沈黙は磊落を制した

 冒険者に助け出されたアトリは、一先ずオルシュファンとともにキャンプ・ドラゴンヘッドへ戻る事となった。シヴァを倒した冒険者や神聖騎士団は、ドリユモンへ報告する為にホワイトブリム前哨地に寄ると話があり、久々にふたりきりの時間が取れる運びとなったのだが、アトリの心は重かった。

「さて、ロロリト殿に報告を……と言いたいところだが、まずは身体を温めるとイイ。ゆっくりと身体を癒し、それからでも遅くはないだろう」

 室内に入るや否や、オルシュファンはアトリにきっぱりとそう告げた。帰路を辿る間に、まずは休ませるべきだと決めていたのだ。異端者たちに囚われていた間、アトリは一体どんな状態で過ごしていたのか。酷い事をされていないか。聞きたい事は山のようにあったが、それを今本人に問い質すなど、オルシュファンには出来なかった。
 だが、アトリは首を横に振ってやんわりと拒否した。

「大丈夫です。信じられないかも知れませんが、イゼルは決して私を傷付けませんでした。私が凍死しないよう、恐らくは魔法で守ってくださっていたのだと思います」

 アトリが言った通り、オルシュファンにとっては信じ難い言葉であった。だが、彼女が嘘を吐くとは思えず、傍から見ても怪我もなければ顔色も悪くない。今回の件がある前に見たアトリと何も変わらない事が物語っている。
 とはいえ、アトリは被害者である事は紛れもない事実である。罪のない彼女が無傷なのはある意味当然の事であり、凍死しないよう『守ってくれた』という言い回しは間違っている。オルシュファンは心を鬼にして、アトリの両肩を掴んで顔を近付けた。

「アトリ、お前は何の罪もないのに拉致されていたのだ。ましてや蛮神召喚が起こったなど、お前がテンパードにならずに無事でいる事が奇跡なのだぞ!」
「それは……」

 恐らくはイゼルが蛮神を召喚する直前にスリプルで眠らせたから、己はテンパード化を逃れる事が出来た。アトリはそう思っていたが、オルシュファンの苦言も一理ある。かの冒険者が蛮神を倒し、己を救い出してくれなければ、意識を失っていようと蛮神シヴァのテンパードになっていたかも知れないのだ。

「……オルシュファンの言う通りですね。私、ずっと気を張っていたせいか、下手な事を言えない感覚がまだ抜けないのかも知れません」

 そう言って苦笑を零すアトリに、オルシュファンは漸く安堵し、彼女の両肩から手を放せば、後ろ髪を優しく撫でた。久々にオルシュファンの指に触れて、アトリもまた心が落ち着きつつあり、やっと日常に戻ったのだと実感する事が出来た。
 尤も、『日常』とは軟禁生活が終わりを告げたという意味であり、以前と同じ生活が戻るとは限らない。
 アトリは、このキャンプ・ドラゴンヘッドを訪れる事が出来るのは今日が最後とは言わないものの、暫くは無理であろうと覚悟していた。ロロリトの手前というよりも、イゼルの信念に共感する部分があった時点で、イシュガルドに留まり続ける資格はないのではないか、と悩んでいるからだ。この場所に帰って来るまで、アトリはずっとその事を考えていた。

 そんな中、ふたりきりだった室内にバタバタと音を立てて、何人も駆け付けて来た。オルシュファンの部下や、フォルタン家のメイドたちである。

「おおっ! アトリ殿、ご無事で本当に良かったです!」
「アトリ様、話はお伺いしております。まずはゆっくりと湯舟に浸かったほうがよろしいのでは……」

 皆、一斉にアトリの元に駆け寄れば、喜びや心配を露わにしていた。
 一部の異端者から見れば『ドラゴン族と人間のハーフ』と誤解されるような種族にも関わらず、オルシュファンの傍にいる皆が、普通の人として接してくれている。そもそも、イシュガルドは異邦人に冷たいという前提があるにも関わらず。
 オルシュファンだけでなく、皆が暖かな心を持っている。この凍てつく寒さの土地が、人の優しさによって暖かいと錯覚するほどに。

