輿望をまとえば空が近い

 カルテノー戦没者追悼式典が終わり、東アルデナード商会へ帰還したアトリは、式典での一部始終をロロリトへ報告した。彼はラウバーンの演説が予想通りだったのか、特段気にする様子でもなく、寧ろ説明しながら不機嫌さが顔に出ていたアトリを気遣うほどの余裕すら見せていた。

「アトリよ。公の場では感情的になった方が『負け』……それが分かっているからこそ、腹を立てても堪えたのだとは思うが、少々顔に出やすいのは今後改善していかねばならぬぞ」
「……申し訳ありません……」
「なに、ラウバーンも共和派を挑発するつもりで言っておるからの。おぬしの反応を見て満足しているであろうが、今は放っておけば良い」

 ロロリトはアトリを軽く嗜めはしたものの、特に怒ってはいなかった。寧ろそれらも想定内で、彼女に未熟さを自覚させる為に敢えて式典へ派遣したのだった。式典前に彼女に告げた『社会勉強』とはそういう事である。

「気掛かりなのは、ラウバーンよりもおぬしが偶然出くわした『救世詩盟』盟主の孫……アルフィノと言ったか」
「はい。それこそ彼もラウバーン氏の演説には難色を示されている様子でしたが……それが何か?」
「分かっているとは思うが、『暁の血盟』にあまり肩入れするでないぞ」

 一瞬ロロリトの目が険しくなったように感じて、アトリは背筋を正して即座に頷いた。

「物を売り対価を得る。対価を得る代わりに資金を提供する。全てにおいて『対価』は必要不可欠。これが商人としての基本……感情に流されて対価を求めない者に台頭される事があれば、この世の理は破綻してしまう」
「……ロロリト様は、暁の血盟が『対価を求めない者』にあたるとお考えで?」
「さて、それはどうかの。今の盟主も、冒険者をスカウトして暁の一員として活動させる対価として、それなりの報酬は渡しているであろう」

 ロロリトの意図が分からず首を傾げるアトリであったが、彼はそれも想定内とばかりに、気分を害する事もなく言葉を続けた。

「アトリよ。その『賢人ルイゾワの孫』の行動には注視しておくと良い。温室育ちの世間知らずの若人が権力を振りかざそうものなら、ろくな事にはならぬ」
「権力を振りかざす……そんなタイプの子には見えませんでしたが」
「例え『今』はそうでも、今後暁の血盟の一員となれば、周囲に『ルイゾワ様の孫』として丁重に扱われるじゃろう。そんな環境におれば、どうなるかは分からぬぞ」

 アトリは自分の知る限り、暁の血盟のメンバーに対して嫌な印象は抱いていない。だからこそ、この先アルフィノがかつて祖父が立ち上げた『救世詩盟』の跡を継いだ『暁の血盟』に合流するとしても、盟主がミンフィリアである限りは何事もないのではないかと思っていた。
 温室育ちの世間知らずは、アトリも同様であった。多額の資金が蠢き、様々な人間の陰謀が渦巻くこのウルダハの恐ろしさをまだ知らないのだから。

 ただ、ロロリトの言う『対価を求めず善行を為す者が台頭すれば、この世の理は破綻する』という考えは、アトリも心から理解し、納得していた。綺麗事でこの世界が救われるのなら、ガレマール帝国が各国を侵攻する事もなかったであろう。

 第七霊災――カルテノー平原の戦いで起こった事は、どういう訳か皆その時の記憶を失っており、ルイゾワ・ルヴェユールも行方不明という話である。これだけ名を馳せた人物が五年経っても見つからないとなれば、その先はもう考えずとも分かる事である。
 世界平和の為、それこそ対価を求めず、自身の命さえ犠牲にし戦い抜いて、第七霊災を『最小限の被害』として収めたのだとしたら。
 その手柄をエオルゼア三国が成し遂げた事だとラウバーンは言っていたのだから、アルフィノとアリゼーにしてみれば、許せない演説であったに違いない。尤も、アトリも例に漏れず記憶が曖昧であるがゆえに、すべて憶測でしかないのだが。

 どちらにしても、今のアトリは『対価を求めない善行』を受け容れてはならないというロロリトの価値観に同調していた。
 だがそれは、彼女が愛する男の成した事とは真逆である。対価を求めない善行によって救われたアトリは、まだ自身の矛盾に気付いていなかった。





 今となっては商人アトリにとってルーティンの一部となった、皇都イシュガルドとの取引。新作のドレスを携えて、皇都の『サンシルク』を訪れたアトリは、店員の仕事を手伝いながら雑談に興じていた。

