その声を聞き、幼い二人はいち早く厨房へ駆けて行った。ぞろぞろと他のメンバーもついて行く。たった一人で10人(と1匹)分を運ぶのは大変だからだ。

「あ、ブランクのおにいちゃんに伝えなきゃ!」

「サラマンダーも帰って来てないわ!」

小さな手で器用に沢山の皿を抱えて来た少年と幼女が彼らの不在に気付く。すると、出遅れたのか厨房に入れずにいた少女二人が黙って外へと向かった。

「あ、ありがと!」

「お願いね!」

返事代わりなのか小さく会釈をして出て行く二人。彼女らの中では意思疎通が出来ていたのか、ある曲がり角で別々の方向に歩いて行く。

片方──一国の姫君である少女の行き先にいた盗賊の少年は、彼女を見るとすぐに「メシか?」と訊いた。勿論彼女は一言も発してしない……だが言葉はなくとも伝わるところはあるのだ。時刻から言って予想のつくところがあった為か、今回は身振りも要さなかった。こくりと頷いた彼女に少し待つように告げ、少年が船を停める。──何の問題もなく少年は食卓につくことが出来た。

だがもう片方──白の着物の少女は、何故か食卓の準備が出来る頃になっても帰って来なかった。心配した女が迎えに行く。

そこで彼女が見たものは、蹲(うずくま)り咳き込み続ける少女とそれを仏頂面で見つめる彼の姿だった。

「どっ…どうしたのじゃ!?」

泡を食って少女に駆け寄り、細い背を何度も何度も撫で擦る。だがどこかに引っ掛かってしまったのか、少女はなかなか落ち着かなかった。何とか咳自体を止めても息は荒く、合間からひゅうと痛々しい音まで聞こえる。治まりかけたかと思えばまたぶり返してしまった。

「…一体何があったのじゃ。」

手を止めずに彼を見上げる女。緑の瞳は責めるというよりただ状況説明を求めていた。

「………。……わからん。」

「……急に?」

「…ああ。」

表情にはそれが出ていないものの、彼の相槌にはどこか途方に暮れた感じが滲んでいて……女も困ってしまう。とにかく此方を治めねば理由も訊けないだろうと懸命に少女を撫でていて、ふと彼女が気付いたのは──この辺りに充満する特徴的な匂いが、今なお発されていることだった。

「…!サラマンダー、その火を消せ!」

「はあ?」

「煙草の火じゃ、煙たくて堪らん。」

解せない様ながらも渋々と言った体で煙草の火を消す彼。まだその匂いは消えないとはいえ煙が薄れ始めると同時に、少女の咳が治まって行く。

「大丈夫か?…ああ可哀想に、こんなに真っ赤になって…。」

苦しそうに息をしながら顔を上げた少女の目尻に溜まっていた涙を、女は爪の長い指で傷つけない様そっと拭った。ひゅう、と息を吸い込んでは短く吐くことを繰り返す少女。

「煙を吸ってしまったか。」

優しく穏やかに訊いた女の言葉に、少女はこくりと頷いて応えた。彼がほんの少しだけ目を瞠る。

「そうかそうか……可哀想に、出来そうだったら深呼吸しなさい…。」

ゆっくりと背を撫でられ、段々と少女の息遣いは穏やかになって行った。まだ時折擦れた音がするものの、呼吸のテンポが少しずつ遅くなる。

少女は話さないので誰も知らなかったが、彼女は幼少の頃ひどく虚弱だった。どこがどう弱いというわけではなく──全てが弱かったのだ。病気がちなだけでなく、今の様に一度咳き込んでしまうと治められずに悪化させてしまうことも珍しくはなかった。──今はだいぶ丈夫になったとはいえ、色々なところが弱いことには変わりないらしい。

「すまなかったなサラマンダー、私の配慮が足りなかった。これから昼食じゃ。」

「………。」

焔が色を宿す髪の間から覗いた黄金は、足りない言葉の分を補うかの様に雄弁だった。直視しない人間にそれはわからないが、幸い女は真正面から見ることも厭わなかった為……その瞳が語る彼の心を見抜く。

「呼びに行かせたのが間違いだったと言うておるのじゃ。おぬしが煙草を吸っているとわかっておったのじゃからな。……見ての通り、煙に弱いのじゃろう。何も皆おぬしの様に屈強な人間ばかりではない……とはいえ私は平気なのじゃから、私が来れば良かったなと思ったんじゃよ。」

納得したのかしていないのか、彼は無言のままその場を去った。しゃがみ込んでいた少女が女に支えられて立ち上がる。もう呼吸は平常に戻っている様だ。

「……ごめん、なさい……。」

「何を言う、此方こそ考えが足りずあいすまなかった。ヤツも悪気はないのじゃ、わかってやって欲しい。」

少女がふるふると首を振る。女としては「噎せているのに火を消さなかったのは原因に気付かなかった為なので勘弁してやってくれ」というフォローの意味で言ったのだが、少女はそもそも彼に非があるとなど到底思っていなかったのだ。

「…私、が……悪いです。……サラマンダー様は……何も、悪くないです。……ごめんなさい……。」

繰り返し謝罪する少女。人形の様な雰囲気を纏い、感情のない顔をしていながら──彼女の言葉の中には「申し訳ない」という気持ちがありありと出ている。──あの夜「元に戻って」からというもの、少女が少しだけだが感情を表にする様になったのは明らかだった。しかしそれは<嬉しい><楽しい>……決してそんなものではなく。

今もそうだが負の感情ばかりを綴るようになった少女に、女は心の中だけで眉を潜めた。

「………。…さ、私達も戻ろう。」

それを少女に感じさせないよう、ごく自然な動作を装って小さな手を取る。

少女は感情の読めない表情のまま、されるがままに食堂へ向かった。



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