私は涙を流さなかった。
それよりも、去り際の彼の視線の意味を考えていた。
私はこのまま盗賊バクラに口を割るよう拷問され、殺されてしまうのかもしれない。
でも、最期の瞬間まで、考え続けなければいけないような気がしたから。
チッ、という僅かな舌打ちが頭上から聞こえて来る。
交渉に勝った? 形になったとはいえ、思い通りにならなかったのは盗賊王も同じなのだ。
彼にとっては、あのバクラがもうちょっと与しやすい性質を持っていたら良かったのだろう。
中身も見た目通りの10代高校生で、『歴史上の人物』を出し抜こうなどと考えずに、鼻に付くほど善良でなくていいから素直で、盗賊王よりはちょっと頭の鈍い協力者であったならば――
あのバクラと同じく盗賊の彼も今、苛立ちを感じているに違いない。
「随分と冷たいじゃねえか……てめえの男はよ!」
私を拘束したままそんなことを吐き捨てる盗賊バクラ。
未だ首に当てがわれたままのナイフ。
彼の物言いにちょっとだけ口を出したくなった私は、例の視線の意味を考えることは止め、彼に言葉を返した。
「私……あの人の奴隷なの」
「…………、」
「あ、奴隷って言っても古代に居たような奴隷制度の奴隷じゃないですよ……?
何ていうか、玩具なの。私……
だから、あれが普通です」
人生の終わりが迫っていることを予感し、何故だか急に達観した気持ちが湧き上がってくる。
私の最期を見届けるかもしれないバクラに、最低限の秘密は伏せたまま自分の立ち位置を打ち明けるのも悪くない――
そう思えたのだ。
「でも、バクラさんに殺されるならそれでもいいや……
痛いのは怖いけど」
「あァ……?」
「出来れば、ひと思いにやってほしいな〜
……って、それは無理か……
でも拷問て……無理ィ……! はぁ……」
その時、私の首に押し付けられていたナイフがすっと離れ、彼の体温ごと離れて行った。
「……っ!」
自由を取り戻した体。
私一人ならわざわざ拘束する必要もないということだろう。
逃げるつもりはないが――たとえ逃げようとしたって、私の力ではこのバクラから逃げるのは無理だからだ。
「ヤツはきっとまたオレ様の元へ来る……
その時までにこの世界のお勉強をしておかねぇとなぁ……!」
ぼそり、と吐き出す盗賊バクラ。
(え、そうなの? でも――)
「貴様がどうなろうが関係ねぇ。
だがヤツはオレ様を野放しにだけはしたくねえはずだぜ。どんな手を使ってもな……
つまり再会は避けられねえってことよ……!」
私の疑問を見透かしたように盗賊バクラが語る。
しかし彼は何故それを私に言うのだろうか?
やはり、私を生かしてあのバクラに再会させる気はないということなのだろう。
はぁ、とため息をつく。
バクラのためにバクラに殺されるなんて……正直、頭がついていかない。
俯いた私の頭上から、何者をも恐れぬ彼の声が降って来る。
「おい桃香とか言ったな……!
奴の代わりにてめえからキッチリ情報を絞り取ってやる……!
痛い思いをしたくなきゃ、さっさと吐いちまった方が身のためだぜ!」
「ええ、ぇ……」
陽が沈み、夜闇が辺りに忍び寄る。
家族はまだまだ帰らないだろう。
だがこのまま外で会話を続けるには視界が暗すぎる。
盗賊であるバクラは平気なのかもしれないが……
それに。
ぐぅぅ〜……
緊張の糸が切れた途端鳴ったお腹の音が自分から発せられたものだということに気付くと、私の頬にはかっと熱が生まれたのだった。
「お腹すいた……」
昼休みから何も食べていないのだ。無理もないだろう。
我ながら呑気だとは思うが、どの道今の私には他に出来る事は無いのだ。
ならばしたいことをするしか無い。
生きるだの死ぬだのは、それから考えればいい。
「ねぇバクラさん……とりあえず何か食べませんか?
