信じて祈ることが「自由」だった

 オルシュファンから指輪を受け取ったアトリは、今自分は夢を見ているのかと錯覚してしまっていた。お互いに愛し合っているのは紛れもない事実であり、結婚するつもりでいるのだから、指輪を渡される事自体は信じられない話ではない。
 だが、お互いに結婚の意志があるとはいえ、夫婦として生きるのはまだ先だと心のどこかで思っていたアトリは、左手の薬指に光る指輪に触れ、冷たい感触に漸く我に返った。

「どうせなら本番で、と思っていたのだがな。お前が躊躇う気持ちも充分に理解出来る。ならば、先延ばしにする必要はないと思ってな」
「もう……びっくりしました! いえ、嬉しくて仕方がないのですが、まさか私が……」

 アトリは左手を掲げ、ステンドグラスから漏れる光に向けて翳した。場所が場所だけに、神聖なものに見えて、本当に自分がここにいて良いのかとすら思い始めていた。
 そんな不安は、オルシュファンがいつものように吹き飛ばしてみせた。アトリを思い切り抱き締めたかと思えば、今度は軽々と抱きかかえる。

「オルシュファン、さすがに公共の場では……!」
「私たち以外誰もいないのだ、気にする事はない。ハルオーネ様も我らを見守ってくださっている」
「あの、ハルオーネ様は戦の神様なのですよね? 不謹慎では……」

 いつもと変わらぬ笑みを浮かべるオルシュファンとは対照的に、アトリは顔を真っ赤にして困惑していた。ここがキャンプ・ドラゴンヘッドならいざしらず、皇都イシュガルドであまり目立つ事をしては、どこで誰に目を付けられるか分からない。五年前、アトリが蒼天騎士団に異端者と間違われた事は、まだトラウマとして心の奥に残っているのだ。
 さすがに蒼天騎士の目に留まる事はなかったが、ここが公共の場である事に変わりはなく、離れた場所で足音が聞こえて来た。

「ほら、オルシュファン! 人が来ますよ!」
「神学院の学生か。確かに、そろそろ退散したほうが良さそうだ」
「そういえば、学校が併設されていたのでしたね――って、降ろしてください……!」

 オルシュファンは真っ赤になったアトリを抱きかかえたまま、大聖堂を後にした。そんなふたりの様子が、聖アンダリム神学院の学生たちの目に留まり、後々話題になる事など、当の本人たちは知る由もないのだった。



 数日経ったある日、タタルと共に行動していたアトリは、皇都内で見慣れた姿を視界に捉えた。

「あれは……冒険者様とアルフィノ様?」

 見間違えるはずはない。だが、エスティニアンと一緒に皇都を出たはずが、何故ふたりだけで戻って来たのか。別行動を取っていて仲間割れでなければ良いのだが。そう思っていたアトリであったが、突然タタルの元に通信が入る。

「え、えええーっ!?」

 アトリは聞き耳を立てないようにしていたが、タタルの叫び声にただ事ではないと顔を上げた。暁の血盟の誰かが見つかったのか。だが、それならもっと喜ぶはずだ。ただ、最悪の事態という雰囲気でもない。
 通信を終えたのを見計らって、アトリはタタルに声を掛けた。

「タタルさん、何かトラブルでも?」
「ち、違うんでっす! ラウバーン様からの連絡で、ナナモ陛下の居場所が見つかったそうなんでっす!」
「本当ですか!? 良かったです……!」

 暁の血盟の誰かではなかったものの、己たちにとっては朗報である。アトリはタタルと共に見失った冒険者たちの行方を探し、最終的にスカイスチール機工房へ辿り着いたのだった。

 息を切らして機工房に足を踏み入れたタタルに、ウェッジが驚いて飛び跳ねる。

「タ、タタルさん!? そんなに慌ててどうしたっス!?」
「皆さん、ここにいたんでっすね! ウルダハから、すんごい情報が入ったのでっす! ナ、ナナモ陛下に関する重要情報でっす!」

 少し遅れて現れたアトリは、冒険者とアルフィノを久々に見て胸を撫で下ろした。元気そうで何よりだ。イゼルに会う事は出来たのだろうか。聞きたい事は山積みだが、今は優先すべき事がある。