 だからこそ、アトリはけじめを付けなければと改めて思った。
 イシュガルドの歴史は間違っている可能性がある。千年戦争の発端は何なのか。イゼルの言葉がでたらめである可能性も勿論あるが、それを証明する方法はない。
 だが、己と同じ異邦人であり、かつイシュガルドの事情も把握しているかの冒険者なら。
 不可能を可能にしてしまうのではないか。

「アトリ、無理をするな。口では大丈夫だと言っていても、既にぼうっとしているぞ?」

 オルシュファンの言葉で、アトリは我に返った。
 真っ先にすべてを伝えたい。そう思ってはいるものの、もし自分が「イシュガルドの歴史は歪められている」とでも言おうものなら、それこそ異端者に洗脳されたと判断され、罪に問われてしまうだろう。自分だけならまだ良い。己に皇都への立ち入りを許可してくれたフォルタン伯爵をはじめとする、オルシュファンに関わる人全員にまで異端者嫌疑がかけられるかも知れないのだ。
 慎重に行動しなければ。アトリは息を呑めば、己を心配してくれる皆に対して頭を下げた。

「ご心配をお掛けして、申し訳ありません。つい先程オルシュファンにも伝えたのですが、幸い怪我はしていません。ただ、魔法で強制的に眠らされたので、今もちょっとぼうっとしています」

 アトリがそう言って苦笑を浮かべると、オルシュファンを含む皆が安堵の溜息を吐いた。酷い目に遭って心に傷を負っている事を危惧していたのだが、恐らくは大丈夫だろう。そう信じつつ、メイドのひとりが片手を上げた。

「では、いったんベッドで横になられたほうがよろしいでしょう。例え眠れなくても、安全な場所でリラックスするだけでも、少しずつ回復すると思いますよ」

 その心遣いに、アトリは思わず嬉し涙を零しそうになってしまった。ここは素直に甘えたほうが、自分自身というより皆が安心するはずだ。そう決めて、アトリはメイドの提案に応じる事にした。
 オルシュファンとろくに会話も出来ぬまま、アトリはメイドに連れられてその場を後にした。その頼りない後姿を見送ったあと、騎兵のひとりがオルシュファンに恐る恐る訊ねる。

「……ところで隊長、アトリ殿は何故異端者に狙われたのでしょうか」
「分からぬ……だが、蛮神シヴァを直接倒した『あいつ』なら、多少は事情を把握しているだろう」
「成程! 英雄殿から聞くのが最善かも知れません。アトリ殿も強がっているだけで、本当は酷い目に遭い、隊長には言えない可能性も考えられるかと……」
「……そんな事態は起こっていないと信じたいが……あいつから聞くしかないな」

 部下の口から出た仮定の話は頷けるものであった。アトリは嘘は吐いていないと思う。隠し事はして欲しくないと、アトリとて重々理解しているはずだ。だが、詳しく言えない事情があったとしたら。その理由はいくらでも思い付くものの、彼女の尊厳が傷付けられるような事はあってはならないと、オルシュファンは憤りを感じていた。尤も、アトリが危惧しているのは全く別の事だったのだが。



 アトリは寝室でひとりになるや否や、ロロリトに連絡を取ろうとしたのだが、荷物がない事に今更ながら気が付いた。異端者に拉致された際に落としたのか、または異端者側が預かっていてそのままになっているのか。後者ならば、奪われた支援物資を後々取り返す事を考えれば、その時に一緒に戻って来る可能性がある。だが、いつになるかは分からない。
 ここは、早々にロロリトに謝らなくては。リンクパールがない以上、直接会いに行く必要がある。そもそも異端者に捕らえられて何日も商人の仕事を放棄している時点で、対面で謝罪しなければならず、最悪首が飛ぶ事も覚悟しなくてはならない。

 ただ、アトリは対ロロリトに関しては、そこまで悲観的になってはいなかった。イゼルの言葉がどうしても頭から離れず、この先イシュガルドとどう向き合えば良いか分からなくなっているだけに、いったん頭を冷やす意味でも、己の雇い主に相談し、この先の事を一緒に決めようと前向きに考えていたのだ。

