ふりかかった必然

 あと一分でも早く、オルシュファンがエマネランが何をしようとしているのか答えに辿り着いていれば、彼の愚行を止める事が出来たであろう。尤も、間に合わなかった以上何を言っても仕方ないのだが。
 オルシュファンはまさかエマネランが『本当に』アトリをアバラシア雲海へ連れて行くとは思っていなかったのだ。異国の人間であるアトリを皇都内に連れ込む時点で大問題である以上、後々の事を考えれば、いくらなんでもそこまで愚かな行為はしないと思っていたのだ。

「まさかエマネランがここまで考えなしだったとは……」

 あまりにも突然の事で、オルシュファンや神殿騎士たちはすぐにエマネランとアトリを見失ってしまった。一先ず手分けして探す事となり、オルシュファンが真っ先に思い付いたのが『アトリをフォルタン家の客人として迎え入れ、伯爵から皇都への立ち入り許可を得る』という行為であった。だが、屋敷に駆けつけた際は当然エマネランもアトリも居らず、そこで漸く『飛空艇で強行突破するのではないか』という結論に至ったのだった。
 だが、そこまでの過程で時間をロスしてしまった事により、エマネランは普段従者に任せている不慣れな搭乗手続きを成功させ、オルシュファンがイシュガルド・ランディングに辿り着いた時には既に飛空艇が飛び立った後であった。

「オルシュファン卿! ……この先、どうされますか?」

 エマネランとアトリを探すのを手伝ってくれた神殿騎士たちが駆け付け、心配そうに訊ねた。オルシュファンはあくまでアトリをエレイズに紹介する為に『皇都の外』にいた事は、神殿騎士たちも把握している。更にアトリは二年前と違い、今は身元を調べれば『エオルゼアで活動している商人兼冒険者』だとすぐに分かる以上、仮に神聖裁判所に拘束されてもすぐに釈放されるとオルシュファンは考えていた。
 だが、ここまで騒ぎを起こしては、アトリの皇都への立ち入りは二度と許されないのは明白であった。命までは取らないが、こんな騒ぎを起こされては他の貴族たちへの示しが付かないからだ。

「フォルタン伯爵に此度の事情を説明せねばならんな。だが、その前に……」

 フランセルがエレイズを連れて大審門に戻る段取りとなっている。恐らく己たちがいない事に困惑しているであろう二人に会う方が先だと判断し、オルシュファンが門へ戻ろうと踵を返した瞬間。

「オルシュファン! 一体何があったんだ!?」
「フランセル、それにエレイズ女史も……」

 まさにその二人がイシュガルド・ランディングに駆け付け、オルシュファンは一瞬安堵したのも束の間、エレイズに向かって頭を下げた。

「申し訳ありません、私の不注意でアトリが――」
「頭を上げてください、オルシュファン卿。ここに来るまでに大凡の事は把握致しましたから」

 エレイズの言葉にオルシュファンは顔を上げると、彼女は事情はどうあれ約束が反故にされたにも関わらず、怒るどころか穏やかな笑みを湛えていた。
 その横でフランセルが困ったように眉を下げて、力ない笑みを浮かべてみせた。

「街じゅうで噂になってるよ、フォルタン家の次男坊が謎の女を連れて走り回ってたって。フードを深く被っていたと聞いて、もしや、と思ったら……」
「お前の予想通りだ、フランセル。エマネランがアトリを連れ去って、アバラシア雲海へ向かってしまったのだ」

 フランセルは呆れるように肩を落として溜息を吐いたが、エレイズは終始微笑を湛えており、まるでこの状況をどこか楽しんでいるようでもあった。さすがに不思議に思ったオルシュファンは、エレイズに向かって訊ねた。