「よし、マナカッターの準備は、俺たちに任せておいてくれ。なぁに、暴風の壁を突破するための機構も、しっかり付けて準備しとくぜ。お前たちは、牛親父たちを助けてやってくれ!」

 シドの言葉をアトリはすぐには理解出来なかったが、ビッグスとウェッジから掻い摘んで教えて貰い、おおまかな状況は把握する事が出来た。
 冒険者とアルフィノが皇都に戻って来たのは、邪竜『ニーズヘッグ』が張り巡らせた暴風の壁を突破するため、シドの技術を頼りに来たのだという。
 エンタープライズでは小回りが利かず現実的ではないが、代わりにビッグスとウェッジが開発した新型飛空艇『マナカッター』ならば、突破できる可能性があるとの事だ。とはいえ課題は山積みで、更に彼らには教皇庁からの依頼もある。

 ガーロンド・アイアンワークス社も大忙しな今、アトリは自分だけ幸せな気分でいて良いのだろうか、と少し罪悪感が芽生えていた。
 そんな中、横でアルフィノとタタルの会話が耳に入る。

「タタル、君は神殿騎士団経由で、エスティニアン殿と連絡を取り、情報を共有しておいてくれるかい。危険な任務が暫く続くが、どうにか耐えて欲しいと……」
「はいでっす!」

 どうやらエスティニアンは皇都には来ていないようだが、冒険者とアルフィノと問題なく協力関係を結べているらしい。アトリは安堵すると、ふと冒険者と目が合った。
 今聞いても良いのか躊躇われたが、そんなアトリの胸中を察したのか、冒険者は小声で告げた。「イゼルと合流出来たが、ドラゴン族との対話は困難だ」と。

「そうですか……でも、合流という事は、一緒に旅をされているのですか?」

 その問いに冒険者が頷くと、アトリは漸く笑みを零した。

「良かった……」

 アトリの様子を見て、冒険者はふと思った。もしドラゴン族との戦争が終結したら、異端者を率いてきたイゼルはどんな罰を受けるのか。だが、そんな状況でも、イゼルにとってアトリは良き友人になるのではないか。
 そう思ったのも束の間、アトリの表情はまたすぐに曇ってしまった。

「……タタルさんも自分に出来る事を精一杯やっているのに、なんだか、私はお役に立てていない気がします」

 冒険者に弱音を吐くなど失礼な事だと分かってはいつつも、今のアトリが本音を漏らせるのは、目の前の冒険者だけであった。こんな状況下で、幸せに過ごすこと自体が罪なのではないか。そう思っていたアトリであったが、冒険者は思わぬ事を口にした。
 ――旅が終わったら、イゼルと友人になったらどうだろうか。
 それは決して強制する言い方ではなく、提案のひとつに過ぎない。
 だが、氷の巫女として異端者を率いて来たイゼルは、すべてが終わった後もいばらの道が待っている。本人とて、その覚悟で蛮神召喚を行ったはずである。

「イゼルは本当に、そんな事を望んでいるのですか?」

 不安になって訊ねたアトリに、冒険者は頷きはしなかったが、首を横に振る事もしなかった。
 ただ、「旅を終えて帰って来た時にアトリが笑顔で出迎えてくれたら、イゼルはきっと嬉しいと思う」などと、有り得ない事を宣ってみせた。
 有り得ない事。アトリはそう決め付けたが、イシュガルドにとっては悪しき敵でしかないイゼルにとって、己が味方となり得るのなら。
 アトリは冒険者の意図をなんとなく理解出来た気がして、力強く頷いてみせた。

「……そうですね、私は私の出来る事をします。イシュガルド人ではない異邦人だからこそ、イゼルに寄り添える部分もあると思います」

 そう告げたアトリに、冒険者は満足気に頷くと、アルフィノと共にラウバーンの元へ向かったのだった。



 キャンプ・ドラゴンヘッドに戻ったアトリは、この日の夜もいつものようにオルシュファンと寝床を共にしていた。ベッドの中で毛布に包まりながら、今日あった事を告げる。
 ナナモ陛下が見つかれば、ウルダハは恐らく瞬く間に元通りになる事。そうなれば、冒険者たちも隠れる事なくエオルゼアを闊歩出来る。あとは、暁の血盟の皆と再会出来るのを待つだけである。

