12



『ありがとうございました〜』

お店の人の挨拶を聞きながら、自動ドアを通って外へ出る。

「上着預けてきたよ。明日には出来るって」

「……」


見慣れた街並み。
休日の童実野町を行き交う人々。

私は――私たちは今、連れ立って街を歩いていた。


朝、メールをあっちのバクラに送って、それから。

私が文末に、今日は親も帰ってくるからうちに長居は出来ないという旨を添えたためか、バクラから返って来たのは、『そいつを連れて家に来い。ただし知り合いには注意しろ』という内容だった。

家――獏良君のマンション。601号室。

私たちのいきさつを知って、あのバクラは何を考えただろうか。
知り合い――これは特に、遊戯君たちのことだろう――に出くわす危険を冒してでも、私たちを自宅に招いたバクラ。
彼は今でも、この騒動の落としどころを熟考しているに違いない。

意を決した私は、盗賊王であるバクラに朝の身支度を教え、彼を連れて自宅を後にしたのだった。

あのバクラ――宿主である獏良君は、幸い一人暮らしだ。
時間を気にせずとことん話し合いが出来るという点では、獏良君の家は最適だと言える。

ただし――あのバクラと、こっちのバクラが再び争うようなことにならなければ、だが。


砂埃にまみれた盗賊王の赤い上着をクリーニングに預け、店の外で待っていた盗賊バクラと合流した私は、獏良君のマンションに向かって歩く。

私は私服。簡素なシャツに羽織物と、スカート姿だ。

盗賊王バクラはと言えば――
彼は今、私が貸したスニーカーを履いてパーカーのフードを被り、ポケットに手を突っ込んで辺りを警戒するように背中を丸めながら歩いていた。

彼の肌の色、そして顔にくっきりと刻まれた傷は目立ちすぎるから仕方ない。

だが、触れるモノみな切り裂きそうな剣呑な気を発する彼は、どう見てもやばい人にしか見えなかった。

「あはは……そんなに警戒しなくても大丈夫だから……
かえって浮いてるし……」

千年リングを服の下にしまい、紫がかった双眸をギラつかせて私と共に巷を闊歩するバクラ。
そのポケットには物騒な例のナイフも入っているが、外では絶対にナイフを出さないでと私は彼にお願いしてあった。

裏路地で数人の不良に絡まれたという程度ならともかく、人前で注目を集めてしまったり――
あげく警察が来る様な事態になってしまったら、非常にまずいからだ。

加えて、スリなどの窃盗も厳禁だと釘を刺しておいた。
お金なら多少はどうにかなる。

とにかくこの世界は、バクラが生きていた時代とは違うのだ。


「あ、コンビニ寄って行っていい?」

クリーニング店で手持ちのお金を使ってしまった私は、コンビニのATMでお金を下ろそうと思い、コンビニが何なのかをバクラに説明してから店に入った。

「……」

ATMの機械からお札が出てくるところを不思議そうに眺めるバクラ。

この世界の金銭と銀行の概念についても、バクラには一応教えてある。
テレビで○○円がどうのこうのとやっていた時に尋ねられたからだ。

「飲み物とお菓子も買って行こっと」

食べ物に飲み物、本に雑貨。
数え切れない商品が所狭しと並んでいるコンビニの店内を、バクラは物珍しそうに見回していた。

その姿に微笑ましさを覚えた私は、ふふ、と笑いながらカゴを手に取り、棚に目を遣る。

バクラの適応能力はハンパではない。
古代からしたら何もかもが過剰で、極端で、複雑な現代。

それなのに、内心どうあれ、彼は必死にこの世界の情報を吸収しようとしているのだ。

(やっぱりバクラはすごいなぁ……)

そんなことを思いながら、「欲しい物があったらカゴに入れてね、」と私はバクラに声をかけた。

かけたはず、だった。

「……?」

そう広くない店内。

いくら棚でところどころ視界を遮られていたとしても、見失うはずなど無い。

無いはず、だった。

だが――

「バクラさん……?」

フードをかぶって店内を見回しながら歩いていた盗賊王バクラ
気付けばその姿は、トイレを含め店内の何処にも見当たらなくなっていた。

「っ……!!!」

背筋を冷たいものが走り抜ける。

心臓が収縮し、呼吸が止まった。

カゴと商品を戻し、会計をせず店を出る。
もちろん店の外にも彼の姿は無い。

(獏良了バクラに連絡しなきゃ……!)

携帯電話を引っ張り出そうと焦ってバッグに手を入れたところで、ふと思い出す。

(そうだった……携帯電話は盗賊王バクラが持ったままだ!!)

601号室で私たちを待っているだろうバクラからメールを受信した後、これから行くと返信をし――
盗賊王は念のためだというように私の携帯電話を取り上げ、ポケットにしまったのだ。

どうせ一緒に歩くのだから、彼が持っていても問題ないだろう。
それで盗賊バクラの安心が得られるのなら……と、私は深く考えることもなかった。

(どうしよう……!)

