憂き世を捨てて

 翌朝、冒険者一行はオルシュファンの助言を元に、飛空艇の目撃情報を集めようと四大名家の各拠点を回ったものの、残念ながら情報を得る事は出来なかった。尤も、第七霊災の時はエオルゼア中が混乱の最中にあり、どういうわけか記憶を失っている者も多くいたというのだから、当時の情報、それも『空を飛ぶ飛空艇』という一瞬の出来事を探るなど、砂の中から砂金を探すようなものである。
 それよりもアトリが気に掛かったのは、どの拠点でも住民は異端者嫌疑の話で持ち切りだったという冒険者の報告であった。本当にフランセルは大丈夫なのか。そう思わずにはいられなかった。

 そして残念ながら、アトリの不安は杞憂では終わらず、見事的中する事となった。
 次の日の朝、皇都イシュガルドへ情報収集に行こうとするアトリをオルシュファンが引き留めた。

「……オルシュファン、やはり駄目ですか?」
「アトリ、お前が動くのは最終手段としておきたい。今はまだ、使者が戻るのを待っていて欲しいのだ」

 暁の血盟が大変な事になっているというのに、何もせず待つなど性に合わないとアトリは内心苛立ちを覚えたが、当のアルフィノや冒険者は、少なくとも焦りを表に出してはいなかった。いけない、冷静にならなくては――アトリはそう自分自身に言い聞かせた。そんな矢先の事であった。

「……見張りの騎兵から、気になる報告を受けた」

 冒険者たちも集う、キャンプ・ドラゴンヘッドの執務室にて。オルシュファンは神妙な面持ちで、冒険者一行、そしてアトリに簡潔に説明した。

「先程、フランセルが騎兵たちを連れて、廃墟『ストーンヴィジル』方面へ向かったらしい」
「ストーンヴィジル!?」

 声を上げたのはアトリであった。三年前、竜騎士団と一緒にドラゴン族退治に向かったものの、何も出来ずにオルシュファンに守られてばかりで終わってしまった、過去の失敗が思い返されたからだ。だが、それは罪のない異邦人をイシュガルドから遠ざける為に、アイメリクとエスティニアンが一芝居打ったという経緯があった。今こうして商人として正式に皇都に出入り出来る立場になったからこそ、当時の苦い経験は良い勉強になったとアトリは思えるようになったのだが、それも竜騎士団という心強い騎士たちがいて、オルシュファンも自分自身も無事だったからだ。

「いくらアインハルト家の騎兵も同行しているとはいえ、いくらなんでも危険です! フランセル様、どうしてそんな事を……」
「見張りが聞いたところによると、近隣で暴れているドラゴン族を倒しに行ったらしいが……私のもとには、そんな連絡は入っていないのだ」

 オルシュファンの言葉に、アトリだけでなく冒険者たちも血相を変えた。『暁の血盟』は当然アトリ以上に場数を踏んでおり、これまでの経験則から、フランセルが罠に嵌められたのではないかと察するのは想像に容易かったからだ。

「狙われたフランセル……謀略の気配がするぞ……!」

 明らかに、罪のないフランセルを異端者として陥れようとする者が存在している。ここにいる皆の疑惑が確信に変わった瞬間であった。
 オルシュファンは冒険者に顔を向け、真剣な眼差しで訊ねた。

「すまないが、北のストーンヴィジルに行って、あいつに手を貸してやってくれないか」

 飛空艇探索とは無関係ではあるものの、フランセルは冒険者たちをキャンプ・ドラゴンヘッドへ導いてくれた人物である。それに、無実の者が罪を着せられようとしているのだ。ここまで話を聞いて、断る選択肢はなかった。
 力強く頷く冒険者に、オルシュファンは胸を撫で下ろすと、今度はアトリへ顔を向けた。

「アトリ、もしお前さえ良ければ、道案内を頼めないだろうか」
「分かりました。いざとなれば加勢を――」
「いや、そこまでは許可出来ん。万が一お前の身に何かあれば……」
「三年前と今の私は違います。それはオルシュファンも分かっている事では?」

 別にアトリとて本気で怒っているわけではないのだが、フランセルと冒険者がドラゴン族を相手に戦っているのを、黙って見ているなど出来るわけがない。加勢をしようと思うのは当然の事である。だが、オルシュファンにしてみれば、万が一の事があっては後悔してもし切れないのだ。ゆえに止めるのもまた当然の事なのだが、アトリは唇を尖らせて不貞腐れるようにオルシュファンへ問い掛けた。

「それとも……成長したと言ってくださったのは、嘘だったのですか?」
「いや、違うのだ! そういう意味ではなく……!」

 フランセルの元に向かうなら一刻を争うというのに、今ここで痴話喧嘩をするなと、冒険者やアルフィノだけでなく、記憶を失っているシドも内心思っていたに違いない。ひとまず冒険者はわざとらしく咳払いをしてふたりの言い争いを強制的に止めれば、「アトリもフランセルも自分が守るから大丈夫だ」と力強く言い放った。

