ラッキーガールの誤算


 今日は予めマネージャーにも相談して、敢えて仕事を入れず終日オフにしていた。いつもならこんな事はしないのだけれど、今日だけは特別だ。
 過去にCafé Paradeが参加したチャリティーイベントが再び行われる事になり、しかも今回は正式にカフェとして出店するというのだ。Café Paradeの皆から事前にお誘いを頂いて、これは行かないわけにはいかないと、他に予定が入らないよう調整し、無事当日を迎えたのだった。



「……これは、仕切り直ししたほうが良さそう」

 Café Paradeの人気を侮っていた。当然ながら、他店の手伝いではなくカフェとして出店しているCafé Paradeの皆は、長蛇の列を捌きながら必死に接客や料理に明け暮れていた。
 並ぶのは苦ではないのだけれど、私は皆と共演する機会があったりしたし、一般人というわけではない。ここはファンや一般のお客様を優先したほうが良いだろう。そう決めて、他のお店を回る事にした。
 出店が終わった後、Café Paradeの皆は『彩』と『FRAME』の皆と一緒にライブをする予定だ。休まなくて大丈夫だろうか。後ろ髪を引かれつつお店から離れようとした瞬間、Café Paradeの皆と一緒に走り回っているプロデューサーさんの姿が目に入った。
 アイドルの現場の仕事を手伝ってくれるプロデューサーさんなんて、なかなかいないのではないだろうか。あの人がいるならきっと大丈夫だ。



 他のお店を回って、お持ち帰りで色々と買い込んでしまった。どこかのお店で食事を取ろうか悩んだけれど、一縷の望みに賭けて再びCafé Paradeのお店に向かった。客足が落ち着いていれば良いのだけれど。

「あ! 深雪さんだぁ! いらっしゃいまっせー!」

 店内にどのくらいお客様が残っているか確認するより先に、咲ちゃんが私の存在に気付いて明るく声を掛けてくれた。となると、客足は落ち着いたみたいだ。

「咲ちゃん、頑張ってるね。人が凄くてなかなか入れなくて、遅くなっちゃった」
「あわわ、ごめんなさい……!」
「ううん、Café Paradeの人気を侮ってたよ。あんなに多くのファンが駆け付けてくれるなんて、嬉しいよね」

 なんて偉そうに言ってしまったけれど、咲ちゃんは頬を赤く染めれば、満面の笑みで頷いてくれた。

「はいっ! 皆の応援を力にして、この後のライブもパピッと頑張ります!」

 そして、咲ちゃんに案内されて中に入ると、先客――プロデューサーさんがお客様として席に座っていた。お互いに目が合って、慌てて頭を下げたけれど、これってもしかして、Café Paradeの皆がプロデューサーさんをもてなそうとしているのではないか。

「私、もしかしてタイミング悪かったかな……?」

 思わず小声で咲ちゃんに訊ねたけれど、即座に首を横に振られた。

「大丈夫! プロデューサーさんも前々から深雪さんと話したいって言ってたし。ね?」

 咲ちゃんはそう言うと、プロデューサーさんに顔を向けてウインクした。本当にお邪魔でなければ良いのだけれど……と思いつつ、私はテーブルを挟んでプロデューサーさんの向かい側に座った。
 待たせてはいけないと思って、「プロデューサーさんが頼んだものと同じもので」とお願いすると、咲ちゃんは厨房に向かって謎の単語を叫んだ。何だ?と思ってメニューをしっかり見ると、アスランさんが考えたであろう料理名が連なっていた。

「なるほど……一見謎に見えて、よくよく考えればどんな料理なのかちゃんと分かりますね。これも才能ですよね」

 暗黒混沌パスタは恐らくイカ墨、血塗られし黄金の繭は……黄色いものに血のような赤を塗る、となるとオムレツか。
 アスランさんの語彙と発想力に感心している私に、プロデューサーさんは嬉しそうに呟いた。

