それも愛のかたち


 バレエ作品『くるみ割り人形』。童話が元になったこのお話は、バレエに詳しくなくても、題名くらいは誰もが知っている有名な作品だ。チャイコフスキーにが作った数々の曲も、テレビやお店の有線などで、子どもの頃から耳にしているはずだ。

 クリスマスの夜、クララという少女は父の友人からくるみ割り人形をプレゼントされた。でも、その人形は実はお菓子の国の王子様で、色々あってクララはお菓子の国に招待され、夢のような一時を過ごす。けれど、夢は覚めてクララは現実へ戻る事となる。
 でも、王子様と過ごした時間は夢じゃない。夢と現実の間を彷徨うような、ファンタジックでクリスマスシーズンにぴったりのお話だ。

 なにもバレエという形式に拘る必要はない。元は童話なのだから、ドラマやアニメ、そしてミュージカルという媒体でもお話を展開する事は可能だ。
 何を言いたいかというと、私のクリスマスシーズンは、ミュージカル『くるみ割り人形』の主演に受かった事で、仕事漬けの日々になる事が確定したのだった。



『西篠さん、奇遇ですね。実は私も出演するんです』

 無理はしなくて良いけれど、もし時間があれば皆で観に来て欲しい――東雲にメッセージを送ったら、後から電話がかかって来て、開口一番言われたのがこの言葉だった。

「え!? 東雲も『くるみ割り人形』のミュージカルに出るの?」
『と言っても、西篠さんとはまた別のミュージカルのようです』

 顔合わせを済ませ、既に稽古に入っているから、315プロの誰かがいれば絶対に把握している。だから予め分かっていたのだけれど、お互いにそれぞれ違うミュージカルに出るという事だ。

「同じ時期に同じ題材かぁ。お客様の取り合いになりかねないし、比べられそうだな……」

 私が出演するミュージカル、そして自分自身の演技に自信がないわけではないけれど、315プロのアイドルたちも全力で仕事にあたっているのは、これまでの共演で重々理解している。大丈夫かな、と少し不安になったのだけれど。

『その点は大丈夫じゃないでしょうか。私たちのミュージカルは、一般的なくるみ割り人形とはストーリーが異なるようですので』
「そうなの? どんな?」
『ふふっ、それは企業秘密です』

 確かに、ネタバレをするわけにはいかない。私が情報を漏らす事はないけれど、スタンダードなお話ではなく、俗に言うオリジナル展開ならば、もし私が舞台を観に行くなら何も知らないほうが楽しめるはずだ。

「そっかぁ、スケジュールが合えば観に行きたいな」
『ええ、是非。私たちも西篠さんのミュージカル、観に行きます』
「ありがとう! ちなみに、こっちのミュージカルは原作そのままの話だから」
『では、それぞれ差別化を図る事も出来ますし、相乗効果がありそうですね』

 東雲の言葉に思わずなるほど、と頷いてしまった。同じ題材でもそれぞれストーリーが異なれば、両方観たいと思う人もいるだろう。内容が被って比べられるような事はなさそうで安心した。

『それにしても、西篠さんもすっかり主役が板につきましたね』
「そ、そうかな……個人的には金平糖の精とかもやってみたかったんだけどね」

 まだ未熟だと思っているし、誉め言葉を素直に受け取る事が出来なくて、ついそんな事を言ってしまった。オーディションを受けたのは当然私だけではないし、クララ役を望んでいた人が聞いたら絶対に嫌な気持ちになる発言だ。こんな事は、こうして電話で話している東雲相手にしか言えない。
 ただ、東雲は私の言葉を窘めたりはしなかった。

『……高校時代の自分が今の自分を見ても、信じてくれなさそうな気がしませんか?』

 突然ふとそんな事を言われ、確かにその通りだと思った。ただ、これは私だけに言っているわけじゃない気がする。きっと、東雲自身も含まれているのだろう。

「確かに。私もだけど、東雲もまさかアイドルになるなんて、誰も思わなかっただろうし」
『本当に、不思議なものです』

 こうして東雲と話している事も、よくよく考えてみたら不思議な事だ。高校時代の私は東雲に片想いしていて、結局想いを伝える事もないまま卒業した。もう二度と交差する事のないと思っていた東雲と私の道は、偶然が重なって、同じとまではいかなくとも、かなり近い距離にある。まるで、ふたりの道は並行していて、ペースは違っていてもお互いの姿が見える距離で歩いているみたいだ。その道は時には一本になって、一緒に並んで歩く事もある。

