぞ」

 トミーに文句を言っていたとき、がちゃ、と扉が開く。一瞬飾利さんかと思って背筋を正したが、ここに来る途中で子役時代の知り合いにばったり会い、オレたちと別行動になっていたキラだった。

「今電話があったんだけど、飾利さん、少しだけ遅れるって。すぐ近くの現場だって言ってたから、多分そんなにはかからないんじゃないかな」
「そうなんだ。このスタジオ、すごくたくさんの番組の撮影やってるもんねぇ。キラ、教えてくれてありがとう」

 オレと同じく飾利さんに恋い焦がれる身でありながら、素直にお礼まで言えるトミーは、どれだけ心が透き通っているんだろう。
 くっそー、何でオレじゃなくていつもキラに連絡するんですか、飾利さん!? もうこれで何度目? オレだって一回ぐらい、スマホのディスプレイに飾利さんの名前が表示されて、ドキドキしながら通話ボタンを押して耳に当てる、そして飾利さんに耳元(?)で優しく囁かれる……そんな甘酸っぱい体験をしてみたい。

「メイク前の保湿は先に始めといてほしいってさ。今日はトミーが劇場から道具持ってきてくれてるんだっけ? メイク台に並べるの手伝うよ」
「うん! ありがとう」

 トミーがずっと肩に担いできた大きいボストンバッグを下ろし、キラとトミーが着々と準備を始める。何も3人がかりでやる作業ではないだろうと、オレは2人に一言断って、飲み物を買いに楽屋を出た。

 結構歩いた気がするけど、自販機はまだ先のようだ。ほとんど人とすれ違わないし、物静かで、オレの足音だけがやけに響く。やがて曲がり角に差し掛かり、自販機を指す案内板どおりそこを曲がろうとしたとき。奥の方から、聞き慣れた明るい笑い声がふと聞こえてきた。

「……、ふふ、はい、本当にお久しぶりです」

 それは、決して聞き違えるはずなどない、飾利さんの声だった。朗らかな笑顔が目に浮かび、彼女がすぐそこにいる!とたまらず駆け出したくなったが、どうやら誰かと話しているようだ。何だか妙な危機感を覚え、話し相手が気になり、隠れる必要なんてないはずなのに、曲がり角の直前で自然と足が止まった。結果的に、何も見えないまま、また向こうからもオレが見えない位置から、聞こえてくる会話だけを完全に盗み聞きする格好になった。

「大咲さん、別の番組の収録で近くにいらしてたんですね。知っていたらご挨拶に伺ったのに、すみませんでした」

 え、今オオサキさんって言った!?いや、まさか、まさかな……。

「いや、そんなことはいいんだ。……驚いたよ、こんなところで君と再会できるなんて。君に会いたいと毎日真摯に祈り続けた僕の気持ちが、ようやく実ったんですね」

 ……この女性ウケ抜群の甘い声、息をするように流れ出る口説き文句。……マジかよ。初代少年ハリウッド、約束なんて守れないピンク担当の色男、大咲香さんに間違いない。この2人が知り合いだなんて、まったくの初耳だった。

「ふふ、ありがとうございます。初めてお会いしたときから変わりませんね。相変わらずお上手で」
「そういう君は、最後に会ったときよりずっと綺麗になったよね。僕としたことが、一瞬、紗夜ちゃんだとすぐには分からなかったよ」

 「紗夜ちゃん」!? なんだ、そのめちゃくちゃ仲良さそうな呼び方は! 話しぶりから察するに、長い付き合いのようだし、悪い想像が次々と頭の中を忙しなく駆け巡って仕方ない。万が一、いや億が一、あのコウさんが飾利さんの元カレとかだったら……死ぬ気で頑張らないと、色々勝てる気がしない。
 