私が毒味した後でいいので」
そう、申し出ると。
盗賊バクラが少しだけ変な顔をした気がしたのだが、リングの光も消えた中、その表情はよく見えなかったのだった――
食べ物という単語にちょっとだけ心を動かされたのか、先程は家に入ることを拒否した盗賊バクラも、今度は割と素直に敷居をまたいだ。
もちろん、家には今誰も居ないということを再三強調しておいた上で、だが。
が――
そこはやはり古代人。
玄関のドアを開けて灯りをつけた瞬間、バクラが息を呑むのが分かった。
それから私は、まず玄関で靴を脱ぐことを彼に教えたのを皮切りに、家の中で過ごすためのほぼ全ての動作を彼に逐一説明することになったのだった。
問題はそれだけではない。
(バクラ……の……服が……)
盗賊バクラがまとった派手な外套。
……と、その下に着込んだ白っぽい衣服。
愚かにも私は、体ごと抱きしめるように拘束された時には熱に浮かされていて気付かなかった。
いやそもそも、さっきまでは互いに外に居たから気にならなかったのだ。
だが。
こうして古代の衣装を身にまとい、砂っぽい荒野だの遺跡だのを闊歩して来たであろう盗賊王を、実際、自宅に入れてみれば……
その衣服や装飾品の隙間からこぼれ落ちた乾いた砂埃が、フローリングに撒き散らされているではないか!
それだけではない。
靴の隙間から混入したと思われる砂が彼の足を白く染め、その砂っぽい足跡までも床に、床に……。
まるで、見た目にはそんなに汚れが気にならなかった犬の毛を、濡れたタオルで撫でてみたら思いのほかタオルが黒くなっていた、みたいな……
そんな、知りたくなかった事実。
いやむしろ、外飼いしていた動物をそのまま室内に入れてしまったような感覚すらある。
「…………」
しかし、今すぐ服を脱いで足も洗ってというわけにも行かないだろう。
汚いという不快感はなく、ただ掃除が大変だなぁというのが正直な感想だった。
とりあえず私は、見慣れぬ家屋にそわそわする素振りを見せつつも努めて冷静に振舞おうとしているバクラをダイニングの椅子に座らせると、食事を用意するために冷蔵庫を開けたのだった。
そして、ふとあることに気付き、扉を一旦閉める。
「あ……、バクラさんも手を洗ったほうがいいと思う」
「はァ?」
「ごはん食べる前に手洗わないと、汚いし……さっきまで外にいたし」
「てめえ馬鹿にしてんのか?」
「…………。
バクラさん、今まで『普通』に食事してて、お腹壊したこととかない?」
「ねぇよ」
「……じゃあ、いいか」
古代人と細かい衛生感覚をすり合わせても仕方ないと思った私は、気を取り直して再び冷蔵庫を開いたのだった。
「食いモンで懐柔しようと考えてんなら甘いぜ」
古代からやってきたバクラは、そんな一言を発しつつ、目の前の皿に盛られた冷凍炒飯を凝視していた。
「はいスプーン。あと、おかずは……」
「…………」
「料理してる場合じゃないし出来合いのものばかりでごめんね。
うち、両親とも仕事忙しくて食事の時間もバラバラだし、平日はあんまり料理しないんだ。
冷凍とか宅配のお惣菜が多くて……私も簡単に済ませる事が多いんだ」
「………………」
「……唐揚げとサラダでいいかな?
外の割れた植木鉢も片付けないといけないし、掃除も……
親が帰ってくるまでに何とかしなきゃ」
「……おい」
「はい、唐揚げ。フォークでいいかな?
……あぁ、この揚げ物は鳥のお肉だよ!
炒飯に入ってるのは豚の肉を加工したやつ。
あと、卵と野菜と……あ、お米って大丈夫だよね?
もし駄目だったら別のもの用意するから言ってね」
「貴様」
「古代のエジプトってビール……、麦のお酒飲んでたって聞いたことあるんだけど本当?
ビールは今無いなぁ……この世界だと、20歳未満はお酒買えないし飲んじゃ駄目なんだよね。
同じ麦だから麦茶でいいかな……?
