せめぎあう葛藤と栄華

 星暦1577年。アトリが父親を喪ってから早五年の年月が経ち、エオルゼアに住まう人々は皆少しずつ、でも確実に立ち直りつつあった。アトリも度々父へ祈りを捧げにアルダネス聖櫃堂を訪れており、ウルダハという都市は彼女にとって全てを失った地でありながら、故郷以外に父との繋がりを持つ特別な場所でもあった。

 そして、特別である理由は他にもあった。
 アトリが所属する東アルデナード商会は、このウルダハを影で支配していると言っても過言ではないからだ。
 東アルデナード商会会長、ロロリト・ナナリト。彼はウルダハの政を治める『砂蠍衆』のメンバーの一人であり、財界人にて国家を運営すべきと考える『共和派』の一員であった。
 現状、表向きにはウル朝ウルダハの女王ナナモ・ウル・ナモがこの国のトップであるが、お飾りの女王である事もまた紛れもない事実であった。ゆえに、共和派が実権を握っている状態である。

 そんな中、アトリは突然ロロリトにウルダハ王政庁へ向かうよう勧められた。これより執り行われる『カルテノー戦没者追悼式典』に出席する為である。

「私はウルダハの民ではありませんが、出席しても良いのでしょうか?」
「他国の者も傍聴は許可されておる。それに、おぬしはウルダハで家族を喪ったからこそ、出席する資格があるというものよ」

 ロロリトの言葉にアトリは思わず肩を震わせ、気まずそうに俯いた。そんな理由で出席するなど、まるで暴動を起こした当時のウルダハを批判する為に行くようなものではないかと勘繰ってしまったのだ。

「なに、そう難しく考える必要はない。社会勉強だと思って行けば良い」
「社会勉強、ですか……」

 アトリも今となっては単なる異邦人ではなく、クガネとエオルゼア三国、そしてイシュガルドを自由に行き来出来るれっきとした商人兼冒険者である。ウルダハの政についてもある程度把握しており、とりわけ王党派と、己の雇い主であるロロリトが所属する共和派が対立している事も理解していた。
 追悼式典に出席し、何を感じたのか。それはアトリ本人がどう思っているかより、このロロリトにとって良い言葉を選んで紡がなければならない。アトリは商人として生きて行くにあたり、ある程度したたかに立ち回って来たつもりであったが、何も感じないわけではない。
 特に、ナナモ女王には個人的に恩義があるだけに、アトリは少しばかり気が重かった。





「黄金の砂嵐が吹くウルダハに集いし、熱き魂を持つ者どもよ!」

 カルテノー戦没者追悼式典は、砂蠍衆のひとりであり『不滅隊』の最高司令官でもある、ラウバーン・アルディンによって執り行われていた。

「これまでウルダハの繁栄は、巨万の富を生み出した! 五年前の『カルテノーの戦い』においても、皆が財と才を投じ、エオルゼア同盟三都市で、もっとも多くの戦力を提供した! その結果として、帝国軍第VII軍団を打ち破ったのだ!」

 式典には多くの民衆が駆け付けており、彼らに紛れてアトリはラウバーンの演説に耳を傾けた。

「だが、多くの兵が帰ってこなかった……。彼らの魂が、ナルザル神の御許に辿り着き、来世で幸運を掴むことを祈ろう」

 犠牲になったのは兵士だけではない。治安が悪化した事による暴動によって、無関係の民、ひいては他国の商人――アトリの父も命を落としたのだ。それについてはどう思っているのか、把握すらしていないのか。アトリは少々腑に落ちないと眉を顰めたが、ここで口を挟んでどうなる訳でもないと押し黙った。自身が共和派のロロリトと関わりがある以上、ラウバーンと波風を立てるのは得策ではない事くらい分かっていた。

「かの戦いは、結果的に勝利と呼べるものではなかったかもしれぬ。しかし、第七霊災後のこの困難の時代、皆が己の事だけを考えるようになっていった。ウルダハの現状を見よ。難民が押し寄せ、貧者がそこら中に居る。それなのに富者たちは、財を投じて助けようとはしない! 武を誇った者たちも、動こうとはしない!」

 まるで共和派への批判めいた言葉に、さすがにアトリも苛立ちラウバーンを睨み付けた。財をばら撒いて民が全員幸せになるなら、世界中で戦争も略奪も起こらないだろう。ろくでもない人間が大金を得て破滅するなどよくある話である。その場凌ぎで財を投じても根本的な解決にはならず、資金の有効活用は慎重に考えなくてはならないのだ。言いたい事は山ほどあるが、アトリは必死で堪えた。尤も、相手は大勢いるうちのひとりの視線になど気付く事もないのだが。

