わたしの居場所がわからない

 ルキアを『石の家』へ案内するためにセブンスヘブンを訪れたアトリは、すっかり様変わりしている事に気が付いた。クリスタルブレイブの制服を纏った人たちが待機しているだけではなく、非戦闘員であるドマの難民もこの場で働いており、非常に活気づいていたからだ。
 ロロリトの苦言がある手前、あまり長居は出来ないと、アトリは早々にタタルへバトンタッチして貰い、挨拶も程々にセブンスヘブンを後にした。背後で「アトリお姉ちゃんもクリスタルブレイブに入らないのかな?」とドマの子どもの声が聞こえた時は、少しばかり後ろ髪を引かれる思いをしてしまったのだが。

 持ち場に戻り暫くすると、再びルキアがアトリの元に現れた。気になって顔を出しに来たのだろう。

「先程は満足に話も出来ず、申し訳ない事をした」
「いえ! ドラゴン族との戦争が始まるかもしれないのですから、無理もありません。アルフィノ様にはお会い出来ましたか?」

 そう訊ねるアトリに、ルキアは首を横に振ったが、その表情は落ち着いており、落胆しているようには見えなかった。恐らくは、クリスタルブレイブではなく『暁』の盟主ミンフィリアと話を付けたのだろう。

「黙約の塔に眠る、幻龍『ミドガルズオルム』……あの調査をかの冒険者が承諾してくれたのだ」
「幻龍……あそこにある塔はドマの皆様が監視にあたっていますし、異変があれば私ども商人の耳にも入って来る筈なのですが」
「『暁』の者たちも同じ事を言っていた。とはいえ、油断は出来ん」

 いつイシュガルドで戦争が再開されるか分からないのだ。アイメリクとてただ心配だというだけでルキアを派遣したりはしない筈だ。アトリは嫌な予感を覚えつつも、それを振り払うように笑みを作った。

「アドネール占星台の方々も嘘を言っているとは思えませんが、杞憂で終わるよう祈っております」
「ああ。戦争になれば、いよいよアトリ殿もオルシュファン卿とも会えずじまいになってしまうぞ」
「えっ」

 思いがけずオルシュファンの名前を出され、アトリは言葉を失ってしまったが、ルキアは何処か優しい笑みを浮かべていた。

「異端者に目を付けられていると明確に分かった以上、クルザスに来るのは躊躇われるのは分かる。だが……どうか、後悔のないように」
「ルキア様……」

 本音を言えば、今すぐにもオルシュファンに会いに行きたかった。いつものように仕事を終えた後はエーテライトを使ってキャンプ・ドラゴンヘッドへ行き、彼の待つ暖かな家に帰る。当たり前のように過ごしていた日々が過去のものになってしまい、不安がないと言えば嘘になる。
 そんな心境が顔に出ていたのか、ルキアはアトリに向かってさらりと言ってのけた。

「この後キャンプ・ドラゴンヘッドに寄り、オルシュファン卿に伝えておこう。『アトリ殿は寂しそうにしていた』とな」
「あっ……そ、それは、余計な心配を掛けてしまうのではないでしょうか……」
「ひとりでも平気でいるほうが、オルシュファン卿としては複雑かも知れんぞ」

 とはいえ、ルキアも別にオルシュファンを困らせたいわけではない事は、アトリとて分かっていた。きっと上手く近況を伝えてくれるだろう。それに、今回は緊急事態だったとはいえ、こうしてルキアがクルザスの外に出てくれた事は、イシュガルドとエオルゼアの距離が近くなった事を意味している。クリスタルブレイブと協力関係を結んだ事で、確実にイシュガルドという国は変わりつつある。それを実感出来た事で、アトリの寂しさは少しだけ和らいだ。

 ただ気掛かりなのが、ルキアがアルフィノに会えなかった事である。クリスタルブレイブの総帥という立場は、それほどまでに忙しいものなのか。いつか倒れてしまうのではないか、とアトリはアルフィノの体調を心配していたが、クリスタルブレイブは今この瞬間も、見えないところで崩壊し始めているなど知る由もなかった。



 その日の仕事を終え、アトリがグリダニアの宿へ戻ろうとエーテライトの傍に行くと、見慣れた人影が視界に入った。かの冒険者が石の家のほうへ歩を進めており、その歩調はどこか疲れているように見えた。もしかして、早くも黙約の塔の調査をして来たのだろうか。
 アトリは無意識に声を掛けようとしたが、どういうわけかこの日ばかりは、冒険者が人を寄せ付けないような雰囲気を出しているように見えて、結局何も言えないまま後ろ姿を見送る事となった。

 ロロリトの言い付け通りに行動したといえばそれまでなのだが、アトリはどういうわけか、冒険者の事が気に掛かって仕方なかった。冒険者とてひとりの人間なのだから、疲れる時もある。だが、肉体的な疲労だけではなく、何かあったのではと思わせる様子だったのだ。
 アトリは気のせいだと思う事にしたが、この時の勘は当たっていた。
 幻龍『ミドガルズオルム』と対面した冒険者は、戦闘を繰り広げたものの、ドラゴン族がイシュガルドに侵攻しようとしているのは事実であり、それを止める事は叶わず――そして、試練としてミドガルズオルムに光の加護を奪われたのだ。

