窓打つ雑音

 とある日の午後、アートボルグ砦群の一室にて。

「考えてみたら、アトリがクルザスに来てからもう五年が経つんだね」

 アトリはフランセルと共に雑談に興じていた。特に用事があるわけではないのだが、アトリはイシュガルドに来た際はオルシュファンと共に過ごすのは勿論の事、フランセルの元へも度々顔を出していた。自身の命を救ってくれたのはオルシュファンであるが、フランセルとラニエットも異邦人である己を匿い、介抱してくれた恩人である。

「五年前……まさか五年後もこうして交流があるなんて、当時の私が知ったらきっとびっくりしますね」

 アインハルト家の使用人が淹れたお茶を飲みつつ、過去の事を思い返して微笑を零すアトリに、フランセルもまた笑みを浮かべて頷いてみせた。

「イシュガルドの在り方を考えれば、二度と会えない可能性の方が高かったからね。だからこそ、アトリ。キミがこの国を嫌いにならず、長い年月をかけて良い関係を築き上げてくれた事を、心から尊敬しているんだ」
「い、いえ! 私は何も……偶々拾ってくださった東アルデナード商会のお陰です……!」
「じゃあ、キミの人徳のお陰といったところかな?」

 別に褒められる事など何もしていないとアトリは思っているだけに、フランセルの言葉を受け止めきれず、俯いてしまった。

「決して困らせるつもりで言ったわけじゃないんだけど……ひんがしの国の人は皆謙虚なのかな」
「うーん、人それぞれかと……私にしてみれば、フランセル様やラニエット様こそ尊敬出来るお人柄です。いくら親友とはいえ、オルシュファンにいきなり異邦人の介抱を頼まれて承諾するなんて、なかなか出来ない事なのでは?」

 傍から見れば褒め殺しの勝負でもしているのかという状況であるが、フランセルもアトリもその言葉に偽りはなかった。特にアトリはいまや各国を回る冒険者兼商人であり、様々な国の在り方を見て回ったからこそ、このイシュガルドという国がいかに閉鎖的かも改めて理解した。そんな国で見知らぬ異邦人を助けるなど、余程心根の優しい人でなければ出来ない事である。それこそ、損得勘定を考えるのならば、下手に関わらないようにするのが得策だ。
 だが、アトリの言葉とは裏腹に、フランセルは一瞬目を伏せて落ち込むような素振りを見せた。アトリのように褒められる事に慣れていないから、というわけではなさそうである。

「フランセル様?」
「……ああ、いや。なんでもないよ」

 フランセルは微笑を作ったが、それがアトリには無理をしているように見えた。
 というのも、厳密に言うとこの日はアトリが『用事がないけれど顔を出した』というわけではなかった。

『異端者』騒動――ここ最近イシュガルドでは、この騒ぎの話題で持ち切りであった。

 最初に異端者騒動の話を聞いた瞬間、アトリは五年前にスパイ疑惑で連行されかけた事を思い出し身構えた。異邦人である己が真っ先に疑われると思ったからだ。だが、今回に限ってはアトリは誰からも疑いの眼差しでは見られなかった。
 それもその筈、そもそも『異端者』とは、ドラゴン族に加担する者、あるいは戦いを拒否する者を指すからだ。イシュガルドと友好的な関係を築く為に、槍術士として冒険者稼業も地道に続けているアトリは、寧ろイシュガルドの民からは好意的に見られていた。尤も、教皇庁やその下に存在する蒼天騎士団の本音を窺い知る事は出来ないのだが。

「……フランセル様、差し出がましいですが……何か悩みがあるのでは?」

 恐る恐る訊ねるアトリに、フランセルは一瞬肩を震わせ、顔を強張らせた。
 アトリが今日アートボルグ砦群に来た理由。それは、この異端者騒動で疑われているのがアインハルト家だからだ。
 フランセルは軽く溜息を吐けば、アトリに向かって力なく笑ってみせた。

「皇都で商売をしているキミに、隠す必要はなさそうだね。……知っての通り、アインハルト家から複数の者が、『異端者』として嫌疑をかけられている」
「フランセル様、私は……」
「うん、キミなら僕の事を信じてくれているって分かってる」

 アトリが口にするよりも先に、フランセルはまるで彼女の心を読み取るかのようにそう言い切った。アトリが己を疑って探りに来たのではなく、純粋に心配して顔を出してくれたのだと、フランセルは断言する事が出来た。出会って五年と言っても、その間アトリがクルザスから離れていた期間も長い。それでも、アトリという異国から来たアウラ族の者が、親切で温和な人間であり、陰謀や策略といった世界とは掛け離れた存在であると言い切れる程、フランセルも彼女の本質を理解していた。
 ――だからこそ、巻き込んではいけない。フランセルは思案し、言葉を選びながらアトリをやんわりと遠ざける事にした。

