適当かつ豪快にバターを塗りたくりながら、未だ温度差への違和感を拭えない彼は短く問い掛けた。省略された部分を補うならば「それがどうしてそんなに嬉しいんだ」だろうか。
「えっ?」
「……星が流れることが、好きなのか?」
嘲笑うだとか馬鹿にするだとかではなく、純粋に疑問だけを込めて言葉を付け足す。──彼は今まで、このイベントに欠片の興味も抱いた事がなかったのだ。
記事のうち彼女らが読むことを放棄した部分には、科学的なあれやこれやの理論や魔術的なあれやこれやの考察が述べられていた。これの為に知的な興味を持つ者も勿論いるだろう。しかし、これは何年に一回の事だとか、これは何だかの予兆となる現象だとか……一般人にとっては些か難解な専門用語が多すぎる事は否めない。
故に世間の大半──学と縁遠い庶民はといえば意味もよく理解せずにイベント事というだけで落ち着きをなくし、少し学のある貴族層にはやれ天文学的にはどうだの、やれ占星術としてはどうだの……そういった新聞の受け売りを物知り顔に話す輩が増殖する祭り騒ぎ。──彼にとって流星群の日というのはそんな認識だったのだ。
そして、そうして騒ぎ立てる者達の大半は本心に抱いていたであろう、インテリ気取りに包み隠された純真な好奇心を──「綺麗だろうから見たい」という子供染みた思いを、彼はわかっていなかった。
「……えっ……と……綺麗だろうな、って……思いませんか?」
イベントを彼が楽しまない事は予想の範囲内だったとはいえあまりに率直な問いに、やや言葉に困りながらも正直な気持ちを述べる少女。彼女はこういう意味で自らの心を偽ることはしない人間だった。ただ「綺麗」だから「見たい」……恐らく「綺麗」なものを見たが故の「感動」とでも名付けられるであろう情緒を解していなさげな彼に、如何にしてこの心情を説明したものかと懸命に糸口を探す。
「………綺麗、かもしれないな。」
パンをゆっくりと嚥下してから述べられた台詞は、考えてみれば一般人はそう称する様なものなのかもしれないとでも言いたげな口調だった。きっと今まで流星群の日に、空を見上げてすらないんだ……と少女が困惑を新たにする。
「……綺麗、だと思います。」
立ったままだった状態からとりあえず彼の隣の椅子に腰掛け、どうにか伝えようと言葉を探し続ける少女。──彼女にはささやかな願いがあったのだ。
いくら精神的に幼いとはいえ一応は大人である彼女が、あれほど興奮していた理由。それはあの記事を見た瞬間──彼にわかるはずもないだろうが──「彼と見たい」という、淡い想いを抱いた為だった。きっと幻想的な光景を、もし大好きな彼と見られたら……。やはりやや幼いことは否めないが、彼女にとっては心逸るに十分な要素だった。
つまり端的に言ってしまえば今夜、彼と星を見たいのだ。しかし控えめな性格故か、それをねだるどころかはっきり言うことも出来ないらしい。
やっぱり上手く説明出来ない……と一瞬諦めかける少女。しょんぼりと表情が沈む。──全く興味を持たない彼に、自分がそうしたいからと勝手なワガママを言って来てもらうのは彼女の本意でないのだ。
だが天の助けというものは、思わぬ時に現れるものである。
「…………見たいのか?」
いつの間にかパンを食べ終えていた彼は、皿に残ったサラダの細かい欠片を掻き集めながら唐突にそう言った。器用に全て取って口に運び、それから少女の顔を見る。──彼とて喩え情緒は解せなくても、人並みの思いやりは覚えたのだ。彼女の口調と行動から「見たい」という気持ちが読み取れない程、彼も無情ではなかった。
「っ…!はい!」
一転して顔を輝かせる少女。
それを横目で見た彼は、優しい溜め息を吐いたのだった。
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