「エレイズ殿。ご多忙の中、時間を作って頂いたにも関わらず、このような事態に陥ってしまい……何と詫びれば良いものか……」
「そこまで気に病む必要はありませんよ。アバラシア雲海まで向かったのであれば、帰りも遅くなるでしょう。アトリ嬢が戻られるまで、我々は室内でゆっくりお待ちしていましょう」
「よ、よろしいのですか……? しかし、本人の意志ではないとはいえ、国外の者が許可なく皇都に侵入してしまった以上、アトリは一旦神聖裁判所に拘束されるのではないかと」

 ここで下手にオルシュファンやエマネランがアトリを匿えば、フォルタン家自体が他の名家から批判されるのは分かり切っていた。フォルタン家の伯爵はこの国の未来を思うからこそ、他国の冒険者や傭兵を積極的に受け容れるという方針を行っている。それは決して他の名家から見れば良い行為とは言えず、だからこそ、常に潔白でいなければならないのだ。
 アトリを守ってやれない事を心苦しく思いつつ、オルシュファンはそう説明した。だが、エレイズは全く動じなかった。

「恐らくそのような事態は回避出来るかと思いますよ。もしフォルタン家に裁判所の者が来た際は、私も協力致しますわ。彼女は悪くないのだと」
「エレイズ殿……失礼ながら、何故そこまでアトリの事を気に掛けるのですか? 対面した事もないというのに……」

 困惑するオルシュファンに、エレイズは口角を上げた。

「『東アルデナード商会』は、実はイシュガルドとも関わりがあるのですよ。『サンシルク』は東アルデナード商会傘下の商店ですし」

『織物サンシルク』――エオルゼア随一の高級ファッションブランドであり、他国への門を閉ざしているこのイシュガルドでも、サンシルクの衣類は貴族たちに愛されている。
 まさかそれが東アルデナード商会が絡んでいたなどと、オルシュファンは思いもしなかった。

「アトリ嬢が自ら皇都に乗り込んだわけではない以上、彼女を罰する謂れはないのでは。我々としても、東アルデナード商会と事を荒立てたいとは思いませんし」

 取り敢えず、アトリの味方は一人でも多い方が良い。オルシュファンは一先ずアトリに不利益が生じる事がなさそうだと安心したものの、現状が変わったわけではない。
 オルシュファンはこの後、エマネランの行為についてフォルタン伯爵まで説明しに、屋敷まで出向かなければならなくなったのだ。正直気が重いが、アトリの名誉が懸かっている以上、子どものように駄々をこねている場合ではなかった。何も事情を知らないフォルタン家の者たちが、エマネランを庇いアトリを侵入者だと決め付ける可能性も無きにしも非ずだからだ。

「それにしても、エレイズ女史は随分とアトリを気に入っていらっしゃるんですね。もしかして、アトリが覚えていないだけで実はお会いした事が?」
「いいえ。ただ、サンシルクのオーナー……東アルデナード商会の会長の姪御さんが、随分と彼女の事を気に入っていると耳にした事があり、どんな子か気になって……ただそれだけですわ」

 フランセルとエレイズの会話が耳に入り、オルシュファンは改めてアトリの人望に感心した。権力者に媚びているわけではないと、これまでアトリの為人を見ていれば一目瞭然である。まさかそれが自身を救う事になるとは、本人は思いもしないだろう、とオルシュファンは漸く笑みを浮かべたのだった。





 一方その頃、アバラシア雲海では。

「――という訳で、アインハルト家はここんとこ落ち目な訳だが、オレ様のラニエットへの愛はそんな事では揺るがないぜ」
「はあ……」

 アバラシア雲海上空を漂う飛空艇にて。その乗り心地や雄大な景色を楽しむ余裕すらなく、ただただこの先の事が不安で心ここにあらずなアトリであった。ゆえに空返事しか出来ずにいた彼女に、エマネランは饒舌な口を一度閉ざせば、呆れがちに溜息を吐いた。

「おいおい、もしかして酔ったか? まさか、初めて飛空艇に乗ったのかよ」
「え? ……はい、一応故郷にも飛空艇はありますが、利用するのはガレマール帝国の方くらいですから」