「それで紗夜ちゃん、今日は何の仕事でここに?」
「実は私、新生少年ハリウッドのヘアメイク担当になったんです。今日も、メンバーたちのテレビ番組の収録があって着いてきました」
「! へぇ、それは……不思議な縁もあったものだね」
「はい、本当に。……そうだ! よかったら、少し楽屋に顔を出していきませんか? きっと、憧れの先輩に会えたら、皆も喜びます」
「うーん……いや、今日はいいよ。可愛い後輩たちではあるけど、しょっちゅう楽屋に行くような仲でもないし」

 流石コウさん、相手が男となると急に接し方がクールになる。清々しいほどに。

「ね、そんなことより、こうしてまた会えたんだから、近いうち一緒に食事でもどう? 紗夜ちゃん、ワイン好きだったでしょう?」
「? はい、好きですけど……私、大咲さんの前でワインの話なんて、したことありましたっけ?」
「ほかでもない君の大切な言葉だからね、全てちゃんと胸にしまっているんですよ」
「……は、はあ。それはその、大変恐縮です……?」

 なんかちょっと、流石にグイグイ行きすぎじゃないか、コウさん? 心なしか、飾利さんの声にも困惑の色が混ざり始めたように聞こえる。
 それとも大人どうしのデートの始まりというのは、こんな感じなんだろうか? 悔しいことに17歳のオレにはまだまだ分からないことだらけだ。

「あっ、もうこんな時間。そろそろ行きますね。今日はお声がけいただいて、ありがとうございました」
「そうか、引き留めて悪かっ……、!? 待って! 危ない、紗夜ちゃんっ!!」
「……? きゃあーっ!?」

 !? 穏やかな別れの挨拶を突如切り裂く、コウさんの柄にもなく焦った声に、飾利さんの短い悲鳴が続き、さらにドンッと固いもの同士がぶつかる音、ガラスのようなものが落ちて割れた音が相次いで聞こえた。
 ただごとでない音の連続に、いても立ってもいられず、オレは飛び出した。もしも、もしも、大切な飾利さんの身に、何かあったら……!

「……ふう、驚いた。怪我はない?」

 次の瞬間、オレの視界に飛び込んできたもの。1、床に落ちて粉々に割れた古びた電灯。2、その電灯があったはずの天井に、断線してまもない哀れな電線の先っぽ。3、床に放り出されている、見慣れた飾利さんのカバン。
 そして……4、まさに絵に描いたように、理想的な壁ドンの構図を体現した美男美女。もちろんコウさんと飾利さんだ。
 何が起こったのか、鋭いオレにはすぐに理解できた。そして沸々と怒りがこみ上げる。まったく、何だこのオンボロスタジオは! ちゃんと安全点検ぐらいしておいてほしい。大事な大事な飾利さんの身に、もしものことがあったら、どうやって責任を取るというのか。

 2人は依然オレに気づかず、お互いだけを視界に入れたまま、会話を続けている。お……おいおい、いくら何でも顔が近すぎやしないか?

「……は、はい、びっくりしましたけど、大丈夫です。大咲さんこそ、お怪我は?」
「僕は何ともないよ」
「よかった……。あの、ありがとうございました。私ひとりだったら、多分すぐには動けなくて、頭に直撃してたと思います」
「気にしないで。男として、当然のことをしただけですから」

 くそっ、男から見てもめちゃくちゃかっこいいな、コウさん!! ていうかいい加減に飾利さんから離れてくれ!! このままじゃ飾利さんがコウさんに惚れかねない! と、心の中では威勢がいいが、現実のオレは、目の前の2人から溢れ出る大人のムードに面くらい、何も言えずにそこに立ち尽くしているだけだった。

「そんな……でも、本当に、なんてお礼を言ったらいいか……」
「そう? ……それじゃあ、今僕が君から一番してほしいことを、お礼にしてもらおうかな?」

 そう言うとコウさんは、世界中の老若男女を片っ端から悩殺しそうなほど色っぽい表情で、至近距離から飾利さんの瞳だけを見つめ、そっと彼女の顎に手を添えた。そのままゆっくり首の角度を変えて近づかれれば、流石の飾利さんもその意図に気づいたのか、安堵と驚愕のちょうど中間のような、なんとも表現しがたい(けれどめちゃくちゃ無防備で可愛い)表情で、すっかり固まってしまっていた。