 今ではすっかり慣れた石造りの暖かな部屋。いつでも横になれるよう、フォルタン家のメイドも常に準備してくれていたのだろう。
 アトリは決してオルシュファンたちとの繋がりを失っても良いなどとは思っていなかった。
 だが、何もかもが思い通りになるわけではない。何かを手に入れる為には何かを諦める必要も、時にはある。ロロリトに気に入られる為には、暁の血盟と距離を置く必要があるように、イゼルの言葉を全否定できないのなら、素知らぬ顔でイシュガルドと関わり続けるのには限界がある。

 どうすれば最善の結果となるのか。あたたかなベッドで横たわりながら、アトリは悩むというより、必死で考えていた。
 そんな中、部屋の外から扉を叩く音が聞こえ、アトリはいったん思考をリセットした。すぐに飛び起きて扉を開けると、オルシュファンが申し訳なさそうに眉を下げて微笑んでいた。

「これからアイメリク卿と冒険者殿、アルフィノ殿で会談を行う事になったのだ。私も同席するのだが……」

 恐らくは、お前も同席する事は可能かと聞きたいのだろう。アトリとしては体調は特に問題ないのだが、気持ちはそうもいかなかった。アトリはやんわりと首を横に振ったが、ひとつ賭けに出る事とした。

「私は遠慮しておきますね。ただ、オルシュファンにひとつお願いがあるのですが……」
「なんだ? 私が出来る事なら何でもするぞ」
「会談が終わった後、冒険者様とふたりきりで話がしたいのです」

 オルシュファンならば即了承してくれるだろう。アトリはそう思ったのだが――。

「……ふたりきり?」
「はい」
「…………」
「駄目ですか?」

 何故渋っているのか理解できず、アトリはきょとんとしつつ訊ねたものの、オルシュファンは怪訝な表情を浮かべていた。

「……逆に聞くが、何故私が一緒では駄目なのだ?」
「そ、それは……時が来たら話します……」
「時が? 待て、どういう意味だそれは」
「今は話せないのですが、話せる時が来たら必ず……!」

 オルシュファンは、やはり部下の読み通り、アトリは己たちに言えない事があったのだと気付き混乱していた。このままアトリを問い質そうとしたものの、背後から部下が現れて未遂に終わってしまった。

「隊長、間もなく会談が始まりますが……」
「くっ……仕方があるまい。アトリ、冒険者殿には私から話しておくが……いつになっても良い、必ず事情を説明するのだぞ」
「はい!」

 一先ず了承を得る事が出来、アトリは笑顔で返事をしたものの、オルシュファンは決してそれを良しとはしていない。背を向けて早足で去るオルシュファンの背中に向かって、「ごめんなさい」とぽつりと呟くアトリに、部下は心配そうな眼差しを向けていた。最早キャンプ・ドラゴンヘッドで暮らす人々にとって、アトリは大切な住人のひとりとなっていたのだった。



 会談は無事終わり、此度のシヴァ討伐を機に、イシュガルドから正式にレヴナンツトールに支援物資を送る運びとなった。アイメリクがアトリに伝えた嬉しい知らせとはこの事だったのだ。
 アルフィノは先日提案を受けていた、モードゥナに眠る幻龍『ミドガルズオルム』の監視業務をクリスタルブレイブにて受ける事を決め、これにて両者は対等な関係を結ぶ事となった。
 実に歴史的な出来事であり、イシュガルドは鎖国状態から少しずつ変わっていくに違いない。アトリにとっても喜ばしい事ではあるが、冒険者の視線に気付いて背筋を正した。喜びに浸っている場合ではない。

「冒険者様、お疲れのところ申し訳ありません。少しだけ、お時間を頂きたいのです」



 先程まで横になっていた部屋で、アトリはベッドに腰掛け、冒険者は向かい合わせに椅子に腰掛けて傾聴の意を示した。ふたりきりが苦痛という様子はまるでなく、寧ろ冒険者としてもアトリに事情を聞きたいのが本音であった。

「簡潔にお伝えしますね。私はイゼルから『イシュガルドは嘘をついている』、『歴史は歪められている』と言われました」

 冒険者は目を見開いて、自分も同じ事を言われたと同調した。だが、何故アトリが彼らに狙われたのかは冒険者も分からない事であった。「何故イゼルはアトリを攫ったのか、自分で理由は分かっているのか」と訊ねる冒険者に、アトリは真剣な顔付きで頷いた。