 冒険者がアシエン・ナプリアレスとの戦いの果て、白聖石を用いてアシエンを封印しようとするも、光の加護を失った事でエーテルが足りず、絶体絶命の危機を迎えたのは、それから数日後の事であった。そして、アトリとも一度顔を合わせていたムーンブリダが、自らの命と引き換えに、アシエン・ナプリアレスを封印するに至ったのだった。
 アトリがその事を知るのは、まだ先の話である。



 アトリにとって、愛する人に会えず淡々と過ぎていく日常は、安全は保障されているものの、何処か孤独を覚えるものであった。レヴナンツトール開拓団やクリスタルブレイブ等、この地に住まい、拠点とする人々とは交流しており、決してひとりぼっちではない。その筈なのに、アトリの心が満たされないのは、オルシュファンの待つあの地に帰る事が出来ないから、ただそれだけであった。

 イゼルの言う通り、イシュガルドの歴史が偽りであったとしても。表向きには異端者に拉致された恐怖からクルザスと距離を置いているという事にしている為、騒動さえ落ち着けば、オルシュファンに会いに行く口実は出来る。
 だが、果たしてそれはいつになるのか。イゼルはドラゴン族とイシュガルドの民の戦いを終わらせると言っていたが、『竜の咆哮』が真実ならば、間もなく戦争が再び起こるという事になる。

 本当に、このままで良いのだろうか。
 自分で決めた事だというのに、アトリは考えれば考える程、己の判断は間違っていたのではないかと思い悩んだ。
 しかしながら、そんな平穏な日常は長くは続かなかった。
『竜の咆哮』は紛れもない事実であり、クルザス中央高地にドラゴン族の群れが現れ、激しい戦闘が行われたのだ。
 それは序章に過ぎず、ドラゴン族は更に増えていき、ついには皇都イシュガルドにも刃を向けようとしていた。

「イシュガルドでついに戦争だとよ」
「ドラゴン族が進軍したのか。不謹慎だが、武器商人としては商機だな」

 商人たちの何気ない会話が耳に飛び込んで来て、アトリは顔面蒼白と化した。
 ろくにオルシュファンに説明もせずに距離を置いた結果、まさかこんなに早く、取り返しの付かない事が起こるとは。
 呆然とするアトリに気付いた商人たちは、顔を見合わせ首を傾げたが、彼女の事情をそれなりに知っている商人仲間が慌てて声を掛けた。

「嬢ちゃん、あんたイシュガルドに恋人がいるんだろ」
「何だって!? そりゃ商機どころじゃねえな……」
「あの国の事情は知らんが、一般人も戦いに駆り出されたりするのか?」

 次々に心配そうな声を上げ、気遣う商人たちに、アトリは思わず涙を零しそうになりながら、か細い声で呟いた。

「フォルタン家……歴史ある貴族の騎士様です。もしかしたら、今頃戦場に……」

 商人たちは、これは下手に慰めてもアトリの胸には響かないと肩を落とした。彼女もこんな状況下では仕事どころではないだろう。遥か東方の地からエオルゼアにやって来て、逞しく生きているアトリの事を、商人たちはそれなりに認め、日頃から気遣っていたのだった。

「だが、今のイシュガルドはクリスタルブレイブと協力関係にあるんだろ? エオルゼアからそれなりに援軍が行くんじゃないか?」
「イシュガルドが落ちれば、いずれガレマール帝国が乗っ取りに来るだろう。それはエオルゼア三国としても避けたいだろうよ」

 彼らの前向きな言葉はアトリの耳には届かなかったが、思いも寄らない人物が目の前に駆け付けて来て、アトリだけではなく商人たちも目を見開いた。
 クリスタルブレイブ総帥、アルフィノがわざわざアトリの前に現れたのだ。

「アトリ、急にすまない――……その様子だと、既に把握しているようだね」

 久々にアトリの前に現れた少年は、以前よりも風格を増し、組織のトップとして立派に動いていた。そんな彼が無関係の商人の声を掛けた理由は、ひとつしかない。

「先程ルキア殿より救援要請があり、これから皇都に向かうところだ。君も心配で仕方ないとは思うが、ここで私たちの帰りを待っていて欲しい」

 アルフィノの言葉は真っ当なものであったが、アトリは自分でも驚くほどショックを受けていた。
 心配ならば、一緒に行こう――そう言って欲しかったのか。
 ドラゴン族とまともに渡り合う事も出来ず、ましてや異端者に囚われるような失態をした己など、戦力外でしかないのに。
 当たり前の事だというのに、アトリは今頃になって気付かされたのだ。

