届かぬ空の淵で

「申し訳ございません! 私、今の今まで仕事を放棄してしまいました」

 クリスタルブレイブの協力を得て、無事エーテライトを駆使して東アルデナード商会に辿り着いたアトリは、ロロリトと対面するなり早々に頭を下げて謝罪したのだが、当の本人はいたって平静であった。

「む? 顔を上げよ、アトリ。話は既に聞いておる、お前は何も悪い事などしておらぬのだぞ?」
「……既にご存知なのですか?」

 アトリが恐る恐る顔を上げると、ロロリトは腕を組んで静かに頷いた。

「ここだけの話だが……実はクリスタルブレイブに商会の人間もいるのだ」
「えっ、そうなんですか!?」
「さよう。お前からの定時連絡が止まり、珍しい事もあると思っておったが……怪しげな取引に応じる為に単独行動を行った翌日、レヴナンツトールに現れずと報告を受けてな。ともあれ、無事でなにより」

 そこまで説明を受けて、アトリはユユハセというララフェル族が商会の人間だと察した。彼にしか取引の件は伝えておらず、万が一己が翌日姿を現さない場合は、何かあったと判断して欲しいと事前に相談していた。彼に己の行動を伝えた選択は改めて正解だったとアトリは安堵したが、そもそも余計な行動を起こさなければ、仕事に穴を開ける事もなければ、ロロリトに心配をかける事もなかったのだ。ゆえに、やはり謝罪は必要である。

「お気遣い、ありがとうございます。ですが、今回は完全に私に非があります。せめてオルシュファンに行き先を伝えてから向かうべきでした」
「まあ、アトリの無鉄砲さは今に始まった事ではなかろう」
「……ロロリト様には敵いませんね」

 そう言って苦笑するアトリに、ロロリトは客用のソファに座るよう促した。見計らったように、ちょうどロロリトの使用人が部屋に入り、二人分のティーカップをテーブルの上に置いた。
 注がれたお茶から、ウルダハでよく使われるスパイスが香る。この商会もまた、身寄りのない己の帰る場所のひとつなのだとアトリは実感した。
 やはり、ロロリトに対して義理を欠いてはいけない。アトリは使用人に礼を告げ、ティーカップに口を付けた。そして、己の向かい側に座り同じようにお茶を嗜みはじめたロロリトを見つめる。

「ただ、異端者に軟禁されている間は、当然仕事が出来ずにいました。更には手荷物まで失ってしまい……この穴埋めをする為に、暫くは商人の仕事に専念します」
「これまでも専念しておっただろう。……イシュガルドが怖くなったかの?」

 いきなり論点を突かれて、アトリは思わず咳込みそうになってしまった。ロロリトに隠し事をしようとは思わないが、果たしてイシュガルドの歴史の歪みについて説明すべきなのか。商会全体の事を考えても、イシュガルドの貴族相手の商売は、決して軽んじる事は出来ない。
 取引先を否定する事、ましてや異端者の言い分に同調するなど、口に出来る事ではない。

「……ロロリト様はなんでもお見通しですね。暁の血盟の冒険者様に助けられ、結果的に無事だったとはいえ、蛮神シヴァのテンパードになってもおかしくはありませんでしたから……それはもう、怖かったです」

 暁の血盟。その言葉を口にした瞬間、アトリは場の空気が凍り付いたような感覚を覚えた。恐らくはロロリトもユユハセからその点も報告を受けているとは思うものの、彼らに貸しを作った事になる為、面白くないのは事実であろう。アトリは言い回しには充分気を払いつつ、言葉を続けた。

「それに、蛮神シヴァは討伐されたものの、イゼル――異端者のリーダーには逃げられたとの事です。きっと、このままでは終わりません。色々考えて、いったんイシュガルドとは距離を置いて、今後の身の振り方を考えようと……」
「オルシュファン卿は、それで良いと言っているのか?」

 アトリの言う「色々考えた」は嘘だと、ロロリトは見抜いていた。オルシュファンが「イシュガルドは危険だから暫く離れたほうが良い」と命じたなら理解出来るものの、アトリ自身が敢えて愛する男から距離を置くなど考え難く、明らかに他に理由があると察したのだ。
 オルシュファンと距離を置く程、アトリは重要な情報を握っている。そう判断し、ロロリトはティーカップを机上に置けば、腕を組んで試すようにアトリを見遣った。

「確かに異端者に囚われるなど、さぞ恐ろしい思いをしたはずだ。だが、アトリよ。お前は思っていたより遥かに落ち着いている。クリスタルブレイブからも、異端者から危害を加えられた様子はない、と報告を受けておる。……一体何を恐れておる?」