さ、食べよう食べよう〜!」
二人分の食事を用意し、私も席についた瞬間。
「おい!!!」
ばん、とテーブルが平手で叩かれて、私は我に返ったように硬直した。
さほど強い力ではない。飲み物もこぼれてはいない。
だがバクラは鋭い眼差しで私を睨めつけ、威圧感のある声で凄んだ。
「てめえ……自分の立場は忘れちゃいねえだろうな?」
――分かっている。
バクラにとって私は人質なのだ。
私はこのバクラに言ってはいけない秘密を抱え、しかしそれをバクラに明かすことを求められている。
けれども。
「わかってる、よ……」
でも。
右も左もわからない盗賊バクラにとって、この世界で取る食事も、最低限の生活習慣を学ぶことも、決して無駄ではないと思うのだ。
何故なら、いつ元の世界に戻れるのか、現時点では皆目見当が付かないのだから。
一晩なら全てを拒否して、飲まず食わずで屋根の上に寝てたって問題ない。
しかし数日――数週間、あるいはそれ以上になったら。
いくら高い能力と知能を持つ彼でも、この世界の全てを拒んで生きて行く事は無理だと思うのだ。
だからこそ、少しでも早くここに慣れてもらおうと……
それに、先程彼だって自分で言っていたではないか。
この世界のお勉強をすると――
だが、それでもやはり。
「ごめんなさい……。ちょっと浮かれすぎたかも……」
私は自分の行動を反省し謝罪を述べた。
浮かれすぎ。その通りだ。
人質。拷問だの脅迫だの、ちらつく暴力の影。
いくら相手が『バクラ』だとしても、浮ついている場合ではない。
しかし――
やはり、私にとってバクラはバクラなのだ。
どれほど刃を振りかぶられようと、罵られようと――
古代にしか存在し得なかったかつてのバクラが、今私の家で、食事を目の前にして席についている。
その事実が私をたまらなく高揚させ、自分でもわけがわからなくなるほど嬉しくなってしまうのだ。
自制しなくてはならない。
冷静に、真面目に、これからのことを考えなくてはならない。
『あのバクラ』の別れ際の視線の意味も――
そんな私の唐突な消沈に反応したのか、目の前に座る盗賊バクラが息を吐いた。
「一応確認しといてやる……
オマエは貴族サマか何かか? それとも、『この世界』じゃコレが標準か?」
バクラは何かを訝しむように、そう訊いてきた。
意外な質問に少しだけ面食らった私は、とりあえず前者を否定し、後者にそうだと答えた。
何かを考えこむように黙る盗賊王。
「ごめんなさい……」
すっかり自己嫌悪に陥ってしまった私は、また謝罪の言葉を口にした。
「ケッ、家に入ったとたん馴れ馴れしくなりやがって……。
ま……食いモンをタダでくれるってんなら、そのおめでたい態度くらいは許してやるよ」
「……っ」
心なしか口の端を吊り上げたバクラに、私の心臓は不意打ちを食らったように跳ねた。
苦いと思って覚悟して飲んだ飲み薬が意外と甘かったような、そんな驚きに近かった。
そういえば私……家に上がってから無意識にバクラにタメ口をきいてしまっていた。
ホームという意識と、いろんなことを知らないバクラに教えよう、という意識が、ついそうさせてしまったのだろうか。
自分の見知ったホームだからこそ、油断を生む――
私の目を凝視して去って行った、あのバクラの姿が思い浮かぶ。
バクラ――
バクラが二人。バクラが2倍。
ダメだ! 今は忘れよう。キリがない。
「いただきます」
冷静になれ、冷静になれ。
そう自分に言い聞かせながら、スプーンで掬った炒飯をひとさじ、口へ運んだ私。
だが、平静を取り戻そうとする私を嘲笑うかのように、バクラはとんでもない行動に出た。
ガッ、と掴まれた腕に、ふた口めと進むスプーンを遮られた。
それからバクラは強引に私からスプーンを奪い取ると、あろうことか私の分の炒飯も皿ごと強奪し、自分の方へ持っていってしまったのだ。
「え? え??」
わけがわからない私の前で、今度はかわりにバクラの皿がこちらへ寄越される。ついでに彼の分のスプーンも。
「毒見をするって自分でほざいてただろ」
彼はそう理由らしきものを述べると、炒飯の皿とスプーンを丸ごと私と交換した形になってようやく安心したように、食事に手をつけたのだった。
「間接キ……」
思わず漏れる一言をすんでのとこで押し留め、それきり言葉を失う私。
遅れて頬に集まってくる熱。