『おっと、もうこんな時間ですか。名残惜しいですが、そろそろ切りましょうか』
「あ、ごめんね。忙しいのに」
『私ではなく西篠さんですよ。明日も稽古ですよね?』

 東雲に言われて時計を見ると、もう寝ないと明日に響きそうな時刻だ。仕方ない、切るか……と別れの挨拶をしようとした瞬間。

『最後に、私が演じるのは金平糖の精です』
「え、そうなの!?」

 まさか私がやりたいと何気なく言った配役が東雲とは。ちょっとびっくりしたけれど、これまで見て来たくるみ割り人形の金平糖の精を思い浮かべてみると……透明感があって、ちょっと掴みどころのないような東雲の雰囲気が、イメージにぴったりな気がした。

「似合いそう」
『それ、褒めてますか?』
「当たり前じゃん! 時間作って観に行くよ。楽しみにしてるね」

 東雲は私の事を褒めてくれるのに、相変わらず私は褒めるのが下手だ。絶対素敵だと思ったのだけれど、あまり言うと愛の告白みたいになりそうだし……相手への好意を隠すのは難しい。良い大人が情けないとは思うけれど、恋愛らしい恋愛をした事がないのだから仕方ない。



 マネージャーに、私が出演するミュージカルに315プロのアイドルたちを誘いたいと相談してみたら、すぐにプロデューサーさんに連絡を取ってくれた。東雲の名前は出さなかったのだけれど、どうやらプロデューサーさんはすべてを察したらしい。うちのアイドルたちも同じ題材のミュージカルに出るから、勉強がてら是非観劇したいと言ってくれて、関係者席を確保する事になった。

「同じ題材か……お客さんの取り合いにならないと良いんだが」
「その点は大丈夫ですよ、ストーリーが全然違うって東雲が言ってました」
「ああ、彼が出るんだ」

 マネージャーも私と同じ事を危惧していたけれど、東雲から聞いた事を話したら安心してくれた。というか、昨日変に意識してしまった事もあって、マネージャーに『元同級生』以上の間柄じゃないかと疑われなければ良いのだけれど。いや、別に付き合っているわけではないし、堂々としていれば良いか。

「深雪ちゃんってさ、東雲くんの事好きなの?」
「は!?」

 堂々としていれば良いと思ったのも束の間、突然マネージャーに切り出されて素っ頓狂な声を上げてしまった。これでは好きだと言っているようなものだ。顔が熱い。鏡を見なくても今の私の顔は真っ赤だと分かる。

「いや、付き合ってませんよ!? 仕事の話しかしてませんから!」
「ははっ、分かってる分かってる。ふたりともクリスマスも舞台の仕事だし、週刊誌に撮られるような真似は出来ないだろうしね」
「本当に付き合ってないですからね? 東雲も仕事第一だと思いますし、私も恋愛より仕事を優先します」

 改めてマネージャーにきっぱりと告げたけれど、東雲に対して恋愛感情がない、とは言えなかった。いちいち否定しなくても、疚しい関係ではないと分かって欲しいという気持ちもあるけれど、それよりも、私自身が自分の気持ちに嘘を吐きたくなかったのかも知れない。東雲はともかく、私は恋愛感情がないと言ったら嘘になるからだ。

「ま、でも、恋をするっていうのは良い事だよ。芸の肥やしってわけじゃないけど、演技に深みが出そうだし」

 マネージャーはにんまりと笑いながらそんな事を言ってのけたけれど、きっと私がスキャンダルを起こすようなタイプではないと見込んでいるからこそ、こういう冗談も言えるのだろう。





 舞台での演技はどの回も本番で、ドラマや映画のようなやり直しは不可能だ。エキストラから名前のある役を与えられたばかりの、駆け出しだった頃は不安もあったけれど、今はどの回も大切に演じる事が出来るようになった気がしていた。私たち役者にとっては同じ演技の繰り返しでも、お客様にとってはそれが特別な一回となる。中にはリピートしているお客様もいるかも知れないし、回によってばらつきがあってはならない。
 いつも大切に、そして全力で。そんな想いで舞台に立っていたある日、観客席で見覚えのある顔を見つけた。
 東雲に、咲ちゃん、そしてJupiterの三人だ。
 きっとこの五人が、別展開の『くるみ割り人形』に出るのだと察して、真っ先に、皆に負けていられない――なんて、負けず嫌いな事を思ってしまった。



