君より甘いお菓子を頂戴


 ある日、突然マネージャーが新しい仕事を確保してくれた。オーディションは受けなくて良いのか聞いてみたら、ほんの少ししか出番のないエキストラに近い役で、今までの実績があるからそのまま撮影に入って問題ないのだという。

「有り難い限りですが……どんな役なんですか?」

 マネージャーから企画書を受け取って、書類に目を通すと、今回のドラマは新米パティシエがウェディングケーキを作る話のようだ。ハートフルコメディ、みたいな感じだろうか。なんだか東雲にぴったりの役だな、なんて呑気に思いながら読み進めていると、キャストの欄を見て椅子からずり落ちそうになってしまった。

「……なるほど」

 主役は東雲荘一郎――まさか本物のパティシエが演じるとは。
 確かに、実際にケーキを作る行程をそのまま撮影したほうが、リアリティもあるしドラマの質も上がりそうだ。以前私がアイススケートのドラマに出演した時は、難しいジャンプのシーン等は現役の選手がスタントとして代行してくれたけれど、プロ意識の高い人はきっと自分ですべてやるだろう。

「深雪ちゃん良かったね、同級生とまた共演出来て」
「良かったというか……でも私は名前のないエキストラですよね? 共演と言って良いのか……」

 パティシエのストーリーで、一体私はどんな役を演じるのか。先輩パティシエなど同僚役は既に他の役者さんで決まっている。名前のない役で、このストーリーに関わりそうなポジションとなると……まさか。

「あの、マネージャー。私の役って、まさか……」
「『ウェディングケーキ作りで大騒動』という内容で、察しは付くんじゃない?」
「……まさか、私が花嫁を……?」
「御名答」

 実質エキストラとはいえ、そんな華やかな役を頂いてしまっても良いのだろうか。いや、今までのどのお仕事も良い役を頂いてはいたけれど。さすがに花嫁役は緊張する。

「まだ想像付きませんけど、花嫁さんって、皆結婚式までにダイエットしたりしますよね……?」
「いやいや、そこまでストイックにならなくて良いよ。主役は315プロのアイドルで、深雪ちゃんはちらっと出るだけだし」
「あ、あはは……なんか変に意識しちゃいました」
「プロ意識が高いのは素晴らしいけど、無理なダイエットで身体を壊したら元も子もない。深雪ちゃんは今のままで充分魅力的だから!」

 マネージャーは笑顔でそう言って太鼓判を押してくれた。今のままで良いというよりも、どちらかというと身体を壊すなという意味のほうが強いだろう。役柄が役柄だけに、外見を意識してしまったけれど、今回のドラマの主役は東雲だ。私は淡々と仕事をこなせば良い。ただ、現場の見学が可能なら、東雲の勇姿も是非見たいところだ。





「ああ、どうしよう。勢いでウェディングケーキ作りを引き受けてしまった!」

 ほんの少しだけの出演とはいえ、ドラマの撮影風景を見学したい――そんな願いを監督は快く了承してくれて、私は今、まさに東雲が熱演している様子を見ている。

「断ったほうが……いやいや、依頼主は大企業の御曹司! 事故に遭った師匠のためにも、成功させないと……緊張で気分が……」

 当たり前だけれど、普段の東雲とはまるで正反対の性格のようだ。ただ、私が共演した作品はどれも悪役ポジションだったから、こういう純粋で等身大な役は新鮮だ。

「そんな調子でどうする。受けた以上は責任を持て、それがプロだ! 逃げてばかりじゃ、いつまでも一人前になれない。わかったか、鉄郎!」

 先輩パティシエが叱咤すると同時に、カットの声が上がった。
 ……こんな事を言われる東雲なんて滅多に見られない。そういう役とはいえ、本業がパティシエなだけに不思議な気分だ。
 そう思ったのも束の間。