「商人による自治を望む共和派も、王家に忠誠を誓う王党派も、共にウルダハの繁栄を望んでいたはずであろう。この国難こそ勝機であり、同時に商機である! 富を求めるすべての者よ! 武を誇るすべての者よ! 黄金郷ウルダハに憧れし旅人や技師、そして冒険者よ! 目先の富だけを追うのではなく、国を、世界を見据えよ!」

 ラウバーンの主張に、民衆は歓喜の声を上げた。

「今一度、ナナモ女王陛下のもとに結集するのだ。ウルダハを守るグランドカンパニー『不滅隊』を信じ、私腹を増やすのではなく、不滅隊に投資しろ! エオルゼアの益は、ウルダハの国益である! そして国益は、国民の益である!」

 結局は力を持ち過ぎた共和派を抑え、王党派が権力を持ちたいだけの話ではないか、とアトリは溜息を吐いた。そういう単純な話ではない事も分かっているが、何故共和派がここまで権力を持つに至ったのか、王党派には何が足りないのかを考えるのが先ではないかと、心の中でつい毒づいてしまった。
 だが、それも束の間であった。この場にナナモ女王が姿を現し、民衆だけでなくアトリも息を呑んだ。空気が変わるとはまさに今この瞬間の事を言うのだと断言できる程、凛とした空気に包まれ、皆一斉にナナモへと顔を向ける。

 ララフェル族であり小柄なナナモ女王の身体を、ラウバーンが抱き上げ肩に乗せる。ナナモは遠くにいる民衆までしっかりと目を向けて、口を開いた。

「ウルダハ第十七代国王、ナナモ・ウル・ナモである。わらわから言うことは一つだけじゃ。ウルダハの宝は、金銀でも、宝石でもあらぬ。そなたたち民じゃ! 民の知恵、民の勇気、民の笑顔。何より、民の命こそ、ウルダハの誇る最大の宝なのじゃ」

 例えお飾りの女王であろうと、その言葉は民衆の心を掴むには充分過ぎる程であった。

「ウルダハの民よ! わらわとともに、エオルゼア全土を、ウルダハのごとく繁栄に導くのじゃ!」
「勝敗は早さと速さが別つ! すべては永遠なる女王陛下と、ウルダハの繁栄のために!」

 ナナモ女王とラウバーンの言葉に、民衆たちは一斉に声を上げた。否定する者など誰も居らず、式典は熱気が止まぬまま幕を閉じた。女王たちが去った後もこの場は活気に満ち溢れていたが、皆が皆そうという訳ではないらしい。
 少し離れた場所で男女ふたりが言い争いを――というより女子のほうが声を荒げ、何やら怒って歩き去ってしまった。彼女の跡を護衛らしき者たちが追い掛ける。その様子をたまたま見掛けたアトリは、誰もがこの式典に満足しているわけではないのだと、少しばかり安堵した。自分だけが訝しく感じているのだとしたら、己が敢えて意地の悪い捉え方をしているだけなのではないか、とも思ったからだ。

 一部始終を見ていた事に気付かれたらしく、残された男子がアトリの方へ顔を向けた。白髪で長い髪を頭頂部で結った、エレゼン族の少年。どことなく育ちの良さを感じさせる、それこそイシュガルドでいう貴族のような風格すらあった。

「これは、恥ずかしいところを見られてしまったかな」

 そう言って苦笑いを浮かべる少年に、アトリは駆け寄れば首を横に振った。そして、相手の身分をまだ知らないアトリは、とんでもない事を言ってのけた。初めから彼の為人を知っていれば、絶対にしない言葉遣いで。

「ううん、気にしないで。それよりも、さっきの女の子と喧嘩しちゃったの? 早く追い掛けて、仲直りした方が良いと思うけど……」

 アトリの言葉に、少年は一瞬呆気に取られたように目を見開いたが、すぐに微笑を零して首を横に振った。

「いや、今アリゼーを追い掛けたところで、残念ながら分かり合えないだろうね。勿論、一生仲違いするつもりはないがね。今はまだ、時間が必要だ」
「……そ、そう……」

 アトリはてっきりこの少年を十五歳前後だと思っていたが、もしかして見掛けとは裏腹にもっと年を重ねているのだろうか、と感じた。ララフェル族のように外見だけでは年齢が把握できない種族もいるのだから、不思議ではない。ただ、果たしてエレゼン族もそうだろうか。エマネランの従者のオノロワとさして歳は変わらないように見受けられるが、アトリがオノロワに敬語を使うのは、フォルタン家の従者だからというのが大きい。これが相手の立場など知らなければ、きっとこの少年と同じ接し方をしただろう。

