「桃香!!」
『バクラ』の声が、私の鼓膜を震わせる。
バクラ……
古代からやってきた、3000年前のバクラ。盗賊王を称する彼。
その少年は、かつてたった一人きりで王宮に戦いを挑み、最期まで足掻いたという。
勿論私には、その詳細も最期の状況も、何も分からない。
褐色肌を持つバクラという少年は、予期せず3000年後の未来の異国に飛ばされたのだ。
そこにはかつての自分自身の魂を受け継ぐ存在が居て、当時の因縁を今度こそ清算するために決戦を待っていて――
そんな状況を、盗賊王はどう思ったのだろう。
彼は表立って口に出さないが、言葉にしきれない思いを一人で抱えているはずだ。
驚愕。焦り。困惑。落胆。憤激。恐怖。悲哀。諦観。
――だがそれを、盗賊王があらわにすることは無い。
せいぜい――当時のファラオがまだ生きている、というか記憶を失った魂となってこの時代に存在しているということを知った時に、動揺と底知れぬ闇を垣間見せただけだ。
にしても、彼はたった数十分でそれを『乗り越え』、再び不敵な仮面を表に張り付けて、私のような『おまけ』を弄るほどの余裕を取り戻したのだ。
泣き言一つ言わず。
何故この世界に飛ばされた、どうすれば戻れる、何故こんな目に遭う――
などという、当然持っているべき鬱憤は撒き散らさずに。
彼は元の世界でも、ずっとそうやって生きてきたのだろう。
故郷の村が丸ごと滅ぼされ、住民が生贄にされるという悲劇に見舞われながら。
それでも、泣き喚いて、自分の不幸を喧伝して、それを盾に相手から謝罪を引き出すような真似はせずに。
ただ己の決めた復讐を遂げるため、千年アイテムを集めて大邪神の力を得るという目的のためだけに、すべてを嗤い飛ばして睥睨する盗賊王バクラという少年。
――そんな悲壮な覚悟を持つ彼が、今、元の世界に帰ろうとする
彼の思惑はわからない。
でも、それでも。
過酷な人生を歩んできた盗賊バクラが、私を求めていること。
共に来いと、私を呼んでいるということ。
そんな彼の声を、拒否する事は私には出来なかった。
たとえ、現代のバクラの意に背くことになったとしても。
でも、どうしようもないのだ。
盗賊王バクラに必要とされている事が、何より嬉しいと私は思ってしまった。
私を求めるその手を拒んで、盗賊王を一人で元の時代に帰すことなど出来ないと思ってしまったのだ。
千年リングに宿るバクラは、この現代で最後の決戦に臨むのだろう。
もちろん、その結末を見届けたいと私は思う。
けれども。
『過去』で志半ばで散ったであろう盗賊バクラが、再び当時へ戻って、何を成すのか。
彼は元々どんな世界を見ていたのか。
どんな風に戦い、どんな風に世界と向き合うのか。
その結末を、私は何より知りたくてたまらないのだ。
だから。
――ごめんなさい、バクラ。
私は昔の『バクラ』を見届けるために、彼と往く……!!
だって彼こそが、『バクラ』の元になった、
――ばっ、と伸ばし返した手で、褐色の手を取る私。
「ッ……!」
白いバクラが驚いたように私を見た。
ぎゅっと盗賊王の手を握れば、そのまま引っ張られ、体を抱き寄せられる。
力強い腕。
まるでこれは自分のお宝だとでも言うように、私を捕らえ、もう一人のバクラに無言で主張する盗賊王。
獏良君の体を持つバクラが、理解できないものを見るように目を細めて、伸ばしていた腕を引っ込めた。
「……それがオマエの選択か」
獏良君の体を借りて、千年リングに宿るバクラはそんなことを言う。
「ごめんなさい、」
紡いだ声は、ほとばしる光と風に巻かれ、彼へと届いたのだろう。
「悪ィな。こいつは頂いてくぜ……!