「アトリ、その気持ちだけで充分だ。下手にアインハルト家を庇おうとして、キミまで異端者の嫌疑をかけられたら、オルシュファンに合わせる顔がなくなってしまうよ」
「そんな……!」
「異端者嫌疑が晴れるまでは、暫くここには来ない方が良い。特にキミは、一度蒼天騎士団に目を付けられているからね。オルシュファンもきっと同じ事を言うと思う」

 よりによってオルシュファンの名前を出されては、アトリも何も言えなかった。フランセルもそれを分かって敢えて突き放しているのだ。大切な人たちを巻き込まない為に。

「……何も知らない私が口を出す事ではないと思いますが、それでも、私はアインハルト家の方が異端者だとは思っていません。疑いが晴れる証拠を見つけられるよう、出来る事はさせてください」
「気持ちは有難いけれど……アトリ、くれぐれも気を付けて。ここ最近の異端者騒動は何かがおかしい。繰り返すけど、キミを巻き込みたくないんだ」

 フランセルはどこか諦めているように見えた。というよりも、疑いを晴らそうにも身の潔白を証明する事が困難なのだ。一度異端者嫌疑をかけられたら最後、自身の命を犠牲にする事が証明になるなど、この時のアトリはまだ知る由もないのだった。





 アートボルグ砦群からキャンプ・ドラゴンヘッドへ戻ったアトリは、ちょうど任務から戻ったであろう冒険者で賑わう光景を見て、どういうわけか感極まって鼻の奥がつんとする感覚を覚えた。
 別に泣きたくなるほど辛い事があったわけではない。フランセルの力になれなかった。それだけだ。人には出来る事と出来ない事がある。それを充分理解したつもりでも、やはり何も出来ないとこうも落ち込んでしまうのか、とアトリは心の中で自嘲した。

 ひとりでぼうっと佇んでいるアトリに、オルシュファンの部下である騎兵が声を掛けた。

「アトリ殿、いつもお疲れ様です!」
「あっ、あの……ええと、今日は仕事ではなく……」
「仕事がないのにここまで足を運ぶとは、隊長もさぞ嬉しいでしょうな」

 そう言って笑う騎兵に、アトリもつられて笑みを零した。ここで暮らす皆が明るいのは、やはりオルシュファンの影響なのだろう。彼に影響を受けているのは自分だけではなく、きっと彼に出会った多くの人も同じなのだ。
 落ち込んでいる暇はない。アトリは漸く前向きになり、フランセルの為に出来る事はないか、まずはオルシュファンに相談する事にした。フランセルは「巻き込みたくない」と言っていたが、万が一最悪の事態が起こったら、なによりオルシュファンが後悔する。
 最悪の事態――万が一異端者だと判断されれば、きっと処刑される。異国の人間であるアトリとて、この国の恐ろしさだけは身を以て知っていた。



「アインハルト家が異端者嫌疑をかけられている件か。フランセルが嫌疑をかけられる事はないと思っていたが、甘く考え過ぎていたかも知れんな」

 オルシュファンの元を訪れたアトリは、早速話題を切り出した。同じ室内にいるオルシュファンの部下たちは、隊長とアトリを二人きりにしようと退散するタイミングを計らっていたものの、彼女の話が耳に入るや否や、皆互いに顔を見合わせた。アインハルト家の件は彼らの耳にも入っており、動向を気に掛けているからだ。

「アトリ。お前は此度の騒動をまだ理解していないと思うが……そもそも異端者とは、『異端審問官』が嫌疑をかけた者の事だ。勿論、嫌疑をかけるに値する証拠が必要となるがな」
「嫌疑をかけられたアインハルト家の方は、残念ながらその証拠があった、という事でしょうか」
「理屈ではそうなのだがな……だが、私もアインハルト家が異端者だとは思えん」

 長い話になりそうだ、と察した使用人が、椅子を用意してアトリに座るよう促した。ここがオルシュファンの自室であれば、来客のような対応は受けないのだが、今はまだ彼が執務中であるがゆえの接遇であった。
 いつもは使用人と一緒に手伝いをしているだけに、アトリは少々不思議な気持ちになりながら頭を下げつつ、用意された椅子に腰を下ろした。

「オルシュファンは、アインハルト家の無実を証明できるような何かがないか、分かりますか?」
「……いや、そういう訳ではないのだ。これでは、傍から見れば『親友だから庇っている』と思われかねんな」
「そんな……」

 そんな風に思うわけがない、とアトリは声を上げたくなったが、残念ながら己たち以外、特にその異端審問官とやらは絶対にそうは思わないだろう。無実を証明できる確固たる『証拠』を用意できない限りは。