「っ……」
恐らく生まれて初めて食べたであろう炒飯を飲み込んだバクラは、少しの間動きが緩慢になり――
それからほんの小さな声で、「マジかよ……」とこぼしていた。
ガツガツと冷凍炒飯を口に運ぶバクラ。
出来合いの唐揚げも、薄くドレッシングのかかったサラダも、何の変哲もない麦茶も――
初めて口にしたとき、彼はいちいち動きを止めていた。
それから、何かを悟ったようにガツガツと食べ始める。
(ついでに言うと、私はそれら全ての毒見役をさせられた)
なんだかひどく、現実味の無い光景だと思った。
そんな彼の存在感に影響され、一方の私は食べるペースがいつもより遅れてしまう始末で。
「……未来人サマってのは、だいぶイイもんばっか食ってんだな」
自分の分をさっさと平らげたバクラが、ふとそんなことを口にした。
それから彼は、黙ったまま何の変哲も無いはずの食器類をまじまじと眺め、さらには私の一挙手一投足を観察するようにじっと見つめてくるのだった。
「……っ」
気まずい。というか、恥ずかしい……
「食べるの遅くてごめん、あんまり見ないで……ください。恥ずかしい」
私が言うと、バクラはククッと嗤い声を漏らし、おもむろに椅子から立ち上がった。
そして間取りを確認するように今一度辺りを見回すと、何をするわけでもなく辺りをうろつき、それからリビングの方へ足を向け窓の方へと近付いて行ってしまう。
特に止める必要もないと思い、私は食事を続けながら目の届く範囲でバクラを追った。
砂埃はこの際置いておこう。あとで掃除をすればいい。
レースのカーテン越しに見える、先程の庭。
すっかり夜の帳が下りた世界。
そういえば、厚手のカーテンを閉めるのを忘れていた。
ようやく食事を終えた私は、食器もそのままにして、庭へと通じる掃き出し窓の前に立ち尽くしていたバクラへ近寄った。
レースのカーテンをちょっとだけ開けながら、声をかける。
「そこの外、さっきの庭ですよ」
鍵を外し、窓を開ける。
「外に出るなら靴持ってきましょうか?」
「いや、いい」
バクラは開け放たれた窓から空を見上げ、月を眺めながら何かを考えているようだった。
突然、彼の体がビクリと小さく跳ねる。
バクラは乱暴に自身の懐を探ると、さっき私から奪ったままの携帯電話を取り出し、震えるそれを見て固まっていた。
「あー、メールかも……
ちょっと見ていいですか?」
慌てて窓を閉め、携帯電話を離さずにいるバクラの横に寄っていく私。
彼は、何かをするなら自分にも確認させろと動作で訴えていた。
「えっと……ここ押して……」
メールの発信者は親だった。
「そういえばバクラさん……どういうわけか言葉は通じてますけど、文字は読めるんですか?」
画面に表示された本文には簡潔に用件が書かれている。
「……さぁな」
私の問いにバクラはそっけなく答えた。
もしかしてこの世界の文字は読めないということなのだろうか?
とりあえずそれ以上反応の無いバクラに私は勝手にそうなのだろうと納得して、親からの用件を自分の中で咀嚼した。
それから、この事実をバクラに伝えるべきかどうか迷う。
……迷って、しかし隠したところで何も進展はないと思い、正直に伝えることにする。
どのみち親を含め普通の人間が何をしようと、千年アイテム所持者の前では無力だ。
むしろ、普通の人間とバクラ達のようなブッ飛んだ千年アイテム所持者とが顔をつき合わせてしまうような事態を回避することこそ、私にとっては重要だった。
だから。
誰も味方がそばに居ないことによる不安はとりあえず忘れることにして、そして。
「親、今日は仕事で帰って来ないみたいです。
もしあと数時間以内に事態に進展が無かったら……、今日は泊まって行きますか?」
呑気にそんなことを言った私を、バクラは滑稽な動物でも見るような顔をして見つめたのだった。
「……なんか返信していいですか?」
バクラはその問いには答えず、不意に妙なことを口にした。
「やっぱてめえには、さっきの馬鹿っぽ……、おめでたい口の利き方の方が似合ってるようだぜ……」
「!?」
「人の話を聞かず勝手に進められんのは癇に障るが、馬鹿丁寧に気を使われんのもいい加減うざってえんだよ」
「えー……、じゃあどうすれば……ならもうタメ口聞いちゃいますからね!
ていうか今馬鹿っぽいって言おうとしたでしょ……?
