数日後──その歌声から<天使>と称される歌姫は、今宵も舞台の準備をすべく酒場の裏手へと向かっていた。

「…じゃあ、着替えて来ますね。」

「……ああ。」

「………。…、…あの…っ…。」

戸惑うような素振りを見せたあと、顔を僅かに赤くして切り出す少女。

「…なんだ?」

「………私の…、歌……聴いて…いて、下さいますか?」

「……?……いつも、聴いてはいるが。」

聴いて「は」と言ったのは、少女の奏でる歌の詞は全て日本語──こちらの世界の人間にとっての異国語であるからだ。歌詞で何かを伝えようとしていても理解は出来ない…あまり音楽に造旨が深くない彼が首を傾げつつ聞き返す。

「…そっ…そう…ですね…。」

そう、ですよね…と繰り返すと、少女は少し困ったような笑顔でうつむいた。控え室に行こうとしない彼女を見兼ね、小さな頭を撫でながら呟くように言う彼。

「……集中して、聴く。」

そのたった二言で、少女の表情は花のように綻んだ。



♪〜

「──妬けるな。」

「…あ?」

「知らぬは本人ばかり…か。…今の歌、わかったかね?」

「………何が言いたい。」

「わかるか…と、訊いているんだよ。」

「………。……聴いたことがない、としかわからん……聴けっつわれた、だが何言ってんのかは…わからねえ。」

「…本当に、おまえは………歌ってものは、歌詞だけじゃないだろう。」

「………。」



やがて少女が、その舞台を終えた時だった。

「…あのっ!…てん……う…歌姫さん!」

「っ…!?……な……なんで、しょう?」

「……こ…これを…!」

まだ少年と形容できる年頃の男が、綺麗に包まれた紙箱を少女に差し出す。その顔はひどく赤く──鼻の利く者ならばそれが室温に逆上(のぼ)せたなどの要因から来たものでないことは直ぐ様わかるほどだ。

「…バレン、タイン…ですから…。」

「……えっ…。…その……まだ…ですよね?」

「あ、あのっ……家の用で……しばらく…来られなくて……でもでもっ…渡し…たくて……。」

この少女に恋人がいるということは、秘密とされているわけではないが周知の事実でない。本人達も人前ではあまり開けっ広げにはしないし、少女の雰囲気は幼く…色恋沙汰を感じさせないのだ。

「あ…憧れの、人なんです…あなたは……尊敬しているんです、あなたの歌を…!……あのっ、ご迷惑で、なければ…。」

「……ありがとうございます。」

にこりと笑って受けとる少女。

「迷惑だなんて、とんでもない。…あの…また、来て下さいますか?お礼が…したいです。」

「よっ、…喜んで…!」

少年は気恥ずかしそうに何度も会釈をすると、半ば逃げるように席へ帰った。少女も紙箱を持ったまま舞台を降り、そのままカウンター席の彼へと駆け寄る。

「サラマンダー様っ!」

「………。」

「……?…んっ…しょっ、と。」

何故か何も言わず視線だけを寄越した彼に首を傾げてから、最早定位置となった一番奥の席──いつも決まって奥から二番目に座る彼の隣に腰かけようとする少女。紙箱を先にカウンターへ置き、よじ登るようにして高い椅子に何とか座る。

「………。」

まだ何も言わない彼を見て、少女はもう一度首を傾げた。しばらくして紙箱へと視線を移す。

「開けてごらんよ。」

「あ、マスター…。」

いつの間にか少女の目の前に立っていた中年の男は、食器を拭きながら柔らかい笑みを浮かべて紙箱を示した。チラと隣を見たあと、綺麗なリボンにそっと指を添える少女。

「…まぁ…!」

やがて姿を現したのは、凝った銀細工の施された紅い宝石の耳飾りだった。天井のランプを反射して鮮やかに輝くそれは…恐らくあの少年が貴族でなければ買えなかった代物だろう。

「綺麗…!…あ…。」

一つをそっと手に取り、驚いたような…そして困ったような声をあげる少女。

「どうかしたかね?」

「…ピアス…ですよね…これ。…どうしよう…。」

自らの耳たぶを触りながら金具部分を見つめる。そう、その耳飾りはピアス──すなわち耳にピアスホールがなければ着けられないものだったのだ。少女の耳には、穴が開いていない。

「……サラマンダー様?」

視線を感じ、少女が彼の方を向く。

「………帰るぞ。」

やっと言葉を発したかと思うと、彼は急に少女の手を引いた。バランスを崩して椅子からずり落ちてしまい、少女が慌てて地に足を着ける。

「えっ、…ちょ、ちょっと待って下さい…!…まだ着替えが…!」

「………早くしろ。」

不意に解放された少女は慌ててピアスを箱に戻すと、控え室へと駆けて行った。ぽつんとカウンターの上に残される紙箱。

「…あの歌の…。」

それをじっと見つめる彼を見て、口元だけで笑ってから食器に目線を戻したマスターが呟くように──諭すように言う。

「……詞(ことば)の意味、聞いてみたらどうだい?あの子の話す言葉は…わかるんだから。」

「………。」

彼が何も言わずグラスを傾けた時、慌ただしい足音を立てながら少女が戻って来た。着物を着てはいるが髪はそのままだし外套も被っていない……掛かった時間からしても、彼女がかなり急いで──それこそ最短で済む様に魔法すらも使ったことは明らかだ。

「か…帰り、ましょう?」

よほど急いだらしい…息を切らして彼に問う少女。ワンテンポ遅れてはっとしてから素早く紙箱を手に取る。

「……ああ。」



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