「いつも315プロの皆がお世話になってます。ありがとうございます」
「いえ、お世話になっているのは私のほうです! 特にお芝居の仕事では、皆アイドルなのに役者顔負けの演技で……いつも良い刺激を貰っています! 私も負けていられません」
「ふふ、それは良かった」

 雑談もほどほどに、咲ちゃんによってアスランさんの手料理がテーブルに運ばれて来た。食欲をそそる見た目と香りに、思わず息を呑む。

「そういえば私、アスランさんの手料理食べるの初めてだ」
「そうだったんですか!? ふふっ、アスラン! 深雪さんが喜んでるよ〜」

 厨房に向かって言った咲ちゃんの声が届いたらしく、奥からアスランさんの高笑いが聞こえて来た。思わず釣られて笑みを零しつつ、プロデューサーさんとどちらともなく頷いて、早速口にすると――

「…………」

 美味しい、という言葉だけで終わらせるのは勿体ない。口に入れた瞬間、じわじわと広がる魅惑の味。幸福感に溢れて、その日の疲れなど一気に吹き飛ぶような感覚だ。毎日アスランさんのご飯を食べる事が出来たら、どんなに幸せだろうと思ってしまった。尤も、一般家庭ではそう簡単に作れない味だからこそ、Café Paradeというお店は成り立っているのだけれど。

「はあ……私、最高に幸せです。他のお店に浮気しないで良かった……」
「もしお腹いっぱいで食べられなかったら、勿体ない事になってましたね」

 食い意地が張っていると思われなくもない言葉を口にしてしまったけれど、プロデューサーさんも同意してくれてほっとした。というか、Café Paradeのお手伝いをしていたプロデューサーさんのほうが、余程お腹も空いているし疲れているに違いない。私だけ軽食で済ませたらプロデューサーさんも食べにくかったかもしれないし、他の店はお持ち帰りで済ませて良かった。

 あっという間に食べ終わると、見計らったように巻緒くんが駆け寄って来た。

「プロデューサーさん、深雪さん。食後のデザートはいかがですか? メニューを持ってきました!」

 巻緒くんからメニューを受け取ると、東雲のお手製であろうデザートがたくさん並んでいた。……正直、選べない。

「ここに書いてあるの全部、って言うわけにもいかないし、悩んじゃう」
「あはは、分かります! 深雪さんも俺に負けず劣らず、荘一郎さんの大ファンですね」
「ううん、巻緒くんには負けるよ」

 残念ながら私は巻緒くんのような専門知識はないし……と思いつつ、プロデューサーさんにどうするか声を掛けた。でも、プロデューサーさんも私と同じく悩んでいるみたいで、巻緒くんに単刀直入に訊ねた。

「お勧めのデザートはどれかな?」
「それはもちろん、ケーキです! 今日取り扱ってるケーキは…じゃーん、こちら!」

 メニュー表のケーキ一覧のページを開いて、巻緒くんは饒舌に語り始めた。それはもう熱く、圧倒されてしまうほどに。

「おっと……巻緒、熱く語るのもいいが、まずは食べてもらわないとな」

 巻緒くんの語りを止めたのは、神谷くんだった。そして迷っている私たちの代わりに、神谷くんで選んで指示を出した。こういう臨機応変な対応が取れるのもさすがはリーダー……いや、今は店長だ。

 巻緒くんが運んでくれた、東雲が作ったケーキをひとしきり眺め、そして勿体ないと思いつつも一切れ口にすると、プロデューサーさんが私の顔を見て笑みを浮かべた。……やっぱり食い意地が張っていると思われてしまったか。
 恥ずかしさで一気に顔が熱くなったけれど、プロデューサーさんは別に変な意味で見ていたわけではなかったみたいだ。