 クガネも昔は定期便が出ていたが、アトリが物心付いた頃には既に、クガネ・ランディングは帝国軍のみが利用する場となっていた。ドマを始めとするオサード小大陸の国々が帝国に滅ぼされ、あるいは支配される中、島国であるひんがしの国だけは唯一鎖国体制を取る事で、帝国の支配から逃れる事が出来た。
 ただ、クガネは貿易港として機能しており、海路における異国の者の行き来も激しい。他国の大使館も複数あり、その中にはガレマール帝国も含まれている。
 クガネから空路で行ける場所といえば、帝国の支配下にあるオサード小大陸ぐらいである。大使館に常駐している、あるいはクガネを中継地として動く帝国軍以外の者が、オサード小大陸に行く事自体がほぼない状況であった。
 そもそも、海路での貿易が盛んなクガネにおいて、空路を使う選択肢自体がひんがしの国の民にとってはなかったとも言えよう。

 だが、アトリにとって当たり前の事情が、どうやらイシュガルドの人間にとっては異様に感じるようであった。エマネランはアトリの言っている事が理解出来なかったのか、怪訝な顔でアトリの顔を覗き込んだ。

「故郷? 帝国? アトリ、オマエどこから来たんだ? ガレアン人じゃなくてアウラ族だろ? つまり、帝国に支配されてるって事は……アラミゴか?」
「いえ、エオルゼアではなく、ひんがしの国、クガネから参りました」
「――はあああああ!?」

 あまりにも大きな声で驚愕するエマネランに、アトリはつい仰け反ってしまった。どうやら『皇都の噂』とやらで、このエマネランという男はアトリがアウラ族である事は把握していたものの、それ以上の事は知らなかったようだ。

「ひんがしの国って、アレだろ? オサード小大陸の更に東だろ!?」
「はい」
「どうやって来たんだ!? つーか、なんでわざわざエオルゼアまで……大体何がどうなってオルシュファンと出逢ったんだよ!?」

 エマネランに質問責めにされて、アトリは飛空艇で酔ったりなどしていないというのに、早くも具合が悪くなりかけていた。果たして、己の身の上話を終える前に飛空艇は着陸するのだろうか。出来れば話途中で着いてくれれば良いのだが。アトリはもう引き返せない以上、一刻も早くラニエットに会いたい――真っ白な空を見上げながらそう願っていた。





「まさかアトリがそんな辛い目に遭ってたとはな……そりゃオルシュファンもオマエの為に何かしたいって思うよな」

 結局話し込んでしまい、エマネランは腕を組んで神妙な面持ちで深く頷いていた。そして漸く飛空艇が降下し始め、着陸態勢に入った。
 じっくりと話してみて、エマネランという男は悪い人間ではないようにアトリは感じ始めていた。イシュガルドは排他的だという割には、彼は己に対して寧ろ興味を抱いてくれている。物珍しさという感情であろうとも、冷たい視線を向けられるよりは遥かに良い、と。

 飛空艇が停止し、アトリはエマネランと共に外へと飛び出した。
 降り立った場所は、『キャンプ・クラウドトップ』――皇都イシュガルドの前線基地であった。



「まだエーテライトが復旧してねぇから徒歩になっちまうが、ここからローズハウスまではそう遠くない。常にラニエット率いる薔薇騎士団が巡回していて、強いモンスターもいないから、まあのんびり行こうぜ」

 アトリは何となく察していたが、このエマネランという男はラニエットの事が好きで仕方ないのだろう。だから己がラニエットに会いたがっているという噂を聞いて、己を口実にここまで連れて来たのだ。来てしまった以上どうしようもないものの、ラニエットに会って、その後の事を考えるとアトリは気が重かった。
 だが、エマネランは何も考えておらず、てっきりアトリはモンスターが恐くて怯えているのだと思い込んでいた。