あばよ、バクラさんよ……」
盗賊王の別れの言葉の後に、私は何事かを継ごうと思って口を開きかけた。
だが、私たちの前に立つバクラが、薄く嗤い――
否。
彼は笑っていた。
邪悪なものを滲ませたいつもの不敵な笑みではなく、穏やかな、一見すると宿主と見間違えそうな、そんな柔らかな表情を
「バ、クラ」
「――そいつが『バクラ』だ。確かにな。
……
その声は、何かを悟ったような、全てを託すような――
どこか切ないものだった。
まるで、遠い過去の色褪せた写真を、懐かしみながら眺めるような。
二度と戻らないその時間に、少しだけ物寂しい様子で思いを馳せるような。
そんな表情で私たちを見つめる、
私が初めて目にした『彼』だった。
それは確かに人間だった。
3000年前に肉体を失い、大邪神の影響を受け、千年リングに宿った邪悪なる意思の中にある、かつて『人だったモノ』。
それは私の一方的な願望、バイアスなのかもしれないけれど。
かつて人だった『バクラ』は今、人間の残滓である情で以って、かつての自分自身と私を過去に送り出そうとしている――
少なくとも、私にはそんな風に感じられた。
そう。
『バクラ』の中にある、かつて人であったモノの残滓――
その残滓の由来こそが、
私が今、
――涙が溢れる。
千年リングに宿るバクラは、盗賊王に抗議するわけでも、私を詰るわけでも無かった。
彼はただ、そういう道もあるだろうというような、ごく自然な寛容と理解で以って、私たちと決別しようとしている。
「あばよ」
吐き出された声は、現代のバクラによる、別れの言葉。
「バクラ……っ」
さようなら、と吐き出せば、彼との今までの思い出が一気に蘇り、心臓をギュッと締め付けた。
背筋を這い上がる後悔のようなもの。
……でも、もはや遅い。
私は選んでしまった。
盗賊王のバクラを選んでしまったのだ。
獏良了を宿主とする、千年リングに込められた意思であるバクラの手を振り払って。
だから、後悔はしない。
全部、自分の選んだことだから。
現代で決戦を待つバクラのかわりに、私が
人間である彼の生き様を見届ける。傍に居る。
もし滅びるなら、最期まで運命を共にする……!!
涙でぐしゃぐしゃになった眼で、私は白いバクラに無言で己の決意を伝えた。
呆れたようにフ、と嗤った顔。
その顔はいつものバクラに戻っていた。
そして彼は、コクリと小さく頷く。
それが最後だった。
重ねた千年リングから漏れる光が、一層強くなる。
バクラ、ごめんなさい、バクラ――
でも、ありがとう――
叫ぶように紡いだ言葉は、彼に届いたのだろうか。
もはや分からなかった。
風が吹き、光が満ち、意識が遠くなって――……
そして――
………………
…………
……
「――桃香」
ん、なに……
「桃香。おい、聞いてんのか桃香!!」
「っは、はい!!」
「……ったくよ……、」
――――。
今、私の目の前に立っているバクラ。
その顔は、仕方ねぇなというように呆れていて。
次いで吐き出された、
「オマエは本当、いつまで経っても変わんねえな」
という一言に、決してそれが褒め言葉ではないことを思い知る。
「あはは……ごめん」
曖昧な笑顔で彼に謝りながら、改めてその顔を見つめてみる私。
まだ少年と言っていい年頃。
しかしその鋭い目つきと纏う物騒なオーラは、彼が決してただの少年ではないことを表していた。
彼の名はバクラ。
褐色の肌に白銀の髪。
頬に刻まれた痛々しい傷跡。
盗賊王と呼ばれたその少年は、赤い派手な上衣を羽織り、黄金の装身具を身につけ、そして。
その胸元には、千年リングと呼ばれる宝物が――
千年リング。
彼がとある神官から奪った戦利品、七つあるという千年アイテムのうちの一つ。
千年アイテムは、バクラの故郷の村の住民を生贄にして作られたという。
呪われたその宝物は、とある王族の主導によってこの世に生み出され、それゆえバクラは王族たちを激しく憎んでいる。
――七つの千年アイテムには、秘密があった。
バクラの生まれ故郷、クル·エルナ村にある地下神殿。
そこにある冥界の石盤に七つの千年アイテムを収めた者は、大邪神ゾーク·ネクロファデスの力を手に入れることが出来るという――
盗賊王バクラは、その力を欲していた。
すべての千年アイテムを王や神官たちから奪い、大邪神の力を得て、世界を盗むと心に決めていた。
そう。
私は、そんな彼の血塗られた生き様を、最期まで見届けると――
「おい、聞いてんのか!