「む……そうだな、お前がいれば大丈夫だろう。頼んだぞ」

 オルシュファンは若干心配そうではあるものの、気まずそうに頷いた。今回は冒険者の計らいで、アトリの要望が通った事になるが、冷静に考えれば、そもそもドラゴン族が暴れているという話自体が嘘である可能性が非常に高い。もしフランセルがドラゴン族相手に苦戦していれば、彼を守り、安全な場所へ連れて行く。それが今回為すべき事である。冒険者の言う通りであった。
 だが、アトリは内心共闘する気になっているのではないかと、オルシュファンは一抹の不安を拭えずにいた。

「アトリ、冒険者の言う事をよく聞くのだぞ。ドラゴン族と戦うのではなく、フランセルを助ける事を最優先に考えるのだ」
「もう、子ども扱いしないでください!」

 頬を膨らませてオルシュファンに言い放つアトリを見て、冒険者はそういった言動が彼女自身が嫌がる『子どものよう』なのではないかと少しばかり思ったが、絶対に口にはしてはならないと固く誓ったのだった。





 アトリは冒険者とともに、チョコボに騎乗して雪原を駆け、ストーンヴィジルへと向かった。
 決して無言が気まずいわけではないのだが、冒険者はふと気になった疑問を口にした。「オルシュファンは何故道案内にアトリを指名したのだろう」と。

「……オルシュファンはあなたをいたく気に入っているようですから、爪の垢を煎じて飲めという事ではないでしょうか」

 棘のある言い方に、冒険者は疑問を口にした事を後悔したが、アトリ自身も今の発言は良くなかったと気付いたのか、すぐに謝罪の言葉を口にした。

「申し訳ありません、また意地の悪い事を言ってしまいました……」

 冒険者は「気にしていない」と返しつつ、決してアトリを不快にさせるつもりで言ったのではないと分かって貰う為に補足した。皇都での聞き取りは難色を示すなど、オルシュファンはアトリをあまり暁の血盟に関わらせたくないように見えただけに、今回はどうして同行を指示したのか、と。別に答えが分からずとも支障はないのだが、冒険者もこのままアトリとぎくしゃくするよりは、歩み寄って少しでも彼女の事を知りたいと思ったのだ。
 冒険者の問いに、アトリは暫しの間を置いて、ゆっくりと語り出した。

「……私、三年前にストーンヴィジルでドラゴン族と戦った事があったんです」

 冒険者は「それは頼もしい」と口にしたが、僅かに俯くアトリの様子に、もしかして気に障る反応をしてしまっただろうかと身構えた。
 だが、アトリは口籠る事はなく、淡々と三年前の出来事を口にした。

「当時の私はまだ、正式に皇都への立ち入りを許可されていませんでした。それどころか、帝国のスパイだと勘違いされたり、結構大変だったんです」

 どう考えても帝国のスパイには見えないが、と冒険者は素朴な感想を述べると、アトリは漸く冒険者のほうへ顔を向け、苦笑いを浮かべてみせた。

「私は元々クガネ――エオルゼアより遥か東の、ひんがしの国という島国の出身です。私の国は帝国の侵略を免れるために鎖国をしていますが、クガネは貿易港として機能し、実は帝国とも取引をしています」

 遥か東方の地の事情を知らなかった冒険者は、目を見開いた。クガネという都市の特異性によって、アトリが帝国のスパイだと疑われた事も納得が出来、なにより、ひんがしの国とイシュガルドがよく似た状況にある事に驚いたのだ。どちらの国も、自らの国を守るために他国からの門を固く閉ざしているとは、今はまだエオルゼア三国しか知らない冒険者にとっては興味深い事であった。
 アトリがこの閉鎖的なイシュガルドに馴染むには、相当の苦労があったとは思うが、それでもこうしてオルシュファンと一緒に過ごしているという事は、彼女にとってもこの地が性に合うのだろう。冒険者は何故アトリがイシュガルドで商売をしているのか不思議に感じていたが、今の簡単な説明だけでも納得出来た。

「話が脱線してしまいましたね。私がストーンヴィジルで戦うに至った経緯ですが……」

 アトリは過去の出来事を口にしようとしたが、もう目の前にストーンヴィジルが迫っていた。チョコボに乗ればあっという間である。

「ああ、もう到着してしまいましたね。私の失敗談は、またの機会に」

 冒険者は首を傾げたが、『失敗談』という言葉から、オルシュファンが何故道案内は良くても共闘は駄目だと頑なに言ったのかを察した。
 アトリは何らかの理由でストーンヴィジルでドラゴン族と戦い、命を落としかけたか、あるいは負傷したのだろう。
 だが、アトリは「三年前とは違う」とオルシュファンに言っていた。
 果たしてオルシュファンが過保護なのか、アトリは冒険者としては今もまだ未熟なのか。
 冒険者は答えを出せないまま、チョコボを止めるアトリに倣って、再び雪原に足を着けた。

 すると、朽ち果てた石畳の中、若草色の服を纏った見覚えのある姿がふたりの視界に入った。

「フランセル様!!」

 アトリは血相を変えて走り出し、冒険者もすぐにその背中を追う。
 辿り着いた先では、フランセルが蹲っていた。アトリはすぐにフランセルに駆け寄って抱きかかえ、まずは怪我がないかを確認した。