「アトリさん、いつもありがとうございます。やはりアトリさんがいらっしゃると売れ行きが違うんです」
「そうでしょうか? 偶々だと思いますが……」
「偶々じゃないですよ! 素材の質や希少品かどうか、耐久性やデザイナーの拘りもすらすらと出て、本当に勉強になります」
「冒険者稼業をしていたら、どういう素材が希少で、だからこれだけの価値がある、となんとなく分かって来るんです。疑問に思う事があったら、なんでも聞いてください。私も分からない事であれば、色々と調べてみますから」

 ロロリトが何故己に価値を見出したのか。東アルデナード商会にスカウトされて四年が経ち、アトリも自身の成長を実感しつつあった。謙遜ばかりだった発言は次第に説得性のある言葉へと変わり、確かに冒険者稼業と兼任しているからこそ気付ける価値もあるのだと、店員に言葉を返しながら、アトリは商会へ改めて感謝の念を抱いた。

 そんな中、ふと店の扉が開かれた。

「いらっしゃいませ――」
「アトリ! やはりここに居たのだな」

 店内に入って来たのは来客ではなく、商人の異邦人を迎えに来た四大名家の騎士であった。

「オルシュファン卿、本日は何をお探しでしょうか? それとも、未来の奥様をお迎えに?」
「ひえっ」

 店員がとんでもない事を宣って、アトリはつい恥ずかしさで素っ頓狂な声を上げてしまった。尤も、当のオルシュファンは何も気にしておらず、店員の質問に真顔で答えた。

「後者だ。客ではなく申し訳ない」
「ふふっ、それでは御召物はまたの機会に」

 店員は売物を差し出すかの如くアトリの後ろに回って彼女の両肩を軽く掴んで、満面の笑みを浮かべた。

「いつもアトリさんを独占してしまって申し訳ありません、オルシュファン卿。アトリさんの送迎、よろしくお願い致します」
「いや、こちらこそ商売の邪魔をしてしまったのだとしたら、申し訳ない事をした」
「邪魔だなんて滅相もございません! アトリさんはいつも無償で手伝ってくださるので、十分過ぎるほど対価を頂いている位です」

 決して店員は悪気があって言っているのではないのだが、その言葉が気に掛かり、アトリは何も言えなかった。心ここに在らずな状態でオルシュファンに手を引かれ、そのままサンシルクを後にしたのだった。



 灰色の空から粉雪が舞い降りる皇都を共に並んで歩きながら、オルシュファンはアトリの様子を窺った。あまり元気がないように見え、思案しつつ問い掛ける。

「無償で手伝い、か……アトリ、無理はしていないか? お前は正式に皇都への立ち入りを許可されているのだから、必要以上に気を遣う必要はないのだぞ」
「決して、気を遣っているわけではないのですが……」

 歯切れの悪い答えに、オルシュファンはこのまま話を流してはならないと察し、改めてアトリの手をきつく握り締めた。

「もし悩みがあるのなら、私に話して貰えないか? 守秘義務があるのなら、無理にとは言えんが」
「うう、やっぱりお見通しなんですね。私が顔に出やすいだけかも知れませんが……」
「腹に一物抱えているよりは、余程信頼出来るがな。……さては商会で何かあったな?」

 守秘義務という言葉に反応するという事は、プライベートではなく仕事の問題だと推察するのが妥当である。冒険者稼業でのトラブルと捉えられなくもないが、アトリの性格を鑑みれば商会のほうだとオルシュファンは察した。巨額の金が動く界隈は様々な陰謀が蠢くものだと、彼も理解している。
 尤も、商会側はアトリとオルシュファンの関係を半ば公認しており、二年前に彼女が意図せず皇都に侵入してしまった際も、徹底的にアトリを庇う姿勢を見せていた。寧ろ恵まれた環境とも思えるが、だからこそ悩みがあるのならそれを把握し、紐解いていく必要がある。彼女の心の中に踏み込み、それが出来るのはきっと己だけだ。オルシュファンは改めてそう思い、アトリの顔を覗き込んだ。

「……はい、守秘義務というほど大それた事ではなく、なんというか……生き方や価値観の悩みと言いますか……」
「よし、ならばここで話すより、暖かな室内でゆっくり話した方が良さそうだ」