……なんだよ、どっか悪ィのか?
暑さでやられちまったんじゃねえだろうな」
再び荒げられる声に、急いで我に返る私。
「あれ、千年リングは……」
バクラの首には千年リングが掛かっていなかった。
ゆるく開かれた胸元から覗くのは、鍛えあげられた褐色の胸板と普通の装飾品だけで――
「……? 何言ってんだ」
あれ。
待って、何故私は
それに、いま彼が着ている赤い上着だって、つい先刻王墓で手に入れたばかりだというのに、私はどうしてその姿が、やけにしっくり来ると思ってしまったんだろう。
まるで、もっとずっと前から、彼のその姿を知っているような――
「……オレ様はどこまでオマエに千年アイテムの話をした……?
まあいい。つーかオマエ、本当に大丈夫か?
オレ様が王宮に乗り込んでる間にぶっ倒れても、助けてやれねぇぜ……?」
すっと伸びて来た腕が、私の肩に回される。
次いで額に触れた熱が、私の心臓を派手に跳ねさせた。
「……っ、」
前髪を払い、額同士で熱を確かめるように寄せられたバクラの顔。
「そこまで熱があるってわけでもねぇな……」
ごくり、と息を呑む私のすぐ傍にある、バクラという異性の唇。
たちまち火照って行く頬と、高鳴る胸。
「……桃香」
至近距離で名前を囁かれた直後に、まるでそうすることが当たり前だというように、唇を塞がれた。
「ん、や……っ、ぁ……」
触れられるだけで、容易く熱を上げる身体。
胸を掻き毟るような慕情が、ほとんど本能的に首筋に腕を回させる。
バクラが、好き……
バクラを、愛してる……
いつも不敵な笑みを浮かべ、私を茶化すようにあしらい、口調は乱暴で愛の言葉なんてただの一つだって囁いてくれないけども……
でも。
時折見せる、本人も気付いていないだろう寂寥感の入り交じった縋るような表情、悲壮なものが宿る背中、そして。
男の欲望を滲ませた、飢えた獣のようなギラついた眼と、私を求める熱い身体。
そんな彼が、バクラが――
私は大好きなのだ。
もうずっと前から。
褐色肌と白銀の髪を持つ、この姿を知る前から――
あれ……?
前ってなんだっけ。
この姿、ってどういうことだっけ……?
そもそも、私は『このバクラ』と、どうやって出会ったんだっけ……?
思い出せない。
いや待って、私はたしか、現代で――
…………
現代、ってなんだっけ?
あれ。
私はこのバクラしか知らないよね……?
ていうか、この、っておかしいよね。
バクラはバクラでしかないのに。
私ってどこで生まれたんだっけ。
なんでバクラを好きになったんだっけ。
変だな、何も、思い出せない……っ
「ハ……、うわの空とはいい度胸じゃねえか……っ
そんなに虐めて欲しいってか……?
どうしようもねぇ女だな、オマエはよ……!」
「あっ……、ちが、ゃ、バクラ……っ、ん……!」
「何が違うんだよ……?
オレ様が居ない間、大人しく待ってろよ……?
