光に住む妖精たち[1]

  噂の妖精


 まことしやかに語られる噂。その噂される張本人というのは案外、どうってことない場合が大半だったりする。
「……あ〜、春かぁ」
 飛び交うツバメを見て、僕はつぶやいた。伸びをしながらあくびしてみる。相変わらず、制服の上着を着ていると肩辺りの動きが制限される気がする。
 そうこうしていると背後から足音。チラリと視線を向けると、大きめの制服に着られている少女がやって来ていた。
 一年生、かな。
 少女は僕のそばに立ち、口を開き、閉じる。
「聞いたんだ? あの噂」
 助け舟を出すと少女は目を見開き、次いでうなずいた。
「ここに……妖精が出るって、友達が」
 いつからか。
 食堂の向かいに並び立つ自動販売機。その奥に、春になるとツバメとともに現れる妖精がいるらしい。どんな願いでも叶えてくれる妖精が。
 そんな噂が、この学校では毎年ささやかれている。
 高校生にまでなって……とは言っていられない。教師の間でもささやかれていたりするのだから。
「あれって……どうなんですか?」
「さぁね」
 えっ? と一年生が僕を見上げる。ぽかんとした彼女の顔に笑いをこらえつつ、続ける。
「そ〜ゆう妖精だとか幽霊だとかってさ、信じる人にとっては存在するし、信じない人にとっては存在しないじゃん。だから、僕に訊くより自分に訊いてみたら?」
 一年生は眉を寄せ、沈黙する。僕の言葉を検討中のようだ。
「……納得しました。一理あります」
 僕はまぶたを軽く持ち上げ、少女を見る。おもしろい、と思った。
「なら先輩はどうなんですか?」
 困った。困ると同時に、楽しくなってきた。
「ん〜、少なくとも僕は、妖精には会ったことないからなぁ」
 そう言いながら頭上を仰ぎ見る。まだ住人が決まってない巣が、二つほど壁に張り付いている。
「ツバメになら、何度も会ったことあるけど」
 一年生は目を丸くし、それからクスリと笑った。
「また来ていいですか?」
「僕に訊かなくても、来たい時に来たらいいじゃん」
 一年生は「そうですね。そうでした」と言い、校舎の方へ立ち去っていった。
 まことしやかに語られる噂。その噂される張本人というのは案外、どうってことない場合が大半だったりする。
「……あっつぅ。さすがは夏、だ」
 巣から雁首――いや、燕首並べて僕をにらむツバメの仔を見て、僕はつぶやいた。伸びをしながらあくびしてみる。つぅっと汗が頬を横切った。肌に張り付くシャツがなんとも気持ち悪い。かといって裸になるのもはばかれるし、さてどうするか。
 そうこうしていると、背後から足音。チラリと視線を向けると、半袖のセーラーを着た少女がやって来ていた。むき出しの腕が真っ白い。
 目の保養、目の保養。
 少女は僕のそばに立ち、口を開く。
「お久しぶりです」
「久しぶり〜」
 挨拶を交わすと、少女はかわいらしく首を傾げる。
「先輩、三年生なんですか?」
 僕は微笑み、「さぁね」と答える。
「二年生は昨日から修学旅行に行ってます。先輩が居残り組みじゃないなら、三年生です」
 今度は首をすくめた。
「ノーコメントで」
 彼女がどう判断したか。それは永遠の謎だ。僕は顔を上げ、ツバメの仔とのにらめっこを再開する。一年生は僕の視線を追い、「あ!」と声を上げる。
「かわいい……」
 かわいい、か。僕はどうしても、彼らに喧嘩を売られているように思える。なぜだか。
 しばらく二対五でにらめっこ合戦をしていたが、一年生が戦線離脱。どうしたのかと見ると、首の後ろをさすっていた。
 僕の視線に気付き、少女は恥ずかしそうに目を伏せる。「そう言えば……先輩の名前、教えてください」
「ん〜」
 どうやらこの一年生、僕を困らせる天賦の才があるようだ。僕を楽しませる才能も。
「ユウキ」
「どんな字を書くんですか?」
「幽霊の幽に鬼で幽鬼」
 目と口とを惜しげもなく開き、一年生が見上げてくる。僕はニヤリと笑ってみせた。すると少女はぷぅと頬を膨らます。
 うわっ、かわいい。
「せ〜ん〜ぱ〜い〜?」
 僕は笑って、ツバメの仔に視線を戻す。
「今度会ったら、教えてくださいよっ」
 立ち去る一年生に、僕はひらひらと手を振った。