「一時はどうなる事かと思ったが、こうも丸く収まるとはな。アトリも随分と安心しただろう」
「はい……そうなのですが、やはりイゼルやエスティニアン様の事を考えると、喜んで良いものか」

 エスティニアンはともかく、イゼルの事を心配するとは、イシュガルドの人間に聞かれたら大変な事になる。これもオルシュファンとふたりきりだからこそ言える本音であった。

「しかし、『友達になれ』と来たか。あいつの考える事はつくづく面白い」
「もう……本当に私とイゼルが友人になったら、オルシュファン、あなたまで白い目で見られるかも知れないのですよ?」
「だが、お前は既に『氷の巫女』の友になりたいと思っているのではないか?」

 少し意地悪そうに微笑んで訊ねるオルシュファンに、アトリは眉を顰めて、小声で囁いた。

「……こんな事を言えるのは、オルシュファンの前だけですよ。正直、イゼルに味方は必要だと思います。異端者でも信奉者でもない、ごく普通の友人が」
「それは義務感ではなく、お前がただ単に彼女の友でありたいと思っての事か?」

 オルシュファンの問いに、アトリは即座に頷いた。だが、正義感に囚われて危険な道を歩むほど、アトリはお人好しではないつもりである。

「ただ、堂々と手を繋げるかと言われると、それはその時になってみないと分かりません。冒険者様たちとイゼルが協力しているとはいえ、裏切ってドラゴン族と手を組み、皇都を襲う事があれば……それは許されない事です」

 そんな事は起こって欲しくない。ドラゴン族との対話が成功し、融和の道を歩んで欲しい。それが出来れば千年も戦争は続いていないと分かっている。けれど、二度と悲劇を繰り返さないために、冒険者もアルフィノも頑張っている。その努力を否定したくはなかった。
 アトリの想いを察しているのかは定かではないが、オルシュファンはアトリをきつく抱き締めた。

「オルシュファン……く、苦しいです……」
「そこまで考えているのなら大丈夫だ。アトリ、お前がどんな選択をしようと、私もお前の傍にいるぞ」
「ですが、もし私がイゼルと手を取り合ったら、オルシュファンに被害が……」
「何を言っている。私たちはもう夫婦同然なのだぞ。夫が妻を護れなくてどうするのだ」

 あっさりとそんな事を言われて、アトリは瞬く間に頬を紅潮させた。毎日同じベッドで寝て起きて、共に朝食を取り、日中は互いに仕事に勤しみ、そして夜は共に過ごす。当たり前になった日々なのに、アトリは改めて今の自分が恵まれ過ぎていると実感していた。
 この幸せは永遠に続く。例えドラゴン族との戦争が再開されようと、私たちの日々は続いていく。アトリは当たり前のように、そう思っていた。



 その後、ユウギリからアトリに直接通信が入り、ナナモ陛下が無事見つかり、ラウバーンは正式に局長に復帰したと共有を受けた。砂蠍衆との確執は残るものの、ロロリトはウルダハという国を真に愛しており、ナナモ陛下と対立する気もない事が明確となった。ガレマール帝国が不穏な動きをしている事も共有し、協力の姿勢を見せているのだという。
 一方、ガーロンド・アイアンワークスの面々は『マナカッター』の最終調整に向けて、連日作業にあたっている。

 様々な問題が少しずつ解決し始めている中、アトリは皇都で突然声を掛けられた。

「元気そうだな、アトリ」

 聞き覚えのあるその声に振り替えると、全身を鎧で覆い、顔も隠れて見えない男が立っていた。蒼の竜騎士、エスティニアンである。

「エスティニアン様! 皇都に戻られたのですね」
「タタルの嬢ちゃん経由で『マナカッター』の準備が整いつつあると聞いて、舞い戻って来たんだが……」
「そのようですが……どうかしましたか?」

 表情は窺えないものの、エスティニアンはアトリをまるで品定めするように一瞥すれば、肩を竦めてみせた。

「氷女がやけにお前を気に入っていたが……俺にはお前の才能がさっぱり分からん」
「は?」

 不躾に失礼な事を言われ、さすがにアトリも不機嫌な声を露わにしたが、エスティニアンはまるで気にしていなかった。氷女が誰なのか、旅をしている面子を考えればイゼルしかいないだろう。