「お疲れ様です。生クリームの絞り方、うまくなりましたね。さすがです」

 早速東雲は共演者の人たちに声を掛けていた。当然ながら、ドラマの役の『甘原鉄郎』ではなく、パティシエの東雲荘一郎本人だ。

「東雲くんのおかげだよ。ふふ、役を演じてる時とはまるで別人だね」
「菓子作りのアドバイス、僕たちもすごく助かってるよ。ありがとう!」
「いえ。どうせなら、みなさんで美味しく作れたほうが楽しいですからね」

 どうやら本業として共演者の人たちにアドバイスをしているみたいだ。さすがプロ意識が高いと感心していると、315プロのプロデューサーさんが東雲に声を掛けていた。主演ともなれば心配なのだろう。
 ただ、話途中で東雲は突然席を外してしまった。携帯電話に着信があったようだ。

 撮影が再開されるタイミングで東雲が戻って来て、恙なく進むと思ったものの――。

「……東雲くん、どうした? さっきと違って演技がチグハグのようだが……」

 監督が撮影を中断させて、東雲に声を掛けた。決して責める口調ではない、心配しているのだ。確かに、先程までの完璧な演技とは言い難い。らしくない、と言うべきか。一体何があったのだろう。

「少し顔色が悪いな……うーん。今日の撮影はここまでにしようか。今日はゆっくり休んでくれ。次の撮影は期待してるよ!」

 監督は体調不良と判断して、撮影はここで切り上げになった。主演が不在では別のシーンを撮るわけにもいかず、他の共演者も今日はこれで終わりだ。

 体調不良は誰しも起こり得る事だし、お互い様だ。ここで東雲を責めるような人がもしいたら、信頼関係も何もあったものではない。自己管理がなっていない、という価値観はもう古いのだ。
 ただ、もし私が東雲の立場だったら、責任を感じるだろう。きっと、今の東雲も同じ気持ちな筈だ。

 体調を崩しているのなら、下手に声を掛けない方が良い。監督に挨拶して現場を後にしたけれど、どうしても東雲の事が気になって仕方なかった。

 電話――は駄目だ。メールも、もし寝ている時に着信音が鳴ってしまったら。いつもは後先考えずに行動するのだけれど、今日ばかりはどうしたら良いか分からなかった。
 今回はCafé Paradeのメンバーは共演していないから、神谷くんに聞くのも余計な心配を掛けてしまうし、東雲もそういう事をされるのは嫌がるだろう。それなら自分に直接聞いて欲しい、と。

 ……連絡しよう。
 東雲が端末を消音にしていると願いつつ、メールを送る事にした。

『東雲、体調悪いのに連絡してごめんね。
実は今日、東雲が今撮影してるドラマの現場に見学に行ったんだけど、途中で中断になったから、心配で。
東雲はいつも頑張り過ぎるほど頑張ってるから、回復するまでしっかり休んでね。
最高のドラマになるよう、私も応援してるから! 頑張って、でも無理はしないでね』

 ……送信はしたものの、後で読み返してみたら支離滅裂だ。そもそもなんで私が見学に行ったかが書かれていないし。もしかしたら私がエキストラで出るって、プロデューサーさんから聞いてるかも知れないけれど。
 この時の私は、東雲が体調不良ではなく精神面で悩んでいた事に気付きもせず、そのまま就寝したのだった。



 そして、ついに訪れた私の出番がある撮影日。
 東雲からはあの後「もう大丈夫です。ご心配お掛けして申し訳ありません」と返信が来ていて、特に詳しい事は突っ込まれなかったから、きっと私がエキストラで出る事は知っていたのだと思う。体調不良が長引かなくて本当に良かった。

 とはいえ、人の心配ばかりしている場合じゃない。体型に気を遣っているつもりだけれど、ウェディングドレスを着るならと、直前になって食事量を少なめにして今日を迎えた。これで本番中にお腹が鳴ったら自業自得にも程がある。そうならない事を願うしかない。