呼吸が乱れる。

もしこの煩雑な童実野町で、盗賊バクラが本気で行方をくらましてしまったら。

私にはどうすることも出来ないし、戸籍も無ければこの世界の情報もほとんど持っていない彼が、もしトラブルに巻き込まれでもしたら……!!

精霊獣を携えたバクラが古代の世界を闊歩するなら、彼はきっと無敵だろう。
有象無象の障害など障害にもならない。きっとそうだ。

だが、この世界は彼が居た時代より3000年後の異国なのだ。

盗賊王の力を信頼していないわけじゃないが、この世界はきっと今の彼の手には余るだろう。


走る。

辺りを見回し、彼の服装を思い出しながら盗賊王の姿を探して私は走り回った。

「バクラ……、バクラさん……!!」

その時の私は、注意散漫な愚か者だったに違いない。

「ッ!?」

ドン、と何かにぶつかった衝撃。

「ってーな!!!」

瞬時に降って来た罵声に硬直し、何が起きたかを悟る。

「あ、あ……、ごめんなさい!!」

バクラの姿だけを探して人気の少ない路地に入った私は、曲がり角から出てきた通行人と、出会い頭にぶつかってしまったのだった。

「テメェなめてんのか!! どうしてくれんだ! おら!!」

一見してガラが悪いとわかる不良のような男子二人。

「っ、ごめんなさいごめんなさい!!
人探してて、前見てなくてっ……! 本当にごめんなさいっ!!」

反射的に頭を下げ、ありったけの声を絞り出して謝罪する。

ぶつかったことは申し訳ないが、生身の人間同士そこまで衝撃が強かったわけでもないし、これで許してもらえれば、と私は低姿勢で何度も頭を下げ続けた。

しかし。

「ごめんで済むと思ってんのか!!」
「このアマ! ふざけやがって!!」

お決まりの台詞を吐いて、いきり立つ不良たち。

まずい……

「誠意見せろや!!」

バッ、と伸びてきた手に腕を掴まれる。

「ッッ……!!」

息が詰まる。額から滲む汗と、全身に広がる恐怖。

こんなこと、してる場合じゃないのに……!

だが、この場を切り抜けないことにはどうにもならない。
私は震える手でバッグを握り締め、「お金なら少しは……」と申し出た。

「いくら持ってんだよ、おら!」

バッグを強引に奪われ、不良の一人に中を引っ掻き回される。
不快感が胸を突くが、奥歯を噛み締めてこらえた。

「ん!? ……コイツ、童実野高校の生徒だぜ!!」

「っ!!!」

不良が財布より先に引っ張り出したのは、あろうことか生徒手帳で。

「童実野高校だと……!? あの城之内がいる高校か?」

もう一人の不良の口から発せられる、私の友人の名前。

もしかしたらこの不良たち、城之内が前に喧嘩したとかいう、隣玉高校の生徒じゃ……

「オメー、ちょっと俺らに付き合えよ!」

投げかけられる不穏な言葉。

ますますマズイ。
どうしよう……

恐怖をこらえ、唇を噛みしめる。
滲み始める涙で視界がぼやける――が、泣いている場合じゃない!!