 まことしやかに語られる噂。その噂される張本人というのは案外、どうってことない場合が大半だったりする。
「……もう、秋」
 空っぽになった巣を見て、僕はつぶやいた。冷たくなりだした風が、僕を急かす。
 もう少しだけ……。
 願いが叶ったのか、背後から足音が近付く。
「先、輩……?」
 軽く息を吐いて振り返り、一年生と向き合う。
「待ってたよ」
 彼女の顔が青ざめているのは、寒さのせいではないだろう。
「残念だけど名前は教えてあげられない。僕には名前が無いからね」
 一年生は口を開き、閉じる。
「僕が噂の妖精。君の願いを叶えてあげるよ」
 一年生は口を開き、閉じ、開く。
「質問しても、いいですか?」
「いいけど……ご覧の通り、僕にはもう時間が無いから、手短にね」
 僕は軽く両腕を広げる。後ろから射す日の光が、僕を通り抜けて少女を照らす。
「どうして……どうして今日は、透明なんですか?」
 僕は優しく微笑んだ。
「寿命だから、だよ。天の神様が、僕をお呼びなのさ」
「来年の春は……?」
 僕はそっと、首を横に振る。少女の顔が歪み、目からひとしずく涙がこぼれ落ちる。
「僕はわけあって、消える瞬間に誰かの願いを一つだけ叶える事が出来るんだ。――君の願いは、何?」
 ポロポロと、彼女の目から涙がはてしなくこぼれ続ける。それをゴシゴシと拭い、凛とした目で僕を見あげた。
「来年も、再来年も、“先輩”とツバメの仔を見たいです」
 僕は目を見開く。
 驚いた。そんなささやかで、簡単すぎる願い事をされたのは初めてだ。
「……そんなので、いいの?」
 少女は微笑み、堂々とうなずいた。
「はい、十分です」
 僕は笑って、少女の頬に触れた。
「ありがとう」

 一年生が去った数分後。透明な妖精のもとに、男が訪れた。この学校の教師だ。
「おい、鬼畜」
「うわぁ、ひどい呼び方」
「なぁにが、『天の神様が、僕をお呼びなのさ』だ」
「聞いてたんだ」
「お前が透明なのは、もうすぐ“冬眠”するからだろうが」
「うん。君を待ってたら、あの子が来ちゃって……仕方ないから、いつものお芝居をしてみたんだ」
「俺を待ってたぁ!?」
 男が『うげぇ』とした顔で妖精を見た。妖精はその顔を見て吹き出す。
「あっはっ、おもしろい顔! 今年の春に君のお祖父さんが来て、『ばぁさんが、どんなに話しかけてもワシを見てくれん! もうこんなとこ嫌じゃ! 黄泉へ行く!』って」
 男の顔に飽きれが浮かんだ。
「ただの幽霊が、ただの人間に認知されるわけねぇのに。つぅか、二年前からずっと話しかけ続けてたのかよ……アホじじぃが」
 妖精がふふっと笑う。
「それじゃ、また来年の春に」
「俺が生きててお前も存在してたら、また来年の今頃に会いに来てやる」
 妖精は嬉しそうな笑みを浮かべ、夕日の中に溶けて消えた。男はしばらく空を見上げていたが、やがて職務へと戻っていった。


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