不安は選択である

 エスティニアンとの再会から間もないある日、ついに『マナカッター』の最終調整が完了したとタタルから聞いたアトリは、すぐさま一緒にスカイスチール機工房へと向かった。
 あのふたりの事だ、準備が整えばすぐにでも出発するだろう。間に合えば良いのだが――息を切らしながらタタルと一緒に走っていると、ちょうどマナカッターに乗り込もうとしていた冒険者とエスティニアンの姿が目に入る。

「あっ! もう出発しちゃうでっす!」
「こうなったら叫ぶしか……タタルさん!」
「はいでっす!」

 アトリはタタルと共に一度立ち止まれば、マナカッターに向かって叫んだ。

「冒険者さーん! いってらっしゃいでっす!」
「エスティニアン様! どうかお気を付けて!」

 声は無事届いたようで、浮遊し始めたマナカッターから、冒険者がふたりに向けて手を振る。それに応えるようにアトリとタタルは両手を大きく振ると、マナカッターは瞬く間に空高くへ飛び立って行った。

「……お二人とも、どうかご無事で……」

 アトリはマナカッターが見えなくなるまで空を見上げれば、すぐに心を切り替えて、タタルと共に機工房へと歩を進めた。

「皆様、マナカッターの整備、本当にお疲れ様でっした!」
「タ、タタルさん!! はあ……頑張った甲斐があったッス……」

 タタルを見るや否や、ウェッジは感激すると共に疲れが一気に来たのか、その場に倒れ込んでしまった。

「ウェッジさん!? 大丈夫でっすか!?」

 即座にタタルが介抱したが、意識を失っているウェッジが、目を覚ました後にこの事を知ったら、何故起きていられなかったのかと悔やみそうである。そんな様子が頭に浮かんだアトリであったが、シドに声を掛けられて我に返った。

「アトリ、お前さんも気苦労が絶えないな」
「シドさん! いえ、私なんて皆様と比べたら全然です。教皇庁からの依頼もあるのですよね?」
「そっちも粗方なんとかなりそうだが……さすがに老体には堪えるぜ」
「まだ若いじゃないですか! ただ、今日はもう休息を取った方がよろしいかと……」

 アトリの視線が『のびている』ウェッジに向き、シドもこれには頷かざるを得なかった。

「そうだな、ガーロンド・アイアンワークスは今日は店じまいとするか」

 さすがにシドも顔色が良いとは言えず、差し出がましいとは思ったものの言って良かった。アトリはそう思ったのも束の間、今度はビッグスから声を掛けられた。

「アトリさん、差し出がましいかも知れませんが……」
「え!? ビッグスさんに限ってそんな事はありませんよ。なんでしょう」

 まさか自分が差し出がましいと思ったのと同時にビッグスもそう思っていたとは、偶然は恐いと思いつつも一体何なのか。アトリが促すと、ビッグスは頬を掻きながら告げた。

「アルフィノ様、今回同行出来なかった事を気にしてると思うんですよ」
「……確かにそうですね」

 アルフィノの事だ、この場に姿が見当たらないのは、自分が今為すべき事を分かっていて、そちらに専念しているのだろう。とはいえ、このまま冒険者にすべてを任せて皇都を離れ、『石の家』を拠点にするとも考えられなかった。アルフィノもまた義理堅い人である事を、アトリはちゃんと分かっていた。

「ウルダハの情勢が安定しつつあるとはいえ、クリスタルブレイブの裏切りはずっと尾を引いていると思います。ひとりになって、気が塞いでいるかも知れません」
「でしょう。まあ、気にし過ぎかもしれませんが」
「いえ、そんな事は。私も気に掛けておきますね」

 アトリはビッグスの助言を聞き入れて、何か力になれる事があれば動こうと決めた。こちらから強引に関わろうとすると、かえって迷惑になる可能性もある。ゆえに、静観しつついつも通り過ごす事にしたのだった。



 それから暫くして、アトリは皇都を歩いていると、神聖騎士団本部からアルフィノが出て来たのを見つけ、声を掛ける事にした。

「アルフィノ様!」

 アルフィノは顔を上げてアトリを見遣れば、どこかほっとしたように優し気な笑みを浮かべてみせた。

「やあ、アトリ。今日はタタルと一緒じゃないのかい?」
「今日は『サンシルク』の手伝いに行ってきました。ロロリト様の真意が分かった今となっては、仕事をしないわけにはいきませんし」
「ロロリト……うむ、そうだったね。もうすっかり君が『暁』の一員という感覚でいたよ」

 アルフィノの表情から笑みが消える。気まずそうに目を逸らし、複雑な感情を抱いていると分かる様子に、アトリは即座にアルフィノの手を取った。

「大丈夫です! 私はこれからも『暁の血盟』に協力しますよ」
「……良いのかい?」
「はい、そのつもりで皇都にいます。私もアルフィノ様やタタルさんと一緒に、冒険者様とエスティニアン様の帰りを待っているのです」

