「ど、どーしてそうなったんだ!?」
かなり動転しながらもミノンをテーブルに案内するジタン。ミノンの向かいの椅子に逆向きに座ると、身を乗り出した。
「先程、ヴィータに行った時…。」
[ヴィータ]というのは、トレノの外れにある酒場[Melodie di Vita]の略称である。ヴィータのマスターは自他共に認める大変な音楽好きで、歌を気に入られたミノンは歌姫として雇われていた。
「マスターの、ご友人だという方に…どうしても、と言われてしまって…。」
うつ向くミノン。
「…断りきれなかったんだな。」
「……はい……。」
ミノンのかなり内気で控え目な性格を知るジタンは[あっちゃ〜…]と頭を抱えた。仲間にさえ異論を唱える事の少ない彼女が、押しの強い人間に反論出来る訳がない。
「で、舞台慣れしまくりのオレに相談…と…。」
「…はい…。」
「なるほど…。…う〜…ん……そいつ、どんなヤツなんだ?悪いヤツなのか?」
「いえ…真っ直ぐな、良い方だと思います。実業家だとお聞きしました。劇がとてもお好きで…長い間の夢だった劇場を造ったので、落成式で上演する劇に…私を…と…。」
「へえ…。」
その人物は随分とミノンを気に入っているらしい…トレノの富豪に音楽好きは多いが、権力を示す為か有名所から引っ張る者が大多数である。
「…まぁ、歌は文句なしに上手いから…セリフさえ言えれば、大丈夫だろうなぁ…。」
「あ…それは、…それだけは大丈夫だと思います。」
「…へっ?」
劇団員としての知識を総動員し、ミノンの小さな声をどうやって大きくしたものか…と考えていたジタンは思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「歌劇、だそうですから。」
「歌劇?…オペラなのか!じゃあ何でオレんとこ来たんだ?…いや、来てくれたのは嬉しいんだけどさ、オレに相談するまでもねえじゃん?」
「…いえ…その……劇の舞台というものには、立った事がなくて……それに…大勢の方の前で、歌うなんて…。」
ヴィータはトレノ郊外の中でも一際外れにあり、貴族から援助を受ける学者や芸術家…もしくはその知り合いしか入れないという性質から、普段そこまで賑わっている訳ではない。常連ばかりがせいぜい20か30人という所だろう。
「なるほどなぁ…。」
(確かに…オペラっつったって、簡単なダンスや身振り位は…あるよなぁ……富豪が造った劇場の落成式っつったら、規模もデカイだろうなぁ…。…良い機会だとは思うんだけど…。)
「…ミノンは、やりたいのか?」
「……え?」
「もしやりたくないなら、断れば良いさ。何ならオレが一緒に断ってやる。」
「………!」
「もしやりたいんなら、オレは全力でサポートする。任せろよ、オペラは専門じゃねえけど…タンタラスん中じゃ一番上手いし、芝居ならプロ級だぜ?」
腰に左手を当て、右手で胸を叩くジタン。
「ま、よーするにどっちにせよオレに任せろって事!オレはミノンが好きなほう選べば、その選択が一番良いと思うぜ。」
「…私の…好きな方…。」
考え込むミノンに、ジタンは内心苦笑した。この様子では恐らく断るという選択肢の存在は夢にも思わず、かといって舞台に立つのも不安で…どうしたら良いか分からなくなって来たのだろう。
「……私……。」
しばらく考えた後、ミノンは口を開いた。
「…ほんの少しだけ、やってみたいな…って…思ったんです…でも…それより…ずっと、不安で…。」
「不安…舞台がか?」
「…はい…。…あの方は…以前から、私の歌の……その……ファン、だったと言って下さったんです。とても、嬉しかったです…。…でも、歌劇などやった事がありません…もし、あの方をがっかりさせてしまったら…。」
「……つまり……ミノンは…そいつを喜ばせたいんだな?」
「…?……そうかもしれません。」
「ならさ、練習すりゃ良いじゃん?失敗なんかしない様に。だって、そいつの望みはミノンがそのオペラに出る事なんだろ?」
「………。」
「大丈夫!オレに任せろ。オレ、こう見えてオペラのオファーだって来てるんだぜ?」
「……………。」
ミノンはしばらく俯くと、やがて決意を秘めた表情で顔を上げた。
「…私、出ます。…よろしくお願いします。」
「っしゃぁ、決まり!」
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