 私の出演しているミュージカルが日々大盛況の中、東雲たちの『くるみ割り人形』も開幕まで迫っていたある日。思いも寄らない人から連絡が来た。

 咲ちゃんから、「今から電話しても良いですか」とメールが来たのだ。ちょうど家にいる時間帯だったから、勿論承諾してこちらから電話を掛けた。大切なミュージカルを控えている今、暇だから、なんて理由ではないはずだ。きっと、不安なのだろう。

「もしもし、咲ちゃん?」
『あ! ごめんなさい、深雪さんから掛けて貰っちゃって……』
「ううん、気にしないで。何かあった?」

 あまりにも単刀直入すぎかも、とは思ったけれど、悩みがあるとしたらそれをしっかり聞き入れたい。勿論、雑談も大歓迎だけれど、時期が時期だけにそういう意図ではない気がした。

『……あの、深雪さんって、そういちろうの事が好き、ですか?』
「――はい?」

 さすがに唖然としてしまった。咲ちゃんに対してどうこうではない。質問の内容に対してだ。

『あっ、あの! すみません! 変な事聞いて……』
「いや、謝らないで。というか、質問に質問を返して申し訳ないんだけど、どうして急に?」

 仮に咲ちゃんに私の想いがバレていたとしても、それはそれで構わない。東雲の事を尊敬している気持ちが、そういう風に受け取られるのは有り得ると思っているし。Cafe Paradeのメンバーとしていつも東雲と一緒にいる咲ちゃんだからこそ、見えて来る部分もあるだろう。
 ただ、このタイミングでこんな事を聞いて来る理由が分からないのだ。まさか、週刊誌に何か書かれそうになっていて、プロデューサーさんが阻止しようとしているとか、そんな最悪の事態が起こっているのだろうか。だとしたら、私もマネージャーと連携を取って事実無根だと訴えなければならない。なにせ東雲は、大事な仕事を控えているのだ。
 でも、私の焦りは完全に見当違いだった。

『……あたし、恋愛の事、何も分からなくて……』

 咲ちゃんが突然こんな事を言って来る理由は、ひとつしかない。
 今回のミュージカルと関係しているのだ。
 咲ちゃんが誰かに恋をしてしまった、あるいは告白されたとしたら、こういう切り出し方はしないだろう。なにより、大切な仕事を控えた今、アイドルの仕事と恋愛を天秤にかけなければならない状況であれば、私ではなくまずはプロデューサーさんに相談するはずだ。

「咲ちゃん。それってもしかして、『くるみ割り人形』に関係してる?」
『はっ! そ、そうです! あはは……深雪さんは何でもお見通しですね』
「ミュージカルの開幕が近いのに、リアルの恋バナはちょっと違うんじゃないかな、と思って」

 咲ちゃんはしっかりアイドルの仕事と向き合っている。仮に恋愛で悩んでいるとしたら、いったんミュージカルの仕事をきっちり終えてから相談するのではないかと思ったのだけれど、予想は当たったみたいだ。

『深雪さんなら、恋する女の子の気持ちがよく分かるんじゃないかなって思って……』
「……ごめん、私もよく分からない」
『えっ!?』
「ここだけの話だけど、今まで誰かと付き合った経験もないし」

 こんな事を暴露されても返答に困るだろうとは思うものの、嘘は吐けない。きっと咲ちゃんの出る『くるみ割り人形』は、私が出たスタンダードな話と違って、恋愛要素がかなり絡んでくるのだ。残念ながら、咲ちゃんの役には立てなさそうだ。

『でも、深雪さんの演技を見ていると、相手を想う気持ちが伝わるんです。こないだのくるみ割り人形だって、王子に惹かれていく様子や、最後に人形を大切そうに抱き締める仕草も……』
「うーん、それは私の演技というより、咲ちゃんの感受性じゃないかな」

 確かに私も、もし自分がクララだったらと考えて、試行錯誤しながら演じているし、いまいちだと感じたら、監督や先輩方に相談してヒントを掴んだりしている。でも、それを咲ちゃんが出来ないとは思っていない。

