窓際に映る虚栄心

「……異端者の嫌疑を掛けられて、何を頼むかと思えば『冒険者に協力しろ』と来たか」

 突然キャンプ・ドラゴンヘッドを訪れた一行を、オルシュファンは一先ず迎え入れて用件を伺う事としたが、詳細を聞く前に差し出されたのは、友人フランセルからの紹介状であった。
 一体どんな遣り取りがあったのか。ただ、フランセルがこうして彼らを寄越したのにはそれなりの理由がある筈である。

 アトリも未だ事情が掴めていなかったが、遥々エオルゼアから訪れた彼らにまず出来る事は、冷えた身体を温めて貰う事である。自分がかつてオルシュファンにそうされたように、あたたかな飲み物を用意して、アルフィノたちをもてなした。

「ありがとう、アトリ。私は寒いのが苦手でね……本当に助かるよ」
「という事は、シャーレアンは温暖な気候なんですね。勉強になります」
「君は平気なのかい?」

 アルフィノに問われて、アトリは今はこの気候にもすっかり慣れたものの、初めてクルザスを訪れた時はどうだっただろうかとふと思い返した。そもそも道に迷ってこの寒冷地に足を踏み入れてしまい、寒さで凍えるより先に疲労で倒れ、目が覚めた時にはアートボルグ砦群でフランセルとラニエットに介抱されていたのだ。正直、そこまで酷い寒さだという実感はなかった。
 アトリがそう感じたのは、明らかに異邦人である彼女を気遣って、ラニエットがこの地に適した服を用意してくれたからだ。「返さなくて良い」と言われたあの時の服は、今も大事にしている。
 周囲の気遣いによって、凍える事なく過ごせていたのだと改めて気付いたアトリは、アルフィノに向かって穏やかな笑みを浮かべた。

「初めてこの地に来た時、ラニエット様――フランセル様のお姉様が、私が外に出る前に防寒着をくださったんです。そのお陰で、寒さに凍える事なく過ごせました」
「成程……ここにいる間は、私たちも装備を見直す必要がありそうだ」

 アルフィノは相当寒さに弱いらしく、温まったカップを片時も離さずにいた。やはり彼以外も同じなのだろうかと、アトリはふと目を移すと、恐らく自分より年上であろう、白い髪の男性が視界に入った。受け取ったカップを、どこか心ここに在らずといった様子でぼうっと見つめている。
 寒さだけでなく疲れもあるのだろうかと思い、アトリは白髪の男に声を掛けた。

「遠慮しないで、どうぞ召し上がってください。口に合うかは分かりませんが、とても温まりますよ」
「……ああ……」

 男は漸くカップに口を付けたものの、なんだか無理矢理飲ませてしまったような気がして、アトリは再び視線を移した。するとまたアルフィノと目が合い、まるでアトリの心境を見透かしているかのように、口角を上げた。

「彼――シドは記憶を失っていてね。今は『やるべき事』をやりながら、シドの記憶が戻るのを待っているのさ」
「記憶喪失!? それは……さぞご不安でしょうね。一日でも早く戻るよう、八百万の神々にお祈り致しますね」

 シドという男の胸中は本人にしか分からないとは思いつつ、さぞ辛いだろうとアトリが眉を下げてそう言うと、どういうわけかアルフィノはくすりと笑みを零した。

「あ、あの、私、何か失礼な事を……!?」
「ああ、いや、すまない。確かイシュガルドは戦神ハルオーネを祀っている筈だが、『八百万の神』が出て来たものだから、つい、ね。やはり君は東方の民に相違ない」
「うう、つい……あまり口にする機会はないのですが」

 イシュガルドはエオルゼアの他の国とは違い、宗教都市国家である。他の神を祀っているなど異教徒でしかない。よく今まで追及されなかったものだとアトリは冷や汗をかいたが、別に彼女自身は他の宗教を否定しているわけではない。それどころか『郷に入っては郷に従え』とはこの事か、アトリも無意識に戦神ハルオーネへ祈りを捧げる事もある。
 元々東方では『あらゆる物に神が宿っている』という信仰があり、このイシュガルドという『国』にハルオーネが宿っていると考えれば、理屈では受け容れられなくもないのだ。

「私たちにとっては『エオルゼア十二神』が信仰の基盤だけれど、東方の文化も実に興味深いね」
「ありがとうございます……! アルフィノ様にそう言って頂けるなんて光栄です」

 例え世辞だとしても、自身の国に興味を持って貰えるのは有難いとアトリは礼を述べたが、やはりシドという男の事が気になって、再び目を向けた。
 アルフィノと違い寒がっている様子はない。例え記憶喪失でも、暑さや寒さに鈍感という事はいくらなんでもないだろう。ならば、考えられる事としたら――。

「あの、シドさん。寒さは平気なように見えますが、もしかしてこの国の方なのでは? または、イシュガルドのように寒い国か……」
「ああ、シドの出身については私たちは分かっているんだ。詳しい事は機会があれば話すよ」