ファラオをぶっ殺して帰って来たら、また可愛がってやるから、よ……!」
「っあ……! や、バクラ、だめ、ぁ、バクラぁ……っ!」
私を穿つバクラの熱。
膨れ上がる快感。自然と涙が浮かぶ。
とめどない愛欲に溺れて行く。
「ヒャハハっ、イイぜ、お前」
耳朶を噛まれ、囁く声に身体を震わせれば、自分という存在が溶けてバクラと同化してしまうのではないかと思った。
――でもやはりおかしい。
嗜虐めいたモノと肉欲をあらわにしながら、荒っぽく、時に丁寧に私を揺さぶる熱には、どこか既視感がある。
私の首を吸い上げる唇、重なる胸の間には、何か固くて冷たいモノが、『いつも』在ったような……
私の胸の上に広がり、シャラシャラと控えめな音を立てる、黄金色の輪っかのような――
それを身につけた『彼』は、白い肌で、長い髪で――
誰だっけ。
おかしいな、何も思い出せない。
でも、思い出せないということは大したことじゃないんだ、きっと。
私にはバクラがいる。
褐色の肌と白銀の髪を持つ、盗賊王のバクラが。
そう、私は誓ったのだ。
最期まで彼を見届けると。
最期まで彼と共に歩むと。
あれ、でもおかしいな。
最期、って何だっけ。
私、何か大切なことを――
「ん、バクラぁ、好き……っ」
誰よりも愛しいその首筋を夢中で抱き寄せれば、満足そうに嗤った彼に唇を塞がれた。
「ん、ふ、……っ」
――そうだ。
今目の前に『バクラ』が居ること。
それだけが真実だ。
他には何も要らない。
私は
だから。
彼の行く先を見届ける。共に往く。
たとえそれが、深い深い闇の底だとしても。
愛してる、バクラ。
果てまで、あなたと共に――
**********
「ククク……」
その男は、とある大掛かりな模型を見下ろしながら嗤っていた。
古代エジプトを模した巨大なジオラマ。
それは、当時の町並みを再現したもので、博物館で展示されているものを転用したものだった。
――否。
言い換えるならば、やがて来る最終決戦を想定し、『彼』が『宿主』に創らせたものだ。
『彼』は、すぐ目の前に迫った決戦の時を独り静かに待っていた。
3000年を超えた因縁の決戦の舞台となる、そのジオラマ――
そこに配置された、二つの駒を見つめながら。
駒。
『彼』の手駒となる、二つの――二人の、人間。
そう、かつては確かに人だったモノ。
血肉を持ち、確固たる意思を持ち、大地を踏みしめていた二個の魂。
だがそれはもはや、盤上で動くだけの駒にしか過ぎないのだ。
「せいぜい都合の良いように動いてくれよ……?」
『彼』は告げる。誰にともなく。
長い白銀の髪を靡かせて、白い肌を持つ端正な顔立ちに邪悪な影を落としながら。
彼の肉体は、獏良了という名前の高校生だった。
しかし、そこに宿るのは、バクラと名乗る邪悪な意思――
首から下げられた、千年リングという宝物に宿る精神だった。
バクラは二つの駒を眺める。
駒の一つはバクラという名前だった。
かつて盗賊王と称された、褐色肌の少年。
千年リングに宿る『バクラ』の自我の、元になった人間。
もう一つは女だった。
桃香という少女。
現代の童実野町に生きていたはずの彼女はしかし、
『邪悪な意思であるバクラ をきっかけに、かつての盗賊王に入れ込み』
挙句、『記憶の中にしか存在しない 古代世界に 入ることを 望み』、
『そこで
愚かな少女。
彼女の体は抜け殻として、昏睡状態で病院に運ばれたはずだ。
精神だけが盤上に囚われたまま。
現実とも幻想ともつかない記憶世界で、
ならば、彼女の望みどおり、最後まで踊ってもらおう。
最後――最期。
千年アイテムを集める駒として足掻くしか無い、盗賊王バクラの傍らで!