 きっぱりとそう言い切って笑顔を見せるアトリに、アルフィノに表情に漸く笑みが戻る。ただ、どこか不安そうに見えなくもない。

「……君と少し話がしたい。良いだろうか」

 当然、アトリに断る理由などなかった。

「勿論です! ずっとアルフィノ様と話す機会がなかったので、是非」



 アトリはアルフィノと共に宝杖通りで温かな飲み物を購入し、人通りの少ない場所へ向かおうと歩を進めた。帰りが遅くなりそうなら、キャンプ・ドラゴンヘッドに来て貰おうとアトリは考えていたのだが、アルフィノにさすがにそれは心苦しいと断られてしまい、少しだけ立ち話をする事にしたのだった。
 すると、この一帯を取り仕切る人物がふたりに声を掛けた。

「あら、珍しい組み合わせですこと」
「エレイズ様! 確かにそうですね。いつもアルフィノ様は冒険者様と一緒でしたから」
「オルシュファン卿がおふたりを見たら、妬いてしまうかも知れませんわね」

 宝杖通りの顔役であるエレイズにそう言われ、アルフィノは慌ててアトリと距離を取ったが、対するアトリは余裕のある様子で首を横に振った。

「それはないと思います。オルシュファンとアルフィノ様は信頼関係にありますから」

 アトリがそう答えると、エレイズは左手の薬指に光る指輪に気付き、優しく微笑んだのだった。



 ラストヴィジルにて、アトリはアルフィノと飲み物を口に含みつつ、クルザスの美しい雪景色を眺めていた。ドラゴン族が再侵攻の準備をしているとは思えないほど、静かな空である。
 そんな中、アルフィノはぽつりと呟いた。

「すまない、私と一緒にいたら誤解されてしまうかも知れないな」
「まあ、変な噂を立てられたところで、オルシュファンは信用しないので大丈夫ですよ」

 年齢差を考えれば有り得ない――とは言い切れない。アトリとオルシュファンも同じように年の差があるのだから、アトリがアルフィノと『そういう』仲になると誤解される可能性はあるのだ。迂闊だったかも知れないが、アトリにしてみれば、協力関係を結んでいる仲間と話す事も出来ないほうが間違っている。

「……アトリ、君は強いね」

 ふとそう言われて、アトリは目を見開いて驚きの表情をアルフィノへ向けた。アルフィノはいたって真剣である。

「オルシュファン殿と結婚するのだね」
「あ……はい、実は。尤も、式を挙げるのはイシュガルドに平和が訪れてからと決めていますが」
「ふふっ、では今『竜の巣』で戦っているあのふたりに、アトリとオルシュファン殿の未来が懸かっていると言っても過言ではないな」

 アトリは左手の薬指に嵌めた指輪に触れ、照れ臭そうに微笑んでアルフィノに頷いた。
 最初に彼が呟いた『強い』とはどういう事なのか、今ならば分かる。戦う力ではなく、心の問題なのだろう、と。

「アルフィノ様、私は強くなんてないですよ。ずっと周囲の顔色を窺って、上手く立ち回る事だけを考えて生きて来ましたから」

 そうしないと、生き残る事など出来なかった。例えウルダハ王党派の主張が真っ当だとしても、アトリはロロリトが所属する共和派を支持していたし、暁の血盟が正しい行いをしている事を分かっていても、ロロリトの言付通りに距離を置いていた。異端者に囚われた時も、己の身を護るために、決して彼らの行いを強く咎める事はしなかった。
 それらはいずれも『逃げ』でしかなく、強いとは到底言えない行動であった。

「けれど、アトリ。君は現に茨の道を歩き続けて、ここにいる」
「皆様に比べたら、茨とは到底言えませんよ」
「第七霊災から五年。その間、君は事を急がず、着実に一歩ずつ進んで来た。その結果、正当な手段で皇都で仕事をする事が叶い、愛する人とも結ばれたのだ。私はそれを、平坦な道だとは思っていない」

 どうやら今のアルフィノには、アトリが良く見えているようである。アトリは彼に何を言えば良いのか、答えはちゃんと分かっていた。

「それはアルフィノ様も同じです。しかも、私より遥かに困難な道です」
「……そうだね。事を急いた結果がこの有様だ」
「違うのです、私も焦って失敗した事がたくさんあります。アルフィノ様の目指す道は更に困難だからこそ、より多くの時間を要するのだと思います」

 アトリは、今の自分が成功した人間だとは思っていない。イシュガルドの貧富の差、雲霧街の人々の暮らし、修繕されない下層。分かっていながら何も出来ないのは、見て見ぬふりをしているのと大差はない。現にこうして、アルフィノとふたりで宝杖通りで買った温かな飲み物を飲むなど、雲霧街に暮らす民には出来ない事なのだ。