 用意されたウェディングドレスを纏って、新郎役の役者さんと並ぶ。そして、東雲演じる甘原鉄郎が作ったウェディングケーキを見て喜ぶシーンの撮影が始まった。
 てっきり生クリームがふんだんに使われている、結婚式のシーンでよく見る豪勢なケーキが現れると思っていた。
 けれど、目の前に現れたのは――

「わあ……!」

 たくさんのシュークリームが積み重なったケーキだった。前にテレビで見た事がある。これは確か『クロカンブッシュ』という、フランスの結婚式でよく見るケーキだ。
 ただ単にシュークリームを重ねているだけではない。飴やカラメルが塗されて、頂点には新郎新婦の人形や薔薇の飴細工が飾られている。

「こんなに可愛いウェディングケーキ、初めて見たわ!」

 若干アドリブが入ってしまったけれど、エキストラだし多少の台詞の違いはあっても大丈夫……な筈だ。
 無事カットの声が上がって、撮影は一発OKだった。お腹の音が鳴る事もなかったし、私の出番は無事終わってほっと一安心だ。
 もう出番も終わったし、着替えようと思ったのだけれど、続けて東雲のラストシーンまで撮影するとの事で、折角の機会だしこのまま見学させて貰う事にした。決して東雲にドレス姿を見て貰いたいだとか、そんな邪な感情ではない。



「……新郎も新婦も、お前の作ったケーキに大喜びだったな。一時はどうなるかと思って肝が冷えたけどよ。そういえば……」

 先輩パティシエが、東雲演じる鉄郎に疑問を投げ掛ける。

「どうしてこのケーキにしようと決めたのか、聞いていなかったな?」

 私はてっきり初めからこういう台本だと思っていた。私が把握している資料ではどんなケーキかは記載されていなかったのだ。
 ただ、この役者さんの演技が、どういうわけかアドリブに見えて、まさか本業がパティシエの東雲が考えたんじゃないだろうかと思い始めていた。

「……僕はまだ半人前で、師匠や先輩の真似しかできていません。それでもいつか、僕にしか作れないようなスイーツを作りたい。そのために、たくさんの努力を積み重ねてきました」

 東雲も、なんだかアドリブで喋っているように見える。

「依頼人もご夫婦も、これから先、色々な困難があると思うけど……理想を諦めず、一歩ずつ進み続けてほしい。そうすれば、いつか輝く未来にたどり着ける」

 それは勿論、新米パティシエが新郎新婦を思って言っている台詞だ。でも、まるでドラマの世界ではなく、現実に生きる誰かに向けて言っているようにも感じる。

「そんな願いを込めて……小さなシュークリームを積み重ねて作る、クロカンブッシュを選びました」
「はは……なるほど。あれは、今のお前にしか作れないものってことだな。まったく……最高のウェディングケーキだったよ!」

 かくして、ドラマの撮影は無事クランクアップを迎えた。
 同時に、監督や先輩役の役者さんが、東雲に向かって感嘆の声を上げる。

「お疲れ様、東雲くん。最後のアドリブ、実によかったよ!」
「俺も東雲くんの演技に乗せられてしまったよ。良いドラマになりそうだ!」

 アドリブ……という事は、やっぱり台本通りじゃなかったんだ。監督や共演者の皆がこうして褒め称えるのは、東雲の実力が役者顔負けなのは勿論の事、良い信頼関係が築かれた現場だったからもあるだろう。

「こちらこそ、ウェディングケーキを作らせていただき、ありがとうございます。飴をかけたシュークリームを積み上げていく、シンプルなようで繊細な作業……真面目な鉄郎が作るなら、こういうケーキだろうなと考えていました」

 東雲の体調次第では、なんとか無事乗り切る事さえ出来ればと思っていたけれど、余計な心配だったようだ。
 プロデューサーさんも東雲の元に駆け付けて、何か話し込んでいる。やっぱり体調が気掛かりだったのかな、と思ったのも束の間。
 私のお腹から切ない音が鳴った。完全に気が抜けたからだろう。