「フランセル様、ご無事ですか!?」
「くっ……先に騎兵たちを……。僕を庇って、怪我をしているんだ……!」

 真っ先に騎兵の安否を口にするフランセルを見て、冒険者はアトリに「フランセル卿を頼む」と簡潔に口にした。冒険者がアインハルト家の騎兵を助けに行くのだろうと察したアトリは、フランセルを片手で支えながら、もう片方の手で所持品から回復薬や即効性のある痛み止めの薬を出し、冒険者へ手渡した。
 ありがとう、と冒険者は力強く頷いて受け取れば、騎兵を助けに走り出した。今日は幸い降雪や強風もなく穏やかな天気で、視界が遮られる事はないだろう。
 アトリは再び両手でフランセルの背中を抱いて、彼の上体を起こした。

「痛むところはないですか?」
「ああ、大丈夫だ……ありがとう、まさかアトリが助けてくれるなんて、夢にも思ってなかったよ……」
「こんな形で恩返しをする事になるとは思いませんでしたが……ご無事で本当に良かったです」

 詳しい話は後にして、今はまずフランセルを安心させる事を最優先に考えなければ。そう思い、アトリは周囲を見回してドラゴン族がいない事を確認し、フランセルへ笑顔を向けた。

「今のところドラゴン族も見当たりませんし、もう大丈夫です。今頃あの冒険者様が、騎兵の皆様を助けてくれていますよ」
「見当たらない……やはり、そうか……」

 フランセルは力なく笑みを零した後、アトリから目を逸らすように俯いた。
 オルシュファンは、ドラゴン族が暴れているという情報はフォルタン家には来ていないと言っていた。ならば、アインハルト家だけに嘘の情報が流されたのだろう。
 だが、フランセルは決して短絡的な人物ではないとアトリは思っていた。不可解ではあるものの、今は追究するよりも介抱が先である。何故、と問いたい気持ちを堪えながら、アトリは冒険者の帰りを待ったのだった。





「すまない……僕のせいで……」

 フランセルは、騎兵たちを助けたと冒険者から聞き、力なく項垂れた。安堵と、そして『こうなってしまった』事への自責の念、両方であろう。
 騎兵たちはアトリの薬の効果もあり無事自力で帰還したが、皆、フランセルの事を心配していたのだという。冒険者は彼がいかに皆から慕われているかを改めて感じ、だからこそ、此度の経緯を聞かせて欲しいと問い掛けた。それは決して責める為ではなく、今後同じ事が起こらないよう考える為である。

「最後にどうしても身の潔白を証したくて、真偽の怪しい情報に、飛びついてしまったんだ……」
「最後……?」

 引っ掛かりを感じてアトリはつい口を挟んでしまったが、フランセルは気を悪くする様子はなかった。元々優しい性格という事もあるが、今はもうそんな気力もないのだろう。

「我々アインハルト家は、砦の防衛を担う家。かつてはこのストーンヴィジルも守っていたが……ドラゴン族に奪われ、戦力も名誉も失ってしまったんだ」

 アトリはオルシュファンからアインハルト家の事情を聞いていたが、本人の口からそれを説明するのは、さぞ辛く、屈辱的な事だろう。本来ならば、異邦人であるアトリや冒険者には言いたくない事だ。そんな内容を今こうして口にしたのは、フランセルの心は限界が近付いている、という事だ。

「その上に、この異端者騒動だ。散っていった仲間に……父上に、僕はどう償えば……」
「どうかご自身を追い詰めないでください……! フランセル様が、アインハルト家が無実である事は、私は勿論、オルシュファンもよく分かっている事です! 私たちでも身の潔白を証明する為の証拠を集めますから、どうかまだ、希望を……」

 アトリは必死で言葉を紡いだが、最早フランセルには届いていなかった。いくら言ったところで、『無実を証明する為の証拠』がないのだから、動きようがないのだ。それが出来るのなら、アインハルト家でとうに解決出来ており、フランセルもここまで追い詰められる必要などないのだから。

「……オルシュファンに伝えてくれ。異端審問の日は近い。僕に何かあったら『竜眼の祈鎖』を追ってくれ、と……」

 アトリはそれ以上何も言えなかった。フランセルが言った「最後」とは、異端者として処刑される事を意味しているのだと分かり、頭が真っ白になったからだ。

「アトリ、君に出会えて楽しかったよ。どうか、オルシュファンと幸せに」

 そんな、まるで永遠の別れのような言葉を言わないで欲しい。アトリの双眸からじわじわと涙が溢れ、「他に方法はある」「絶対に死なないで」と譫言のような力のない涙声が、人気のない静かなストーンヴィジルに響いていた。
 放ってはおけない。冒険者は己たちの目的が飛空艇の探索だと分かってはいつつも、フランセルの為に何か出来ないか考えていた。このままで終わってはいけない。フランセルやオルシュファン、そして、恩人の為に涙を流すアトリの為にも。

2022/09/10

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