 そう決めて、アトリの手を引いて足早に歩を進めたオルシュファンであったが、この時漸く彼女は自身の矛盾を自覚した。
 オルシュファンが己に優しくしてくれるのは、決して損得勘定ではない。対価など求める事なく、当たり前のように困っている人に手を差し伸べるのだ。思い返せば、五年前にアトリがクルザスの領地で倒れていた時も、オルシュファンは迷わず助け、更にフランセルとラニエットも介抱してくれた。彼らは皆、はじめから対価を求めてなどいなかった。

 商人としての仕事は、対価を求めるのは当たり前の事である。無償で物品を供給するなど、財源が有限である以上不可能であり、無限になる事は有り得ないのだから。
 ただ、いち個人として、すべての事象において損得勘定で考えるのは間違っている。それはオルシュファンを好きになったからこそ、アトリとしても断言出来る考えであった。
 そうなると、『暁の血盟』の存在はどう捉えれば良いのだろう。例えば、あのアルフィノという少年が困っていたら、出来る範囲で彼を助け、対価を求めないのは良くない行為なのか。きっとオルシュファンなら迷わず助けるだろう。だが、自分は――こうして悩んでいる時点で、アトリは自分が間違っているのではないかと思わずにはいられなかったのだ。





「成程、政治の話か」

 キャンプ・ドラゴンヘッドへ戻り、暖かな部屋で夕食を共にしながら、悩みを打ち明けたアトリであったが、オルシュファンがあっさりとそう返したものだから、唖然としてフォークを落としそうになった。

「せ、政治……ですか?」
「うむ。私もウルダハの内部事情はまるで知らなかったのだが、アトリ、お前の説明で大まかには理解出来たぞ。王党派と共和派で対立し、ロロリト殿が共和派の人間でもあったとは……」

 オルシュファンが気に掛かるのはウルダハの情勢なのかと、アトリは複雑な感情を覚えたが、そもそも己の悩みを誰かに解決して貰おうと期待するほうが間違っている――そう思い直した瞬間、彼の口から思いも寄らぬ言葉が紡がれた。

「アトリ、正直なところ私はお前が心配だ」
「え?」
「元々はクガネの人間であるお前が、ウルダハの政に巻き込まれるのではないかとな。いや、王党派がお前の存在を把握しているのだとしたら、既に巻き込まれていると言っても過言ではないか……」
「ナナモ女王は私の事を覚えているかも知れません。私がエオルゼアで冒険者稼業を始めようと思ったきっかけは、『暁の血盟』の方との出会いだったのですが、その接点を作ってくださったのが、実はナナモ様だったんです」

 アトリは何気なく話しただけなのだが、オルシュファンは険しい顔つきになり、珍しく大きな溜息を吐いた。

「オルシュファン?」
「……その、お前は『暁の血盟』に入る気はない、という認識で間違いないな?」
「はい。さすがに商人としての仕事に支障が出てしまいますし、蛮神やガレマール帝国と戦う意思もありませんから」

 そう告げて、アトリはさすがに冷たい人間だと思われてしまうのではないか、と少しだけ後悔した。オルシュファンは決して己を軽蔑したりはしないと分かってはいつつも、弁解するように再び口を開いた。

「あの、出来る事なら『暁の血盟』に協力したいです。盟主のミンフィリアさんから声も掛けて頂きましたし。でも……」
「皆まで言わずとも分かっている。だが、お前が既に東アルデナード商会に属している以上、出来る事と出来ない事がある。王党派と暁の血盟が繋がっているとなれば、尚更だ。裏切り行為だと思われかねんからな」

 オルシュファンはアトリが危惧していた軽蔑どころか、心の底から心配していた。アトリはまさかこんな話になるとは思ってもいなかったのだが、この話が自身の悩みに直結しているのだと、まだ気付いていなかった。

「……オルシュファン、どうしていつも私を肯定してくれるのですか?」
「む? 何を言っている。まるで何も考えず肯定しているような言い方だが……仮にお前が道を踏み外そうとしていれば、私は迷わず引き留めるぞ」
「ですが、私は今のままで良いのでしょうか」
「私はそう思っているぞ。寧ろアトリ、お前は何故『今の自分』を否定しているのだ」

 オルシュファンに真っ直ぐな瞳でそう問われて、アトリは漸く、自分の不甲斐なさをはっきりと言葉にして伝えられていないと気付いた。カルテノー戦没者追悼式典での出来事、ロロリトに言われた事、それらを踏まえてオルシュファンは「お前は何も間違えていない」と肯定してくれたのだ。これ以上悩む必要がないはずなのに、まだ心の奥底で引っ掛かっている事。
 それは、アトリがこれまでに幾度となく考えている「己は本当に彼に釣り合っているのか」という事だ。