「咲ちゃん。私、恋愛経験がなくても恋する女の子の演技は出来ると思うよ」
『うう……でも、分からないんです。クララの気持ちが』
「頑張って考えてみよう。私もさ、この時のクララはどんな気持ちなんだろうって色々想像してみたし、話し合いというていで結構皆に相談したよ」
『想像……相談……』

 もしかして、咲ちゃんはひとりで抱え込もうとして、相談の段階まで進めていないのかも知れない。別に恥ずかしがる事などない、良い作品を作り上げる為なら、皆協力するだろう。

「ちなみに咲ちゃん、東雲には相談した?」
『はい、そういちろうも悩んでいるみたいで、一緒に頑張ろうって』
「なるほど……」

 東雲は金平糖の精の役だし、恐らくクララとの恋愛要素はないはずだ。順当に王子がクララのお相手だと思うけれど、さすがに詳しいストーリーは咲ちゃんも言えないだろう。ただ、東雲以外が相手、という事は分かる。

「あ、そういえばJupiterの皆も出るよね? こないだ観に来てくれてたの、舞台からちゃんと見えてたよ」
『わわ、やっぱり見えますよね……! はい、五人で出ます!』
「じゃあJupiterの皆にも相談してみよう。そうだな……伊集院くんってファンに甘い言葉を囁くの上手いよね? 良いヒントが貰えるんじゃないかな」
『ほくとに……』

 私自身は役には立てなかったけれど、背中を押す事が出来たならなによりだ。

『深雪さん、ありがっとー! あたし、ほくとに相談してみます!』
「伊集院くんも後輩に演技の相談されたら嬉しいと思うよ。皆で良い作品を作る、という気持ちで頑張ってね」
『はいっ!』

 そうして無事通話は終了したのだけれど、東雲の事が好きか、という質問は上手く流せてほっとした。そういう質問が出て来る時点で、咲ちゃんはお見通しなのかも知れないけれど、まあ付き合っていないのは事実だし、変に隠す必要もないだろう。
 そこまで考えて、もしかして私が東雲に片想いしている事が、演技に表れているのかもしれない、と少しだけ思った。
 余計な事かも知れないけど、とりあえず思いついた事を咲ちゃんにメールで伝える事にした。

『さっきの話だけど、咲ちゃんは片想いした事ある?
もしなくても、誰かを尊敬したり、ちょっとした瞬間にかっこいいと思ったり、優しいなって感じたり……。
そういう何気ない感情を思い出すのも、演技の役に立つかも知れない。
Café Paradeの皆はそれぞれそんな魅力があって、素敵なユニットだといつも思ってます。勿論、咲ちゃんもだよ!』

 ……送信。
 なんだか偉そうな文面になってしまったけれど、なんとなくニュアンスが伝わってくれると有り難い。暫くして、咲ちゃんから「やっぱり深雪さんは大人です! あたし、クララがどんな風に想っているのか、もっと考えてみます」と前向きな返信が来た。私に言わせてみれば、咲ちゃんのほうがずっとずっと大人だ。



 そして、315プロ版の『くるみ割り人形』の幕が上がった。プロデューサーさん経由で招待頂いて、ちょうど日程がバッティングする事もなく、良い席で観劇する事が出来た。

 ストーリーは私が思っていたよりずっと変化球で、東雲や咲ちゃんから内容を聞かなくて本当に良かったと思えた。まさか、伊集院くん演じる王子と御手洗くん演じるネズミが、クララを巡って激しい戦いを繰り広げるとは。天ヶ瀬くんはまだ若いのに、ドロッセルマイヤーを立派に演じていたし、東雲演じる金平糖の精も一癖も二癖もある役で、目が離せなかった。
 それに、咲ちゃんもふたりの間に挟まれて困惑するヒロインを、しっかりと演じていた。まだ恋愛なんて分からないのに、求婚されて悩む乙女心は、ちゃんと伝わって来た。もしかしたら、この初々しい少女の役は、今の咲ちゃんだからこそ出来る演技なのかも知れない。

 ミュージカルが幕を下ろし、私は当然の如く立ち上がってスタンディングオベーションをした。私を見ているかは分からないけれど、咲ちゃんは笑顔で手を振ってくれた。東雲も、私を見て微笑んでくれたような気がして、胸の奥が熱くなった。
 付き合ってはいないし、東雲が私の事をどう想っているかは分からない。でも、密かに恋心を抱くくらい、許されたって良いだろう。咲ちゃんの悩み相談を通じて、そんな事を思ってしまったのだった。

2023/12/07

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