「異邦人であり、かつイシュガルドに関わりのある私だからこそ、出来る事がある、と……。ですが、私は断りました。イゼルが正しいと主張すれば、私は異端者として処刑されます。そして、オルシュファンたちにもどれだけ迷惑が掛かるか……」

 徐々に表情を曇らせるアトリに、冒険者は思わず目の前にいる彼女の手を取った。大丈夫だ、アトリがイシュガルドを大切に思っているのは皆分かっている。そう言い聞かせる冒険者に、アトリはいったん深呼吸して心を落ち着かせた。

「……ありがとうございます。それに、例えイゼルの話が真実であっても、今生きているイシュガルドの人たちが殺されていい理由にはなりません」

 アトリの言葉に冒険者は頷いて、「イゼルは真実を確かめるよう自分に言った」と打ち明けた。アトリが自分だけに話してくれたのだから、冒険者自身も同じように打ち明けようと決めたのだ。

「やはり……イゼルが私たちに接触したのは、外の世界の人間という味方をつけるためなのでしょう。ですが、蛮神に頼るやり方は許容できません」

 冒険者は頷いて同意した。『超える力』を持たないアトリが巻き込まれてしまったのは気掛かりではあるものの、ちゃんと信念を持っているのなら心配はないだろう。そう思ったのだが。

「ただ、イシュガルドの歴史が歪められているという点については、正直私は……イゼルが嘘を吐いていると言い切る事が出来ないのです。その時点で私は異端者に同調している事になる……ずっとここに留まっていては、きっと良い事は起こりません。遅かれ早かれオルシュファンに迷惑が掛かります」

 つまり、もうクルザスには来ないという事だ。
 すぐに察した冒険者は「落ち着いて考えろ、すぐに決める事ではない」と止めたものの、アトリの考えは既に決まっていた。どちらにしてもロロリトに直接謝罪しに行かねばならないのだから、少しばかりの別れになるだけである。二度と会えないわけではない。

「私が異端者と同じ考えを持っていると、何かの弾みで知られたら、私だけではなく、私に皇都の立ち入り許可をくださったフォルタン家……そしてこのキャンプ・ドラゴンヘッドがどんな目に遭うか。それを考えれば、オルシュファンに少し会えなくなるくらい問題ありません」

 アトリの言い分は分かるのだが、本当にそれで良いのかと冒険者は念を押した。アトリが異端者ではない事くらい誰もが知っている。異端者嫌疑を吹っ掛けられても、イシュガルドとは無関係のひんがしの国から来た、東アルデナード商会の商人だという身元ははっきりしているのだ。いざとなればロロリトの力でどうにでもなる。それは冒険者とて理解していた。

「今はこうするしかないと思っています。冒険者様にこんな話をしてしまって、申し訳ありません。ですが、本当の話が出来るのはあなただけなんです」

 アトリはそう言って、冒険者の手を握り返した。意図せず握手するような形になり、冒険者はまるで密約のようだと苦笑してしまったが、仕方なく頷いた。
 彼女とて好きでこんな決断をしたわけではないはずだ。ならば、アトリのために出来る事は、まめにオルシュファンに会いに行き、アトリが元気でやっている事を伝える事だろう。冒険者が「伝言があればいくらでも協力するから、レヴナンツトールでは遠慮なく声を掛けてくれ」と言うと、アトリは微笑を湛えて頷いた。

「本当にありがとうございます。ふふ……初めてお会いした時は、私、あなたに酷い態度を取っていたのに……今では秘密を共有するなんて、人生って不思議ですね」

 願わくば早くオルシュファンにすべてを打ち明ける事が出来るよう、イシュガルドが変わってくれれば良いのだが。冒険者はそう願いつつ、改めてアトリと固い握手を交わしたのだった。



「話は終わったか。アトリ、冒険者殿にしっかり礼を言うのだぞ」

 そわそわしながら待っていたオルシュファンが、ふたりが部屋から出て来たのを見るなり、即座にアトリにそう告げたのだが、冒険者は首を横に振った。礼はちゃんと受け取っているし、オルシュファンの言い方がまるで保護者のようで、成程これはアトリも子ども扱いするなと怒るのは無理もない、と苦笑するほどであった。