 シドの答えを聞く前に、アルフィノがアトリに向かってきっぱりとそう告げた。人の好い笑みを浮かべており、決して悪気があるようには見えないが、『君には言えない』という意思がはっきりと分かる言い方であった。
 余計な口出しをしてしまったと、アトリは苦笑を浮かべた。恐らくシドがイシュガルドの民だと分かっていて、それでここに来たのだろう。シドの正体を知らないアトリはそう結論付ける事にした。

「――飛空艇『エンタープライズ』……しかも霊災前の話とは。……イシュガルドも、あの時期は混乱を極めたからな。目撃者を探すにしても、少々手こずるかもしれん」

 アトリが雑談をしている間に、オルシュファンは冒険者から用件を聞き出していた。
 ごく普通の会話――のように見えるのだが、アトリは二人の様子を見て違和感を覚えた。この感情を上手く言葉に出来ないものの、アトリの胸は妙にざわざわとしていた。

「ここまでの旅程、大変ご苦労だった。友とフォルタン家の名にかけて、現下より、このオルシュファンが力を貸そう!」

 アトリにとって肝心の用件は曖昧なまま、オルシュファンはアルフィノ一行へ協力する運びとなった。元々アルフィノが気掛かりであったアトリにとっては願ってもない事なのだが、問題は彼らが『暁の血盟』かどうかである。無論、アトリとて彼らが困っているのなら是非協力したいのだが、もし彼らが『暁』だとしたら、果たして己の雇い主であるロロリトはどう思うだろうか。





 飛空艇の調査をする前に、どういう訳か冒険者はオルシュファンの部下と手合わせを行う事になった。オルシュファンたっての願いである。
 アトリはアルフィノやシドと一緒に部屋で待とうと思ったものの、どうしても気になってオルシュファンと共に行動する事にした。
 屋外の雪原にて、冒険者と騎兵たちが対峙するのを見守りながら、アトリはオルシュファンへ訊ねた。

「オルシュファン。どうして飛空艇の調査とやらをするのに、わざわざ手合わせを……?」
「アトリ、あの者の戦い方をよく見ておくのだ。あれはただの冒険者ではない……お前も得るものがある筈だ」
「…………」

 オルシュファンはアトリへ顔を向ける事なく、真っ直ぐに冒険者を見つめていた。なんとも形容し難いもやもやした感情を覚えつつも、アトリは彼の言葉に従う事にした。

 そして、間もなく冒険者とオルシュファンの部下たちは剣を振るった。手加減など一切していないと分かる攻撃、躱し方。いずれも隙がなく、その身の熟しは今までアトリが共に行動して来た冒険者たちを遥かに上回るものであった。
 過去、己が騎兵と手合わせをした際、騎兵は客人を傷付けないようちゃんと手加減していたのだと、明確に分かるほどに。

 息を呑んで見守る事、数分。
 騎兵たちが雪原に倒れる中、冒険者は肩で息をしながら佇んでいた。勿論、冒険者の勝利である。
 冒険者がアトリたちの元へ駆け寄ると、オルシュファンの口からとんでもない言葉が飛び出した。

「はぁ……たまらないな……。お前と部下たちの、熱い吐息……イイ……」
「は?」

 呆けた声を上げたのは、冒険者ではなくアトリである。
 オルシュファンはまるで気に留めず、冒険者へ何やら熱く語っているが、アトリは完全に呆然としていた。ここまで興奮するオルシュファンの姿は見た事がないからだ。

「ともかく、手合わせご苦労だった。礼もかねて、都に使者を送っておいたぞ。吉報を待ちながら、こちらでも調査を進めるとしよう」

 これにて無事手合わせも終わり、飛空艇の調査も開始となった。そもそも先程室内で二人の会話をあまり聞いていなかっただけに、アトリにとっては何の事だかさっぱり分からなかった。この場で手合わせをした理由も。

「アトリ。私が部下たちを介抱している間、冒険者殿を頼んだぞ」
「はい……」

 いつものアトリなら何も気にせずオルシュファンの言葉に従うのだが、この時ばかりは反抗したいのを押し殺して、苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
 オルシュファンと違い、冒険者はアトリの様子に気付いていた。
 彼女自身が自覚していない負の感情――『この冒険者に良い感情を抱いていない』と。

 アルフィノたちが待つ部屋までの距離は実に短いものであったが、その間無言状態であり、冒険者にとっては剣を交えるよりも長く感じる時間であった。
 何か粗相でもしただろうかと思いつつ、冒険者はアトリへとそれとなく声を掛けた。「君はアルフィノの友人か」――明らかに初対面ではない様子を見れば、そう思うのは自然である。
 だが、アルフィノはまだ十五歳前後の少年で、アトリはもう二十を超えている。もう五年前の世間知らずな少女ではない。今のアトリにとっては、この冒険者の何気ない言葉も気に障るものであった。

「私、そんなに子供っぽく見えますか?」

 冒険者は慌てて首を横に振り、「友人になるのに年齢は関係ない」とフォローした。アトリとて冷静に考えれば突っ掛かる内容ではないのだが、今だけは、あまりこの冒険者と言葉を交わしたくなかった。