「……私は、目の前に困っている人がいた時、オルシュファンのように迷わず手を差し伸べる事が出来るのか、損得勘定を考えずに人の為に動けるのか……正直、自信がありません」

 自身の悩みを言語化して、アトリは少しばかり肩の荷が下りたような感覚を覚えたが、こんな事を言われたところで、オルシュファンは困るだけだろうと後悔の念を抱いた。
 対するオルシュファンは、暫し考える素振りを見せた後、苦笑を零した。

「アトリ、お前は随分と私を神格化し過ぎてはいないか? 命を救われたという気持ちでいるかも知れんが、お前を救ったのは何も私だけではないのだからな」

 思ってもいなかった言葉に、アトリは目を見開いた。『神格化』――それは、オルシュファンが望む行為では決してない。彼はずっと、アトリと対等な関係である事を望んでいたのだから。

「先程も言ったが、皆それぞれ出来る事と出来ない事がある。例えば、お前は皇都の貧富の差を気に掛けているが、私が下層の民を救わないのは、見捨てているのと同義であろうな」
「そんな……そんな訳がありません! どうしてオルシュファンがそこまで背負わなければならないのですか!?」
「それと同じ事だ。私だけではない、アイメリク総長も、フォルタン伯爵も……皆、出来る事と出来ない事がある。ゆえに、出来る事を精一杯やっている。それはアトリ、お前も同じだ」

 オルシュファンは迷う事なく、口角を上げてきっぱりと言い切った。

「お前はよくやっている! 皇都と商会がイイ関係でいられるよう、管轄の店の手伝いをしたり、皇都の傍でモンスター退治をしたり、迷子になっている子どもを助けたり……お前は目立つからな、様々な話が自然と耳に入って来ているぞ」
「そ、そんな……私、別に良く思われる為にやっていたわけではなく、偶々で……」
「お前と私の行いに、何の違いもないだろう。きっとお前は、イシュガルド以外の国でも同じ事をしているのだろうな。だからこそ、ロロリト殿も釘を刺したのかも知れん」

 アトリは改めて、オルシュファンはどこまでも前向きで、けれど感情だけで動くわけではなく、冷静に物事を捉えて判断した上で助言をくれていると気付かされた。いつも支えて貰ってばかりで、己は何も出来ていないと、また悪い方向に考えてしまいかねないほどに。

「まだ納得していないな? お前としては商会と暁の血盟、どちらにも恩義があるだけに、悩む事もあるとは思うが……今は傍観するしかあるまい」
「そ、そうですね……そうします」
「まあ、暁の血盟と接触を控えるに越した事はないとはいえ、共闘は出来ずとも、仮に目の前で暁の者が倒れていたとしたら、介抱ぐらいはするだろう?」

 オルシュファンに何気なくそう問われて、アトリは自分の知る暁の人たちを思い浮かべて想像した。サンクレッド、ミンフィリア、そしてロロリトの話ではいずれ暁の一員になると思われるアルフィノと、彼と双子のアリゼーという少女。確かに彼らが道端で倒れていたら、抱きかかえるなりチョコボを捕まえるなりして、安全な場所へ連れて行って手当をする――位まではするだろうと考えた。

「アトリ、さてはどこまで介抱しようか考えているな?」
「はっ! す、すみません! つい色んなシチュエーションを考えてしまって……」
「お前の事だ、見なかった事にするのは良心が痛んで無理だろう。その程度なら商会も目くじらは立てんだろう。ゆえに、今は『出来る事をする』で充分だと思うがな」

 妄想に耽るアトリを微笑ましく見守るオルシュファンであったが、この日初めて彼女の置かれている立場を理解し、正直なところ不安を感じずにはいられなかった。

「アトリ。大丈夫だとは思うが……もしウルダハで大きな揉め事に巻き込まれた時は、迷わず私の元に来るのだぞ」
「え!? そんな事が起こるとは思えませんが……」
「無論、何もないに越した事はないがな」

 オルシュファンは心配し過ぎだ。否、自分が彼を心配させてしまうほど頼りなく見えるのか。アトリは何とも言えない気持ちになりつつも、一先ず今はありのままの自分を受け容れ、日々の仕事をこなしていこうと、前向きに考える事にした。
 そんな平和な日々が、フランセルの異端者疑惑によって脅かされ、『暁の血盟』と関わる時が来るのは、そう遠くない未来の話である。

2022/06/19

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