「そんなに怖がらなくても平気だっての。ほら、雲海の景色なんて東方じゃ見られないだろ? ここの景色は結構綺麗だと思うぜ」

 そう言って歩を進めるエマネランの後を追いながら、アトリはその言葉に従って周囲を見回した。
 幾多もの島が浮いており、元々の地形を利用したり、新たに橋を増設するなどして、徒歩でも行き来が出来るようになっている。ここはまさに『空に浮かぶ島』そのものであり、今自分たちが立っている場も浮島だと思うと、アトリは妙な感動を覚えた。
 それに、ゆっくりと歩きながら自分の周りをよくよく見れば、ひんがしの国だけでなく、これまで訪れたエオルゼアのどの国でも見かけない、不思議な造形をした花々が咲いていた。グリダニアの美しい森とはまるで違う、異世界のような光景でもあった。

「なんだか絵本の世界に入り込んだみたいです」
「だろ? 左遷先とはいえ、ラニエットの美しさがより引き立つってもんだぜ」
「……左遷先?」
「ああ。前線基地ったって、肝心のドラゴン族がだんまりなまま何年も経ってるからな。アインハルト家の薔薇騎士団の連中も、ここで農業でもやりながら時間を潰してるって話だ」

 ラニエットの事が好きな割には、アインハルト家の事を落ち目と言ったりアバラシア雲海での任務を左遷と言ったり、散々な評価である。アトリ自身、フランセルやラニエットには良くして貰っただけに、あまり良い気持ちにはならなかった。ただ、貴族社会においてここまで言うというのは、このエマネランという男も貴族なのだろう。それも、アインハルト家を馬鹿に出来る程の。アインハルト家以外の四大貴族のいずれかであろうと推察した。
 そこで、アトリは特段エマネランの事を深く知りたいとは思わないものの、失礼のないように身元を探る事にした。

「ところで、不躾な質問で申し訳ないのですが、エマネラン様は四大名家の貴族様……ですよね?」
「えっ、オレ様の事知らないのかよ!?」
「だ、だって初対面ですし……」
「……オルシュファン、オレ様の事は一切説明してなかったっていうのかよ……いや、きっとこれから紹介するつもりだったんだな! 多少前後したって、まあ問題ないか、多分」

 エマネランは最初こそショックを受けていたものの、すぐに前向きに考え直して笑顔を浮かべてみせた。

「オレ様はエマネラン・ド・フォルタン。四大名家フォルタン家の次男だ」
「フォルタン家……! だから、オルシュファン様とも顔見知りだったのですね」
「顔見知り……いや、ええと、どう説明したらいいんだ? ……アトリ、オルシュファンから本当に何も聞いてないんだよな?」

 あれだけ饒舌だったエマネランが、突然言い淀んで、入念に確認するようにアトリへ問い掛けた。それが何を意図するのか分からず、ただこくりと頷くアトリに、エマネランは眉間に皺を寄せて考え込んだ後、ひとり頷いた。

「……いや、これはオレが勝手に言う事じゃないな。オレとオルシュファンの関係はちょっと説明し難いっつーか……オレ個人というよりフォルタン家の事情っつーか……」
「あの、それはオルシュファン様の出自の事ですか?」
「……本人から聞いたのか?」
「いえ、私には言いたくないのか、はぐらかされてしまって」

 エマネランは暫し黙り込んだものの、すぐに笑みを作ってアトリの背中を軽く叩いた。

「まあ、ここは気長に待っておけって。オレ様の予想では、きっとプロポーズする時に打ち明ける気がするぜ」
「プ、プロポーズ!?」
「隠すなって、オマエらそういう仲だろ? じゃなけりゃ東方のアウラ族をわざわざ皇都に招こうなんて思わねぇからな」

 何やらとんでもない誤解をされてしまっているが、誤解を解こうにも今のエマネランには何を言っても通じないのではないか、とアトリは早々に対話を諦めてしまった。今はこのままやり過ごして一刻も早くラニエットに会い、弁解はその後にしよう。そう決めて、初めて訪れた浮島の景色を堪能しながら歩を進めたのだった。

2021/09/12

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