獏良了の肉体で、『バクラ』は高嗤う。
全て計画通り。
紆余曲折はあったが、何も問題は無い。
『バクラ』に入れ込んだ少女を神の視座から見下ろしながら、彼は薄笑いを浮かべていた。
意識を集中させれば、彼女が盗賊王とどんな行動をしているのかは手に取るように分かる。
『バクラ』の声で詰られ、悦び、現実と変わらない笑顔を浮かべる桃香という女――
そして、その傍らで、己の目的を達せられると信じて疑わない血気盛んな男。
その滑稽な姿を見ていたバクラは、気付けば己の口元から笑みが失われていることに気がついた。
「…………、」
それは、僅かな違和感だった。
まず、盗賊王バクラという男。
3000年前に生きていたその少年は、千年リングに宿る『バクラ』の自我の元になったというだけの人間のはずだ。
復讐を誓い、千年アイテム集めに奔走し、血塗られた道を走って力尽きた、古代の人間。
つまり今『舞台』で駒として動いているこの男は、本来『バクラ』の記憶の中にしか存在しないはずだった。
姿形も、言動も、行動も。声や仕草、人格さえ。
けれども。
盗賊王バクラという男は、かつての『バクラ』でしかないはずなのに、それだけじゃないような――
おかしなことだとは思うけども。
現代で千年リングに宿るバクラは、まるで直接面と向かって、あの
それだけじゃない。
あの褐色肌の古代人が、現代日本の服装をして、きょろきょろと辺りを見回し、それどころか――
桃香という少女の隣に立って、恥ずかしげもなくその腰を抱きながら、童実野町の巷を闊歩していたような――
そんな気がするのだ。
ハッ、とバクラは自嘲し、そんなことはありえない、と己の想像を即座に否定した。
頭に浮かぶビジョンは、ありえないビジョン。
だってそうだろう。
あの盗賊王を称する男が、現代的な服を着て桃香の隣に立ち。
獏良了の体を宿主とする自分が、それを面白くないと、柄にもなく突っかかっているという光景など――
幻想、妄想。
それ以外の何だと言うのか。
そもそも、千年リングに宿る意思である自分が、何故そんな光景を思い浮かべるのか。
バクラは理解できなかった。
しかし、違和感は晴れない。
『桃香という少女は、何故
彼女は何がきっかけで、『古代へ行きたいと願ったのか』……
そして、具体的にどうやって『盤上の駒となり』、『どうやって盗賊王と懇ろの仲になり』、どうやって――
思い出せなかった。
彼女と盗賊王、そして
だがそれにまつわる顛末を思い出そうとすると、まるで記憶にもやがかかったように何も思い出せないのだ。
バクラは頭を押さえ、目を見開いてしばし硬直した。
それは喩えるなら、ゴールを目指して走っていた者が、気付けばスタート地点に戻されていたような――
もっと言えば、実験に使う小動物だ。
本来、決められたコースを走ってエサのあるゴールへ向かうはずの小動物――
たまたま途中でコースアウトしてしまったそれを、人の手で摘んで強制的に元の正しいコースへ戻すような。
小動物は己に何が起きたのか知覚出来ないし、抗うことも出来ない。
そんな、理不尽で、途方もなくて、時間の概念すら覆すような――
「ククク……、ヒャハハハ!!!」
バクラは嗤う。
馬鹿げている、と思う。
それこそ夢想だ、とバクラは己を嘲笑う。
そんなことあるはずがない。
千年アイテムの力――千年アイテムを生み出す根源となった、大邪神の影響力さえ振り払って。
得体の知れない、人智を超えたモノが干渉してくるなど。
ありえないし、いいや、あったところで――
それで、何だというのだ。
かつての記憶を頼りに古代世界をジオラマで『再現』し、
そのために、盗賊王バクラという男を駒にする。
ついでに桃香という女も道連れにする。
それで終わりだ。決戦の舞台は整った。
これでいい。何も問題は無いのだ。
たとえ、忘れてしまった『何か』があったとしても。
知覚出来ない『隙間』に、取りこぼした些細な記憶があったとしても。
だから、何だというのだ。
それに、『誰が損をする?』
万一、『忘れてしまったモノ』があったとして。
千年リングに宿るバクラは、宿願である
盗賊王バクラは、とうの昔に過ぎ去った、確定された歴史を『なぞる』。
そして桃香は――
そんな
何も問題は無いのだ。
だから。
これでいい、とバクラはひとりごちて、深呼吸をした。
3000年を超えた宿命の果てに、全てを掴めるのなら。
それ以外の些事など、知ったことか。
もうすぐ
現代では遊戯と呼ばれるそれが、己自身の記憶に触れる。
どれほど待ったことか。
この時のために、3000年も待ったのだから。
バクラは嗤う。
二つの駒を見下ろしていた邪悪な視線は、気付けば彼らから外れていた。
闇を湛えた双眼は、虚空を見つめる。
まるで、取りこぼしたモノの存在から、目を逸らすように。
それから彼は、ゆっくりと瞼を閉じた。
まるで、あらゆる雑念と決別するように。
それはきっと正解なのだ。
何故なら。
ゴールへ向かう彼はもう、二度とコースを外れる事はないのだから。
U.Open-ended
『二度と戻れない、定められた道』
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