「……アルフィノ様、お気遣い、ありがとうございます。どうか、お気をつけて……」

 アトリはそんな社交辞令を告げるのが精一杯であったが、アルフィノは快く頷いた。

「ありがとう。君がとても心配していたと、私からもオルシュファン殿に伝えておこう」

 微笑を湛えてそう告げれば、アルフィノはすぐさま背を向けてこの場を後にした。
 わざわざ気遣ってくれたというのに、アトリは何も出来ない歯痒さと、己の無力さに打ちひしがれていた。




 ドラゴン族の進軍は皇都イシュガルドにも及び、魔法結界を破られ、固く閉ざされていた大審門を突破されてしまった。だが、アイメリク率いる神殿騎士団や、アトリも面識のあるエスティニアンの協力、そしてかの冒険者が大審門でドラゴン族の頭を仕留めた事で、この時は皇都を死守する事が叶った。
 だが、これで終わる筈がない。
 戦場にはイゼルも姿を現しており、そして今回も逃げられている。異端者組織が消滅しない限り、これからも同じ事が繰り返される事は想像に容易かった。

「オルシュファン殿、少し良いだろうか」

 キャンプ・ドラゴンヘッドにて、冒険者とアルフィノがオルシュファンの元に顔を出した。アルフィノはこれからウルダハに戻る予定があり、僅かな時間しか取れないが、なんとしても伝えたい事があった。

「アトリが心配していたよ。モードゥナでもイシュガルドとドラゴン族の戦争が始まったと騒ぎになり、私が彼女に声を掛けた時は、今にも泣きそうな顔をして……」

 アルフィノの言葉に、オルシュファンは居ても立ってもいられなかった。その場に居ずとも、アトリの表情、様子が手に取るように分かるからだ。
 今すぐ会いに行って抱き締める事など、やろうと思えば出来る事である。アトリがクルザスの地に足を踏み入れるのが怖いと思っているのであれば、こちらから出向けば良いだけの話なのだ。

「アルフィノ殿。アトリはまだレヴナンツトールに?」
「いえ、もう仕事を終えているでしょう。運が良ければ会えるかも知れませんが」
「……確かに、以前ならこのキャンプ・ドラゴンヘッドに戻って来る時間か……」

 オルシュファンもアトリがグリダニアに宿を取っているという話は聞いていたが、それまでの時間、彼女が何処でどう過ごしているかは分からなかった。キャンプ・ドラゴンヘッドを留守にして闇雲に探しても、徒労に終わる可能性もある。オルシュファンとしては、それでもアトリを探したいと思っているものの、冒険者がそれを止めるように口にした。
「アトリが自分の意志でクルザスを訪れるまで、待って貰えないだろうか」と。
 これにはオルシュファンではなく、アルフィノが驚いて目を見開いた。

「一体どういう事だい? まさか、東アルデナード商会がアトリとオルシュファン殿の接触を禁じているのか……?」
「いや、その筈は……。アトリは異端者に拉致された後、ロロリト殿に報告するより前に、暫くここには来れないと自ら言っていました」

 オルシュファンはそう説明したが、真の理由が別にある事など分かっていた。そして、その理由を知っているのは冒険者ただひとりである。
 その本人が「待って欲しい」と言っているのであれば、それを無視してアトリに会いに行くのは、彼女の意思に反する事になる。

「訳ありのようでしてな。アトリは冒険者殿にしか理由を打ち明けていないのです」

 動くに動けず、肩を落として苦笑しながらそう呟くオルシュファンに、アルフィノは首を傾げたが、薄々察する事はあり、それ以上の追及はしない事とした。

「オルシュファン殿、どうか気を病まずに。アトリは紛れもなく貴方を愛している筈です。今回ドラゴン族の大物を討ち取った事で、暫くは異端者も大人しくしているのであれば、アトリが再びここを訪れるのも時間の問題でしょう」

 アルフィノの言葉が事実になれば良いのだが。そう願いつつオルシュファンは頷いて、冒険者に向かって笑みを浮かべた。

「二人とも多忙の身だろう。ゆっくりと話を……と引き留めたいところだが、また会える日を楽しみにしているぞ! その際はアトリも一緒ならば、さぞイイ時間となるだろう……!」

 決して悲観的な事は口にせず、前向きであり続けるオルシュファンに、冒険者はそろそろアトリを説得しても良い頃合いかもしれない、と思い始めていた。
 イシュガルドの歴史が歪められているのは、恐らくは事実である。ミドガルズオルムとの戦いの果て、冒険者もそれは察しつつあった。
 だが、イゼルのやり方は間違っている。今回の襲撃でも、イシュガルドの兵たちの犠牲は決して少なくはなかったのだから。
 イシュガルドに協力し、オルシュファンに寄り添う事と、歪められた歴史を是とする事はまるで違う。それはもう、アトリも分かりつつあるのではないか。

 機会があれば、アトリに「そろそろオルシュファンに会いに行けばどうか」と背中を押してやろう。冒険者はそう思っていたのだが、順調に見えたクリスタルブレイブの崩壊は刻一刻と迫っており、冒険者だけでなく、『暁の血盟』、そしてアトリの人生は大きな転機を迎えようとしていた。

2023/07/22

- ナノ -