「うっ……今のは聞かなかった事に……!」

 苦笑しながら新郎役の役者さんにそう言うと、「このケーキ、どうするんだろうね。どうせなら皆で食べたいよね」と笑顔で返されて、完全に気を遣わせてしまった。
 でも確かに、このまま処分するなんて事はないだろう。先程の発言から、これはドラマ撮影の為に用意されたのではなく、東雲が一から作り上げたケーキだ。正直、駄目だと言われても食べたい。

「西篠さん」

 突然、東雲の声が聞こえて思わず肩をびくりと震わせてしまった。東雲だけでなく、プロデューサーさんも一緒にこちらに駆け付けて来た。

「東雲、体調はもう大丈夫そうだね。本当に良かったよ」
「体調? ……そういう事にしておきましょうか」

 東雲はくすりと微笑めば、プロデューサーさんと目配せした。自分の代わりに家業を継ぐ弟さんが、和菓子職人の道に行き詰まっている事を知って、東雲の演技に迷いが出ていた事を私が知るのは、まだまだ先の話だ。
 東雲は気を取り直して、再び私に顔を向けて言った。

「折角ですから、このクロカンブッシュを皆さんで食べましょう」
「いいの? 嬉しい! ……っと、今のはナシで」

 折角ウェディングドレスを纏った新婦役だというのに、完全に食い意地が張っているいつもの私になっている。いくら撮影が終わったとはいえ、もう少し『らしく』ありたかったのだけれど。

「いえ、喜んで頂けると、パティシエとしても光栄です」
「もう、完全に食い意地張ってるだけじゃん……さっきもお腹鳴っちゃったし……」
「ふふっ、西篠さんの食欲を刺激するものが作れて良かったです」
「物は言いよう……」

 でも、ふんわりと漂う甘い匂いも相まって、本当に美味しそうだ。皆で食べる為にこれを壊してしまうのは勿体ないけれど、そうも言っていられない。東雲にしてみたら、皆に食べて貰うほうが良いに決まっている。

「じゃあ、名残惜しいけど……東雲、入刀よろしく」
「えっ、私ですか? 西篠さん、折角ですしどうぞ」
「ダメ! やった事ないし、うっかり壊したら台無しになっちゃうよ」

 別に結婚式のケーキ入刀じゃなくて、皆で取り分けるだけなのだけれど、それでもこのクロカンブッシュを私の手で崩すのは気が引けた。
 遠慮している私に、新郎役の役者さんが「じゃあ二人で一緒にやったらどう?」と声を掛けてくれた。

「良いですね。それなら西篠さんも怖くないでしょう」
「いや、東雲ひとりでやった方が絶対――」
「はい、早くしないと皆さんケーキにありつけませんよ」

 東雲は入刀用のナイフを手に取れば、有無を言わさず私に柄の部分を握るよう促して来た。皆がケーキを待っていると思うと、これ以上駄々をこねるわけにもいかず、渋々ナイフの柄を掴んだ。東雲の手と触れ合って、あたたかな熱が伝わってくる。

 これではまるで、東雲と私の結婚式みたいだ――そう思うと気恥ずかしくて、顔まで熱くなってきた。ケーキを壊してしまうかもしれなくて緊張しているのだと、きっと皆そう思ってくれるだろう。
 ほぼほぼ東雲に任せる形になってしまったけれど、クロカンブッシュにナイフを入れ、突然はじまった入刀式に現場は大盛り上がりを見せた。

「なんか本当の結婚式っぽくて、恥ずかしいんだけど……」
「確かに、西篠さんは完全に花嫁そのものですしね。相手がパティシエの格好では様になりませんが」
「そんな事ないよ、かっこいい」

 うっかり口が滑ってしまった。今のはなかった事にして、と言おうとしたのも束の間。

「ありがとうございます。西篠さんも、本当に綺麗です」

 そう言って微笑を零す東雲は、以前のアイススケートの撮影の時じゃないけれど、本当に王子様に見えて……このまま時が止まって欲しい、なんて思ってしまった。

2023/11/09

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