 コウさんが振りや冗談ではなく本気で彼女の唇を狙っていることが本能で分かった瞬間、嫉妬と呼ぶにはあまりにも熱く、どこか使命感にも似た激情が、烈火のごとくオレの中で湧き上がった。

「ダメだ、飾利さんっっっ!!!」

 オレの叫びに、2人がようやくこちらに顔を向けた。オレに見られていたことに気づいて、慌てたように驚く飾利さんと、ちょっと面白そうな顔をするコウさん。

「、え!? ま、舞山くんっ!?」
「……おや、君か」

 よし!! 今この瞬間、2人の視線はオレに全集中! これはまたとないチャンスだ、なんかかっこいい台詞言え、オレ!

「あ、いや……なんかでかい音と、飾利さんの悲鳴が聞こえたから、慌てて走ってきました。その、どっか怪我とか、してないですか?」

 ずこーーーっ。頭の中でもう1人のオレがギャグマンガ顔負けのリアクションを見せる。先ほどまでの勢いはどこへやら、オレはすっかり言葉尻も弱まり、さらにはそこから一歩も動けなくなっていた。咄嗟のタイミングで飾利さんをスマートに守れて、しかもあんなにかっこいいセリフが言えるなんて、やっぱりコウさんって色んな意味ですげーんだな……。

「そ、そうだったの? 心配かけてごめんね。私は大丈夫だよ、大咲さんに助けていただいたから」

 飾利さんはそう言いながら、さりげなくコウさんの腕を逃れ、オレの方に近づいてきた。コウさんは残念そうに笑って肩をすくめてみせ、その仕草がまた絵になる。

「それに、さっき楽屋の場所を聞き忘れてたから、舞山くんたちに電話しなきゃと思ってたの。舞山くんが来てくれて助かったよ」

 飾利さんがオレに向かって、安心したようににっこりと笑う。……ああ、この人の笑顔はやっぱり世界一だ。それがオレ一人だけに向けられてるときは特に。
 その後、彼女はコウさんに向き直り、深々と頭を下げた。

「大咲さん、本当にありがとうございました。今度改めてお礼させてください」
「いや、そんなのはいいんだよ。それより、近いうち美味しいワインを飲みに行こう。落ちた電灯の片付けはその辺のスタッフにお願いしておくよ。……それじゃまたね、紗夜ちゃん。気をつけて」

 飾利さんに向けて、キザだけれど最高にセクシーなウインクを寄越した。その後、振り返りざまにオレを横目で見て、

「君も頑張れよ、ヤマシュンくん」

 ……なんて、こっちにも華麗なウインク付きで言ってきた。何故かとてもカチンときた。オレが飾利さんへ抱く気持ちに、今のわずかなやり取りだけで、気づいたのかもしれない。この人は、本当にどこまでも抜け目がないから。

「……舞山春、ですっ」

 言われなくても、オレなりに頑張ってやりますよ。オレは飾利さんが床から拾おうとした大きなカバンを、奪い取るようにして肩に担ぐ。想像よりもずっしりと重くて、一瞬体がふらついたが、意地でぐっと足を踏ん張った。

「え! いいよ舞山くん、私の荷物、色々入ってるから重たいでしょう」
「オレ、今筋トレにハマってるんですよ。だから、重いなら尚のこと持たせてください」
「そうなの? ……じゃあお言葉に甘えようかな。ありがとう」

 飾利さんと一緒に、楽屋への帰り道を歩く。そういえば飲み物を買おうとしていたんだっけ。色々あり過ぎてすっかり忘れていた。けれど、そんなのもうどうでもいいことだ。今は、今朝からずっと会いたくて仕方がなかった飾利さんが、オレの隣で楽しそうに笑ってくれていて、そして邪魔者もいなくなった、その幸せを噛み締めるとしよう。