「君もアリゼーと……私の妹と同じように、この式典はお気に召さなかったようだね?」
「え?」
「ラウバーン局長を睨み付けていただろう? 偶々目に入ってしまったんだ」
「ええと、それは……ここだけの話にして欲しいかな……」

 この時点で既に立場が逆転しているのだが、アトリが人差し指を口許に当てて引き攣り笑いを浮かべると、少年はくすりと微笑んだ。

「勿論だとも。それにしても……まさかウルダハでアウラ族を見掛けるとは思わなかったよ。君は何処から来たんだい?」

 決して偏見の目で見るわけではなく、ただ単に興味を持っているだけのように見える少年の問いに、アトリは無意識に己の角に触れた。エオルゼアに居を移す、あるいは元から住んでいたアウラ族もいる事はいるのだが、今は未だ『稀』な例である。特にこのザナラーンは、ララフェル、ヒューラン、そして先程のラウバーンのようなルガディン族が多い。寧ろこの少年のようなエレゼン族もそう多いわけではない。エレゼン族はクルザスが一番多く、次いでグリダニアといったところだ。

「私はひんがしの国、クガネから来たの。ちょうど運悪く第七霊災が起こった時で……だからエオルゼアにはもう五年位いる事になるのかな。ちょくちょくクガネには帰ってるけどね」
「遥か東方の地から!? ……いや、私も似たようなものか」
「君も? もしかしてイシュガルド?」
「いや、私たち……私とアリゼーはシャーレアンから来たんだ」
「シャーレアン!? 本当に存在したんだ……」

 アトリの呆けた言葉に、少年は口許に手を当てて笑みを零した。決して彼女の無知を貶すわけではなく、お互いに似たような事を思っていた為だ。ただ、アトリは少年の仕草を不快に思う事はなかったが、それよりも彼の言葉が気に掛かった。

「ねえ、あなたとさっきのアリゼーちゃん、たった二人でエオルゼアに来たの?」
「ああ。祖父の意志を継いで、この世界を救う為にね」
「……え?」

 アトリはまさかこの子たちも、己と同じように両親を失って、たったふたりでエオルゼアで生きているのではないかと思ったのだが、すべて杞憂であった。そして、今までの言動が大変失礼な事であると気付くのは、もう間もなくの事である。

「私の祖父はルイゾワ・ルヴェユールといってね。『救世詩盟』という組織を立ち上げて、第七霊災を阻止するべく戦ったのさ。だが、祖父は行方不明……私とアリゼーは祖父を探す――と言ったら語弊があるが、とにかく祖父の意志を継いで世界を救う為に、魔法大学を卒業してすぐにエオルゼアに降り立ったのさ」

 少年は涼しい顔であっさりと言ってのけたが、アトリはあまりの情報量の多さに、その場で卒倒しかねない勢いであった。
 アトリもエオルゼアでの生活も長く、『救世詩盟』が今は『暁の血盟』に名称を変えている事、暁の血盟がこのエオルゼアの脅威である蛮神対策に身を投じている事は知っている。なにせ、その暁の血盟の盟主であるミンフィリアや、組織の一員であるサンクレッドと交流があるのだから。
 だが、元々の『救世詩盟』を立ち上げたルイゾワ氏の孫が遠路はるばるエオルゼアに来て、世界を救おうとしているなど初耳である。

「あ……あ……」
「君はエオルゼアに来て五年といっても、詳しくは分からない事もあるかも知れないね。今の説明で不明点があれば、遠慮なく聞いて欲しい」
「ルイゾワ様のお孫様だなんて! 無礼を働いてしまい、大変申し訳ありません……!!」

 その場で深々と頭を下げるアトリに、少年は口をぽかんと開けて面食らった顔をした。だが、アトリの態度から彼女はある程度の事は知っていると察して、少年はすぐに穏やかな微笑を浮かべた。

「そんなに遜らなくても構わないよ。立派な功績を残したのは祖父であって、私ではないからね」
「で、でも……すべて納得出来ました。どうして兄妹たったふたりでエオルゼアに来たのか、これからとてつもない事を成し遂げようとしている事も……」
「それが、まだ何も出来ていないんだ。アリゼーとも喧嘩別れになってしまったしね」