「アルフィノ様は何も間違った事はしていません。残念ながら、その『正しさ』が気に食わず、足を引っ張る悪人が多くいた。ただそれだけの話です」

 アトリの言葉に、アルフィノは苦笑を零した。彼女はこの五年間、人々の『闇』をそれなりに見て来たのだろう。ゆえに、己がクリスタルブレイブを立ち上げた時に難色を示していたのだ。
 だからこそ、アトリが正義感の強いオルシュファンに惹かれた理由も理解出来た。
 アルフィノのそんな考えを肯定するように、アトリは付け足すように告げた。

「ですが、良い人もいます。オルシュファンもそうです。それに、アルフィノ様を今でも慕っている人はたくさんいますよ」
「ああ……こんな私にも、協力してくれる人たちはいる」

 アルフィノは頷けば、飲み物を一気に飲み干して、そして改めて向き直った。

「アトリ。私は先日『クリスタルブレイブ』を解散したのだ」
「え……!?」

 アトリは思わず飲み物を落としそうになった。アルフィノの話したい事とは、悩み相談でもなんでもない、クリスタルブレイブ解散の報告だったのだ。それに気付き、アトリは己に言える事は何もないと俯いた。

「……だが、それでも、今でも『石の家』に残っている皆は、私について来てくれると言ってくれてね」
「本当ですか!? 良かったです……!」

 以前アトリが石の家に行った時は、リオルが目を光らせていたし、ドマの人々もアルフィノの帰りをずっと待っていた。それがちゃんとアルフィノ本人に伝わって本当に良かったと、アトリは胸を撫で下ろした。

「てっきり悩みがあると思っていたのですが、私、アルフィノ様に余計な事を言ってしまいました」
「いや、私もそのつもりで君に声を掛けたのだ。『竜の巣』潜入は、私には力不足だとエスティニアン殿に言われてしまってね」

 ただ、そうは言うものの、アルフィノは穏やかな笑みを浮かべていて、既に吹っ切れているように見えた。変に慰める必要はないだろうと、アトリは客観的な意見を述べた。

「長年ドラゴン族と戦って来た経験か、『超える力』がなければ難しい作戦なのでしょう。そんな恐ろしい戦いは、これで終わりになって欲しいですね」
「ああ、本当に――」

 アルフィノの言葉が途切れ、そして、視線がアトリから橋の下――下層へと向く。アトリも同様に下層を見遣ると、人々が揉めているような声が聞こえ始めて来た。

「騒がしいですね。まさか、下層の人たちが暴動を?」
「分からないが……ここは私が直接確かめよう」
「私も行きます!」
「いや、君は一度オルシュファン殿の元に戻ったほうが良い」

 確かにアルフィノの言う通り、もし暴動が起きていたとしたら、アトリが行ったところで何の役にも立たない。だが、アルフィノもいくら戦いの心得があるとはいえ、たったひとりで向かわせるのは気が引けた。
 そんな中、エレイズが慌てて駆け付けて来る。

「アルフィノ殿、アトリ嬢、今すぐ避難を!」
「エレイズ様、何があったのですか?」
「下層の民が異端者を皇都に呼び込んだのです」
「異端者を!?」

 これにはアトリだけでなくアルフィノも驚愕の表情を浮かべた。異端者組織はイゼルを頭目として動いている。イゼルがドラヴァニア雲海にいる今、彼女を無視して独断で皇都に侵入し、暴動を起こすとは思えなかった。

「イゼルがそんな事をする筈が……」

 そう呟いたのはアルフィノであった。己よりも長い時間一緒にいて、共に旅をしていた彼がそう言うのなら、イゼルが命令したわけではない。アトリはそう判断すると、後の決断は早かった。

「エレイズ様、情報に感謝します。アルフィノ様はエーテライトでフォルタン伯爵の元へ。私は今からオルシュファンに説明しに参ります。恐らくは暴動を止める為、ここに戻るかと」
「ああ、頼んだよ、アトリ。気を付けて」
「はい! また後で会いましょう」

 そう言うと、アトリもまたエーテライトで移動する為にこの場を後にした。「また後で会おう」という事は、アトリもオルシュファンと一緒に暴動を止めるつもりなのだろう。

「何も出来ず歯痒いのは、きっと私だけではなく、アトリも同じなのだな……」

 アルフィノはアトリの事を心配に思いつつも、まずは己の為すべき事をしようと、エレイズに礼を述べれば、すぐさまフォルタン伯爵邸へ向かったのだった。
 皇都の騒乱に留まらず、この後、イシュガルドという国を揺るがす大混乱が起きる事を、この時はまだ誰も知らなかった。

2024/02/18

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