「舞山くん、普段のライブと練習だけでもハードなのに、さらに筋トレなんてすごいね。言われてみれば、初めて会ったときより、少し体つきがたくましくなったかも?」
「えっ、そうですか? 嬉しいなぁ」

 筋トレにハマってるなんて、当然さっき思いついた嘘に決まってる。そうでもしないと、飾利さんは、自分の荷物は自分で持つと言って聞かないと思ったからだ。
 それでも、今の彼女の表情はとてもお世辞を言っているようには見えないし、きっと本心からそう思ってくれているのだろう。こんなダメダメなオレの言うことを、いつでもまっすぐ信じて受け入れてくれる、本当に優しくて温かい人なんだ。軽い嘘から、思いがけず改めて彼女の魅力を思い知る結果となり、胸が締めつけられるように、愛おしくなる。

 ふと、廊下の突き当たりに現れたガラス張りの扉に、大きく映る飾利さんとオレの姿が見えた。先程のコウさんと彼女が隣り合ったときの華やかなツーショットと比べると、やはり見劣りしてしまい、少し気分が沈む。飾利さんはヒールのあるパンプスを履いていて、並んで歩くとオレとの身長差はほとんど生まれないし、体格差も微妙だ。きっちりジャケットを羽織る彼女に対して、オレは学生感全開のパーカー。それに、見た目以外にも、さらに大きな壁がある。

「そういえば、さっきコウさんが言ってましたけど……飾利さん、ワインが好きなんですか?」

 何気ない会話を装って問いかければ、彼女は一瞬意外そうにきょとんとして、やがてまた柔らかく微笑んだ。あまりにも愛らしくて、たまらず目線を進行方向にそらす。

「うん、好きだよ〜。いつも気をつけてるんだけど、つい美味しくて飲み過ぎちゃうの」
「……へぇ、いいなあ。オレも早く飲んでみたいです」 

 実際に飲んでるところを見たことはないけど、その華奢な指には、細身のワイングラスがさぞかしよく似合うことだろう。そんな飾利さんに、きっといくらでもワインの名店を紹介できるであろうコウさん。片や、まだワインの味さえ知らないオレ。その差はおそらく、今オレが想像しているよりもずっと大きい。

「舞山くんはまだ高校生なのに、ワインに興味あるんだね?」
「はい、この前5人で歌った曲の歌詞にも出てきたんですよ。だから、どんな味がするのかなって。……飾利さんが好きだって言うなら、きっと美味しいんだろうなと思います」
「そっかそっか。じゃあ、舞山くんが二十歳になったら一緒に飲もうね」
「……! っ、ぜひ。楽しみです」
「うん、私も」

それでも、話の流れで、飾利さんから直々にお誘いの言葉をかけてもらえたのはとても嬉しかった。もちろん単なる社交辞令なのかもしれないけど、あと3年たってみないと、その真意を確かめる術はない。だったら、今は素直に受け取っておきたい。

「あ、楽屋、ここだね〜。荷物持ってくれてありがとう。本当に助かったよ」

 飾利さんはそう言って微笑み、カバンの紐をかけているオレの肩にそっと触れた。触れられた箇所がたちまち熱くなり、一瞬触れただけの女性らしい指先の感触に、心臓が高鳴る。
 さっきのコウさんぐらい飾利さんと顔を近づけたりなんかしたら、オレは緊張と興奮で簡単にショートして、使い物にならなくなってしまうのではないだろうか。やっぱりコウさんはあらゆる意味で凄いし、とんでもない強敵だ。

「お疲れ様! 佐伯くん、富井くん、遅くなってごめんね〜」

 楽屋の扉を開けてにこやかに2人に挨拶する飾利さんの横顔を見つめながら、人知れず拳を握り込んだ。

 それでも……いつか、コウさん以上に、貴女に相応しい男になってやる。

読んでくださり、ありがとうございました♪
コウさんの登場で、少女漫画的要素が強くなった気がします。感謝!!
シュンはまっすぐに嫉妬深そうで可愛いですね。

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