 ここまで追及されては、すべてを言うしかないだろう。かの冒険者だけにしか話さないつもりでいたが、ロロリトへの忠誠心を見せるためには、言うしかない。
 アトリもまたティーカップを机上に置けば、姿勢を正して両手を膝に置き、ロロリトを真っ直ぐに見遣った。

「……ロロリト様。この先の話は、不都合があれば『聞かなかった事』にして頂ければ幸いです」
「……良い。話せ」
「私はイシュガルドの闇に触れてしまったようです。ぼろを出せば、異端者嫌疑に掛けられ、処刑されるのが目に見えています」

 ロロリトは目許をゴーグルで隠しているものの、少しだけ身を乗り出し、興味深そうに話を聞こうとしているように見えた。アトリは一息ついて、言葉を続ける。

「イゼルは私に言いました。『イシュガルドの歴史は歪められている』、『千年戦争の発端は人間がドラゴン族を裏切ったから』と……それを否定する材料など持ち合わせておらず、私は怖くなってしまったのです。イゼルの言っている事が正しければ、私はこの先イシュガルドの皆様と、オルシュファンと、どう向き合っていけば……」
「異端者の世迷言を信じるのか?」

 悩みを吐露するアトリを、ロロリトはいとも簡単に跳ね除けてみせた。別に何をされたわけでもないのに、アトリは目を覚ませとばかりに頬を叩かれたような気がして、思わず身を震わせた。

「監禁状態に置かれると、加害者に共感するような現象が起こると聞いた事があるが……アトリのような芯のある子でもそうなってしまうとは、いやはや、恐ろしいものよ」
「加害者……」
「さよう。アトリ、肝心な事を忘れておるぞ。そもそもフォルタン家の支援物資を奪ったのは誰か? イシュガルドとは関係のない、レヴナンツトール開拓団の者まで重傷を負ったのは誰のせいだ?」

 ロロリトの言っている事はすべて正しい。それどころか、アトリ自身もその点については間違っているとイゼルにはっきり伝えていた。だがイゼルは、蛮神に頼らなければ、千年戦争は終わらないという強い意志を持っていた。アトリとて、それを良しとしたつもりはない。

「……はい。イシュガルドの歴史がどうであれ、無関係の方を傷付けるなど、あってはならない事です」
「うむ。仮にドラゴン族が再びイシュガルドを襲ったとする。キャンプ・ドラゴンヘッドが襲撃され、オルシュファン卿の身に何かあったとしたら、お前は許せるのか?」
「そんな事、絶対に許せません!」

 思わず感情的になって声を荒げたアトリであったが、ロロリトはその反応に満足するかのように口角を上げた。

「アトリよ、お前はイシュガルドの人間ではない。もっとシンプルに考えるのだ。お前はクガネの商人で、愛した男がたまたまイシュガルドの騎士であった。様々な幸運が重なり、皇都への立ち入りを許可されている。ただそれだけの事……」

 シンプルに、難しく考えない。それは、イシュガルドの歴史や千年戦争については何も考えるな、思考を放棄せよという事である。

「良いか? 暁の血盟に関わるから拗れるのだ。蛮神討滅など、商人には関係のない事。お前の正義感は理解出来るが、暁と関わり過ぎたせいで危険な目に遭ったのだ」
「……確かに、ロロリト様の仰る通り、私は初心を忘れていました」
「まあ、フォルタン家が支援物資を送っている以上、お前も何か協力せねばと思ってしまうのは無理もない」

 意外にもロロリトはアトリを嗜める事はしなかった。『無鉄砲』という烙印を押されているだけに、ある程度のイレギュラーは許容範囲内と思っているのか。
 それにしても、アトリはよく自分は首を切られずに済んでいると不思議に感じた。尤も、その疑問を今口にしたら、それこそ解雇される可能性があるだけに、心の中で思うだけに留める事とした。

「ロロリト様、目が覚めました。しっかりと目の前の仕事に取り組み、不安に感じたらすぐに相談するように致しますね」
「それはもう充分出来ておるぞ。それに、お前にもっと世界を知って貰う為にエオルゼアに滞在させているのだ。此度の件も、お前が無事に帰って来た時点で何も言う事はない。荷物もすぐに代わりを用意しよう」

 ロロリトはそう告げれば、外に待機している使用人を呼びつけた。もう報告はこれで終わりにして良いという事だ。
 立ち上がり、深々と頭を下げるアトリに、ロロリトは満足そうに頷いた。