「オルシュファン、私しばらくお暇しますね」
「そうか……――待て。どういう事だ」
「ロロリト様に説明しようにも、リンクパールが手荷物ごと行方不明になっている事に先程気付きまして……これから商会に直接出向き、謝罪と説明、そして自主的に謹慎をしようと決めたのです」

 ならば冒険者とふたりきりで話すより先に、己にそれを言うべきではないのか。オルシュファンはそう言い掛けたが、それを制するように冒険者が彼に向かってはっきりと告げた。「アトリはお前の事を愛しているから、何も心配する事はない」と。

「ぼ、冒険者様!?」
「いや……そうだな。うむ。それはそうなのだが……私には言えない話があるというのが、どうにも引っ掛かってな……」

 一気に頬を紅潮させるアトリとは対照的に、オルシュファンは至って冷静でいたが、どちらにしても冒険者には話す事が出来て己には話せない内容とは何なのか、考えずにはいられなかった。
 だが、そんなオルシュファンの胸中を察してか、冒険者は「上手く説明しておくから、心配するな」とアトリに告げた。『上手く』という時点ですべてを伝えるわけではないのだが、冒険者が信頼における人物である事は、オルシュファンも重々理解していた。ここまでされては、アトリを見送るしかない。

「仕方あるまい……アトリ、私は何を言われてもお前を否定したりなどしない。それだけは分かっていてくれ」
「はい! いずれ時が来たら、必ずすべてをお話しします」

 そう言ったアトリはもう出会ったばかりの無力な少女ではない。自立したひとりの立派な女性であり、オルシュファンは寂しさを覚えつつも、アトリを信じて見送る事に決めた。

「再会を今か今かと待ちわびているからな! なに、商会もイシュガルドと取引しているのだ、案外再会は早いかも知れんぞ」
「本当にその通りです……! では、しんみりした雰囲気にならないよう、私はこのまま商会に行きますね。皆様、お気遣い本当にありがとうございました!」

 アトリは笑顔でこの場にいる全員に頭を下げれば、慌しく出て行った。手荷物がない以上、いったんエーテライトを通じてレヴナンツトールに行き、商会の人間と合流するのだろう。此度の件はクリスタルブレイブにも情報が行き渡っており、商会への橋渡しもすんなり進むはずである。

 慌ただしく去ったアトリを見送った一同は、まるで台風一過の如く静かになった室内で、互いに顔を見合わせた。明らかに冒険者とふたりきりで話してから、アトリの様子が一気に変わったのは、最早誰もが察している。
 オルシュファンだけならともかく、部下やメイドたちからも視線を浴びた冒険者は、堪りかねてぽつりと呟いた。イゼルに目を付けられた事で、異端者嫌疑が掛けられたら皆に迷惑がかかると相談を受けた、と。これは嘘ではない。

「アトリの異端者嫌疑は五年前に晴れているのだがな。とはいえ、それだけが理由ではないのだろう?」

 オルシュファンの鋭い指摘に、冒険者は首を縦に振るしかなかった。色々と込み入った事情があるが、とにかく皆に迷惑を掛けない為の選択である事は信じて欲しい。冒険者がそう告げると、皆頷くしかなかった。冒険者もアトリも、共に信頼における人物である。本当にのっぴきならない事情があるのだと、受け入れざるを得なかった。

「とはいえ……いや、最早お前の前で取り繕う必要などないな」

 オルシュファンは一瞬言おうか迷ったものの、咳払いをすれば、改めて冒険者に向き直り、真っ直ぐな瞳でアトリへの想いを口にした。

「アトリにこう半ば一方的に出て行かれては、私としても寂しいのだ。すまないが、アトリを気に掛けてやって貰えないだろうか。元気でいると分かれば、私も安心できるというものだ」

 冒険者は「勿論、はじめからそのつもりだ」と胸を叩き、オルシュファンに頷いてみせた。
 だが、間もなく冒険者は、イゼルの真意を確かめるために幻龍『ミドガルズオルム』と接触した事で、『超える力』を失う事になる。大切な仲間を喪い、取り返しのつかない事が起こるなど、まだ誰も知る由もないのであった。

2023/06/17

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