「アトリ、お前が歯痒い思いをする気持ちは、私も痛いほどよく分かる。だからこそ、アインハルト家の事情を話しておこう」
「アインハルト家の……是非、聞かせてください!」

 オルシュファンは神妙な面持ちで話し始めた。
 アインハルト家が今や落ちぶれていると揶揄されているのは、フランセルとラニエットの兄にあたる、当主の三男クロードバンがスチールヴィジルで戦死したのが始まりであった。
 ドラゴン族がスチールヴィジルを襲撃し、当時管轄していたアインハルト家が防衛にあたったものの、結果は現状がすべてを物語っている。いまやドラゴン族の塒と化し、取り戻す事が出来ないままでいる。
 スチールヴィジル防衛戦で指揮を執っていたクロードバンは戦死し、父親である当主ボランドゥアンは自暴自棄になり、スカイスチール機工房の管理も放棄。アインハルト家の凋落は当主のせいだとも言われている。
 無論、オルシュファンは周囲の心無い言葉など気にしておらず、フォルタン家とアインハルト家は今も友好的な関係を保っている。だが、現に過去エマネランがアトリを連れてアバラシア雲海に向かった際、アインハルト家の事を小馬鹿にしていた。それが皇都の人間から見た印象なのだ。
 尤も、アトリはイシュガルドの人間ではないからこそ、相手を家柄や身分で区別する事はしていない。今がどうであれ、フランセルとラニエットは恩人である事に変わりはない。寧ろ、アインハルト家の事情がはっきりと分かった事で、絶対に彼らは異端者ではないという思いがアトリの中で強まっていた。

「そんな……そんな痛ましい出来事があったのなら、尚更異端者になる訳がないのでは? ドラゴン族を憎みはすれど、協力するなんて有り得ません!」

 思わず声を荒げるアトリに、オルシュファンはやはり伝えて良かったと内心安堵した。

「……そうだな。私もそう思っている。だが、異端審問官はそれでは納得しないだろう。だからこそ、お前が言った通り、無実を証明する為の『証拠』が必要となる」
「私が帝国のスパイだと疑われた際に提示した、父の遺品のようなものですね。あの時は遺品のお陰で、帝国との繋がりがないと証明できたので……」
「うむ。だが今回は難儀だな……ドラゴン族や異端者との繋がりがないと『証拠品』で証明する方法、か」

 アトリはオルシュファンとともに難しい顔で考え込み、最早恋人同士とは程遠い雰囲気が室内に漂っていた。オルシュファンの親友であり、アトリにとっても友人であるフランセルが苦悩しているのだから、彼の為に何が出来るかと悩むのは当然の事である。だが、騎兵たちにしてみれば「隊長はアトリ殿に対してもう少し恋人らしく振る舞ってくれ」と余計な御節介を抱いてしまいそうになるほど、今もこれまでも二人は周囲の前では『それらしい』振る舞いをあまりしていなかった。
 痺れを切らした騎兵のひとりが、考え込むふたりに対して恐る恐る声を掛ける。

「あのう、隊長もアトリ殿も、いったん休憩されてはどうでしょうか? なんなら我々は席を外し――」

 瞬間、執務室の扉が開け放たれ、外の眩しい陽光が室内を照らした。
 キャンプ・ドラゴンヘッドはいついかなる時も、来訪者を拒まない。それはオルシュファンが日頃口にしている信条である。

「失礼する。ここにフォルタン家の騎士、オルシュファン卿がいると聞いたのだが、間違いないだろうか」

 オルシュファンにとっては見知らぬ相手だが、アトリにはその声に聞き覚えがあった。扉のほうへと顔を向けると、そこにいたのは以前ウルダハで出会ったエレゼン族の少年、保護者と言うにはまだ若く見える背丈のある白い髪の男性、そして――ごく普通の冒険者の容貌をした人物であった。

「……アルフィノ様!?」

 まさかこんなところで再会するとは夢にも思ってもいなかったアトリは、思わず立ち上がってその名を叫んだ。
 エレゼン族の少年アルフィノは、アトリの顔を見るなり、一気に表情を明るくさせた。

「アトリ! どうしてここに!?」

 思わぬ再会を果たしたものの、ここにいる誰も彼も――アルフィノたち三人以外は皆状況を理解していなかった。無論、アトリとてどうしてアルフィノがクルザスに来たのか、まるで見当が付かなかった。
 小首を傾げるオルシュファンであったが、彼の目は既にひとりの冒険者を捉えていた。この冒険者こそが後にエオルゼアの英雄と呼ばれ、アトリとオルシュファン、そしてこのイシュガルドという国をも動かす大きな存在になるのだと、この時はまだ誰も知らなかった。

2022/07/03

- ナノ -