 冒険者とともに室内へと入り、あとはオルシュファンが戻るのを待つだけなのだが、アトリも『今日の自分はおかしい』と自覚し始めていた。この冒険者が気に食わない、と短絡的に考えるのは間違っている。だが、何故こんなにも苛々してしまうのか。
 こういう時は、外に出て頭を冷やすべきだ。オルシュファンと恋仲とはいえ、婚姻関係にあるわけではない。クルザスに滞在しているからといって、無理にキャンプ・ドラゴンヘッドで過ごす必要はないのだ。この冒険者たちがいる間は。

「アトリ」

 突然アルフィノに声を掛けられて、アトリは我に返った。一体己は何を考えていたのか。何か悪いものに憑りつかれていたような気がする。アルフィノの純粋無垢な微笑を見て、アトリは漸く冷静になりつつあった。

「私たちの事を話すべきか悩んでいたが、やはり君にはある程度知っておいて貰いたいと思ってね。君はミンフィリアがスカウトした逸材だ、信用に値するだろう」
「え!? こ、光栄です……というか、その口振りですと……」

 いずれアルフィノは祖父ルイゾワの意思を継ぎ、『暁の血盟』と共に行動するだろうという、ロロリトの予想は早くも現実となった。アルフィノの口から盟主ミンフィリアの名前が出て来たという事は、確定と考えて良いだろう。

「……アルフィノ様は、間違いなく『暁の血盟』の一員なのですね」
「ああ。シドは違うが、私と冒険者は紛れもなく『暁の血盟』のメンバーだ。……尤も、今は私たち二人だけなのだけれどね」
「二人だけ? ミンフィリアさんやサンクレッドさんは……」

 まさか、とアトリは最悪の事態が脳裏を過ったが、アルフィノの代わりに冒険者が「ミンフィリアたちは無事だと信じている」と答えた。
 その言葉だけで、何らかのトラブルが起こり、一時的に離れ離れになっているのだと察した。ただ、暁の血盟は現状蛮神対策に勤しんでおり、ベスパーベイに拠点を置いてはいるものの、ウルダハの政に関わってもいなければ、東アルデナード商会と対立しているわけでもない。アトリが知る限りではあるが、ミンフィリアが揉め事を起こすような人には思えなかった。
 困惑するアトリに、今度はアルフィノが再び口を開く。

「この先は私が話そう。アトリ、『暁の血盟』の拠点が帝国軍に襲撃され、私たちは偶々難を逃れたのだ。恐らく、帝国軍はミンフィリアや賢人たちを拉致している。尤も、今すぐに殺すつもりはないと見ているが」
「そ、そんな……!」

 まさかそんな事が起こっていたなど夢にも思わず、アトリは一気に血の気が引いた。いくらガレマール帝国がエオルゼアにカストルムと呼ばれる基地を作っているとはいえ、本当に攻め込むなど思っていなかったのだ。それだけ、彼女の出身地である『ひんがしの国』は平和だという事に他ならないだろう。そして、他国への門を閉ざしており、ドラゴン族の襲撃も落ち着いている、『今』のイシュガルドという国も。

「私に、何か出来る事はありますか?」

 アトリは自然とそう口にしていた。損得勘定など考えず、ただただ真っ直ぐな瞳をアルフィノへと向けて。
 その表情に、アルフィノも漸く安堵の表情を浮かべた。アトリに話すか否か迷いがあったゆえである。

「ありがとう、アトリ。それにしても、どうして君はここに? 商会の仕事というより、プライベートのように思えるが」
「えっ!? そ、それは……」

 突然の質問にアトリは頬を真っ赤に染めて、どう説明すれば良いか困惑していたが、アルフィノの疑問は尤もである。勿論、このキャンプ・ドラゴンヘッドでも商売をしようと思えば可能だが、傍から見て、商人が仕事で来ている雰囲気ではないのだろう。そもそもアルフィノ達がここを訪れた時に、お茶を出したのが使用人ではなくアトリだった時点で、不可解な点が多すぎるのだ。商人を辞めてフォルタン家の使用人になったのか、あるいは――。

 頭が回っていないアトリに代わって、冒険者がアルフィノに「後で説明する」と耳打ちした。
 今の遣り取りで冒険者は全てを察したのだ。何故アトリがまるでこの家の住人かの如く己たちをもてなしたのか。そして、オルシュファンが己に並々ならぬ熱い視線を向けている時に、どういうわけか彼女は不機嫌であった理由も。

「皆、待たせたな。飛空艇の行方を探すにあたって、我々も何が出来るか考えてみるとしよう」

 話は途中のまま、アトリの胸中など知る由もないオルシュファンが部屋へと戻り、今後の対策を練る事となった。
 突然『暁の血盟』に協力する事となったアトリとオルシュファンであったが、この出会いが、後にふたりの運命を、そしてイシュガルドという国をも大きく変える事になるのだと、知る者はまだ誰もいなかった。

2022/07/30

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