「なになに? 名前は、犬成――」


突然、だった。

不良の一人が生徒手帳の私の名前を読み上げた瞬間、その手が硬直し、バッグがどさりと落下したのも束の間、その体が壁へ向かって吹っ飛ばされた。

「っ!?」

「ぐはっ!!」

見えない力で壁に叩きつけられた人体が肺から息を吐き、やがてずり落ちて動かなくなる。

パサリと音を立てて地面に落ちた生徒手帳。

私の腕を掴んだままのもう一人の不良が、私の肩越しに何かを見つめ、硬直している。

――ああ、そうか。

振り返るまでもなかった。

不良は私を横へ突き飛ばし、「なんだテメーは!」と、無謀にも『それ』へ向かって飛びかかって行った。

よろけた私が壁に手を付き、振り向いた瞬間――

「がはっ!!」

無様な声がして、もう一人の不良はあっけなく地面に崩れ落ちていた。



「何をやってんだてめえは……!!
ヤツは何処だ!!」

脳髄をダイレクトに揺さぶられるような、『彼』の声。

「っ、バクラ……!!」

――そこに立っていたのは、バクラだった。

ただし、褐色肌を持つ彼ではなく――
ボーダーシャツを身にまとう、白い肌のバクラ。

溢れる涙を急いで拭い、息を吸い、声を発する。

「バクラが……! 盗賊王のバクラさんがいなくなっちゃった!!」

「っ!!!!」

カッと眼を見開いたバクラが、私ににじり寄る。

「っ、ついさっきまで一緒だったの! でも……!!
コンビニで、気付いたらいなくなってて……!!
だから、今探してて……!!!」

しどろもどろになりながら吐き出す。

「ごめんなさい、私がちゃんと見てなかったから……!!」

「チッ……!!」

舌打ち。
私は急いで散らばった荷物を拾うと、振り向いて走り出したバクラの後を追ったのだった。



「っ、ずっと、私を見張るように、側にいたから……、油断してた……っ!!」

辺りを見回しながら走るバクラの後を追いながら、必死に走る私。

バクラはところどころで立ち止まり、千年リングのサーチ能力を発動させている。
おかげで私も、バクラの速度についていくことが出来ていた。

息を切らしながら、あらためて疑問を口にする私。

「はぁ……、はぁ……っ、
なんで……、何処に行ったんだろう……、バクラさん……!!」

「鈍いヤツだなてめえもよ!!
盗賊王ヤツは見つけちまったんだよ……!! 遊戯パズルをな!!」

「っ!!!!」

吐き捨てるように叫んだバクラの言葉に、思わず息が止まる。

「チッ……、やっぱオレ様がそっちに行くべきだったぜ……!!」

歯噛みするバクラの顔には、焦りの色が浮かんでいた。

「……っ」

方向を定めたバクラに従い、再び走り出す。

バッグが振り回されないように握り締めた自分の手が、震えていた。

もし盗賊バクラが、遊戯君を見つけてしまったら。

この世界に持ち越された千年パズルの――かつての千年錐に封じられた、ファラオの魂に気付いてしまったら。

そして、激昂した盗賊王が、昨日の話も忘れ、遊戯君を手にかけてしまったら――

私たちは破滅する。

この時代での目的を達せられなくなったバクラと、遊戯君という友人を最悪の形で失う私――

考えたくなかった。

けれども。

盗賊王バクラには、この世界で勝手に動く事はつまり、イコール未来の自分の目的を妨害することだ、とはっきりと伝えてあるはずだ。

冷静に考えれば、彼はすんでのところでこらえるだろう。
それがどんなに苦しいことであっても。

信じたい……そう思った。

盗賊王バクラを信じたい。

大胆不敵だが慎重で、豪快だが繊細でもある彼を。

そして。


「はぁ、はぁ……」

『彼』は、立っていた。

パーカーのフードを脱ぎ、とある小さな店を遠巻きに見つめるようにして。

「ここは……」

言葉にするまでもない。

私も、獏良君を宿主とするバクラも、この場所を知っている。

この時代で千年パズルを完成させた人間。

武藤遊戯という少年の、お爺さんがやっているゲームショップだ。


「っ、バクラ……、」

私が呼びかければ、彼がゆっくりと振り返った。

ドス黒いモノが宿る、その双眸。

押し殺したような凶暴さは、彼の身にかつて降りかかった災禍に起因している。


千年リングに宿る現代のバクラが何事かを、言う前に。

口を開いた盗賊王バクラが、言葉を発した。

「……こういうことか。
ようやく分かったぜ……

貴様らが何故ここまで、オレ様に隠し事をするのか……その理由がな」

その声はどこまでも冷たく、そして灼熱だった。


自然と涙が込みあがる。

唇を噛んだ私の横では、白いバクラが盗賊王を睨めつけたまま沈黙していた。

「安心しなぁ……!
貴様の『正体』を聞いたからな……先走ったコトはしねえよ。
今は、な……」

クク、と肩を震わせ私たちの元へゆっくりと歩いてくる盗賊バクラ。

彼は誰よりも憎んでいるはずの――現代に発現したファラオの魂に背を向け、獏良了の肉体を持つバクラに向かい合った。


バクラが二人。

決して現実世界では出会うことのないはずだった、バクラ同士。

一人は千年リングに封じられた闇の魂で。
もう一人は、かつて盗賊王と呼ばれた少年だ。

彼らの視線が交差するのはこれで二度目。

一度目の昨日は、二人は対立しあった。

だが、今は。

二人は互いを罵倒することもなく、千年リングの力を行使することもなく――

足並みを揃え、とあるマンションの601号室へ向かって行くのだった。






「コンビニ……そこで何か買ったのか?」

前を歩く二人のバクラ。
そのうちの片方が少しだけ振り返り、背後を歩く私に問いかけた。

私がバクラさんと呼んでいる盗賊王のバクラだ。

「ん……っ? 買って、ない……
途中でバクラさん居なくなっちゃったから」

思わず答えれば、歩を緩めた盗賊バクラが私の横に並び、唐突に腰に手を回してきた。

「ッ!!」
「っ!」

胸を高鳴らせた私と、何事かと振り返ったもう一人のバクラの声なき声が重なる。

「おい……!!」

前を行くバクラが剣呑な声を発し、私の腰を抱き寄せるバクラが「なんだよ?」と応えた。

「コイツをオレ様に寄越したのは貴様だろ……!
今更後悔したって遅ェんだよ!」

挑発するように盗賊王が吐き捨てれば、白いバクラが舌打ちをこぼした。

「ンなことはどうでもいい……!
街中で目立つことをすんじゃねえつってんだよ!!」

「あァ!?」

やばい……

二人が共闘できそうだと思ったのは私の気のせいだったのか……

「あ、あの……
コンビニ、寄ってもいいかな……」

おずおずと私が申し出れば。

盗賊バクラは満足そうにククク、と嗤いを噛み殺し、現代のバクラはまた舌打ちをこぼすと、落ちていた空き缶を蹴飛ばしたのだった――


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