「話は聞いていましたが、西篠さんもスイーツが大好きなんですね」
「あはは……東雲や巻緒くんみたいな専門知識はありませんが」

 まあ、間違ってはいないのだけど、少し気恥ずかしい。とはいえ、東雲の作るスイーツはいつだって絶品だ。一口一口、ゆっくりと味わっていると、テーブルに乾いた音がした。神谷くんが飲み物を置いてくれたのだ。

「やあ、お待たせ。そのケーキに合うカフェラテを持ってきたよ」
「ありがとう」
「神谷くん、ありがとう」

 プロデューサーさんに続いて御礼を言って、フォークをいったん置いてカフェラテに口を付ける。ケーキの後味を邪魔しない、まろやかな味だ。神谷くんは紅茶がメインだけれど、珈琲もしっかり勉強しているのが見て取れる。本当に、Café Paradeの皆に尊敬の念を抱くばかりだ。
 プロデューサーさんが神谷くんに改めてお礼を言うと、厨房から東雲が顔を出した。軽く片手を振ったら、東雲もすぐに気付いて手を振り返してくれた。

「ふふ、そうか。喜んて貰えて嬉しいよ。素敵なケーキだろ?」
「作ったのは私ですけどね」

 プロデューサーさんと雑談に興じていた神谷くんのすぐ傍に、東雲が立ってぽつりと呟いた。神谷くんへのツッコミと言うべきか。

「はは、その通り。お疲れ様、東雲」
「神谷もお疲れ様です」

 東雲は神谷くんと顔を見合わせれば、次いでプロデューサーさんに顔を向けた。

「その味は、プロデューサーさんがいなければ生まれなかったものです」
「そうだな。俺たち自身もだ。プロデューサーさんと出会わなければ、今の俺たちは存在しなかった」

 Café Paradeは、元々はアイドルとして活動するために生まれたユニットではない。カフェを経営する神谷くんの元に、ひとり、ふたり……と集まって、五人はあくまでオーナーと店員という関係だった。それが、評判の良さが偶然315プロの人の耳に入り、スカウトされるに至った。彼らを発掘したのは、私の目の前にいるプロデューサーさんだ。

「今日という時間は、巡り会わせの延長線上で生まれたもの……。素敵な運命に感謝を。どうか楽しんでいってくださいね」

 東雲はそう言うと、神谷くんと一緒にその場を後にした。もっとプロデューサーさんとゆっくり話せば良いのにと思ったけれど、もしかして私がいるせいだろうか。
 無意識にそわそわしてしまっている私に、プロデューサーさんは思い掛けない言葉を口にした。

「西篠さんとCafé Paradeの皆の出会いも、素敵な運命と言えますね」

 確かにそうだ。私が偶々エキストラで出た舞台にCafé Paradeの皆がゲスト出演して、高校以来の再会を果たしたのが、随分と前の事のように思える。
 この出会いがきっかけで、今まさに目の前にいるプロデューサーさんが私の存在を知り、315プロの社長さんにまで話が行き、私が所属している事務所とより友好的な関係になったのだ。

「……プロデューサーさん。私が315プロの皆様とお芝居の仕事で一緒になる機会が多いのは、もしかして……」

 実力ではなく、コネクションでオーディションに受かっているのではないか。そんな気がしてしまって、折角の場なのに良くない話題を口にしてしまった。
 けれど、プロデューサーさんは首を横に振れば、優しい笑みを浮かべ、けれど真剣な眼差しで私を見つめた。

「ただ単に、西篠さんが期待のホープで、良い子だからですよ。現場での評判も良いし、協調性もあって、なによりアイドルへのリスペクトもある」
「そ、そうでしょうか……」

 私に限らず皆そうだと思うのだけれど、中にはアイドルを内心小馬鹿にしている人もいるかも知れない。そういう悪意って、隠していても案外相手に伝わるものだ。
 私も、決して順風満帆で仕事をしているわけではない。それこそ、偶々大学で仲良くなった友達が役者の仕事をしていて、彼女のツテで今の事務所に拾われたのだし。私の事をよく思わない人もいるのは分かっている。