バクラさんから見たらそりゃあ馬鹿に見えるだろうけど……悲しい」
「普通にしとけよ。
助けてもらおうと思ってオレ様に媚びを売るのはやめときな。
無駄なんだよ……!」
「……」
わかってる。
別に助けてもらおうと過剰に親切にしてるわけじゃない。
ただあなたはバクラで――これは言えないことだが――私の大好きな人の一部で。
だから、少しでも役に立ちたかったから。
見知らぬことばかりだろうこの世界で、ほんの少しでも安心感を覚えてくれたらいいなと、勝手な願望を抱いているから――
でもそれは私の勝手な気持ちと、その押し付けにしかすぎない。
わかっている。うん、わかっている……
それ以上どうしていいか分からなくなった私は、携帯を手にしたままだったバクラから離れそっと厚手のカーテンを引いた。
夜の世界から隔離された現代的な部屋が、人工的な光を閉じ込めて昼間と変わらない明るさを作り出す。
私は小さな息を吐くと、再びバクラの傍へ寄って今度こそメールの返信を打った。
「了解、もう家に帰ってるし大丈夫だよ、と……。
返信しないと怪しまれちゃうからこれ、送るね」
遮られることも無く送信ボタンを押し、私は一晩の猶予を得た。
その猶予が地獄か安寧なのか、未だ分からないが。
黙したままだったバクラは、携帯電話をまた自身の懐にしまいこんでから、ふと口を開いた。
「馬鹿のままで居りゃあいいんだよ、桃香。何も考えんな。
ただオレ様に振り回されて従ってりゃ……、それでオマエは楽になれるぜ」
場違いな出で立ちで、しかしはっきりとした存在感でここに立っている盗賊バクラは、私の顔を覗き込むようにそんなことを囁いた。
その声は心なしか優しくて、甘くて、でもひどく狡猾で――
どくり、と胸の鼓動が高鳴り、私はそれきり口を利けなくなってしまう。
あのバクラと同じ声であのバクラと同じようなことを言う、このバクラ。
――その胸の内にはきっと、私にはわからない思惑が潜んでいる。
「なぁ桃香サンよ……別にオレ様は情報が欲しいだけであって、オマエの事を傷つけたいと思ってるわけじゃねえんだぜ……?
オマエは千年アイテムを持ってないんだろ……?
ならオマエは、ただ巻き込まれちまっただけの不運な女、ってこった……
素直に本当のことを言うなら、危害は加えねえと約束してやるよ」
ああ。
そうか。
わからないわけではない。
このバクラの思惑……私には何となく分かってしまった。
あっちのバクラと繋がっている私を人質に取った彼は、見た目といくつかの素性が違うだけで決して無関係とは思えない白い肌のバクラについての情報を――
多少なりともこの不可解な現象を解決するためのヒントを――
私から引き出さなくてはならない。
だからこそ彼は、私を懐柔しようとしているのだ。
わかりやすくナイフを突きつけ、縛って、怒鳴って殴って脅して――
想像したくないそんな拷問に私を追い込んで口を割らせることは、彼にとってそれほど難しくないだろう。
だがそんなことをしなくても、彼がちょっとした甘さや優しさを見せて私を懐柔してしまえば、それで目的は達せられるのだ。
そうなれば私は、蕩けきった頭で右も左も分からずに、盗賊バクラから訊かれた問いに答えるだけの正直な機械と化してしまう。
そして悲しいかな、拷問や直接的な暴力よりもそちらの方がずっと効果的であることを、私は自覚している。
であれば。
「本当のこと、って……
別に何も嘘はついてないよ。ごはんだって普通に美味しかったでしょ……?
私、バクラさんが思ってるほど重要な情報を知ってるわけじゃないよ」
さらりと言って、狼狽を隠すようバクラに背を向ける。
彼はクク、と背後で意味深な嗤い声を漏らしただけで、私を呼び止める事はなかった。
テーブルの上に出しっぱなしになっていた食器類を片付けながら、先程の予測があながち外れでもないことを思い知る。
食事が終わっても、未だ私に強硬手段をとってこないバクラ。
彼は完全に懐柔策に切り替えてしまったのだろうか。
そして、観光客を案内するように逐一説明されるこの世界の
「……」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
盗賊バクラに懐柔されてはならない。
だが、それを心のどこかで期待している自分も居る。
それに、彼に生活のあれこれを教えてあげることはきっと悪いことではない。
あのバクラの忠誠に従ってこのバクラを完全に拒否したら、このバクラが可哀相過ぎるし、私の良心だって持たない。
では、どうするべきか。
あのバクラの視線の意味も……
考える事が多すぎる。
とりあえず。
今、砂にまみれた服のまま、勝手にソファに腰を下ろした盗賊王に、とうとう痺れを切らした私は――
両手をこすり合わせながら、彼に『お願い』をする羽目になるのだった。
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