そんなことがあってから、半月は経った頃だろうか。

「サラマンダー様、ご飯が出来ましたよ。」

インビンシブルの一画。そこには以前とはまるで別人の様に微笑みを浮かべ、彼の元へ歩み寄る少女の姿があった。

「……ああ。」

半端に長さの残る煙草を手にした彼が、不機嫌ともとれるほど無愛想に応える。それでも少女はふわりと笑って彼の顔を見上げた。

「あの、私、お手伝いしたんです。頑張りました。」

まるで子供が親に報告する様に…どこか甘える様に。幼い笑顔を浮かべて綴られた科白に、彼の手が自然と動く。

「……そうか。」

その大きな掌がぽんぽんと小さな頭を撫でれば、少女は取分け笑顔になった。長い足でさっさと歩き出した彼を小走りで追う。

「…きゃっ!」

この船の床には、美しい模様…と言えば聞こえは良いのだがガイア人からすれば特に意味のない段差が多い。その一つに不注意から爪先を引っ掛けてしまった少女が勢いよくつんのめる。運良くというべきか──それとも無意識に何かが働いたのか──派手な音はせず怪我もなかった。だが、込み上げる羞恥ですぐには立てなかった彼女に……黙って手が差し伸べられる。

「………。」

「…あ、…ありがとうございます…。」

赤みを帯びた顔で礼を言うと、少女は自分の手などすっぽりと包めそうに大きな手をそっと握った。応える様に強く握り返し、そのままグイと引っ張り上げる彼。

「………。」

少女が自分の足で立ったと確認すると、彼は無言のまま歩き出した。──手を牽かれ、慌てて少女が駆け出す。

とはいえ、駆けたのは最初だけだった。ゆっくりではないが決して急ぎ足でない歩みの中、前を行く広い背中を見て、それから骨太な手を見て、そして揺れる焔色の髪を見上げて、もう一度その目線を彼の手に戻す少女。──彼女にとって、「手を繋がれる」というのは別段珍しくも何ともない。彼女には少しばかり…否かなり過保護な兄と友がいたし、今も若干心配性の女竜騎士によく手を牽かれている。それ程に彼女は、…どこか頼りない印象を与えるからだ。

故に、慣れた状況のはずだった。

しかしこの感じは何だろうか。いかにも闘争の気配を匂わせる傷痕だらけの荒れた手から、彼女のそれを返す様にしてほんのり伝わる温かさに…少女がそっと首を傾げる。どうしてこんなに暖かい気持ちになるのか、確かに誰かに手を繋がれると暖かくなる、けれど何かが違う……。

突然、ぱっと失われる温もり。──少女が物思いに耽っている間に、二人は食堂の扉の前まで来ていた。

彼ほどではないが、少女も基本的にあまり喋らない。それは人見知りだからとかではなく──基本的に内向的だからだ。だがここまで歩いて来る間ただ1つの言葉も交わさず、剰(あまつさ)え急に手を離されてしまった空虚感に……少女は一片の後悔と寂しさの様なものを感じた。──もう少し、あのままでいたかった……そう思うのは、どうしてだろう。温もりが逃げていく手を緩く握り、少女は心の中だけで理由のわからない溜め息を吐いた。

そんな彼女を他所に、何事もなかったかが如く平然と扉を開ける彼。中で彼らを待っていた空腹の仲間達が、早く早くと急かす。

「……何やってんだ?」

二三歩あるいたところで、彼はのっそりと振り返った。髪に隠れがちな彼の金の瞳と、少女の丸い黒の瞳の視線がかち合う。

「…何でも、ありません。」

考えるうちにやや硬い顔つきになってしまっていた顔を綻ばせ、あどけない笑顔になる少女。

「行きましょう?」

緩く小首を傾げてそう言うと、彼女は立ち止まったままだった彼を素早く追い抜き──通りざまにその手を握った。少なからず戸惑った彼が、引っ張られる手に遅れて歩き出す。

「はやくはやく!」
「冷めちゃうじゃないの!」

一体何の為に離したんだか……そして何故自分は振り解かないんだ、こんな力たいした事はないのに。そんな彼の心の内にも、そして──少女がいま得体の知れぬ幸せを感じていることにも気付かない幼い二人が、彼と彼女を急かす。確かに繋いだ手からもう一度伝わる温もりに、やっと「どこか違う暖かい感じ」の正体がわかった少女は一層笑った。

きっと私はこの人が好きなんだ。

それは例えるなら子供が親に、被保護者が保護者に覚える感情と同一であろうもの。18──もしくはそれ以上──という年齢でありながら、彼女は親愛しか知らなかった。だが想う気持ちに変わりはない……そして、心のない人形と成り果てる程に苦しい中で、本当は愛に飢えていた彼女のそれは……とても、強かった。──気付けば簡単だ、それだけだったんだ!この気持ちはきっとフライヤ様やジタン様への気持ちとおんなじだ……「違った」のは、気付かなかったせいだ。…そんな自分の気持ちの答えに、少女はとても満足していた。

「はい、ただ今。」

ちらりと彼の方を振り返り、それからほんの少しだけ名残惜しそうな素振りを見せ……笑って、そっと手を開く少女。そして、ただ普通通り──妙に嬉しそうなことを除けばいつもと同じ様子で椅子に座った。彼もゆっくりと席に着く。

「よっし、じゃあいただきますするぞ!」

「いっただきまーす!」

銘々が食べ始める中、一番先に少女が作った料理に手を付けた存在がいた。自分はといえば食べない──あまり食べられない少女が笑顔のまま、それでも心なしか不安気に問い掛ける。

「…美味しい、ですか?」

「………ああ。」

その言葉に一瞬だけ動きを止め、それから唸る様に肯定の答を返す彼。それを聞いた彼女は、ほんの少しの間ぽかんとして……それから花開く様に笑った。

「お、良かったな!…どれどれ……お!さっすがだな、美味いぜ!」
「ほう!見事な出来じゃ。」

口々に褒められ、カァッと頬を染める少女。


その表情は──横目でちらとそれを捉えた彼が見間違いを疑ったほど、輝いていた。



fin.



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