「それに、アイドルたちは真剣に演技に取り組んでいます。共演者に演技の下手な子を敢えて選ぶ事はありませんよ」

 プロデューサーさんの言葉にはっとした。
 決して私を責めているわけではないけれど、その表情は真面目そのものだった。
 ……謙遜するのは良くない。もっと自信を持たないと。例え周囲に何を言われようと、私は経験を重ね、ゆっくりでも成長している筈だから。

「……プロデューサーさん、ありがとうございます。お陰で目が覚めました。私、315プロの皆に負けないよう、もっと頑張ります!」
「ええ、その意気です。さて、冷めないうちにカフェオレを飲みましょう」

 プロデューサーさんに休んで貰うどころか、私がいる事でかえって気を遣わせてしまったに違いない。Café Paradeもこれからライブが控えているし、そろそろお暇したほうが良さそうだ。名残惜しいけれど、ケーキを綺麗に平らげて、カフェオレも飲み切って、こちらの様子を窺っていた咲ちゃんに声を掛けた。

「お会計、お願いします」
「ううん、今日はサービス! かみやのおごり!」
「えっ!? だめだめ、ちゃんと払わせて――」

 こんなに素晴らしい料理を堪能して、そのまま帰るなんて駄目だ。ちゃんと対価を支払わないと。そう思って鞄から財布を出そうとしたら、プロデューサーさんが軽く腕に触れて制止した。

「では、ここは315プロの経費で落としますか」
「それって、プロデューサーさんのおごりって事じゃないですか……?」
「これからもアイドルたちと良い関係を築いてくれれば、それで充分ですよ」

 果たしてそれは対価にあたるのだろうか。完全に私だけが得してしまったけれど、頑なに断るのも失礼だ。ここは大人のプロデューサーさんに甘えて、他社なのに出世払いといったらおかしいけれど、これから恩返ししていこう。

 帰り際、皆に改めてお礼を伝えると、東雲に声を掛けられた。

「西篠さん、この後の私たちのライブ、是非観に来てくださいね」
「勿論! そのために今日は予定空けておいたんだから。皆の事しっかり応援するね」

 そう言って鞄からペンライトを取り出して軽く振ると、東雲だけではなく、皆笑顔を浮かべてくれた。プロデューサーさんもだ。

***

「西篠との再会も、今思えば素敵な巡り会わせだったね」
「ええ。これも高校時代に勉強を教える機会がなければ、再会してもただの挨拶だけで終わっていたかも知れません」
「深雪さんが今の大学に進学しなければ、女優業をやっている友達と出会って、今の道に進む事もなかった……って事にもなりますよね」
「やはり、あの娘の闇の力は凄まじい……姿形を変え、光の民を巧みに闇へと誘う魔力は、一朝一夕で手に入るものではない」

 Café Paradeの皆がそれぞれ呟く中、プロデューサーは満面の笑みを浮かべて言った。

「皆さん、すっかり西篠さんのファンですね」
「うん! 深雪さんは私の憧れ……でも、憧れているだけじゃダメ。私たちももっとアイドルとして輝きたい! 深雪さんと一緒にいると、不思議とそう思えるんだ」

 西篠深雪という人は、決してアイドルのプライバシーに踏み込む事はしない。適切な距離感で、友好的な関係を築いていく。そんな彼女は315プロにとって、アイドルと共演するにあたり信頼できる役者である事は確かであったが、勿論、役者としての実力も確かなものであった。アスランが言うように、人はそれを才能と呼ぶのだろう。

「ふふっ。では、西篠さんに負けないよう、私たちも今日のライブをしっかりこなしましょう」
「うむ! サタンもあの娘から分け与えられた魔力を放出せよと告げている……!」

 何気ない出会いがきっかけで、人生というものは大きく変わっていく。願わくばこの絆がいつまでも続くようにと、プロデューサーは密かにそう願ったのだった。

2023/10/16

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