光に住む妖精たち[2]

  ひだまりには猫がいる


 そろそろだろう、と窓に目を向ける。今朝起きた時に開けたカーテンは、いつものように暖かい日差しを招き入れ、絨毯を照らしていた。からになった皿を洗いながらも視線はそちらへ釘付け。今日も来てくれたらしい。窓から射す光の中、無防備に足を投げ出して眠る猫を見つけて安心する。
「よし、休憩」
 洗い終えた食器を置き、手をよくぬぐって猫に近付く。耳の周りだけが薄茶の白猫。そっと触れた毛並みはやわらかく、じんわりとぬくもりが伝わってくる。口元に微笑みを浮かべて隣へ寝そべる。ゆるりと上下する体に手をそえたまま、まぶたをおろした。
 頬をなでる風にうながされ、目を開けた。目線に届かんばかりの草が視界をおおい、揺れている。自分の体を見下ろせば、とっくの昔に着れなくなり、いとこにあげたお気に入りのワンピースをまとっている。そうか、今日はこの服か。朧気な記憶とアルバムの写真を浮かべ、思い出を引っぱりだす。水族館へ行って、アイスを食べたっけ。あの時の気持ちに浸っていると、おのれの存在を知らす鳴き声が響いた。
「あ、ごめん。どこに行く?」
 猫はヒゲをそよがせ、風が吹いてくる方へ歩きだす。あとを追って一歩踏み出すと、草が退き、伸び、ビルへ姿を変えた。
 テレビでのみ見たことある街並み。行き交う足の合間をぬって、横断歩道を渡る。交差点の中心だ。仰ぎ見た空は大人の頭とビルとで狭く、それでも、ああ、雲が見える。
「足元、つまずくよ」
 慌てて視線をおろし、ふと前を行く背中を眺める。白髪に、シャツから伸びる白い腕。手は私のものと繋がれ、ぐいぐいと先導している。
「……人間?」
「今は」
「なんで?」
「はぐれるから」
 連れてきたら、置き去りにはできないし。そう言う背中は頭ひとつぶん高い。
「顔、見てみたいな」
「渡り終えたらね」
 地面に書かれたしま模様が途切れ、人の流れがぷつりととまる。約束通りに振り向いた顔をまじまじと見つめ、首を傾げる。
「男の子? あれ、でも……メスじゃなかった?」
「性別はあんまり関係ないんだ。どっちでも、僕は僕」
 答える少年の瞳孔は期待にそわず、真ん丸で人間と大差ない。あの耳の周りは目に反映されているらしい。日本人の大半と同じ褐色だ。
「なら女の子でもいいんじゃないの」
「今日はこういう気分なんだよ」
「この場所も?」
「この場所も」
 さあ、行くよ。再び引かれる手に力を込めて続く。こだまし、響き、ぶつかり合い欠けた音が耳を突く。聞き取れぬまま駆け抜け、人の声が混じり、去る。ビルに映る偽の青と、その奥の本物の青。足を動かしながらも目を見開き、なるだけたくさんの情報を受け止める。
「ああ、いた。そこか」
 少年がつぶやくなりビルの背が一気に縮み、そのまま地面を突き抜け沈んでいく。人影のない屋上に変わった景色にきょろきょろと視線をさまよわせる。どこかのビル、それも高い方に分類されるビルの屋上だろう。遮るものが少ない視界に深呼吸していると、少年の手の感触が消えた。
 彼の隣に並んで視線を追うと、一羽のカラスが毛繕いをしている。黒いのに不思議と重さを感じさせないカラスは、こちらを見て動きをとめた。両の翼を大きく広げ、天に向け伸ばす。触れ合った翼はそのままねじれながら混ざり、伸び続け、溶け合って破裂した。
「気にしなくてもいいのに」
 カラスの羽根が舞う中、少年が目を細める。羽根を舞い散らせながら現れた女性はうっすらと笑みを浮かべた。
「私なりの礼儀だよ」
 空気とともに彼女の体を包むよう、ふんわりと黒髪が広がっている。ストレートなら優に足首を越えるだろう。
「何の用?」
「巡回診療、みたいな。不定期の」
「私がいるか確認しに来たわけね。わざわざご苦労さま」
 女性が背を向け、指で髪をすく。黒髪が風にたなびく。濡れ羽色という言葉が一瞬のぞき、消えた。
 行こうか。差し出された手をつかむ。
「ツバメの坊やは?」
「相変わらず、冬は苦手みたいだよ」
 答えを聞いた女性は、髪を自分の体に巻きつけ、そのまま小さく小さく丸くなる。両手で抱えられる大きさの塊から、翼が二つはえた。
 飛び去る影を見送り、少年が手をひく。ゆるゆるとビルが成長していく。
「寄り道する?」
「いいの?」
「そんな気分だから」
 少し考え、首を振る。
「そろそろ帰らないと」
「お母さんだから?」
 うなずくと少年が目を細めた。
「明日はどこに?」
「明日の気分による」
「連れていってくれる?」
「連れていきたい気分だったらね」
 ビルはそのまま空を覆い、あたりは暗闇と化す。中に浮いた二つの光に、くすりと笑い目を閉じる。
「ん?」
「やっぱり、猫だ……な、て――」
 遠くなる自分の声と手の感触に、少しだけ後悔した。せっかくだから、話でもすればよかったかもしれない。
 目を覚ますと、既に猫は消えていた。立ち上がって腕をあげ、背伸びする。窓を開けてベランダに出ると、空の一番高いところを過ぎた太陽が輝いていた。
「明日も来てくれるといいなあ」
 手に残った温もりを握りしめ、部屋へ戻った。


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