「そう怒るな。氷女がお前には魔法の才能があると言っていたんだ。お前を監禁した時に感じたそうだ」
「『超える力』を持つイゼルが言うなら、信用しても良い、という事ですよね……?」
「……言わない方が良かったな。お前は調子に乗ると痛い目を見るだろう」
「うっ」

 図星を突かれてしまい落ち込むアトリに、エスティニアンは口角を上げてみせた。

「……ついにオルシュファンと結婚したのか」
「えっ」

 呆けた声を出すアトリに、エスティニアンは彼女の左手を指さした。指輪を見れば一目瞭然、という事だ。
 エスティニアンは今まで、ドラゴン族に動きがないかずっと見張っていたと聞いていた。さすがにタイミングが悪いと、アトリは気まずそうに目を逸らした。

「こんな時に、不謹慎とは思ったのですが……」
「おいおい、何を言う。オルシュファンが聞いたら泣くぞ?」
「ですが、皆様戦争を止めようと必死でいるのに……」

 エスティニアンは面倒な事になったと溜息を吐いたが、アトリを邪見するつもりはないらしく、彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「ひゃっ!? な、何するんですか!」
「お前たちを護るために、俺たちは戦っている。オルシュファンも同じだ、いざとなればお前を護るために剣を取るだろう」
「……そんな事が起こらないと良いのですが」
「残念ながら、フレースヴェルグとの交渉は決裂している。氷女も現実を突き付けられて参っているだろうが……俺達は前に進むしかない」

 交渉は上手く行っていないのではなく、決裂とはっきり言うエスティニアンに、状況は思っていたよりもずっと悪いようだとアトリは顔を強張らせた。

「アトリ、俺たちがマナカッターで何をするか聞いているか?」
「ニーズヘッグが張り巡らせた暴風の壁を突破するため、とだけ」
「そうだ。俺たちは奴の棲家に乗り込み、ニーズヘッグの力を封じる」

 エスティニアンはそう言うと、『竜の眼』なるものを取り出した。
 初めて見るそれに、アトリは言葉を失った。禍々しい妖気に、アトリは眩暈を覚えそうになったが、エスティニアンはすぐに竜の眼をしまい、周囲はいつもの凛とした皇都の空気が戻る。
 アトリは胸を撫で下ろせば、呆然としながら呟いた。

「……本当に、あなたがたはとんでもない事を仕出かそうとしているのですね」
「人を化物みたいに言うな。それと、今回は俺と相棒――お前の言うところの『冒険者様』だけで行く。アルフィノは留守番だ」
「アルフィノ様では心許ない、と?」
「そういう事だ」

 アルフィノが同行出来ないほどの大規模な事を為そうとしているのなら、己の出番などあるわけがない。アトリは途方もない話に最早落ち込む事すら出来ず、ただただふたりの無事を祈る事に決めた。

「絶対に、生きて帰って来てくださいね」
「当然だ。……それと、氷女に伝言があれば聞いてやるが」
「良いのですか?」

 まさかエスティニアンにそんな事を言われるとは思わず、アトリは何を伝えようかと思案した。なんだかんだでエスティニアンとイゼルは上手くやっているようで、一先ず安心である。
 ならば、本心を伝えても良いはずだ。アトリは周囲に誰もいないのを確認すれば、エスティニアンに向かって告げた。

「旅から帰って来たら、私と友達になってくれませんか?」
「……は?」
「言葉通りです。冒険者様がイゼルと友達になるよう勧めてくださったのですよ? エスティニアン様は『相棒』の意見を否定するのですか?」
「……オルシュファンもとんでもない女を嫁にしたな」

 エスティニアンは呆然とそう呟いたが、アトリの依頼を断りはしなかった。

 冒険者とエスティニアンの作戦が失敗すれば、ドラゴン族の皇都再侵攻は確定と言っても過言ではない。
 アトリはただただ、冒険者とエスティニアン、そしてイゼルの無事を願う事しか出来なかった。

2024/02/16

- ナノ -