「イシュガルドも暫くは物騒になるか……オルシュファン卿の言う通り、これまでと同様エーテライトを使ってキャンプ・ドラゴンヘッドや皇都に行く事は何も問題ない」
「……良いのですか?」
「反対する理由などなかろう。だが、暁の血盟への接触は控えよ」
「そうですね……ただ、今後はフォルタン家だけでなく、イシュガルドから正式に支援物資が送られるそうなので、クルザスでアルフィノ様と鉢合わせになる可能性もあるかもしれません」

 きっと冒険者も度々オルシュファンの元に顔を出すのではないか。更にはアイメリクと会談を行ったというのだから、今後は神殿騎士団との関係も深くなるだろう。暁の血盟はまだ皇都への立ち入りは許可されていないから、キャンプ・ドラゴンヘッドでは鉢合わせする事が増えそうである。
 アトリはそう思って『鉢合わせになる可能性がある』と低く見積もってやんわりと伝えたのだが、ロロリトは何も気にしていないように見えた。

「テンパードになりかけたのだ、お前ももう懲りたと思っているぞ。それに……いずれそんな事を気にする必要もなくなるかも知れんぞ」

 アトリはロロリトの最後の言葉の意図が理解出来ずにいたが、どちらにせよ報告は終わったのだから、早速商人としての仕事を再開しなければならない。そう思い、アトリは深く考えずに商会を後にしたのだった。

 そして、アトリと入れ違いに、まるでタイミングを見計らうようにひとりのララフェル族が現れた。
 クリスタルブレイブの制服を纏っていない、ユユハセである。

「ユユハセ、ご苦労であった。全く、あの娘はどうも災難を巻き込まれる体質のようだな」
「いえ。……結局あの娘はどうされるのですか?」
「暁に影響されているかと思ったが、商会への恩義は忘れていない様子。引き続き監視を続けよ。アトリが暁の血盟に取り込まれぬようにな」

 ユユハセは一瞬意外そうに目を見開いたものの、すぐに頷いて頭を下げた。

「ロロリト様がそこまで気に掛けるとは、余程あの娘には価値があるのですね」

 別に異論があるわけではなく、素朴な疑問だったのだが、ユユハセの何気ない問いにロロリトは口角を上げた。

「『価値』……ふむ、そうかも知れん。ただ、どちらかと言えば『恩義』か。あの娘というより、あの娘の父親に対してな」





 レヴナンツトールで商人の仕事を再開したアトリであったが、一日の仕事を終えた後、オルシュファンの元に帰れないという時点で、日常に戻ったとは言えなかった。
 ロロリトは別にクルザスに行く事を禁止などしておらず、寧ろ皇都の『サンシルク』に顔を出したほうが商会のためになるだろう。だが、イゼルの言葉をすべて心から否定できない限り、クルザスの地に足を踏み入れるのは躊躇われた。
 きっと、時間が解決してくれる。ロロリトの言う通り、余計な事を考えず、今まで通りでいれば良い。心からそう思えるようになった時が、再びオルシュファンに会いに行く時だ。

 アトリはそう思っていたのだが、平和はいつまでも続くものではなかった。

 マーチ・オブ・アルコンズによって、エオルゼア三国には束の間の平和が訪れた。
 だが、イシュガルドはドラゴン族と戦争を続けており、ただ単に『今』はドラゴン族の襲撃がなく平和に見えただけであった。
『今まで』は。



「アトリ殿」

 突然声を掛けられ、アトリが顔を上げると、そこにいたのは本来レヴナンツトール――否、エオルゼアを訪れる事はないであろう相手であった。

「ルキア様! まさかエオルゼアに来られるなんて……!」

 アトリは表情を明るくさせたものの、決してゆっくりと話をしている状況ではないだろう事は察していた。神殿騎士団の、それも副官であるルキアがわざわざこんなところに来るなど、非常事態が起こっていると考えるのが正しいからだ。
 そして、会いに来たのは決して己ではない。クリスタルブレイブ、あるいは『暁の血盟』であろう。

「ルキア様。アルフィノ様に会いに来られたのですか?」

 先手を打ったアトリに、ルキアは驚きつつも話が早いと笑みを浮かべた。

「ああ。アイメリク様の命令でな。アドネール占星台で『竜星』が観測されたのだ」
「竜星……まさか、『竜の咆哮』があったのですか!?」

 アトリも自分なりに千年戦争の事をイシュガルドの文献で勉強していた為、ルキアの言葉をすぐに察し、そして一気に青褪めた。
『竜の咆哮』――それは、ドラゴン族への大号令を意味し、イシュガルドへの進軍開始の合図であるからだ。

2023/06/18

- ナノ -