 そう言って苦笑する少年に、アトリはそういえば本題を忘れていた、と我に返った。

「そう! アリゼーちゃんを追い掛けた方が良いです! 駄目ですよ、どんな理由であれ、故郷ではない異国の地で、兄妹が離れ離れになるなんて……」
「大丈夫だ。私たちはいずれ分かり合い、嫌でも共に行動する事になるだろうからね。私はそう信じているよ」
「うう……そうなのですか……私のような外野が立ち入る事でもないですが……」
「もしどこかでアリゼーを見掛けたら、よろしく頼むよ。双子の妹で、外見は私とよく似ているから、見誤る事もないと思う」

 あまりにもしっかりし過ぎている少年に、アトリはもう何も言えないと押し黙ってしまった。己が初めて父と共にこのウルダハに来て、父を喪った時の事を思い返すと、いかに自分が無知で無力だったのかを思い知らされるほどに。ただ、アトリ自身も父を喪ったからこそ、この少年にも妹と一緒に居て欲しいのだが、これは自分自身のエゴである。本人が大丈夫だと言っているのだから、余計な口出しをしては相手も不快になるかも知れない。アトリはそう思い直し、アリゼーの件についてはこれで話を終える事とした。

「承知しました。もしアリゼーちゃんを見掛けたら、声を掛けてみますね。それと、あなたも……あの、失礼ですがお名前は……」
「ああ、私はアルフィノ・ルヴェユールだ。何かの縁だ、君の名前も聞かせて貰っても構わないだろうか?」
「失礼致しました! 私はアトリ、東アルデナード商会クガネ支部の商人です。と言っても、社会勉強でエオルゼアにちょくちょく来ているのですが」

 アトリの自己紹介に、少年――アルフィノは納得するように頷いた。まるで、すべての辻褄が合ったかのように。

「なるほど、君がラウバーン局長に良い印象を抱かなかった理由がよく分かったよ」
「そ、その話は内密に……」
「ああ、分かっているさ。共和派には耳の痛い演説だったからね。とはいえ、君はクガネの人間なら、ここに来る必要はなかったように思うが……」
「ええと、ロロリト様が社会勉強に、と」

 父を喪った事を、わざわざアルフィノの前で言う必要はないだろうと、アトリは嘘ではない言葉を返した。アルフィノは少々腑に落ちない様子ではあったが、特に追及する事もなく、口角を上げて頷いた。

「君を派遣した理由は分からないけれど、きっと君のような、云わば外部の人間の率直な意見を聞きたいのかも知れないね。君も今の王党派を支持出来ないと思っているからこそ、あのような態度を取ったのだろうし」
「そ、その話はもう……」
「ははっ、そう落ち込まないでくれ。私とアリゼーもあの演説を良しとしているわけではないからね」

 そして二言三言交わせば、アトリはこの場を後にした。いつまでも長居して、共和派の人間が探りに来たと、王党派からあらぬ誤解を受けるのもどうかと思ったからだ。

 アトリはナナモ女王の事を嫌っているわけでは決してなく、寧ろ恩人のひとりであると思っている。サンクレッドが天涯孤独の身となった己に声を掛けたのは、元々暁の血盟と交流のあるナナモ女王がアトリの存在を知って、接触するよう彼に指示を出したのだと後々になって聞いたのだ。
 だが、ラウバーンの演説にもあったように、このウルダハもまた貧富の差が激しく、異国の商人の娘であるアトリ一人を保護し、特別扱いをするわけにはいかなかった。だからこそ自立し、自分の力で生きていけるよう、冒険者稼業の道を進めたのだ。

 ナナモ女王、そしてラウバーンの言っている事は正しいが、綺麗事でもある。現に貧富の差は改善されておらず、果たして民衆が不滅隊に入る事で根本的な解決になるのか。王党派と共和派が協力関係を結ぶ事が出来れば、多くの事が解決するように思えるが、共和派にとってメリットがないから対立関係にあるのだろう。
 アルフィノは己が外部の人間だからこそ、率直な意見が欲しいのではないか――そう言っていたが、外部の人間があれこれと口を出したところで何も変わらない。イシュガルドもウルダハも、どこも同じだとアトリは諦めかけていた。

 だが、アルフィノとの出会いもまた、ゆくゆくはアトリの運命を大きく変えていく事になる。何が正しいのか、何を信じ、何をすべきなのか。アトリはこの先待ち受けている試練など知る由もないまま、新たな一歩を踏み出していた。

2022.05.03

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